第十八章 奔走

 一ヶ月の間にクロードから受けた注文をこなすには、文字通り休む間もなく働かなければならない。とりあえずビルフラン自身は工場に残ることにした。そしてリュックをパリに送り、クリストフと連絡を取って事務所を借りて人集めをさせることにした。さらにニコラをカレーに送り、麻の仕入先を当たらせた。
 大きな仕事が入った以上、自ら工場で働く工員の指揮を執るべきだと判断した上での配置である。
 次の日から、工場は増産体制に入った。


 朝の朝礼でビルフランが新しい仕事について説明をし、今後の予定を簡単に説明した。
 不景気で仕事がなくなるのではないかという不安を抱いていた工員たちは、少なくとも暫くは食いはぐれることはないという安心感から、ビルフランの語る作業量が普通以上であると分かっても、かえって気合を入れてやる気になった。
 最近は紡績機械につくようになったタルエルも、大きな仕事が始まると言う興奮から、急いで自分の持ち場に着こうとしたが、そこを監督のマルコに呼び止められた。
「なんでしょうか?」
「さっきの社長の話にもあったが、来週早々にも新入りが来ることになる。俺はそいつらの面倒も見なくてはならんから、いろいろと忙しくなるんで、俺の仕事の一部を手伝ってくれる奴を探しているんだ。それで、お前は確か、文字の勉強をしていたよな。もう読めるのか?」
「はい。大体は読むことが出来ます」
「大体か?」
 ちょっと失望したような顔を見て、タルエルは言い直した。
「発音を間違えることはありますが、意味を間違えることはありません」
「そうか。まあ意味さえ分かればいい。それじゃあ、お前は暫く俺と一緒に動いて俺の仕事を覚えてくれ。新入りが来次第、お前に一人でやってもらうことになるからな」
 監督の仕事の一部を任されるというのは、まさに彼が望んでいたことへの第一歩である。
「任せてください。必ず期待に応えます」
「期待に応えてもらえなければ困るからな。それじゃ、まずこちらからだ」
 そういってマルコはタルエルを伴って事務所へと向かった。


 翌週になると、マルコが言ったとおりパリから続々と新入りの工員がやってきた。
 マルコは彼の行っていた事務仕事の多くをタルエルに任せ、自分は彼らに仕事内容を大雑把に教えた後、幾人かの工員に現場での仕事を教えるよう割り当てた。
 こうして工員は順調に増えていたが、肝心の麻の仕入先がなかなか決まらなかった。
「仕事のほうは、今のところ新入りの工員の教育などのために、かえって効率が落ちているところもありますから、予定よりも若干遅れています。しかしみな、ここで仕事にあぶれるわけにはいかないと考えているのでしょう、やる気はありますので、残業時間を増やすなどすることで、遅れを取り戻すことは十分可能だと思います」
 マルコは現場についてそう報告した。しかし倉庫の管理をしているジョンの顔は冴えなかった。
「麻の在庫の方は、かなり問題です。このままでは今週末には在庫は切れてしまいます」
 確かに、いくら新入りが仕事を覚えても、麻がなければ仕事にならない。
 ニコラだけではなく、パリでアヴリーンもあちこちの商社に声をかけていたが、なかなか思ったような取引先は見つからなかった。
 パンダボアヌ工場との取引を渋っている、と言うわけではない。ただ、ビルフランが欲している量の麻の在庫がないのである。ほとんどの会社の麻は、すでに取引先が決まっており、次に入荷する分からなら、というのである。
 ビルフランは段々と焦ってきた。麻が手に入らなければ、仕事をやり遂げることが出来ず、お金も入らないことになる。いても立ってもいられず、とうとう自分も取引先を探しに行くと言い出した。
「マルコ、工場のことはお前に任せる。お前と、ジョン、トマスで今週中は工場の運営を行ってくれ。私も思い当たるところを当たって、少しでも麻を仕入れてくる」
「ですが、アヴリーンさんもパリに行って、社長も留守にされると、いろいろと不都合が・・・」
「麻が手に入らなければ、不都合どころか会社が潰れるんだ。ここでじっとしているわけにはいかない」
 その言葉に、マルコも不承不承納得し、ビルフランは細かい引継ぎの後、翌日早くからカレーへと向かうことになった。


 その日の夜遅く、ビルフランが家に帰ると、オーレリーが迎えに出てきた。
「こんな遅くまで起きていてはだめではないか」
 ビルフランが労わるように声をかけた。
「あなたが遅くまで仕事をしているときに、私一人が休んでいることはできませんわ」
「その気持ちはうれしいが、体に障るといけない。早く休みなさい」
 やさしく促したが、オーレリーは部屋には戻らず、さらにビルフランに尋ねた。
「明日も忙しいのですか」
「ああ、暫く工場にいるといっていたが、予定が変わって明日からはまた外回りに出ることになった。暫くは留守にすることになる」
 その話を聞くと、オーレリーは心配そうに彼を見つめた。
「どうした」
「あなた、無理をされているのではありませんか」
「私は別に無理はしていないよ。昔から体は丈夫なんだ」
「ですが大きな仕事をとられたとかで、毎日、帰りが遅いではありませんか」
「今は不景気だからな。こういうときは多少大変な仕事でも、引き受けなければいけないのだ。だが無理はしていない」
「そうですか・・・」
 まだ納得しかねているオーレリーの顔を見て、ビルフランは笑い出した。
「ははは、おまえは心配性だな。私は自分のことより、おまえのことのほうが心配だよ。忙しくてゆっくり話も出来なくて悪いとは思っている。なにか問題でもあるのかい」
「最近は体の具合もいいんですよ。エドモンも元気ですし、日中はフランソワーズがいてくれますから」
「そうか、それはよかった。さあもう寝なさい。私も休むことにするよ」
 そう言ってビルフランはオーレリーにキスをした。なおも彼女は何かを言いたそうにしていたが、結局そのまま部屋へと戻っていった。


