ウオーキング
04. 1.21
ウオーク・古道(神社)
府中市住吉町の小野神社
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「古道探訪」とたいそうなタイトルをつけてしまった。どこまで探訪できるやら。
「鎌倉街道伝説」という本によれば、中世、多摩地区には鎌倉へいくつもの道があった。「上ノ道」、「早ノ道」、「裏街道」など。詳細はネット上で検索していただきたい。
私は現在の鎌倉街道しか知らない。現在の鎌倉街道は神奈川県、東京都、埼玉県などでそれぞれ地方主要道路のある区間に命名されているようだ。
東京都では府中市本町一丁目(本宿二丁目)から町田市本町田までが鎌倉街道となっている。
鎌倉街道の古道、その周辺にある遺跡、神社などを訪ねてみたい。
手始めに近場の小野神社を訪ねてみた。
府中市の小野神社本殿
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府中市の小野神社、多摩市の小野神社、町田市の小野神社である。三社と武蔵国府の位置関係を確認しておく
府中の小野神社と多摩一ノ宮の小野神社は多摩川を挟んで対している。多摩川は氾濫で蛇行したことが両岸に同じ地名があることからも知られている。
府中市の小野神社 が多摩川の氾濫で多摩市の一ノ宮に移転したともいわれているそうだ。
小野路の小野神社は一ノ宮小野神社の南方約6kmに位置する。
ここ小野路は鎌倉みちの宿駅だった。
多摩市一ノ宮の小野神社の拝殿
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ここも小野一族に関係が深いことがうかがえる。
地図上の黒い線は鎌倉みちのあったところを、特定できたわけではないので想像で記してみた。このほかにも数本の道が考えられている。
多摩市の小野神社(武蔵国一の宮・郷社・多摩市一之宮鎮座)は大国魂神社の所祭神座の第一席に「一の宮 小野大神」と記されているそうだ。武蔵国一ノ宮の郷社という。
もともと兄弟なのかもしれない。
一ノ宮の小野神社の本殿
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町田市小野路の小野神社は、武蔵国府へ国司としてきた小野氏にかかわりがあり、一族の祖のひとり、小野篁(おおののたかむら)を祀った社だそうだ。
石碑の近くに、地神塔があり天保十四年仲秋とあった。
小野路の小野神社、入り口の神社名の石碑の裏には次のように刻まれている。
御祭神は小野篁(おののたかむら)天下春命
由緒:創建年は不詳だが古鐘に武蔵国小山田保小野路県小野大明神官鐘銘率竝序応承十年(1403年)発末冬当県大貢十郎四郎とある。
町田市小野路の小野神社拝殿
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寛文六年(1666年)の検地の時、文珠領として田一反八歩があったが明治の神仏分離の際、文珠仏とともに千年院に移した。
現社殿は昭和三年四月三日の再建である。
境内に小野路の説明が掲げられていた。
小野路は鎌倉みちの宿駅として鎌倉と武蔵国府の置かれた府中に通づる要衝の地である。宿の入り口にある小野神社は小野篁(おののたかむら)の七代孫小野孝泰が武蔵国司として天禄年間(972年)頃赴任し小野路のこの地に小野篁の霊を祀ったことに由来する。
小野篁は平安時代前期の人で、和漢に優れた学者で、学問の神様であり菅原道真の先輩にあたる。
小野路の小野神社本殿
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小野篁の孫小野道風は平安時代を代表する書家で三蹟として有名である。
なお小山田氏の小野路城があった城山には小町井戸と伝えられる遺址もあり、小野氏との関連の深い地である。
応承十年(1403年)には小野路村の僧正珍が寄進を募り交通の安全を祈願して宮鐘を奉納した。
朝夕に別当寺の清浄院(現在廃寺)の僧が宮鐘を撞いて旅人に時を知らせたという。
戦国時代の文明年間に両上杉の合戦でこの宮鐘は山内上杉に兵により持ち去られた。
現在、逗子市沼間の海宝院に保管されている。
宮鐘は昭和59年復元され拝殿右側面に設置されている。
私は神社にも、鎌倉みちにも詳しくないが、いずれの小野神社も訪れてみると質素な中にも荘厳な印象があった。
これから私の勉強の題材となりそうだ。