第十七章 挑戦

 いくらジュリアン・タランベールからの紹介があったからといって、この不況の中、新参のパンダボアヌ工場と取引したいという会社がそう簡単に見つかるはずはない。
 ビルフランとニコラはそれを承知の上で、足を棒にしていろいろな会社を回り、自分の会社の売込みをした。
「人手が足りないな」
 ビルフランはつくづく思った。せめてセバスチャンがいたなら、工場のことを彼に任せて、リュックにも外回りを頼めるのだが、いまさらアランに彼を返して欲しいともいえない。
 そこで彼はパリへ行った折に、ヴィルヌーブ商会に寄った。
「この時期におまえさんはずいぶんと派手に動いておるようだな」
 クリストフはビルフランを見ると、笑いながらそういった。
「はい。私は工場をフランス一にするのが目標です。もちろん、私も自分の行為が危ういものだとはわかっていますが、しかし冒険なくして発展はありえません」
「なるほど、確かにその通りだ。だが私のような年齢になると、なかなかその冒険をする勇気もない。それで、今日は何の用事かな」
 クリストフ氏のほうから用件を聞いてきたので、どのように切り出そうかと考えていたビルフランはほっとした。
「実は今、私の会社は人手が足りなくなっています。そこで、顔の広いクリストフさんに、パリで仕事を探している人を紹介して欲しいのです」
「私に仕事の斡旋屋をやれと」
 それを聞いてクリストフは大いに笑った。
「それで、どういう人が欲しいのかな」
「すぐに営業の出来る人が五人、できれば外国語が話せた方がいいです。もちろん、クリストフさんにも仲介料をお支払いします」
「分かった。なあに、今の不景気で仕事を探しているという奴は多い。すぐに見つかるさ」
 クリストフ氏の快諾を得て、ビルフランは安心した。
「それから、これはまだ先の話ですが、パリにも一つ事務所を置こうと思っています。場所を探すときにはまたお世話になるかもしれません」
「そうか。本当に本気なのだな。がんばってくれたまえ」
「ありがとうございます」
 ビルフランは礼を言って、ヴィルヌーブ商会を後にした。


 工場に戻ったビルフランは、今後の計画について再び責任者を集めて会議を行った。
「一人で営業を出来る人物をあと五人は雇いたいと考えている。そうすれば、パリとカレーに二人ずつ担当を置くことが出来る。その際には、それぞれの場所に事務所も置くつもりだ」
 ビルフランは自分が決定したことをその場にいる人に語った。
「そんなに増やして、大丈夫なんですか」
「そのための営業だ。私とニコラだけでは人が足りない。新しい取引先を探すには、その場に常時いる者がいなければだめだ」
 拡大方針を決めたときには、自分だけでも何とかなるような気がしていたが、無理だと分かった以上、一刻も早く営業が出来る人を増やさなければならない。
 しかしマルコは新しい人を雇うことには反対であった。
「リュックさんだって営業もできるでしょうし、今から、この工場のことを知らない営業を増やすなんて、泥縄もいいところです」
 確かに泥縄という指摘は正しい。しかし新しいことに挑戦する以上、予想外の事態は当然ありえるわけであり、そのことをとやかく論議するよりも、その事態に即座に対応すべきであるというのがビルフランの考えであった。
「リュックまで工場を出てしまっては、この工場をまとめられる者がいなくなる。新しく来るものには、とりあえず一週間は事務所内でリュックの下で働いてもらい、この工場のことについてよく知ってもらう。その後、私かニコラと一緒に外回りをして、仕事に慣れてもらうことにする」
「そうですね。それが良いかと思います」
 マルコはまだ不満があるようであったが、肝心のリュックがビルフランに賛同したため、それ以上、意見は言わなかった。
 しかし今度はトマスが口を開いた。
「一つ問題があります」
「なんだ、問題とは」
「ここマロクールはそれほど大きな村ではないので、増えた人を簡単に受け入れられる設備といいますか、住宅が足りません。営業として雇うことになる五人には、それなりの住居を紹介しなければならないでしょうし、工場の規模が大きくするために工員を雇うなら、彼らが住む宿のことも考えるべきです」
 思わぬ意見に、ビルフランも考え込んだ。確かにこの工場ができるまでは、この村に新たに引っ越してくる人などほとんどいなかった。しかしここ数年は次々に人が入ってきており、数少ない空き家や空き部屋も、もうほとんど残ってはいないだろう。
「ふむ、なにか良い案はないかな」
「村人に説明して、工員や役員のための宿舎を用意させましょう。下宿人からの家賃収入ですぐに元が取れるでしょうし、彼らにしてみれば副収入が増えるのは、この時期うれしいでしょう」
「なるほど、だが工員はそれでもよいだろうが、今度雇うものたちの宿舎はどうする」
「技術者や営業、職員用の宿舎は別に用意すべきだな。それは私のほうで考えておこう。当面は、私の屋敷に泊まってもらってもいい」
 ビルフランは村人への説明をトマスに一任し、さらにマルコには、今後工員が増えたときに備えて、今の工員の中から各部署の責任者候補を選ぶように命じて、会議を閉じた。


