しむ


2002.10.28
たび (飛騨・信州)

とき :2002年夏
ところ:馬籠、下呂、高山を通って松本へ

母の介護のあいまをぬって、息抜きのひとり旅である。私は馴れてないせいか几帳面(?)なせいか、行き当たりばったりは好まない。 下呂にある会社の保養所と、松本のビジネスホテルを予約しておいた。

まず最初は、中山道の「馬籠の宿」をめざした。中央自動車道中津川ICまで3時間くらいだったか、ひとりで車に乗っているのも、張り合いがない。 好きな「ジャズ」テープを聴きながら・・・。

(1)馬籠
馬籠の宿
馬籠は島崎藤村の生地、藤村記念館に入る。宿場はこんな急坂にあるとはイメージしてなかったので、少々戸惑いを感じた。交通手段が歩きしかなかった 当時は大変だったであろう。と思いつつ五平餅を食った。

話は変わるが、ここは信州(長野県木曽郡山口村)である。ところが生活空間は岐阜県中津川市と一体となっている。 県を越えた合併問題が浮上しているとのこと。半世紀前にも合併問題があり、中央道の恵那トンネルのあたり、中津川市が長野県に食い込んでいる土地は、 神坂村が中津川市となったところで、残りが山口村となったのだそうだ。 合併で住民の利便が一番と思うが「信州」にこだわる人もいるとか。

(2)下呂
馬籠から下呂までおよそ50km。知らない所でもナビを頼りに走れる。ところが新しく道路が出来ているとわざわざ旧道を走ったり。 最新のナビはマップ情報をダウンロードしてくれるかもしれないが・・・・。でもまあ、そこそこ役に立つものである。

付知町という所を走っているとき、この町出身の熊谷守一の美術館が目にとまった。今日は月曜日だがと思いつつ入り口まで行ってみると案の定「休館日」であった。 美術館は月曜日休館が多いようである。もう来ることはないであろうと思うと残念である。
午後3時前に保養所に着いた。予定よりだいぶ早くついた。管理の人にひとこと声をかけて「合掌村」を教えてもらう。

ここには白川郷から移設した合掌づくりが10棟くらいあるそうだ。 内部の二階、三階に上がってみると、養蚕のための設備、農機具の保管など当時の生活の様子がうかがえた。

保養所は10室位あったが、月曜日で翌日が休館にため私以外誰もいなかった。私ひとりのため何だか申し訳ないような気がした。
土地の名物、ほうば味噌など口にしながら一人でほろ酔い気分になった。
高山・上三之町

下呂まで357Km。

(3)高山
国道41号線を北上すること50数キロで高山だ。高山陣屋前のPに車をおく。
パンフによれば、高山陣屋は1692年以来明治維新までの177年間、幕府直轄領となった飛騨の政務を行ったそうだ。

中に入って見ると御蔵と呼ばれる年貢米をの保管場所は権力を象徴しているようだった。また吟味所・白洲と呼ばれるところはあのTVドラマ遠山を思い出させた。 高山の古い町並みが残っている上三之町、下三之町などを歩いてみると観光用の人力車が走っていた。

(4)松本
今回の目的の一つである開智学校、松本城のある松本市を目指し158号線を東進する。

途中、飛騨大鍾乳洞によってみる。何とかコレクション館
松本城
開智学校
と言うのがあってここを 通らなければ鍾乳洞に行かれないようになっている。私はこの手のコレクションには疎い。急いで鍾乳洞に入ってみるが、内部は摂氏10度位、半袖シャツのままだったのでシンシンと冷えてしまった。
松本市に3時過ぎについた。目的の建造物の見学は翌日に取っておくことした。

翌朝、この年の4月21日に開館した「松本市美術館」を見学。イタリア・ルネサンス三大巨匠素描展と題してダ・ビンチ、ミケランジェロ、ラファエロの素描を集めていた。
開智学校はパンフによれば、明治6年に開校、同9年校舎が新築され、その校舎は昭和38年まで使われたそうだ。
松本城は5重6階だそうで最上階まで登り、城主になった気分で東西南北を見渡す。 当日は天気も上々で、遠方に乗鞍岳、上高地、槍ケ岳、等々。
松本まで504Km。

(5)帰路
松本から19号、20号を走って帰路に就く。高速道を使わず、一般道のみで甲府、大月を走る。 私は高速道路は新幹線に、一般道は在来線に例えられるように思う。高速道や新幹線は目的地に短時間で行くためには便利だが、移動するだけで面白みに欠ける。 一般道を走ると、生活感がある。疲れるが、この方が好きだ。午後6時頃、家についた。
家まで710Km。
ショートステイ中の母を迎えに行く。これで今回の旅も終わる。


たび