大きな地震がありましたね。本土を離れていて良かったです。M8.1と言えば、あの阪神淡路大震災よりも大きな規模ですから。
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2007年へ向けて
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今年も残りあとわずか。先生も神行に入られたようですし、管理人も出雲とはいかないまでも、お誘いがあって、足立区の素盞雄神社に詣ってきました。大銀杏が境内を守る気持ちの好い神社です。
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ここは黒珍(こくちん:修験道の開祖役小角の高弟)が、自宅の東方にある奇岩を霊場と崇め、日夜斎戒礼拝すると、平安時代延暦14年(795)4月8日の夜、小塚の中の奇岩が突如光を放ち二柱の神様が翁に姿を変えて現れ、「吾はスサノオ大神・アスカ大神なり。吾れを祀らば疫病を祓い福を増し、永く此の郷土を栄えしめん」と御神託を授け、黒珍は一祠を建て鄭重にお祀りしたという由緒の神社です。
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神社に着いてすぐのことでした。
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腰が曲がり、手押し車なしには歩けないような老婆が、ほんのわずかな参拝道を何分も掛けて拝殿に立ち、背の高さほどもある賽銭箱に持参した賽銭袋を投げ入れてお詣りしていました。後ろに立った僕の位置から、拝殿の丸鏡には老婆がうつり、一心に呟きながら祈る姿がひとのこころの尊さを教えてくれるようでした。
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日本人はいま、どん低の状態にあると思っています。ここを底として、来年からは浮かび上がる年にしたいものです。いや、そうならなければなりません。
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澄み切った空気のなかで、奇岩の上に立つ二柱の神に、こころを合わせて祈りました。大難を小難に。人々のこころをやさしい思いやりのあるこころに立てかえられるようお導きくださいと。
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帰り道、神仏双方に福を願うという浅草酉の市の二の酉で賑わう街を抜けながら、そう言えば境内には芭蕉の句碑があったようで――
このくにに 幸多かれと ただ祈る
神にまみえし 銀杏の下で
(詠み人:凡人)
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