【韓国旅行記】 観光地に行かない釜山旅行記 1/3



01釜山に向けて出発

 関釜フェリーに何回乗ったのか、今やもう分からなくなっている。しかし、今日の下関のターミナルの混雑ぶりは、その中でも指折りの激しさだった。

 僕はプサン(釜山)のソンジョン(松亭)という海水浴場で行われる韓国のパソコン通信「チョルリアン」(千里眼)日本語同好会の定期集会に参加するためにここまできていた。集会は15、16日と泊まりがけで行われる予定で、韓国全土から約70名近くのメンバーが集まる予定だ。それに日本人である僕も参加してみようというわけだ。因みにこの旅行記を読んでいる韓国に興味のある方はご存じのとおり、8月15日は韓国の独立記念日だ。日本からの開放を祝う日なのだが、そんな日に僕が行ってもいいのかな?なんて思ったりもしたのだが・・・・。

 ところで、このターミナルに来るのは2年数ヶ月ぶりだ。売店の位置とかが微妙に変わっているのがわかる。そして一番変わっていたのは、ターミナルの「雰囲気」だった。以前の「どやどやした雰囲気」がかなり薄れていたのだ。そしてそれが、ここのところの日韓の関係などに微妙に影響されているようで、とても興味深かった。

 雰囲気が変わったのは、関釜フェリー会社の態度の変化に依るところが大きい。一言で言うと、「観光客重視に腹を決めた」ということだ。今まで関釜フェリーは「担ぎ屋」のおばちゃんたちの独壇場で、実質、おばちゃんたちによって仕切られていた。船に乗り込むのも、入り口近くに荷物をうずたかく積んだおばちゃんたちからで、釜山上陸の時も、やはり僕ら一般観光客はおばちゃんたちの後塵を拝していたのだ。しかし、関釜フェリー会社は大英断を下したと見える。荷物を持ったおばちゃんたちを集めて待機させておいて、観光客を横から先に乗船させることにしたのだ。いつからこの方式に変わったのか分からないが、明らかに差別(区別か?)している。そしてその判断基準が、「観光客かどうか」という極めて曖昧なものなのだ。国籍で分けているわけでもない。しかし、こんないい加減な線引きでも、「曖昧な人が比較的いない」と言うところが、関釜フェリー的なのかも知れない。セパーレートドレッシングみたいに、いくら混ぜてもやはり時間が経てばはっきり分かれるもののようだ。

 それからもう一つ、2〜3年前と変わった点として、一般の観光客、それも団体客の増加があげられる。以前は基本的に僕のようなバックパッカーしかいなかったのだが、今回はまるっきり「海外ど素人」の農協町内会御一行様のような団体が、ちらほら見られたことだ。関釜フェリー利用のツアーが増えているということなんだろうか?以前では考えられなかったような変化が起きているようだ。ところで、この団体客(のおばちゃんたち)だが、筒井康隆の「農協月に行く」のようなキョーレツな姦しさを見せていた。はっきり言って「担ぎ屋のおばちゃん」よりたちが悪い。あのような人たちが日本人の評判を落としているのは間違いない。帰りの船で一緒になった広島の団体などは特にひどく、大声でぼられまくった話をしたあげく「やっぱり日本が一番」などという、ふざけたことを言っていた。頼むから日本の中で一生を終えて欲しい、と思った。

 ということで、比較的スムーズに乗船できた。2等Bのマス席も、担ぎ屋のおばちゃんたちに占領されることなく、楽にスペースを確保できた。これはいい。うるさい団体客を避けるように端っこの方に場所を確保した。早めに食事をとって、消灯前に寝ることにした。明日からどれだけ寝れるか分からないからだ。





関釜フェリー内部
1998年旅行記当時の関釜フェリー2等B席
現在では、新しい船になったの、でずいぶん雰囲気も変わった。


韓国の地図 釜山

02釜山上陸

 いつもの様に釜山沖に停泊していたフェリーが、税関の開く時間を見計らって国際線ターミナルへと動き始めた。僕も荷物をまとめて階段下、売店前のスペースの方に移動した。するとここでも以前と違う光景が見られたのだ。船を下りるときも観光客優先らしい。おばちゃんたちの荷物は船の進行方向に向かって右側(船が接岸する側)に集められていて、観光客は向かって左側に集められた。接岸する側と反対なのだが、船室の中を通るようにして、「担ぎ屋のおばちゃんたち」より先に上陸することが出来た。

 イミグレは思っていたほど混雑しておらず、スムーズに通過。税関も問題なく通過できた。以前に比べて格段にスムーズになっている。韓国側も努力しているようだ。両替をしておかなければならないのだが、既に手持ちのウォンがあったので、1万円だけ替えておくことにした。(でも結局使わなかった)

