第三十四章 密談

 翌日の昼過ぎに、エドモンとギョームは、パリへ帰るスタニスラスを駅まで送った。
 馬車は先日と同じようにギョームが御し、エドモンがスタニスラスの横に座った。
 屋敷に来るときは殆ど会話をしなかった彼女も、帰りの馬車の中では普段どおり饒舌であった。
「あなたのお父様、体の調子が良くないんじゃないかしら?顔色があまりよくなかったけれど」
「仕事が忙しいようですから。ゆっくり休む暇がなかなかないようです。それにここ数年は少し喘息も出ているみたいです」
「そう、それではあまり無理をしてはいけませんね。あなたも早くお父様のお手伝いをされないといけませんよ」
「そうですね。口では言いませんが、父もそれを望んでいると思います」
「今からでも出来ることは少しずつやったほうがいいと思いますよ。たとえば村の方の相談に乗ってあげるとか。わたしも協力してあげますからね」
「ありがとうございます」
「それで、昨日も話しましたけど、今度開くパーティーには必ずいらしてね」
 そんな会話が延々と駅に到着するまで続いていた。
 伯母が汽車に乗って出発するのを見送ると、二人はマロクールへ戻り、フランソワーズの店に寄った。
 お昼過ぎの、ちょうど一番客の少ない時間でもあり、フランソワーズは二人の訪問を大いに喜んだ。
「まあまあ、エドモン様にわざわざ来ていただいたというのに、何のおもてなしの準備もしていなくて。前もって教えていただければご馳走をたんと用意いたしましたのに」
「別に構わないよ。休み中には一度顔を出そうとは思っていたんだけど、つい遅くなってしまって」
 エドモンが頭をかきながらそういうと、店の奥から別の声がした。
「エドモンは昔からしっかりしているようで、大事なことを後回しにするところがあったからな」
 そう言いながら奥から出てきたのは、フランソワーズの息子のセザールだった。エドモンが幼い頃、ゼノビと共にフランソワーズに連れられてパンダボアヌ家へ出入りして、彼の遊び相手をしていたので、今でもエドモンは彼を兄のように慕っていた。
 とはいえフランソワーズにとっては、エドモンはやはり特別である。軽口を叩いたセザールを叱りつけた。
「これ、きちんとご挨拶しなさい」
 しかしエドモンの方はそんなことに頓着せず、気軽に返事をした。
「セザール兄さん、元気そうですね」
「元気は俺のとりえだからな」
 そう言って笑う自分の息子を見て、フランソワーズは溜め息をつきつつも、彼に話を促した。
「そうそうセザール、エドモン様に言うことがあるんじゃないの?やっぱり私から言った方がいいかい」
「母さん、言われなくても自分で言うよ」
 二人のやり取りを聞いていたエドモンは首を傾げながら尋ねた。
「何かあったんですか」
「いやね、この子が・・・」
「だから自分で言うって。エドモン、実は俺、先日、婚約したんだよ」
 それを聞いて、エドモンは目を丸くした。
「婚約って・・・本当に?」
「こんな事で嘘を言ってどうする。エリックさんところのマリアは覚えているか?相手はあの子だよ」
「それはおめでとうございます!」
 エドモンは立ち上がってセザールの腕を取った。
「ありがとう、エドモン」
「父さんはこのことを知っているのかな」
 エドモンが尋ねると、フランソワーズが首を振った。
「昨日の今日ですからね。ビルフラン様にはまだ伝えておりませんわ」
「それじゃあ、先に私から伝えておきましょう」
「すみませんね。次の日曜に改めてご挨拶に伺うつもりだったんですよ」
 フランソワーズがそう言った時、外からゼノビが帰ってきた。
「野菜が高くなって大変だわ。もう少しなんとかならないのかしら・・・」
「おかえり、ゼノビさん」
 文句を言いながら入ってきたゼノビは、そこにエドモンとギョームがいることに気付いて、顔を赤らめた。
「あらやだ。エドモンが来ていたのね」
「もう、セザールもゼノビも、なんできちんと挨拶が出来ないんだろうね」
 フランソワーズがぶつぶつと文句を言ったが、ゼノビは構わずに話を続けた。
「兄さん、エドモンには例の話をしたの?」
「マリアとの婚約の件なら、今話したところだ」
「今、お祝いの言葉を伝えたところだよ」
 兄とエドモンがそう答えると、ゼノビは自分がその場に居合わせなかったことを一頻り残念がると、ふと思い出したように話題を変えた。
「そういえば、外で耳にしたんだけど、今年のお祭りができないかもって・・・」
 その話にフランソワーズも溜め息をついた。
「それを聞いたのかい。まだ判らないんだけどね。いろいろと大変だからやめたいという意見も多いんだよ」
 その二人の話に興味を抱いたエドモンが口を挟んだ。
「祭りを中止にするとは穏やかではありませんね。どうしたんですか。何が大変なのですか」
 その問いかけに、フランソワーズ親子三人は顔を見合わせると、セザールが説明を始めた。
「お前の耳に入れるのはどうかとも思ったんだがな。実は祭りの時に工場の工員たちがいろいろと騒動を起こすことが、ここ数年、問題になっているんだよ。こちらも以前は多少のことなら構わないと思っていたんだが、なにしろ祭りを仕切っている、マロクールの昔からの住人よりも、工員たちの方が圧倒的に多いだろ。だんだんと俺たちの手に負えなくなってきたんだよ。かといって、彼らを祭りから締め出すわけにもいかないしな。いっそのことやめてしまったほうがいいという意見が出ているんだ」
 その話はもちろん、エドモンにとって初耳であった。
「そんなにひどいのか?」
「特にひどく暴れるというわけじゃない。むしろそうなれば、工場のほうに文句も言いやすいんだね。一つ一つは他愛のない小さな騒動でも、その数がやたらと多いから厄介なんだ。その上、祭りが終われば工員たちはまた次の日から工場ですぐに働くだろう。後始末は全部こちらでしなけりゃいけない。俺たちは準備と後始末だけで、肝心の祭りを楽しめないとなれば、やる気も失うというわけだ」
 当事者からそうした話を聞くと、なるほどと思わざるを得ない。
 実際のところ、エドモン自身も大学に行く前までは祭りに出ていた。しかしその頃は子供だったのでお世辞にも当事者とは言い難かった。そして今は大学の講義があるので、祭りの時期にはマロクールまで帰らない。このため、そのような問題があるとは思いもしなかったのである。
 そして恐らく、父も知らないだろうとエドモンは考えていた。

