書名:御大典記念 都田村誌
著者:都筑郡都田村役場
発行所:廣文堂
発行年月日:1929/5/30
ページ:257頁
定価:非売品
川和、佐江戸、東方、折本、川向、大熊の地域が都筑郡都田村として再編された時期、昭和のはじめに昭和天皇の「即位の礼」御大典を記念として編纂された都田村誌です。
現、都筑区の南の地域についての歴史については新選風土記稿とともにこの本を定本として記述されていることが多い原点です。
貝塚の話の中で、綱島、折本、小机等鶴見川流域の低地一帯を含めて江戸湾ではなく、多摩湾と仮称している学者がいるとか?多摩丘陵の南端にあたるこの地域が海との境界線、そこに出来た貝塚ということで。また川和の菊栽培の話、江戸時代後期に中山恒三郎という人が江戸の松浦某に菊の苗を賜ってそれを栽培したのが始まりとか。そして明治、大正、昭和まで継続して品種改良につとめ、川和に菊花園という広大な花園を経営していたとのこと。そこを訪れた徳富蘇峰の新聞記事などなかなか面白い。
「およそ物の愉快は、生半可なところにある。真の専門家なれば、それに優したるものはないが、人間総ての事に専門家となる事は勿論、専門的知識を具備すること容易でない。しかし素人には素人の楽しみあるのみならず、かえって素人なるが為に淡泊にして味ある楽しみが出てくる。人は笊(ざる)囲碁と冷笑するも、世に笊囲碁の連中ほど、碁を愛する者はなく、碁を楽しむものはない。」徳富蘇峰より
また神社、寺院などについての創建、由来などかなり詳しく書いてある。また昭和初期の寺院の御料地の面積、寺内の土地の広さ、檀家の数なども。しかし当時あった寺院、神社などで今はもう廃寺となって跡形もなくなっているところもある。
旧字体で書かれているのでちょっと読みづらいところもあるが、子供の頃、良く見慣れたものにとっては何となく読むことができる。当時の写真が載っているが、神社、寺院など茅葺き屋根が多く、今とはずいぶん違った感じの神社、寺院が出現している。また警察署、学校、消防署などの成り立ちについても詳しく書かれている。明治の税の話で新政府(明治政府)が出来て納税が100分の2.5と決められて農民達は喜んでいたら、実はこれは国税に相当するもの、その後地方税が掛かってくる。ここに地方自治体の原形を見る思いがする。また歴代の村長の名前、就任時期などが列記してあるが、一部の人だけに有給の印がついている。他は無給でやっている。もっとも村の有力者が努めていたのだろうけれど、政治家で飯を食っていた人はいなかったようだ。
小学校の変遷についても詳しく書かれているが、その尋常高等小学校の教育の目的の一番最初に農業を基本に据え、議論倒しに終わらないように、実践を謳い、そして郷土を愛する人を作ること挙げている。このあたり議論もあるとは思うが、ひとりでは生きていけないということを一番に重要視したのではないかと思う。ひとつひとつの文章に風格、品位が感じられる。これはビジネス文、役所文書になれたものにとってはちょっとした驚きです。しっかりした国語教育を受けているのでしょうね。