 翌日ビルフランは朝早くにマロクールを出発し、カレーへと向かった。
「背に腹は替えられない。まずは義兄さんのところへ寄ってみよう」
 実のところ、前回の交渉のときのアランの対応から、暫くは彼の会社とは取引をしたくないと考えていたのである。
 しかし事がこうなっては仕方がない。ビルフランはカレーへ到着すると、真っ直ぐアランの会社に寄った。
 ビルフランにとっては意外なことに、アランは彼を快く出迎えた。
「ああ、よく来たな。暫く顔を見せなかったからどうしたかと思ったよ」
「ええ、前にもお話したように、他の会社とも取引しようと思いまして、いろいろと忙しかったのです」
「そうだったな。それで調子はどうだい」
「まあ、ぼちぼちといったところです」
 ビルフランは慎重に、今の仕事のことは伏せることにした。
「そうか。それで今日はどうしたんだい」
「実は、麻が足りなくなりまして、義兄さんのところに在庫があるかを聞きに来ました」
 それを聞いて、アランはさもありなんという顔をした。
「そうかそうか。そうだな、今のところ多少の在庫はあるが、卸先はすでに決まっている」
 それを聞いて、ビルフランは肩を落とした。卸先の決まっている品を横取りするわけには行かない。
 しかしアランはそのビルフランの様子を見て、さらに話を続けた。
「まあ、そう結論を急ぐな。卸先は決まっているが、別にお前に売ってやってもいいんだぞ」
「どういう意味です?」
「つまり、金額次第、ということだ。品物の卸先のほうには、品が悪かったとか何とか、言い訳して次の船まで待ってもらえばいいさ」
 その話を聞いて、ビルフランはむらむらと怒りがこみ上げてきた。
 確かにアランという人物は、頭の回転も速く、人当たりもいい。商売の才能もあるように思える。それなのに、これまで大成しなかったのは、結局のところ彼には、商売人に必要な誠意というものが欠けているからではないか。
 今回もビルフランに品を回すための手順が、明らかに商道徳を逸脱している。これに乗っては、自分も誠意に欠ける人物になると思った。
 それでもさすがに実の姉の夫に対して、怒りをぶつけることは差し控え、控えめに断ることにした。
「それでは相手の方に失礼です。今回は他をあたってみます」
「他に当てはあるのかい」
 アランはにやにや笑いながら尋ねてきた。
「ええ、二、三の当てはあります」
 当てなどはなかったが、そういうのも癪だったので口からでまかせを言った。
「そうかい。じゃあ後悔するなよ。うちにはもう在庫はないからな」


 ビルフランはアランの事務所を後にすると、すぐにニコラとの待ちあわせ場所へ向かった。
「様子はどうだ」
「少量は確保できましたが、必要数には足りません。半月後に入る便なら、十分な量が確保できますが、今すぐとなるとやはり難しいようです」
「そうか。それでも少量でも確保できたのなら、その分だけ時間が取れたということだ。私も今日から、こちらで取引先を探すことにする。とにかく、少量でも構わないから、確保できる麻は片っ端から確保する。但し、不正や強引な横取りは今後の評判に影響するから、気をつけること」
「当然ですよ」
 なぜそんな念を押すのか、不思議そうな顔をしているニコラにビルフランは満足したが、先ほどのアランとのやり取りについては何も語らなかった。


 それからの数日、ビルフランとニコラはカレーだけではなく、周辺の町まで足を伸ばして麻を求めたが、やはり集まる量は微々たる物で、必要数には程遠い状態であった。
 ビルフランは二日、三日とたつうちに、この仕事を請けたのが間違いだったのではないかと感じるようになってきた。
「ああ、いかん。私が弱気になってどうするんだ」
 しかしもはや工場の在庫も残り少ないはずであり、新たな麻を仕入れる手立てがない。明日になれば、工場の在庫は尽きるはずである。
「一日二日なら、遅れを取り戻せるだろうが・・・」
 明日にはまた何艘かの貿易船が入港するはずであり、それに引き取り先の決まっていない、余分な麻が積まれていることを祈るしかない。
 最悪の場合は、クロードの元へ行って、納期を延ばしてもらうことも考えなければならないだろう。しかしそれは避けたいと考えていた。
 もともとがかなりきつい納期なので、頭を下げて理由を伝えるなら、半月くらいは延ばせるかもしれない。それだけの余裕があれば、注文数に足る麻を買い集めることはできるだろう。
 だがそうすると当然、それだけ価格を下げる必要があるだろう。今回の仕事は、ただでさえぎりぎりのコストで動いているので、これ以上価格が下がるなら、完全に赤字を覚悟しなければならない。
 いや、そんなことよりも、ビルフランにとって問題なのは、一度引き受けた仕事以上、責任を持ってやり遂げたい、という思いであった。
 もちろん、結果的に納期に間に合わなければどんなに努力したところで意味がないことは理解している。しかし納期に完全に間に合わないことがはっきりするまでは、最大限の努力を払おう、というのが彼の考えであった。
 彼の計算では、あと三日以内にめどが立たなければ、納期に間に合わせるのは不可能、というものであった。
 そのときはあきらめてクロードの元へ改めて交渉に行こう。それまでは最後まで諦めないことだ。
 ビルフランは自分の中に芽生えていた弱さを打ち払い、改めてそう決意した。

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