書名:汝、ふたつの故国に殉ず
台湾で「英雄」になったある日本人の物語
著者:門田 隆将
発行所:角川書店
発行年月日:2016/12/10
ページ:360頁
定価:1,800 円+税
台湾のことは殆ど知らないことが判る本です。この本とは直接関係はないのですが、台湾には3000m級の山々が150座以上あって、富士山より高い山が3つもある。ニイタカヤマ(明治天皇の命名)は有名ですが、それ以外は知らなかった。
玉山 3,952 m (12,966 ft) 玉山山脈南投県信義郷 新高山
雪山 3,886 m (12,749 ft) 雪山山脈台中市和平区 次高山
秀姑巒山 3,825 m (12,549 ft) 中央山脈 南投県信義郷
馬博拉斯山3,765 m (12,352 ft) 中央山脈 南投県信義郷
台湾は1895年に日清戦争の結果下関条約にてが日本に割譲される。日本の統治時代が1945年まで続く50年間。日本人の父、台湾人の母から生まれた坂井徳章弁護士(台湾名・湯徳章)という人(戸籍上は叔父の養子として日本国籍)の生きたノンフィクションで、最近漸くその実態が著者の調査などによって明らかになった。
1895年、ひとりの若者坂井德蔵(湯徳章の父)が台湾を目指して故郷・熊本をあとにした。台湾の治安維持と発展に尽くすためである。やがて台湾女性と家庭を築いた彼は警察官として台南に勤務する。日本統治時代の台湾に設立された小学校、芝山巌学堂で抗日事件により殺害された日本人教師6人、六氏先生事件の後、本島人による最後の抗日武装蜂起であった西来庵事件で殉職してしまう。
母湯玉は苦労をしながら徳章を育てる。貧困の中、辛酸を舐めながら勉学に励み、日本に渡り、中央大学の聴講生などをして、当時の最難関国家試験である高等文官司法科と行政科の試験に両方合格する。努力の人。弁護士として漸く生活が安定し、家族ももって幸せに暮らしていた湯徳章。そこに突然、日本軍の敗戦。国民党(蒋介石)の台湾支配という激動の時代。徳章は国民党政府の「二二八事件」弾圧から台南市民を救うために奔走する。
国民党は北京語、台湾は日本語、支配階級は北京語、台湾にはこの北京語を理解できる者は少なかった。また国民党は日本語が分かる人は殆どいない。台湾の日本統治時代には台湾人には知識階級も多く、規律、法の理解なども進んでいたが、国民党(外省人)は知識も教養も無い人々、それが台湾の支配階級に突然出現した。話し合いで解決するより、気に入らない者は即、逮捕、銃殺が経常化していく。
国民党には自由、法治国家、約束などの概念もない。裁判など行われない。台湾人の人権などない。台湾人(内省人)達が反発して「二二八事件」が起こったことも必然の成り行き、その「二二八事件」の後始末に台湾人の人権を守るために湯徳章は奔走する。そして厳戒令化(その後39年続く)の中で銃殺されて亡くなった。自らの身を犠牲にしながら、多くの市民を助けた徳章は、50年後に忽然と“復活”する。
「私には大和魂の血が流れている」と中国語
「台湾人、万歳!」と日本語で叫んで亡くなった。
第二次世界大戦が終わって何故か?台湾は国民党(蒋介石)が支配することに、何故マッカーサーが進駐してこなかったのか。北京を支配していた蒋介石も毛沢東に追われて台湾へ。でも台湾人(内省人)には辛い辛い同族による支配体制の中で息を潜めていた。台湾の親日もこんなところに原因があるのかも。日本統治より国民党の統治は中国が持っている徹底した破壊、皆殺しの発想。文化大革命でも同様。これは共産主義だけでは説明できない。中国の一つの悪癖。前の政権関連者は必ず生かしておかない。徹底した破壊。そんな嵐が1945年8月を期して台湾に起こった。その渦の中で台湾人の尊厳を以て死んでいった坂井徳章弁護士(台湾名・湯徳章)
こんな人がいたのだと教えてくれる。これも歴史の狭間に咲いた英雄かもしれない。本人が望んだわけではないが時代に翻弄された一人の日本人(台湾人)の物語です。テレサ・テンの歌に「ふるさとはどこですか」というのがありますが、 テレサ・テンは国民党の兵士の父が台湾(国民党(外省人))に移ってきてから台湾に生まれた。「ふるさとはどこですか」?坂井徳章弁護士(台湾名・湯徳章)はどう答えるだろう。