東京の空の下 / page9

 こんな会話を交わしながら、僕達は三人で緑色の電車を反時計回りに一周した。  本当は六十二分だけど、洗われて擦り減った六十分の時間をかけて。  車窓に映る空は、いろいろな形の建造物に切り取られていた。  二等辺三角形の定規みたいな赤い塔、少しでも空の近くへと、橋のように線路を掲げ て走る電車。そして、色とりどりに明滅する広告塔の明かり。僕達が今まで生きてきて、 見たこともなかった、人の創ったもの達。  ゆうちゃんは、そんな風景を見て楽しそうに笑っていた。  とりわけ、一度別れていった青色の電車の線路が戻ってきて、緑色の電車に寄り添っ た時には、嬉しそうに声をあげた。  だけど、僕はそんな気分にはなれないまま、じっと車窓の見知らぬ街を見つめる。  まるでどこまでも続く深い穴に墜ちてゆくような、無限の回廊のような思考の名残が、 未だに僕の胸の奥に影を落としていた。  それに、ゆうちゃんと僕の想いは違うのだと、判ってしまったことが、辛かった。  たとえ言葉を交わさなくても、お互い同じことを想っていると、ずっと信じていた。 少なくとも、まだおかあさんが一緒にいてくれて、穏やかに暮らしていた頃は。  ずっと昔に失われた、顔も知らない写真家のおとうさんの、時間。  僕達と一緒に流れていたのに、不意に止まって消えてしまった、おかあさんの、時間。  いつか何処かで消えてしまう、僕やゆうちゃんの、時間。 「少なくなった時間は、何処にいっちゃうの?」  僕は、ぽろりと言葉をこぼすようにして、少年に尋ねる。 「洗った後、時間の粒子を干すんだ。そうすると、時間はさらさらになって空に還って ゆく。」  見覚えのある、ふたつの電車が別れてゆく坂道。  その風景の方を見ながら、緑色の電車は応えた。 「人がたくさんいると、増えるのはかなしみだけじゃ、ないよ。この街の空を見てれば、 いつかわかるよ。」  かん、かん、かん、かん。  赤い灯りを交互に燈して、この円い線路でたったひとつの踏切が音楽を奏でる。 「ねえ、私達のかなしみも、洗い流して、くれる?」  プラットホームに降りる時、ゆうちゃんが真剣な顔で、こう尋ねたのを憶えている。  少年は、その問いには答えないままで、電車の扉が閉じるまで、優しく笑っていた。




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