第九章 告げられた事実

「最近、パンダボアヌの若造が、ずいぶんと大きな顔をしておる」
 苦々しい口調で、ジョゼフ・マイヤーは話していた。
 実際、彼の言葉どおり、母親の死から立ち直り、オーレリーとも無事結婚したビルフランは、以前にも増して仕事に精を出していた。
 リュック・アヴリーンもよく彼を支えており、彼の会社は着実に利益を伸ばしている。
 しかしそのことを快く思っていない者がいるのも事実であった。
 ジョゼフ・マイヤーなどはその筆頭である。彼はビルフランが大きな顔をしてマロクールで商売を拡大させているのを、苦々しく思っており、そのことを公言してはばからなかった。
「奴は父親と同じ、ペテン師だよ。このまま奴をのさばらせておけば、この辺りはめちゃくちゃにされてしまう」
「さあて、それほどでもないと思うがな」
 ロベール・レスコーは、少しうんざりしながら彼の話を聞いていた。
 週に二、三度は来て、同じ話をされれば、どんな辛抱強い人物でもうんざりするだろう。
 しかしジョゼフは構わずに話を続けた。
「そういう甘い考えがいかんのだよ。ロベール、お前だって、奴の父親に煮え湯を飲まされた口じゃないか。ビルフランも同類だ」
「そうかな。少なくとも彼は、酒はほとんど飲まないし、賭博もやらないそうじゃないか」
「騙されてはいかんぞ。奴のしている商売自体が、奴にとっては賭博と同じなんだ。そのうち大損して、借金を抱えて逃げ出すに決まっておる」
 ビルフランを目の敵にするジョゼフに対して、ロベールは静かに答えた。
「彼が成功するか失敗するか、それはわたしは知らない。だが一ついいことを教えてあげよう。タランベール家の御曹司は、ビルフランに肩入れをされている」
 その話を聞いて、ジョゼフは非常に驚いた。
「タ、タランベール家?なんでビルフランなどが…」
「どうやら、御曹司のほうから、ビルフランに興味を持ったらしい。もしもビルフランを相手にするなら、タランベール家の次期当主も敵に回すことになることを、忘れないほうがいいぞ」
「ロベール、君はなぜそれを知っていながら、教えてくれなかったのだ」
「別に教えることのほどじゃない。ビルフランが何をしようと、君には関係ないだろう」
 確かに彼のいう通り、以前のジョゼフは、ビルフランのことなど歯牙にもかけていなかった。
「彼のことを非難するのは自由だが、わたしとしてはまずは傍観させてもらうよ。彼が商売に失敗するようであれば、君の言うとおり、それだけの男だったということだ」
 結局ジョゼフは、その日はそれ以上ロベールと話をする気になれず、そそくさと帰っていった。


「セバスチャン、今日は一人かい」
 セバスチャンが苧の引き取りをしているところへ、アランが顔を出した。
 ビルフランが一緒のときはともかく、セバスチャンが一人のときに、彼がわざわざ出てきて話し掛けてくることは、今までになかったことである。セバスチャンも不思議に思ったが、ビルフランの義理の兄であり、大事な取引先でもあるので、丁寧に挨拶を返した。
 アランは妙に愛想よく微笑むと、さらに彼に話し掛けた。
「ビルフランはかなり調子が良いらしいな。結婚して一年経つが、もうすぐ工場も持てそうなくらい稼いでいるそうじゃないか」
「おかげさまで、そのようでございます」
「たいしたものだよ。あのアヴリーンという男は。ところでセバスチャン…」
「なんでございましょう」
「私のところで働く機はないか?」
 突然の申し出に、セバスチャンは言葉を失った。
「なに、君の仕事振りは私も良く知っている。今ちょうど、私のところも人手不足でね。君のような働き者が欲しいんだよ」
「しかし、わたしはビルフラン様のところで働いておりますので…」
「ああ、義弟のために尽くしてくれて、私も嬉しいよ。だが、十年以上も一緒に働いているのに、君は自分の扱いが軽いと思わないかい」
「そのように思ったことはありませんが」
「それならよいのだが、ビルフランのところも、いまや人が多くて、君も自分がどうなるか心配なのではないかと思ってね」
 確かにセバスチャンには、少しずつ大きくなるビルフランの会社の中に、自分の身の置き場があるのか不安な気持ちもあった。とは言っても、自分が必要とされなくならない限り、ビルフランの元を去る気もなかった。
「私はビルフラン様に雇われている身です。ですから、ビルフラン様の断りなく、職を変えようとは思っておりません」
 セバスチャンがそう答えると、アランは別に気にする風でもなく、頷いた。
「それはそうだな。だが忘れないでおいてくれ。私は今、君のような働き者を必要としているんだ」
「はあ…」
「それじゃあ、私は別に用事があるので、失礼するよ」
 そう言って立ち去るアランの後姿を、セバスチャンは唖然として見送った。


