ここで,もしこれを読んで下さっている方の中で,これから,初めて,韓国の地方を回ろうとお考えの方がいらした場合のアドバイスを一言。
ガイドブックなどにも色々書かれているとおり,韓国はあまり広く無い為,もっとも遠いソウル〜プサンの移動でさえも,午前中に出発すれば昼過ぎには目的地に到着する。春〜秋であれば,日が沈む時(春秋で午後7時くらい)までに6〜7時間を確保して移動終了となるのだ。
博物館の類をじっくりまわるのでなければ,中規模くらいの街までなら,名所2,3箇所+繁華街をうろちょろするのには十分な時間である。そう考えていくと,毎日1つずつの街を移動することも可能になるし,僕のように旅行に必需品ではないカメラ機材などが多い場合は,地方の中心都市に移動して,荷物を下ろして,周辺の観光を日帰りでこなす,ということが時間的に可能になる。そして,次の大移動の目的地に近くなる方向に足を伸ばすときだけ,全部の荷物を持てば良い,という寸法なのだが…
何はともあれ,宿を10時半頃出て,朝食もとらずに,タクシーでバスターミナルへ。そこから市外バスに乗り,お昼には南原に到着である。ターミナル前には,味はともあれ,食堂が多いことになっているので,昼食をそそくさとかきこみ,街の散策に向かう。
この街は,パンソリの「春香伝(チュンヒャンジョン)」で有名な街である。どういうお話かというと,若くてまじめなヤンバン(両班)の息子であり役人の卵である若者が,ブランコ遊びをしていた春香という身分違いの娘を見初め,契ったところで,父親がソウル栄転。その父の代わりに来た次の役人は,絵に描いたような悪人で,女好き,政務をほったらかしにして,近隣の美人を呼んでは酒宴の毎日。そして春香に目をつけるが,春香は前出の若者への貞節を誓い,悪役人に奉仕することを拒み,最後には,牢に入れられ,悪役人の誕生日に処刑されることとなる。その処刑の日,若者が,中央政府派遣の悪役人取締官として登場,悪役人を成敗して春香を助け,二人は幸せな余生を送ったとさ,という話で,特に,この貞節というところが受けて,いまだに女性の観光客が多い町となっている。
まぁ,平日の昼間に訪れたせいもあろうが,広寒楼苑という春香の由縁の地で見かけるのは,確かに,女性ばかりのグループがほとんど。次は地元の女学生のグループ。なかにはおじさん5人組みなんてのも居たが。
(カメラを構えた人を見ると,つい,反射的に写真を撮ってしまう私は変人かもしれない)
この公園で,1時間半も過ごしただろうか?
後は,朝鮮半島南部には多い,秀吉の出兵時の遺跡を二つ見て回る。タクシーを使えば多分,両方をあわせても1時間半程度であろう。
実は足の裏が痛んで,体力温存の為に,マニニチョン(万人之塚)と,蚊竜山城(キョリュサンソン)には足を伸ばさなかった…が,多分次に回る方は,万福寺址よりは前述の二つを見たほうが「観光した〜」という気になると思う。
万福寺址は,ほんとうに址だけなので,何かを見た,という気にはなりづらいのだ。
多分,撮影時刻は午後3時半前後,万福寺址に向かう道にて。小さい上にシャドー部なのでわからないと思うが(苦笑),右側の子のバックパックの左下にはピカチューのステッカーが。
写真の上の部分は,多分,ハレが中と半端に入ったものと思われる;この日は28mmレンズをつけていたが,あろうことかフードを日本に忘れてしまったのだ。プロテクトフィルタとして径が大きなものを装着していたので周辺だけハレが切れ,上のようになったものと思う。
道端で見かけた,一般民家の入口:この色合いが韓国だと思う。
ここから南原駅前を経由して,万人之塚の入口へと,遠回りして向かう。道すがら,カメ(亀じゃない)屋であるとかを見かけるが,駅周辺には線路脇の塀に,郷土を紹介する色々な絵が描かれている。スワンボートが浮かんだ湖の絵もあったのだが,私の目を引いたのは,やはり秀吉の侵略時の,地元民の反抗を示す絵であろう。いずれ機会を設けて載せてみたいが…絵といっても,多分,地元の小中学生が授業中に描いたものではないかと思うのよね。
秀吉の侵略戦争については,それを正当化しようとか,そういうつもりは全く無いのだが,当時の装備では,鉄砲の数などから行って,陸の戦いは日本軍の圧倒優勢であり,兵站線の破局(水軍は朝鮮側が強かった)と,明の援軍(朝鮮は,明の朝献国)や大型砲への対処,それから戦争担当者の厭戦感などで,講和に持ちこまれたはず,である。だとすると,南原での戦いは篭城戦でもあるし,リベレーターである明軍はここまで南下はしなかったのではないかと思えるので,絵に描かれたような状況は起こらなかったのでは?とも思えるのだが…
それはさておき。繁華街も小さいので,夕方以降はあまり期待できず,ほぼ日が沈むのと同時にバスターミナルに戻り,全州に向かうこととする。
バスターミナルに着いたら,カメラ2台体制の僕を見て,バスを待っていた女子学生が「写真技師?(プロの写真家?)」と聞くので,趣味だと答えてみたら,なんだか日本人に興味があるようで5分くらい話の相手をする。写真撮っておけば良かった。バッグに片付けてしまったので,写真が撮れなかったのだが,こう言う時,ストロボ付きの押さえのカメラがあれば,と思うのだ。
そうそう,ここで,タイトルの「どじょう」が登場する。
といっても,食べたわけではない…上で書いた子が,「どじょう食べた?」と訊くので,「いいや」と答えたところ,ドジョウはここの名物なのだという。うーんこの日は夕食に全州ビビンバと決めていたので,もう外に出る気にはならないが…見残しもあるので,いつかまた,見逃した二つの見物と,ドジョウを食べに来ることにしよう。
全州に戻り,バスターミナルから直接タクシーで石焼ビビンバ専門の家族会館に向かう。店内のテレビではオリンピック野球の韓国・キューバ戦をやっていた。バンチャンが11種類+スープ+デザートの葡萄(巨峰)まで出て8000ウォン。これは安い。しかもうまい。結局試合終了までは見ず,大勢が決したところで店を出て,宿へ向かう。
翌日は若干北に上り,群山(クンサン)へと移動の予定。
[この日の写真・特集へ]
[サムネイル版へ]