こういう無防備なヤツは後ろから驚かせてやろう。
 オレは足音を忍ばせ、さらに近付くと、すぐ真後ろ
に立った。
 それでもマルチは、まだオレに気付かない。
「るんるんるるるるんるりら〜、るん、る〜んるん、
るん、るるるる、るりらぁ〜」
 楽しそうに鼻歌まじりに窓を拭いている。
 いったい、なにを歌ってんだか。
「るんるんるるるるんるりら〜、るん、る〜んるん、
るん、るんるるんるる…」
 はー…っと、息を吐きかけてから、きゅっ、きゅっ、
と楽しそうに窓を拭く。
 オレは、すぅ〜と、大きく息を吸い込むと………、

「わっ!」
 …と叫んで、背中を押した。

「…………」
 ふ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜………パタン。

 あっけなく気を失い、床に崩れ落ちるマルチ。
「………え、えっと…」
 しばらく呆然とそれを眺めていたオレは、苦笑しな
がらまわりの様子を見渡した。
 注目している生徒はいなかった。
 視線を足もとに戻す。
 仰向けに倒れたマルチはピクリとも動かない。

「…お、おい、マジかよ」
 オレは、呟きながらしゃがみ込むと、
「…マ、マルチ」
 その頬を、つんっと指先で突っついてみた。
 頭が、くたっ…と90度横に傾いて、前髪がはらり
と舞い落ちる。
「…なあ、マルチ、冗談だろ?」
「……」
 だが、マルチはなんの返事もしなかった。

 げげっ。
 まさか、ホントに壊れちまったのか…?
「マ、マルチ、マルチっ」
 オレは、仰向けに倒れた細い肩を抱え起こした。


 マルチの体は、とても機械で出来ているとは思えな
いほど軽かった。
 ちゃんと体温があり、そのうえ柔らかい。
 本当に人間そっくりだった。

「おい、マルチ、しっかりしろ!」
 ぺちぺちっ!
 オレはほっぺたを叩いた。
 暖かくて柔らかな、人間そっくりな肌。
「マルチッ、マルチってば」
 ぺちぺちっ、ぺちぺちっ!
「……」
 だが、なんの反応もない。
「おいっ、マルチっ! マルチっ!」
 ゆさゆさと激しく肩を揺さぶってみた。

「……」
 へんじがない。
 ただのしかばねのようだ。

 オレがびっくりさせた…せいだよな、やっぱ。
「マルチ、しっかりしろ〜」
 ぺちぺちぺちぺちぺちっ。
 なんだよ、ちょっと驚かせただけだろ〜。
 きっと、ブレーカーが落ちたか、ヒューズが飛んだ
んだろう。
 どっちにしろ、耐久性に問題ありだぞ。
「おい、マルチっ、起きろ〜っ」
 ぺちぺちぺちぺちぺちっ。
「……」

 どっかにブレーカーらしきものはついてねーか。
 耳んとことか…、首筋のとことか…。
 ごそごそ。
「……」
 ない。
 ああ〜っ!
 こういうとき、いったい誰に訊きゃいいんだーっ?
 取りあえず、保健室へ運んだほうがいいか?
 そんなことを考えていると…。

 ――ぶうううぅぅぅ〜〜〜〜ん…。
 突然、鈍い音がしたかと思うと、マルチがうっすら
と目を開いた。
「…う、う〜ん」
 マルチは、ぱち、ぱち、と瞬きした。
「マルチ?」
「……………あ、浩之さん」
 ようやく目の焦点があったのか、マルチはぼんやり
と寝ぼけた口調でオレの名前を呟いた。
 オレは、ほっと安堵の息を漏らす。
「…なにが、浩之さんだよ。…驚かせやがって」
 苦笑しながら、呆れたふうに言った。


「…わたし…いったい…」
 マルチはゆっくり立ち上がると、まだ目の覚めきっ
ていない、ぼーっとした表情で呟いた。
「…たしか…窓を拭いてたら…いきなり…」
 そのとき、オレは言った。

 A、すまん、すまん。
 B、どうだ、びっくりしたか?
 C、憶病だな〜、お前は。