 同じ日、ビルフランは久しぶりに帰国したジュリアン・タランベールの家を、オーレリーと共に訪ねていた。
 ジュリアンが帰ってきたのは、末娘が誕生して以来、ほぼ一年振りである。
 ビルフランとオーレリーが中に通されると、ジュリアンとマリーがすでに待っていた。マリーはまだ幼い女の子を抱いている。
「お久しぶりです、ジュリアン様」
「元気そうだね、ビルフラン。オーレリーさんもお久しぶりです」
「ジュリアン様もお元気そうで。奥様もお久しぶりです」
「お久しぶり、オーレリー。さあ、ベロームも挨拶をしなさい」
 マリーが抱いていた子にそういうと、二人の客に目を移し、にっこりと微笑んだ。
「ははは、ベローム嬢はもう挨拶ができるようですね」
 ベローム・タランベール嬢は母親の腕の中でご機嫌であった。


 末娘にベロームという男のような名前をつけたのは、ジュリアン自身であった。
「これからは女性も高等教育を受け、男性と肩を並べて働く時代だ。名前だって、男性と同じような名前でもいいだろう。別に男装をさせるつもりもないし、娘に男みたいな名前をつけたからといって、硝煙の中で死ぬとは限るまい」
 これが、彼の言い分であった。