 今、この村にある建物では職員用の宿舎には難しい。ビルフランはそう考えていた。誰かがそのための建物を新たに建てなければならない。
 自分でそれを建てるという手段もないわけではないが、それよりももっと良い方法がビルフランの頭には浮かんでいた。
 彼は翌日の午前中に、フランソワーズの店を訪れた。
 店に入ると、丁度ロランがそこにいた。
「やあロラン。いつもごくろうさん。おまえの妻をいつまでも借りていて申し訳ないと思っているよ」
「ああ、ビルフランさん。そんなことは構いやしないよ。それよりもこんな早く、何の用事だい」
 ロランの問いかけに対して、ビルフランは即答せずに店の中を見て回った。
「この店もだいぶ古くなっているようだな。建て替えなどは考えていないのかい」
「ええ?別に住むのに困るほどじゃあないですしね。金だって、まあおかげ様でフランソワーズの稼ぎもありますから、多少はありますが、建て替えるとなると話は別ですし」
「そうか。実はフランソワーズにはこれまで長いこと助けてもらっているので、その礼として、私からのボーナスを受け取ってもらいたいのだよ」
「ええっ、なんですって?そんな気を使ってもらわんでも、きちんと賃金はいただいておりますし・・・」
 突然の話に、ロランも驚いたが、ビルフランは本気だった。
「いや、これはぜひ受け取ってもらいたい。それで、家を建て替えてもらいたいのだよ」
「家を、ですか?それはまたなぜです」
「実は、工場でこんど、新しく人を雇うのだが、その者たちが泊まれる宿舎がこの村には不足しておる。そこで、お前のところにそれを作ってもらいたいのだ。新しい建物に、お前たちの家と店のほかに、工場の職員や技術者たちが住めるような、きちんとした部屋を作って、彼らを下宿させてもらいたいのだよ」
 ビルフランから真面目な顔でそのように言われ、ロランも別に断る必要はない話であることを理解した。第一、これはビルフランのお金で自分の家を建て直せる又とない機会である。
「わかりました。ではこの家を取り壊して、言われるとおりの新しい家を作ることにしましょう」
「いや、この家も残してもらいたい。この家も、工員たちの下宿くらいにはなるだろう。今後、工員も増えることになるだろうから、工員たちが泊まれる安い下宿も必要になる」
「ははは。社長ともなると、いろいろ考えることが増えるんだな。わかった。どうせ新しい家が出来るまで、どこかに住まなけりゃいけないんだ。この家は残すことにしよう」
 ロランが笑って快諾すると、ビルフランもとりあえずの懸案が片付いた安心感から、にこやかに彼の店を去って仕事に戻った。


 やがて一週間もすると、クリストフ氏の紹介状を携えて数人の男がマロクールを訪ねてきた。
 ビルフランは彼らを面接し、とりあえず三人を雇うことにした。当初の予定通り、当分はビルフランの家に下宿させ、一週間は事務所で会社のことについて勉強してもらう。
 彼らの教育はリュックに任せ、ビルフランは再び取引先を探すためにカレーへと向かった。
 今のところ、足を棒にして捜した甲斐があって、パンダボアヌ工場の生産品に興味を示した会社のうち、一社がほぼ取引に応じてくれており、他にも二、三の会社が取引を考えてくれている。これらの会社との取引を早急にまとめる為にも、ビルフランはほとんど家で休む間もなく働き続けていた。
 もちろん、オーレリーのことを忘れることはなく、マロクールに戻ったときは必ず家に顔を出して声をかけたが、それ以上のことはフランソワーズや召使たちに任せきりだった。
 そのため、フランソワーズもほとんど屋敷に泊まりっぱなしのことが多く、そうした彼女の献身に、単なる賃金以外の形でも報いたいという思いが、彼女の家を宿舎に建て替えさせるという考えと結びついたのである。
 それはさておき、ビルフランがカレーに到着したとき、一人の男が近づいてきた。
「ああ、パンダボアヌさん。あなたを待っていたのですよ」
 その男は、以前からビルフランの会社に興味を示していた会社の社長で、クロード・ディシャンという人物だった。彼はビルフランと同い年ながら、すでに会社を興してから十年が経過しており、取引先としても信頼できる相手である。
 今日も彼の会社を訪れる予定だったが、彼が自らで迎えて待っているとは予想もしていなかっただけに、少々面食らった。
「ディシャンさん自ら私を迎えてくださるとは光栄です。何の御用でしょうか」
「実は、私の会社では今、麻布を大量に仕入れたいと思っているのです。それで、こちらの要望に応えられる会社を幾つか当たっているところだったのです」
 思いがけない話に、ビルフランも緊張した。
「それは興味深い話です。それで、どのような麻布を、どの程度ご希望なのでしょう?」
「ああ、立ち話もなんですから、一度私の事務所まで来ていただけますか」
 そういわれて、ビルフランはクロードの後について彼の事務所を訪れた。


