Close to the Edge/YES

中坊の頃は、比較的おとなしくビートルズに終わった私であるが、そこからYESに行ったのは、なんだか一気に飛びすぎかもしれない。これは、高校(1979〜1982)に入って最初に隣に座っていたN君の影響をモロにかぶったということなんだが。

受験勉強なんて実は3ヶ月くらいしかしなかったんだが^_^;;寒くて暗い冬をすごした後、寒くて長い春のとある日に教室でN君と出会ったわけだ。こんなこと書いて当時の同級の人たちが見たらどう思うかとも思うが・・・最初、クラスに入ったら、休み時間になると皆問題集を開いて無心にやっているではないか。げげげ。なんだー、こいつら?と正直思ってしまったのである。灰色の3年間を予測した・・・が、隣にいたN君と私はその情景に3分しか耐えられず、気が付いたらギター談義になっていた。

当時は・・・アコギを弾いて1年ちょっと、中学校じゃぁまわりに自分よりうまい奴は居なかったという低レベルな環境で、結構自信過剰だったのだが、そのN君も高校合格してエレキギターを買ってもらったという。(ちなみに私は自分で買ったのだが。)それまでガットギターを3年位、適当に弾いていた(習ったわけではない)というN君の家に遊びに行って私はうちのめされてしまう。

まずは器材。彼の部屋に入った瞬間、「中古だよ」と本人はいうが、ヤマハのスタックアンプである。100W位だったか?私はってーと、ローランドの20Wの練習アンプ(ちなみに、今、こいつは母が大正琴の練習に使っている)、まずここが違うやんけ。ギター本体はというと、これまたヤマハのSA-1000である。こちとらよくわからんブランドの「ウェストミンスター」なんだが。うーむ、この辺のバッタモン楽器についてはいずれページを改めて書くことにしよう。

で、ガットギターとそのセミアコでセッションする。はっきりいって彼は私より15倍は上手かった。こちとら3フィンガーとアルペジオ、コードストロークで歌うってことしかしてないし、エレキにしてもまだまだ Smoke on the waterを最後まで弾けない状態なのだから。そのN君はガットギター時代にYESやらラリーカールトンやらをコピーしていたらしい。「イエス?」私は名前しかしらないそのバンドについて、結局興味を持ってしまう。N君はプログレ系が好きだったということなんだが。そうしてまず借りたのが「こわれもの(Fragile)」という1枚。

このアルバムはずるい!初期オリジナルYESの唯一のヒット曲、Roundaboutで始まるこのアルバム、最初のEmのオルガンのフェードインから、アコギのハーモニクスにつながるイントロ。カッコ良すぎる。しかもイエスというバンドは、コーラスバンドでもある。この辺がビートルズにつながってしまった。最初はジョンアンダーソンの声がだめだったんだが、人間、繰り返して聞いているうちにやみつきになってしまうものである。いやよいやよもなんとやら、という訳でも無いのだろうが。

「ねえねぇ、また別なLP貸して」といって出てきたのが表題の "Close to the Edge(危機)"というわけ。LPの片面を全部使った4部構成、18分程度の曲。はっきり言って長い。長すぎる。ビートルズの曲はせいぜい3分〜4分だったのを考えると単純に考えて4倍〜6倍の分量というわけではないか。初体験の危機はほんとうに長かった。危機、同志、シベリアンカートゥルという3曲を聞くが、最初は正直「ピン」とこなかったが、少なくとも後味はよかったので、テープに落としてその日のうちに2回繰り返して聞く。

翌日。さらに繰り返す。危機という曲の構成では第3部はボーカル主体で、ボーカル・コーラスの3声部合唱にパイプオルガンが重なり、そこからメインテーマを早いリズム刻みに載せて提示した後で、リックウェイクマンのオルガンソロ、マイナーキーでのボーカルの戻り、転調して最後は大団円という事になる。この大団円が実に気持ちよいということに気づいてしまい、以降しばらくは猿のように繰り返して聞いた。

そうこうしている内に自然な流れで今度は「バンドやろうよ」ということになり、私はギターかベースかで、ベースをとる決心をする。N君にはとりあえず敵わなかったから。それでさらに危機を聞き込んでいくと、これがまったくパズルなのである。危機をやろうと言っていた訳ではないのだが、繰り返して聞いているうちに真似したくなるではないか。それまでバンドスコア譜ばかり見ていた私は、耳でコピーすることは超初心者だった訳で、言ってみればドライブゲームしかしたことなかったのにいきなり高速にマニュアル車で連れて行かれて、しかも時々渋滞しているというのか。結局、コピーは終わることなく続き、高校の前半は「危機」のパズル解析で終わったため、実は私は、バンヘイレン(78年デビュー)、トトのおいしい時期を聞いていないのであった。しかも、パープルもツェップも通っていない・・・が、危機はしつこく繰り返し聞いていたというか。

その後N君と、さらにいっしょにバンドをやっていたS君(鍵盤)は私をプログレに洗脳しようとしたらしいのだが、ゴング、PFMあたりで私はお手上げになってしまった(苦笑)まぁ、それも危機のパズルを解くのに時間がかかってしまったからなんだが。

16歳で初めて聞いた「危機」3曲、シベリアンカートゥルは20歳の頃コピーしてやったものの、残りの2曲をやったのは私が32歳になる夏(1995/7)の事だった。ボーカルをやってくれたK嬢のMCに曰く:
「えーと、最初の曲がシベリアンカートゥル、次が同志でした。今度やる曲が、もう、最後の曲です。はやいですねー。危機。聞いてください。」

機会があれば何度でもやりたい曲である。

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