<その7>
◆東京地検特捜部とは、戦後、米国のために、日本の指導部の隠し資産を摘発するために作られた部署だった。
◆官僚による独裁を防ぐため、与党議員が100人以上副大臣、政務官等として、政府の中に入り、
中央官庁の政策立案・決定を実質的に担うことによって、政治家による霞が関主導体制を確立します。
◆要するに田中先生は、戦後体制の中の1人だったということです。
けれども体制を壊そうとした人ではない。
僕は体制そのものを変えようとしている。(小沢一郎)
◆大化の改新から明治期に大日本帝国憲法が施行されるまで、日本は律令国家体制のままだった。
そして今もエートスとしての律令体制はそのまま残存し、日本のデモクラシー体制とハレーションを起こしている。
律令とは古くは8世紀の奈良・平安時代に中国から輸入された政治制度である。
「律」とは刑法であり、「令」とは今で言う行政法に相当する。
近代的な民法は、明治時代にドイツから輸入されるまで、日本には存在しなかった。
中国つまり唐律令では皇帝が政治的実権を握ったのに対して、日本では天皇ではなく「高級官僚」が握っていた。
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