「先ほどの話ですが、実を言えば、あなたが自分の工場の製品として紹介していたものと、今、私が欲しいものは少々、質が異なるのです。つまり、高級ではなくても良いので、とにかく丈夫な麻布が大量に欲しいということです」
 それを聞いてビルフランは多少、拍子抜けした。
「丈夫な麻布ですか・・・。それで数量はいかほどでしょうか」
 クロードは紙にペンを走らせて、それをビルフランに提示した。
 その数字を見て、ビルフランは仰天した。
「これは、0をひとつ間違っているのではありませんか」
「いや、その数で間違いありません。とりあえずそれを一ヶ月で用意してもらいたいのです。もしもそれができるなら、その後もあなたのところの商品を全面的に購入してもいいと考えています」
「一ヶ月・・・」
 数量もさることながら、与えられている期間も普通ではなかった。これでは、ほとんどの会社は躊躇するであろう。
 しかし、その躊躇するような仕事をこなす事こそ、自分のような新参の会社が伸びるチャンスではないか?
「支払いのほうは、どうなりますか。普通は後払いですが、この数量ですと材料の仕入れだけでもかなりの額になります。多少でも前払い金をいただけるなら、こちらも安心できるのですが」
 ビルフランが仕事の内容よりもお金の話を持ち出したことは、つまりその仕事を引き受ける気があることの意思表示である。
 クロードも、今回の仕事が自分の会社を大きく伸張させる絶好の機会であり、しかしその機会もこの無茶な要求を引き受ける会社がなければ逃してしまう、ということを理解していたため、ビルフランの申し出を簡単に退けたりはしなかった。
「手付けとして一割なら支払えます。一月後に全商品を収めてもらった時点で半額、残りの半額は再来月末ということでどうでしょう」
「結構でしょう」
 ビルフランは即決した。物事には時があり、この仕事は返事を後回しにするなら、他に取られると直感したからである。二人はその場で契約書を交わした。
「では、全力を挙げて注文の商品の生産に移ります」
「お願いします。お互いの未来のためにも」
 ビルフランは、とりあえず今日会う予定であった他の会社にはニコラ一人を回らせることにし、自分はすぐに工場へと取って返した。


「いくらなんでも無茶です!」
 案の定、現場のマルコは猛反対した。
「さすがにこの数量を一月というのは、無理があると思いますが・・・」
 普段は一度決定したことには反対しないリュックも、さすがにビルフランの持ってきた仕事に疑問をさしはさんだ。
「今までどおりならもちろんできん。だが、工員を増やして、残業するなら無理な数字ではない」
「しかし、いきなり工員を増やすといっても、どこから連れてくるのですか」
「パリには仕事にあぶれている者が大勢いる。彼らを雇えばよい」
「誰が雇いに行くのですか。またヴィルヌーブさんに頼むのですか」
「今度来た三人は、パリから来たんだ。彼らを使える」
「これだけの品を作るには、今、工場にある在庫の分では足りませんが」
 それはビルフランも一番、悩むところではあった。
「麻を卸してくれる業者も、探している。これは出来るだけ急いで見つけてくる」
 ひとまず反論が収まったのを見ると、ビルフランは改めてこの仕事を取ってきた理由を彼らに説明した。
「新参であるこの会社が大きくなるためには、誰もやろうとしない仕事に挑戦し、成功させることが必要なのだ。今回の仕事も、確か成功する保証はない。だが、この仕事をやり遂げるなら、そのとき、この工場は必ず成長しているだろう。さらに、これだけの仕事が出来るという宣伝にもなる。大変かもしれないが、今回の仕事は、その成長のための一つの試練だと思ってもらいたい」
 ビルフランの力強い言葉に、そこにいた一同もひとまず納得した。
 そして彼らはこの日から、嵐のような一ヶ月を迎える事となるのである。

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