第七章 タランベール家への招待、そして・・・

 三日後、ビルフランはジュリアンとの約束どおり彼の屋敷を訪ねた。
 召使の一人に案内されて、客間へ通されると、そこにはすでにジュリアンがおり、彼の横にビルフランの知らない女性が、そしてその向かい側にもう一人彼の知らない男性が座っていた。
「やあ、よく来たね」
 ビルフランが中に入ると、ジュリアンは近づいて、気さくに声をかけてきた。
「こんにちはジュリアン様。今日はお招きいただきましてありがとうございます」
「あまり硬くならなくていいよ。こちらは私の妻のマリーだ」
 ジュリアンは、横に立つ女性をそう紹介した。
「はじめまして、パンダボアヌさん」
「はじめましてタランベール夫人」
 ビルフランがマリーと挨拶を交わしていると、もう一人の男も近づいてきた。
「こちらはリュック・アヴリーン君だ。君と同じように、大志を持っているんだよ」
「はじめましてパンダボアヌさん。あなたのことはタランベール様から伺っています」
 ビルフランは彼を見た瞬間、彼が気に入った。確かに彼には、人を引き付ける魅力があった。
「はじめましてアヴリーンさん。こちらこそよろしくお願いします」
「ところでビルフラン、今日は一人で来たのかい」
 どうやらジュリアンは、ビルフランが今日、婚約者を連れてくるだろうと考えていたらしい。そこでビルフランは簡単に説明をした。
「本当は婚約者も一緒にくる予定だったのですが、私の母が昨日の夜から少し体調を崩しておりまして、看病をしてもらっているのです」
「そうか。アヴリーンの奥さんも、子供が病気で来られなくなったんだ。こういったことは重なるものだな」
 ジュリアンはそう言いながら、皆に座るよう勧めた。
「立っていてもしょうがない。お茶の準備もできているから、まあくつろいでくれたまえ」


