99/12/31「プサンに来たぞ,と」

カンヌンという東海岸の町も考えていたのだが,移動時間の関係もあり,プサンにしたのは,前に記したとおり。バスにのって,2時間程度で到着する。

バスターミナルから,国鉄プサン駅前まで移動。なぜなら,プサンで良く使うホテルがあり,また,翌日セマウル号で移動するためである。
移動には例によってタクシーを使ったのだが・・・僕が日本人とわかるや否や,運転手が妙に話しかけてくる。が,それが・・・いやー,某,日蓮上人の関連の方なのね,これが。道の間中,「日本からこの間○×上人さまがいらして・・・」とか「日本で撮った写真」とか見せられる。うーむ,これはさすがに煩わしいぞ。こんなことなら,韓国語がわからないことにしておけば・・・と思いつつ,ようやく開放されホテルに。このホテルには,95年の1月1日に泊まって,一泊45000ウォンだったことがある。

・・・が,フロントに入ると,値段が・・・張り紙で65000ウォンになっている。夏だって48000ウォンだったのに。どうやら,ミレニアム年末スペシャル価格らしい。

荷物を置いて,ホテルそばでカルビタンをたべ,市内の適当な場所にあたりをつけて,写真を撮りにでかける。プサン大学・・・今一つ。西面(ソミョン)・・・やはりだめ。やはりイベント類は広場がなくては,と思いなおし,ナンポドン(南浦洞)に向かう。

日本の人には「なんかテポドンみたいだ」と思われてしまうかもしれないが,韓国で「洞」(ドン)というのは,日本の「町」と同じような意味なので,これがついている単語は,たいて地名とおもって間違いない。北朝鮮のミサイルにしても,「ノドン」「テポドン」と,どちらも,そのミサイルが発見された場所の地名なのだから。ちなみに,最初の「ノドン」は,偶然にも「労働」の韓国語読みと音が同じだったため,「労働一号」と勘違いされたが,これもよーーーーーく考えると,北朝鮮では,語頭の「ロ」はそのまま表記するので,「ノドン」ではなく「ロドン」にならなくてはいけないのである。

余談はさておき,ナンポドンは,もともと大きい繁華街がある街で,おまけに竜頭山公園(ヨンドゥサンコンウォン)なる高台公園と,プサンタワーがある場所である。竜頭山なんて,辰年の2000年を迎えるのに最高の場所ではないか。

はやる気持ちを押さえて公園にあがると,はたして,そこにはMBC(韓国の民放)の中継車が。ということは,何かがある。

この公園にも「鐘閣」があり,どうやら,そこで,新1000年・新世紀(韓国は2000年から21世紀)・新年記念の鐘突きイベントがあるもよう。まだ比較的すいている。
何枚か写真を撮った後,本格的に撮るために,一脚と,それから,万が一そのまま翌朝を迎えることになった場合に備えて三脚を撮りに帰る。
帰り道で,ブタ専門の店で「内蔵クッパ」を食べる。大腸なのか小腸なのかわからんが,一杯入っているが・・・臓物の中に入っているものが気になる(笑)
まさか大腸ではないとは思うけどね。

1,2時間して戻ると,まだリハをやっていて,最終的に,観客に向かって,カウントダウン時の前説をしているところ。大体9時頃だっただろうか?
ちなみに,イベントの最初は,プサン市民のママさんコーラスによる「プサン港に帰れ」の合唱を,伴奏は消防楽団がつけて行われるようで,まぁ,イベントであるが,私の中の若者心の残りカスは,「えー,こんなイベント見るかなぁ?」と素直に喜んでいない(笑)

最初の頃の空き具合がウソのように大変に混み出す。もはや,一脚を使っている状況ではない。そうそうに退散することにするも・・・どうやら,そのとき,どこかにレンズをぶつけたのか,翌朝見るとレンズの距離目盛り窓にヒビが・・・

なんとか混雑を抜け,公園の上り口に向かって移動すると,ようやく,この期に及んで警察が入場制限を始めている。その様子などを写真に収めつつさらに移動。

そうしていて,EOS-3の視線入力が絶不調なのに気づく。ちょっとすいたところで見ると・・・やられた。アイカップ(ファインダーの覗き口の周りの部分)が,はずれて紛失している。これがないため,目からの反射光が普段と異なり,視線入力がまったく使えなかったというわけ。これなしでキャリブレーションしておけば良かったのだが,アイカップがないと眼鏡にキズがつくのであまり好きではないのだ。

花火も結局帰りのタクシーで見た程度で,タクシーの運ちゃんは「近くに行きましょうか?」といってくれたが,人ごみにあてられてしまって,そそくさと退散する。
まぁ,こういうミレニアムの迎え方があっても良いではないか。(苦笑)

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