川を渡って彼の岸へ
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私が見る限り、人影も見えない。 「ふーん、でキミの住まいはどこなの?」 「あちらの方」 「ばあちゃんもいるの?」 「いるよ。相変わらずですよ」 「あなたは体は大丈夫?」 「あちこち、歳相応なのかおかしなとこが少しづつ出てきたよ」 と言って私は体で異常が表面化しているところを上から順に「ここ、ここ、ここ・・・」と指差す。 「ちゃんと診てもらいなさいよ」言うことは前と変わらない。 「YやRも元気だよ。キミが抱き上げたことがあるNちゃんも小学2年生だよ。 それにRの子供も3歳になったし・・キミが気がかりに思う子供たちもちゃんとやってるよ」 「・・・・。そう、こちらからも見えてるのよ」 「エッ、わかるのかい」 「こちらからは、あなたたちのやっていること全部、お見通しヨ」 「じゃ、お義父さんのことも?」 「そう、よく頑張ってるね。あなたも見習って!」 「いろんなこと話したいが、時間はあるの?」といって私は腕時計を見た。 こちらに着いたときにおかしくなったのかもしれない。すべてゼロを表示していた。あれっと言いながらスタートボタンを押したが動こうとしなかった。 「ここは 時計はないのよ。だから、今日も、明日もないの。わたしの時計は平成11年7月19日の朝6時で止ってしまった」 「じゃ、時間を気にせず話してもいいんだね」 「ボクはキミに謝らなければいけない。ある時からキミを騙し続けていたんだから・・・」 「分かってるわよ。」 「エッ、じゃ自分の病気のこと知っていたの?」 「自分の体がだんだんおかしくなっていくから・・・、でもあなたたちが心配するだろうと思って」 「今だから言うけど、検査入院しているときキミが『T先生がご主人にも話したいことがある』って言ったよね。これを聞いたとき、もしやと思った。」 「・・・・」 「そして平成10年10月17日、お呼びがあった。会社から真っ直ぐ病院に向い、キミと一緒に先生の話を聞いた。そのあとキミが病室にかえった後、先生から『あと半年のいのち』と告知された。」 「・・・・」 「さらにキミに告知するかしないか30分くらいで決めてくれと言われた。それによって治療の方法が変わるんだそうだ。」 「・・・・」 「気が動転したボクは落ち着きをなくし、病院のダイニングルームを歩きまわった、ほんと世の中が真っ暗になった。」 「この時は奈落の底に突き落とされ、見放されてしまったような気がした。」 「そして、告知しない方を選んだ。」 「きっと、キミの落ち込む姿を見たくなかったからだろう・・・」 「永六輔さん、もう古希を過ぎていると思うが、奥さんを亡くして『悲しいことや寂しいことは我慢できるが、空しいことは我慢できない』という意味のことを本に書いている。」 「いまなんでもひとりでしているだろ。ほんとに空しいネ。」 「・・・・」 「何ごとも相談することもできず、ひとりで考え、ひとりでやって、ひとりで”こんなものか”と納得するこんな空しいことないよ」 「・・・・」 「もう、いいや。としょっちゅう思う。ほんとにもう面倒だなぁと思う。」 「たぶん歳をとると、みんなこんな気持ちになるのかな?」 「キミがいない生活ももう8年にもなる。信じられないけどそれが日常の生活になってしまった。あの日までずっと、何十年間もいっしょに生活していたのに・・・」 しばらく黙って聞いていたKは「でもね、自由気ままに暮らしていられるから幸せだと思わなくっちゃ。あまりくよくよしたり、いろんなこと考えたりしないで、今を楽しみなさいよ」 「そう思うんだけど、何かしようと思っても、いつも結局ひとりだろ。」 「これからどうするの?」 「最近思うことは、お義父さんのような生き方がいいかなと・・・。」 「もうあれこれしたいと思わないね。欲を言えば限がないし、ボクよりずーっと年上の人でも海外や国内旅行にいく人が大勢いるが、そういう意欲はなくなった。『色即是空』だよ。」 と言いながら、日頃の思いを一気にしゃべってしまった。 なるべくひとに迷惑をかけないことを願っている。 そんな中でもコロリ、ポックリというのがいいな。苦しまなくていいから。 そうだろう、キミだってずいぶん苦しかったと思うよ。 どうしても人の世話にならなければならないのは骨の始末だよ。もっとも骨がなければいいだろうけど。 自分ひとりで生活できなくなったら、老人ホームに入らねばならないだろう。 そこで世話をする人にいろいろやって貰うのってイヤだね。 ばあちゃんのとき、見てて思ったよ、あれは人間の尊厳なんてないような気がした。 Kは黙って聞いている。 「そういえば向うにいるときはあまり、こんな話はしなかったね」 当時は言わなくてもわかってくれると思っていた。 「今日は、日ごろ思っていることを聞いてくれてありがとう」 「そろそろ、帰ろうかな、また来られるのかな」 ☆ 目が覚めたとき、時計は正午少し前をさしていた。 ちょっとの時間、居眠りをしたようだったが、長い間どこかを旅したようでもあった。 |
随録
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