 ジュリアンは上機嫌であった。
「ビルフラン、先日の話だが、さっそく聞かせてもらえないかな。君のこれからの計画と言うものだよ」
 言われるまでもなく、ビルフランは自分がこれまでに練ってきた計画を話し始めた。
 話の間中、ジュリアンは頷きながら微笑を絶やさなかった。一方、アヴリーンは真剣な顔で、じっとビルフランの話に聞き入っていた。
「…以上が、私の現状と、今後の予定です」
 ビルフランが話し終えると、しばらくの沈黙の後、ジュリアンが口を開いた。
「なるほど、やはりうわさどおり、君はたいした男だね」
 うわさどおり、とはどういう意味だろう。誰が自分のことをジュリアンに話したのだろうか。ビルフランはそう思ったが、口には出さなかった。
「リュック、君はどう思うかい」
 しばらく考え込んでから、リュックはいくつかの質問をビルフランに投げかけた。
 それはビルフランが、忘れていたわけではないが、後回しにしたり、誰かそれを行える人を別に雇おうと考えていた類のことに関するものであった。
 言わば、もっとも聞かれたくないと思っていたことを、アヴリーンは次々に質問をしてきたのである。さすがのビルフランも、背中に冷や汗を掻いた。
 あるいは彼は、タランベール家が投資をするに足るプランを、相手が持っているかどうかを品定めするために、ジュリアンが雇っている人物ではないだろうか、とも考えた。
 しかし、アヴリーンは別にビルフランを責める様子もなく、自分の聞きたいことを一通り聞いてしまうと、満足したようにジュリアンへ視線を移した。
 二人の会話を楽しそうに聞いていたジュリアンが、今度はビルフランに質問をした。
「ところでビルフラン、君は今雇っている人員のままで、工場を持つつもりかい?」
「はい、いいえ、工場を持つときは、工員を別に雇います」
 予期しなかった質問に、ビルフランは戸惑った。
「それはそうだろう。だが私が聞いているのは工員のことではない。経理や事務といった、君を直接手助けする人のことだよ。充てはあるのかな」
「それは…これから探してゆく予定です」
 現時点において、ビルフランの会社はビルフラン一人で切り盛りしているといってよかった。
 しかし工場を持つとなれば、そうはいかない。そのことはビルフラン本人も頭では判っているつもりであったが、実際に人を探すと言っても、金銭的にも時間的にもその余裕がなかったのである。
「君もわかっているとは思うが、仕事を成功させたいと思うなら、人材を集めることも大切だよ。私は軍人だが、戦争に勝つには優れた武器を持っているだけでも、単に兵士が多いだけでもいけない。それらの兵士や武器を最大限に使いこなせる将軍と、将軍を助ける参謀たち、そして将軍の元で縦横無尽に動ける実戦指揮官が必要だ。君が実業界と言う戦場に出て、そこで勝ち抜くには、やはり君の参謀になる人や、実戦指揮官たちが必要なのではないかな」
 つまりジュリアンは、ビルフランの一人で何でもしようとするところに危惧を抱いていたのである。そしてビルフラン自身そのことを、身をもって感じていた。とにかく忙しいだけ忙しくて、他のことをする時間を見出すのも難しい状態だったのである。
 そのため、ビルフランも素直にそのことを認めた。
「確かにおっしゃるとおりです。しかしまだ海のものとも山のものともつかない私の会社を手伝ってくれるような人は、なかなか見つかりません」
 確かに、パリなど大きな町で募集するなら、人はすぐ集まるであろう。しかし会社の経理事務ができる、信頼できる人となると、そう簡単にはいかない。ビルフランはそう、自分の思ったとおりのことを語った。
「なるほど、では私が一人推薦したい人がいるのだが、君のほうには受け入れる気はあると思っていいのかな」
 それこそビルフランにとっては願ってもないことであった。
「もちろんです。ジュリアン様が推薦してくださる人なら、間違いないでしょう。どんな人ですか」
「さきほどから君の目の前にいるじゃないか。リュック・アヴリーン君、彼は軍で私の部下として、兵站の管理をしていたのだが、あまり軍の水が合わなかったようだ。しかし彼の優秀さは私が保証するよ。君に不満がなければ、ぜひ受け入れてもらいたいのだが」
 ジュリアンの言葉を引き継いで、こんどはリュックが話し始めた。
「パンダボアヌさん、あなたの仕事はきっと成功しますよ。ぜひ、私にも手伝わせてもらえませんか」
 ビルフランは、思わぬ展開に唖然としたが、異論のあるはずがなかった。
「こちらこそお願いします、アヴリーンさん。あなたのような人を私が雇えるなんて思ってもいませんでした」
 ビルフランとリュックががっちりと握手をすると、ジュリアンが再び口を開いた。
「それでビルフラン、きみにもう一つ話しておきたいことがある。私としては、ぜひ君に成功してもらいたい。だが今の私はまだ父親から家督を引き継いでいないので、君に金銭的な援助ができないんだ」
 それをきいて、ビルフランは内心で落胆した。しかし慎重にその気持ちは隠した。
「だがそれももうすぐだ。父も一、二年の内には、私に家督を譲ると言っている。そのときには君に融資をしよう。それまでは、リュックと二人で会社の基礎をかためるがいい」
 それはまさに、ビルフランが願っていた返事であった。感情を抑えようと思っても、それは湧き出るように表に出てきた。
「そ、それは本当ですか?!この私に、融資を約束してくださるのですか?!」
「そういっただろう。この国の力を強くするには、君のような若者の力が必要だ。口約束で申し訳ないが、きっと融資をしよう。さあ、難しい話はひとまず置いておこう。君たちも腹が減っただろう。食事が準備してあるから、とってゆくがいい」