 昼食をとったあと、ビルフランはジュリアンと仕事に関係する話を始めた。
「おかげさまで、仕事は順調です。こわいほどですよ」
「そうか、それはよかった。それではいつ工場を持ったとしても、大丈夫だな」
 その言い方に、ビルフランははっとした。
「それでは…」
「ああ、今回帰ってきたのは、そのための手続きをするためだ。来年早々にもすべてを相続するから、そうなれば、君に出資できる」
「ありがとうございます。これで、私も自分の夢に近づくことができます」
 ビルフランは心からジュリアンに礼を言った。
「そんなに頭を下げられるまでもない。ところでビルフラン」
「なんでしょう」
「君はどこに工場を持つつもりだい」
「いくつかの候補は考えていますが、まだ具体的には決めておりません。すべてはジュリアン様の都合がついてからと思っておりましたから」
 そういうと、ビルフランは決めていた候補のいくつかを列挙した。
 すべてを言い終えると、ジュリアンは暫く黙ったままでいたが、やがて口を開いた。
「それで全部ですか」
「はい、今のところ、私が良いと思ったのはこれだけです」
「そうか。ひとつ抜けているようだが」
「そうでしょうか」
 そう答えながら、ビルフランの頭の中には、敢えて無視した一件が浮かんでいた。
 そして案の定、ジュリアンはその一件を話題にした。
「君の挙げた物件は、少しばかり遠いか小さいか、または古すぎるか、とにかく中途半端だろう。レスコーのところの工場が、君の望みに一番あっているだろう」
「彼は私に工場を売りたいとは思わないでしょうから、候補からは外しました」
 少し強張った声で答えると、ジュリアンは別に怒る風でもなく、その理由を聞いた。
「以前、彼の工場を買おうとしたときに、断られたのです」
「なるほど。だがそのときは実際、工場を持つには早いと君自身が思ったのだろう」
「確かにそうも思いましたが…とにかく、あの人とはいろいろあったんです。私は彼と取引はしたくありません」
 強い口調でビルフランは断言したが、ジュリアンは我侭な子供を諭すように、辛抱強く話を続けた。
「確かに君の家族と彼との間にはいろいろとあるらしいな。だが、私情を仕事に挟んでは、大きなことは成し遂げることはできないのも事実だ」
 もしも話しているのがジュリアン・タランベールという人物でなければ、ビルフランは席を立って部屋を出て行ったに違いない。しかし彼にとってジュリアンは、出資者であるということ以上に、よき助言者であり、また尊敬すべき先生であった。
 不本意な提案がなされているからと言って、安易にその言葉を退けるわけにはいかない。このときもビルフランは、ジュリアンの言葉に耳を傾けた。
「それに私の聞いた話では、彼には彼なりの理由があったようだがね」
「どんな理由でしょう」
「聞いた話では、ロベールは君の父親に貸した金を、君の家族から取り返したそうだな」
「そういうことがありました」
「もしもだ、彼が君たち兄弟が成長するまで返済を延ばしたなら、どうなっただろう?」
「どうなったか…ですか」
 あまり考えたことがない、というか心に浮かんだこともない質問をされ、ビルフランは返答につまった。
「君たちが大人になるまでに借金は利子で膨らみ、君たちの稼ぎはまずその借金の返済に消えただろうね。そうなれば、自分で会社を興すとか、工場を持つなんて話はまったくできなかっただろう」
 そのように考えたこともなかったので、ビルフランは呆然とした。
「彼はたぶん、君たちに残されたものを見て、多少無理してでも早めに返済をしたほうが良いことを、君の母親に進言したんじゃないかな。君の母親は、ロベールのことを非難したことはあったかい?」
「…いいえ、ありませんでした。ですが、私の母は他人の悪口を言ったりすること自体がありませんでしたから」
「そうかい。それでも、君の家族が借金返済に追われずに済んだのは事実だ。それから、君に工場を売らなかったことだが…」
 そこまで話したとき、ビルフランは突然、ジュリアンの話をさえぎった。
「待ってください。ジュリアン様、もしかして、彼から何か言われているじゃないですか!」
「なぜそう思う?」
「先ほどから、あまりにも彼を庇いすぎています。憶測で話をされるのでしたら、わたしとしても、これ以上聴こうとは思いません」
 暫く沈黙があった。
 やがてジュリアンはちいさく微笑むと、すべてを白状した。
「確かに私は、彼から話を聞いているよ」
 ビルフランはそれを聞くと、腹を立てた。
「では、最初から私に彼の工場を買わせるのが目的だったのですか。あなたは、私を笑いものにしようとしたのですか」
 感情に任せてビルフランはまくし立てた。
 それを聞くと、ジュリアンも微笑を消して、真剣な面持ちで彼に言った。
「私は別に、君にうそを言ったつもりはない。この土地の産業を興したいと思っているのは本当だし、その上で、君という存在を知り、君に興味を持ったのも事実だ。ただ、君の存在を知らせ、また将来有望であると教えてくれたのが、ロベールであったということを言わなかった、これは彼の希望でもあったのだがね、とにかくそれだけだ」
「どうして…」
 ロベールが自分の事をジュリアンに推薦してくれたのだろう?そう言おうと思いながらも、言葉が続かなかった。
 ジュリアンはさらに話を続けた。
「彼のほうでも、君に好まれていないことは知っていたのだろう。だから自分の名前を出さないよう、私に言ったのだろうな。君と最初に会ったとき、あれは偶然だったと思うかい?」
 そのときのことは、ビルフランも良く覚えている。カレーの港で、荷物の受け取りをしている時のことであった。あの時、ジュリアンは何も言わなかったが、確かにビルフランがそこにいることを知っているかのようだった。
「あの時、すでに?」
「そうだよ。あの前の日にロベールが私の家に訪ねてきてね。そのとき、君のことをいろいろと私に宣伝したんだよ。だからあの時、実を言えば君のことはかなり詳細に知っていたことになる。それで私が興味を持ったのを見て、君が仕事でカレーに行っていることを教えてくれたのさ」
 改めてそのように聞くと、いろいろと納得のいくところがあった。そしてそれらを総合すると、ロベールは影ながらビルフランを助けていたことになる。
「これは本当は口止めされている話だが…」
 そう前置きをして、ジュリアンはロベールが彼にした話をビルフランに教えた。
「彼としては、君が最初に工場を買いに来たとき、非常に嬉しかったそうだ。だが、もしも君が失敗したなら、君たち家族は再び大きな借金を抱えることになる。かといって、彼にも君の仕事の保証人になるほどの余裕はないし、なにより君自身がそれを望まないだろうと考えたそうだ。そこで、私のところへ来て、君をバックアップして欲しい、と言ったんだよ」
 ビルフランにとって、ロベールが自分の事をそこまで考えてくれていたという話は、信じられないことであった。
 だがそれを否定することは、ジュリアンのことを否定することにもなる。
 彼は頭が混乱し、考えをまとめることができなくなってしまった。
「申し訳ありません、今日は少し気分が悪いので、また改めてお伺いします」
 彼がそう言うと、ジュリアンも彼の気持ちを気遣って、そうすることを勧めた。
「わたしは今回は一月ほどこちらにいる。まあ、いつも家にいるとは限らないから、三、四日前までに来る日時を知らせてくれるなら、その時間を空けておこう」


 その日、帰りの馬車の中でビルフランはいつにも増して無口であった。横に乗ったオーレリーも、彼が何事かに頭を悩ませていることを感じ、敢えて話し掛けようとはしなかった。
 ふと、ビルフランは彼女に尋ねた。
「オーレリー、ロベールという人についてどう思う」
 おそらく、ビルフランが今考えている悩みに関係する質問に違いない、そう察したオーレリーは、慎重に返事をした。
「ロベールさんですか…。私はあの方のことを直接は知りませんが、人の話では、気難しい人だという意見もあれば、意外と親切な人だという意見もあります」
「そうか、気難しいが親切な人か」
 ビルフランはその答えを聞いてなにか吹っ切れたような顔になった。
「オーレリー、近いうちにロベールさんのところへ一緒に伺う事にしよう。もしかしたなら、彼の工場を買うことになるかもしれないから」
 その返事を聞いて、オーレリーは安堵した。なぜ安堵したのかは、自分でも良くわからなかったが。

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