 ゲートを抜けると、いつもの風景が待っていた。しかしやはりというか、ツアーの出迎えの現地係員たちが列を作っており、以前との違いを見せていた。

なり 因みに日本語同好会の定期集会は明日で、一日早く上陸したわけなのだが、今日は今日で夜に宴会などがある予定だ。それまでは、ナリ(韓国人女性:右写真)ら釜山の方々と時間を過ごす予定になっている。
(*注 以下登場人物は基本的に「テファミョン=対話名:ハンドルネーム」で登場します。そして特に断りを入れない場合は、すべて韓国人)
 さて、ナリに電話しないと。公衆電話に行ってナリの携帯(PCSと言うみたい)に電話をかける。・・・・しかしなかなか出ない。番号を間違えたんだろうか?もう一度電話してみると、やっと出た。明らかに寝おきの声だった。「寝てただろう?」というと、やっぱりそうだった。

 ところで、今日は日本語の学院(塾みたいなもの)の授業があるらしい。参加してみたいと前からお願いしていたのだが、OKをもらえたようだった。まず11時から文法の時間があって、そのあと12時から1時間、会話の時間があると言うことだ。会話の時間に参加許可が出たようだ。ということで、11時55分にソミョン(西面)の一つポモサ(梵魚寺)寄りのプジョン駅のコンコースで待ち合わせることになった。

 因みに「ナリ」(韓国語で百合の意味)は現在大学の4年生で、日本語を趣味として勉強している韓国人女性だ。韓国のパソコン通信「チョルリアン」(千里眼)の日本語同好会のメンバーで、今まで何度も会ったことがある。正直言って、とても美人だ。本人自ら「コンジュビョン」(公主病:お姫様病:白鳥麗子状態とでもいうか・・・)気味だと冗談で言うくらいで、そうなってもおかしくはない気もする。やや小柄で、多分もてるタイプだと思う。


船の屋上から見た釜山港
船の屋上から見た釜山港


釜山港と釜山タワー
釜山港と釜山タワー

03南浦洞での朝食

 さて、時間は現在9時ぐらいなので、まだまだ時間がある。とりあえず朝食でもとることにした。ターミナルを出て地下鉄のチュンアンドン(中央洞)駅の方に歩いていき、地下道に入る。そこからナンポドン(南浦洞)方面に歩いていくと、地下食堂街があるのだ。朝からやっているかどうか心配だったが、営業していた。席を確保してスンドゥブを頼んだ。

 おばあさんのやっている店で、間もなくスンドゥブパンチャン(小皿にのった、各種おかず)と一緒に出てきた。韓国の場合、このパンチャンがたくさん「ただ」で出てくるところが嬉しい。さっそくご飯をスンドゥブの中にぶち込んで食べた。おばあさんは僕の様子をしばらくうかがっていた後、「日本人かね?」(韓国語)と尋ねてきた。いろいろ話をしていると、「もうちょっと食いなさい」(韓国語)と、ご飯のおかわりをくれた。ということで、朝から腹がはち切れんばかりに食ってしまった。3,000ウォンだった。

 飯も食ったところでどうするかだけど、とりあえず釜山在住の日本人の友人のところを訪ねてみることにした。

 今メシを食ったところから友人のいる東和免税店のビルまでは、歩いてすぐだった。ビルの中に入る。確か3階だったよなぁ。そう思ってエレベーターに乗り3階を押してみたけど、電気がつかなかった。何で?・・・別のエレベーターに乗っても同じことで、階段で登らないといけないようだった。IMF時代だからそうらしい。

 階段を上っていくと、友人のいるオフィスがあった。友人がちょうどいたので少し話をする。しかし残念なことに、今日のフェリーで日本に帰るらしい。前回のGWの時はマンションに泊めてもらったんだけど、今回はダメだなぁ。それに、せっかく今日、韓国の方々との宴会があるんだけど、参加できない。釜山の綺麗どころが集まるというのに・・・。重ねて残念だ。


04モギョクタン(沐浴湯:風呂屋)へ

 少し話をしてからそのオフィスを後にした。しかしまだ少し時間があるので、モギョクタン(沐浴湯:風呂屋)に行くことにした。

 とりあえず待ち合わせ場所のプジョン駅まで地下鉄で移動する。そして駅のコインロッカーに荷物をぶち込んで、地上にあがり辺りをぶらぶらしてみた。すると電子総合市場があったりとか、その横でなぜか扇風機市場があったりと、プジョン駅周辺もそれなりにディープな雰囲気が漂っていた。因みにモギョクタンの場所は煙突ですぐに分かる。2・3本、目に付いたので近づいてみた。しかし一つ目はお休みだった。やな予感。しかし2件目は営業していた。早速金を払って(2800ウォン)中に入った。