 食事中、ジュリアンは饒舌になり、海外で自分が見聞きしたことを盛んに話して聞かせた。それは港で聞く噂話とは異なり、ジュリアンらしい客観的で洞察に富んだ話で、ビルフランもリュックも大いに楽しんだ。
 今回、彼が国に帰ってきたのは、父親からの家督相続の手続きのためと、妻のマリーの妊娠のためであることも知った。
「マリーさんは妊娠されているのですか」
「ああ、まだあまり目立たないが、四ヶ月だ。今度で四人目の子供だが、あまり体調が良くないので、長期休暇を取ってこちらへ帰ってきたんだよ。リュックのところは、確か双子だっただろう?」
「はい。ことし四歳になります」
「ビルフランも結婚するなら、きっと数年先には父親になっているだろう。ますます責任が増えるが、父親になるのも悪くはないぞ」
 ジュリアンはそう言って笑った。


 ビルフランにとって、その日は最良の日のように思われた。
 夕刻になってタランベール家を出、家路についたときも夢心地であった。興奮して、思い切り馬車を走らせたい気分であった。
 マロクール村に近づいたとき、村の外でランプを持った人物がいるのが見えた。
 その人物は、ビルフランの馬車に気付くと、走って近づいてきた。それはフランソワーズであった。
「なんだいフランソワーズ。また私を驚かそうとでもいうのかい」
 ビルフランは機嫌よく、そう軽口を叩いたが、フランソワーズはすっかり取り乱していた。
「ビルフラン、大変なんだよ。あんたの母さんが、急に具合が悪くなって…」
 母親の話がフランソワーズの口から飛び出し、ビルフランは突然、現実に引き戻されたような気がした。
「なんだフランソワーズ!母に何かあったのか!」
「うちの旦那が医者を呼びに言っているのだけど、ああ、まだ帰ってこないし」
 要領を得ないフランソワーズの話に、ビルフランは苛立った。
「何があったんだ!まどろっこしい!馬車に乗れ!すぐに家に行くから、馬車の中で聞く」
 そう言って、フランソワーズを無理矢理馬車に載せると、馬車を家へ走らせた。
「昼過ぎまでは、別になんでもなかったそうだ。夕方になって、オーレリーが駆け込んできて、あんたの母さんが喘息の発作を起こしたから、急いで医者を呼んで欲しいって、いってきたんだ。それで旦那はピキニまで医者を迎えに言ったし、私はあんたが早く帰ってくるよう、迎えに行こうと思っていたんだよ」
 馬車の中でフランソワーズはそんな説明をしたが、ビルフランは途中からほとんど聞いていなかった。
 母さんが喘息の発作を!
 ビルフランは祈るような気持ちで馬車を家の前に止め、中に駆け込んだ。
 ベッドの前の椅子に座り、泣きじゃくっていたオーレリーは、勢いよく入ってきたのがビルフランであることがすぐにわかった。
「ビルフラン…、ああ、私、私…」
 オーレリーは泣き顔でビルフランのほうを見た。
 咳の音はしなかった。
「もう発作は終わったんだろう?さあ、泣くことはないよ」
 ビルフランは無理に笑顔を作ってオーレリーを慰めようとした。
「ビルフラン…お母様はもう…」
「何を言っているオーレリー!何も心配することはないさ。もうすぐ医者も来る。また母さんは元気になるよ!」
 ビルフランは自分に言い聞かせるように、そう断言した。
「私…お母様が苦しんでいるのを…助けることができなかった…」
「大丈夫だ!大丈夫だ!そんなはずはない!そんなはずは…」
 ビルフランは、オーレリーが言おうとしていることを認めようとしなかった。
 そのとき、再び扉が開き、医者が入ってきた。
「さあ、もう大丈夫だ。きっと何でもない」
 しかし、医者は慎重に母親の脈を取り、息を確認すると、無常にもビルフランに事実を告げた。
「まことに残念ですが、もう手遅れです」
「そんなはずはない!そんなはずは!そんな…」
 ビルフランは言葉に詰まった。
「これからだ…これからなんだ…これからだったのに…もうすぐ、楽をさせてあげられたのに…」
 ベッドの前に跪き、しばらく呆然とその顔を見ていた。
「うう…ううう…うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
 やがて漏れ出した嗚咽は、咆哮のような嘆きとなり、マロクールの夜空に響いた。

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