オーキング
03. 9. 24
ウォーキング (in玉川上水ー1)
−玉川上水開削350年記念ウオーク(1)−

1.はじめに

  このウォーキングは京王電鉄が主催し、沿線の公園、神社仏閣、史跡などを見ながらのウォーキングである。2003年度は これが第4回目であり、酷暑の時期を避け秋版が再開された。
今年は玉川上水が開削350年になるので、今回から3回シリーズで水辺のウオーキングである。

● 実施日 : 2003. 9.20(土)

● コース : 井の頭公園駅→井の頭公園→玉川上水緑道(井の頭公園西園・兵庫島公園)→昭栄公園→喜花公園→玉川上水第二公園→桜上水駅


2.ひとこと

この日はあいにく朝から雨模様、「うー、どうしょうかな」雨の中を歩くのは結構しんどい。しかし「玉川上水」と言うのこと、それに3回シリーズの初回をサボると後の興味が半減しそう。と言う気持ちが勝って出かけた。

2ヶ月ぐらい前だったか、「玉川上水ウオーキング」を意識して「玉川上水」という本を読んだ。
多摩地域にある中小規模の金融機関が出版した本で、「何
井の頭公園
上水に架かるさい祝橋
故、金融機関がこのような本を出版するのだろう」という疑問もあった。

しかし内容は江戸市中の水道の設備にもふれ、なぜ玉川上水が必要になったかなど詳細な絵図もまじえたもの。 江戸市内にも当時の技術を駆使した水道設備が意図的に建設されていたことを知り、当時の人々の技術、行動力に驚いた。
地域における文明を克明に紹介し感心させられた。

また玉川上水は羽村の取水口から四谷大木戸までの43kmを8ヶ月で完成させている。短期間に完成させるには、同時に各地で並行して工事をさせる必要がある。そのためには測量技術が必須であったと記されている。

私は自然に発生した湧き水などでまかなっていたのだろうと思っていたが、当時の人口分を潤す水は人工的に供給する必要があったようだ。
深い掘割の上水路
彼岸花も・・・
玉川上水ができたのは1653年、(家康が江戸入りしたのは1590年)同時代の人口はある資料に次のように記されている。
「1609年に江戸を訪問したフィリピンの臨時総督(スペイン人)が江戸の人口を15万人と記録している」


ルートマップの裏面に記載されている見所の一部から転記しよう。

玉川上水の歴史 江戸時代の承応2年(1653年)、松平信綱を総奉行とし、加藤庄右衛門・清右衛門兄弟の手により着工された。工事は多摩川の羽村に取水口を設け、そこから四谷大木戸まで43kmに掘割を作って上水を引くという大工事で、同年11月に完成し、翌年6月には江戸市内まで完成、通水した。 玉川上水は江戸市民の飲み水のほか田畑の灌漑用水としても使われ落水を利用して水車を動かした。
玉川上水の現在 明治31年、東京に改良水道が完成したため3年後に廃止されたが、水路は淀橋浄水場への導水路として使用されていた。新宿副都心計画により淀橋浄水場は廃止され、小平監視所から上流が水道導水路として使用されている。
糸きり団子 井の頭名物。住宅街の一角の普通の民家を改造したお店で、団子は長い円筒形の餅を一定の長さに糸で切り、黄な粉、あんこ、胡麻でまぶしたもの。要予約。
牟礼の里公園 玉川上水へと続く昔ながらのふるさと(牟礼の里)を保全するために造られた。
天神社 旧高井戸村の鎮守で創立年は鎌倉時代と伝えられている。明治以前は第六天神と呼ばれ、昭和の始め頃まで「雨乞い神楽」があった。境内の狛犬明和年の銘がある。


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