 フランソワーズの店を後にしたエドモンに対して、店にいた間は殆ど口を開かなかったギョームが話し掛けた。
「祭りの話が気になっているんだろう」
「ああ、やはりああいう話を聞くとね。私から一度父さんの耳に入れておこうかと思う」
 しかしギョームはそれに難色を示した。
「君の父さんを悪くいう気はないけど、万が一、聞いてもらえなければどうする気だい?」
「それは・・・そんなことはないと信じているよ」
「まあ、信じるのは勝手だけどね。だが君の父さんはこのあたりで最も力のある人だ。それは否定できないだろう」
「それは・・・そういえるかもしれないな」
「ということはだな、もしも聞いてもらえなければ後がないということだよ。そういう場合はまず周りを固めることを考えたほうがいいんじゃないか?」
 ギョームの話を聞いて、エドモンも改めて考えた。
「まあ、そうかもしれないな。そうすると誰に相談したらいいかな」
「この間工場を訪れたときに会ったあの人、副工場長のタルエルさんはどうなんだい?聞いた話じゃあ、あの人は一工員からあの地位まで出世したそうじゃないか。そういう人は工員たちの気持ちもわかるだろうし、何と言っても君の父さんの信頼も厚い。あの人に相談してみたらいいよ」
「そうだな・・・帰る前に予定をあわせて、タルエルに会ってみるよ」
 エドモンはギョームの勧めが理に適っていると考え、その通りにすることにした。
 学校の休みが明けるのも間近いため、あまりゆっくりはしていられない。そこで二人はその日の夜にタルエルの家を訪ねることとした。昼間のうちに彼の家に夜に伺う旨を記した手紙を届けると、二人は夕食後に散歩と称して屋敷を抜け出し、タルエルの家を訪れた。
「わざわざおいで頂かなくとも、御用事でしたら私のほうからお伺いしましたのに」
 二人を慇懃に招きいれたタルエルは、そう言ってから来訪の理由を尋ねた。
 今更、回りくどい話をしても仕方がないので、エドモンはざっと昼間に聞いた話をタルエルに伝えた。
「なるほど、確かにそれは村人の話にも一理ありますねえ。で、エドモン様はどうなされたいと思われるのですか」
「祭りはマロクールに昔から住む村人の、数少ない楽しみですし、何とかして中止せずにすむ方法はないかと考えたのです。年一回のことですし、祭りにかかる費用の一部を工場で負担するとか、祭りの前後に、一部の工員を準備や後片付けに出すとかできれば、村人も納得するんじゃないかと思うんですが」
「なるほど、しかしそれは・・・」
「私が父を説得するつもりです。ですがもしも父がそれをタルエルさんに相談することがあれば、私の意見に賛同していただきたいのです」
 それを聴いてタルエルは頭を目まぐるしく回転させた。
 暫く黙ってから、タルエルは慎重に言葉を選びながら答えた。
「もちろん社長が私に聞かれたなら賛同しますよ。ですが社長は私に相談などされずに物事を決められる方です。ですからもう少し慎重に事を運ぶことをお勧めしますね」
「慎重に、ですか?」
「はい。祭りの準備のために工員が仕事を休むというのでは、おそらく社長も納得はしないでしょう。いっそのこと村人には、工員のために祭りを開くと割り切ってもらった方がよろしいのではないでしょうか」
「ですがそれでは村人は祭りを楽しめません」
「それでも中止にするよりはいいでしょう。村の者たちも、工員たちに来てもらいたくないわけではないのでしょう」
「それは・・・そうだと思います」
「結局のところ、問題は工員たちが祭りで羽目をはずした後始末が大変だということです。それなら、あまりこちらから祭りそのものに口を出すよりも、迷惑料を支払うほうが単純でよろしいと思いますね」
 その意見は、エドモンにも良いように思えた。
 そしてタルエルはさらに言葉を続けた。
「社長には私から折を見てお話しておきましょう。エドモン様は、パリに帰る前にこの提案を村の者に話しておいていただけますか」
 エドモンは喜んで承諾した。
 そしてそれが、エドモンとビルフランの二人の運命を大きく変える、最初のきっかけとなったのである。

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