介護日誌
2002.10.28
介護(骨折・入院)
1.はじめに
2001年1月、介護保険を申請し1月末の私の出張による留守もショートステイで乗り切った。
その後平穏な日々であったが、次女に対しては、料理したものに「味が悪い」だの、行動に対しては「どこへ行くのか」とか、干渉することがあった。
私は通常5時に起床して朝食の準備をし7時過ぎに出勤している。勤務地は府中市に西の方にあり、ほとんど毎日徒歩通勤である。
ある日、家を出て約40分位たち、府中四谷橋を歩いている頃、次女が携帯電話に「婆ちゃんが苦しいと言っている」。娘も出勤直前で会ったので、私はUターンし家まで走った。
家ではふとんを被って寝てたが、様子を聞き救急車を頼もうと言うと「なぜ帰ってきたか」と言う始末。
しばらく様子を見ていると、落ち着いてきた。もともと心臓に持病があり、いつものことではあると思ってたが、無視するわけにもいかない。
その後比較的平穏な生活が続き、取りあえず毎日がこのような生活であってほしいと願ってた。
2.事故・入院
2001年3月22日夕、母(当時88歳)が庭で洗濯物を取り込んでいて転倒し、動けないと次女から携帯電話に連絡がはいった。
取り急ぎ帰宅した。
救急車を呼んだ。救急車の方が抱えようとしても痛がって、結局毛布に乗せてストレッチャに乗せた。
受け入れ先の病院を探しているのを漏れ聞いていて大変だなと感じた。後で分かったが、老人の転倒による骨折はかなり多いそうだ。
母は、右大腿骨骨折でそのまま入院し、3月29日に手術する事になった。その病院は2年前に家内が亡くなった病院だった。
医師によれば、手術をせずにいれば寝たきりにならざるをえず、痴呆、肺炎になりやすいので、手術をし早く歩けることが重要とのこと。
3.手術
手術のため、「手術説明書」「輸血についての説明書、同意書」など手続きをしたが、輸血って家族の血液を使うのはよくないらしい。
88歳の老体に麻酔をし、メスをいれるのだら家族のものにとっては、心穏やかではない。
私自身は手術の経験がないが、家族の手術に立ち会うのは、家内が15年位前
うけた子宮筋腫の手術以来だ。
手術は8時過ぎに始まり3時間で終り、取りあえず一安心だ。老体がよく耐えたと感心するやら、人間の体、特に母を見ていると強いものだと思う。
入院は一ヶ月の予定となっていた。
手術に先立ち、下着や寝間着とか身の回りのものを揃えた。
母親がどんなものを持っているか知らない。しかしその後ずっと気をつけておかねばならなくなった。
4.看護
病院は車で10分位の所にあるが、当時車は修理中であったので、洗濯物を持ち面会のための病院通いは30分かけての徒歩であった。会社から帰宅した日は夕方、休日は病院通いである。
その後、病院から4月末をめどに退院を考えるように言われたが、老体に応じた、スローな回復でした。ようやく伝い歩き出来る程度なので家に帰って来ても、私が四六時中付き添うことも出来ない、またリハビリが必要であり
老人保健施設を利用することになった。