ナチュラルヒーリング研究会
- contents -
ナチュラルヒーリング

刑部流気功教室

トーク・セミナー

出版物

刑部のメッセージ

応援コーナー


Johhny K Moritaka
2004.12.25 vol.22

万人の罪をあがなうため、死ぬために生まれてきたイエス・キリスト。そのイエスの生まれた日――クリスマスに、死について考えてみるのもいいかもしれません。
ハッピー・クリスマス
今年、ふたりの友との別れがありました。ふたりは病気で旅立ちましたが、日本では新潟地震、台風に水害、そして世界では自然災害、戦争、テロ、虐殺――僕でなくても、人々は今いちばん死というものを身近に感じている時代かもしれません。
難病を持っていると、自然災害など起こらなくとも、毎日のように死を思います。調子の悪いときなど、「明日の朝はもう目覚めないかもしれない」と思いながら眠りにつくことも屡々です。そんな日は、朝目覚めると、「ああ、生きていたか」とカーテンを開けて、空を仰ぐのです。
「そうだ、せっかく生きていたのだから、今日はこれを果たそう。あれもしなければ」
天に帰る前にやっておきたいことが浮かびます。そしてそれを果たすうちに一日が暮れて、また次の朝を迎えるのです。
毎日がその日一日で完結するような、そんな感覚をわかってもらえるでしょうか。会員の皆さんは、自分が明日この世にいないかもしれないと考えて一日を過ごされたことがあるでしょうか。そう言えば、先生はマハーサマーディ(いかに死ぬか)の役員?であられましたね。
明日、自分がこの世にいないかもしれないと思うことは、執着を取り去ってくれるという意味だけでも深い意義があるようです。こんな難儀な身体で、そんな良いことを教えてもらえるのが幸せかどうかわからないのですが、不思議に満足感があります。
「何もしてくれなくていいの。ただ貴方がいてくれるだけでいいの」
秋頃、先生の原稿の手伝いをするため、意識をそちらに向けようと、身辺整理のために患者会のスタッフを辞めました。久しぶりに会った患者会の代表がそう言うのです。
僕は毎日、ただ自分のやりたいことをやっているだけの、役立たずのろくでなしだよ。僕なんかいなくても、貴方達は充分にやれるから大丈夫。いつも本当にありがとう――彼女の後ろ姿にこころで手を合わせて感謝しました。彼女もまた、死を見つめて生きているひとりです。
今日はクリスマス。

イエスが身体を張って望んだ世界は、今どこに行こうとしているのでしょう。

こころのどこにも争いがない、いつも穏やかにたくましく和を求めようとする、そんなこころを持った友に――

 メリークリスマス&ハッピーニューイヤー。
vol.23へ  
当社ウェブサイトは、Microsoft Internet Explorer 5.01以降、もしくは Netscape 6.1以降、画面サイズ800×600以上での
閲覧を推奨いたします。それ以外の環境では、表示に一部不具合が生じることもございますので、ご承知置きください。
Copyright 2006 All Rights Reserved Kstudio