 このモギョクタンは面白い構造をしていて、2回に受付があり、3階が男風呂だった。4階は「カジョッタン」(家族湯)とか書かれていた。とりあえず男湯に入ると、すぐに更衣室になっていて、入り口手前にはトレーニングマシーンが置いてあった。面白い。そして驚いたことに、フルチンの男性が、フルチンを激しく上下させながらウェートトレーニングをしている最中だった。ディープだ。そして奥にはリクライニングシートが何台か並んでいた。ここで休憩できるな。

 とりあえず服を脱いで、浴室に入る。サウナもある典型的な風呂屋だった。体を洗うとさっぱりした。暑かったので湯船には少し浸かっただけですぐに出てきた。後は時間までテレビを見ながらゴロゴロしよう。

 テレビでは水害のニュースなどが繰り返し流されていた。うつらうつらしながら寝そべっていると、いつの間にか約束時間の10分前になっていた。急いで着替えをしてあわてて駅の方に移動した。


沐浴場の入り口(釜山)
沐浴湯入り口(クムジョンタン)


男湯の入り口(釜山の銭湯)
男湯入り口

05釜山の日本語学校に特別参加

 駅の約束場所に着いてみたけど、ナリの姿はなかった。5分、10分と経つけど現れない。おかしい。駅を間違ったのだろうかと思って改札の方に向かって歩いていくと、そこにナリが立っていた。どうやらお互い別のところで待っていたらしい。時間も時間なのであわてて地上に出て日本語学校に移動した。

 日本語学校は古ぼけたビルの3階にあった。ヨグアン(旅館)のようなドアを開けると小さな部屋があって、そこに20名近くの人が「ロの字」型に机を並べて座っていた。正面に年輩のおじさんが座っていた。先生らしい。韓国人だ。

 ナリの横に席を取って座ると、会話の練習が始まった。このクラスはまだ初級なので、基本的にあまり喋れないようだった。先生の音頭でそれぞれ一人ずつ僕に質問をして、僕がそれに答えるという様に進めて行くらしい。

 早速、名前は何か?とか、住んでいるところはどこか?とか、韓国で一番良かったのはどこか?とか、恋人はいるのか?とか、どんな女性が好みなのか?とか、韓国の女性と日本の女性はどう違うか?とか、韓国の音楽は聴いたことがあるのか?とか、そういう質問が、たどたどしく話された。因みに、先生が話の内容を韓国語で説明したり、生徒が韓国語でぶつぶつ独り言を言ったり、「@@@って、日本語でなんと言うんでしたっけ?」とか言う韓国語はすべて分かったんだけど、逆にそれらが分からないふりをするのが、かえって難しかった。先回りして答えてしまうと、会話練習にならないからだ。日本語として理解できたときだけ、答えなければいけないらしい。そういう意味では、ゲストは韓国語の喋れない人の方がいいかも知れない。

 質問が一周したところで、授業は無事終了した。ちょっとこそばゆい感じだった。でも、初級であれだけ分かれば十分なのかも知れない。因みに同じクラスに韓国のパソコン通信「チョルリアン」(千里眼)の日本語同好会のメンバーの「うみちゃん」(男)「セジャビンキムシ」(セジャビン金氏:女)の二人もいた。なんだ。そうだったのか。うみちゃんとは、以前飲んだことがあって、セジャビンとも実際に会うのは初めてだけど、メール交換をしたことがあった。

 因みに、うみちゃんは大柄の20代なかばの男性だ。日本のアニメをこよなく愛しており、そこから日本語の世界に入ったそうだ。実際アニメソングをよく知っている。日本語の他に韓国の伝統音楽も趣味としてやっているらしい。日本語はかなり上手だ。ただ文法が弱いので、学校に通っているとのことだ。セジャビンは現在、釜山大学の1年生で、日本語を専攻している女の子だ。日本語を初めて数ヶ月というのに、かなり喋れる。将来有望な感じだ。日本へ留学したいということだった。関西地方を考えているらしい。全体的な雰囲気は、ちび丸子ちゃんの友達で、お父さんがカメラマニアという、あの子を想像してもらえばいいかも知れない。それから「セジャビン」というのは、皇太子妃のことを意味している。


06ソミョン(西面)の伝統茶の店に

 さて、授業が終わったところで、ナリ、うみちゃん、セジャビン、僕、もう一人女性(名前分からない)の5人でソミョン(西面)の伝統茶の店に行った。そこでいろいろ話をしているうちにあっという間に夕方になってしまった。日本語の発音指導をしていたのだが、韓国人の苦手な音ってのが、やはりあって面白かった。ただ、従来苦手だと思っていた「つ」の音は、比較的上手に出来ているようで驚いた。韓国語には「つ」の音がないので、「卒業」=「そちゅぎょう」「つらい」=「ちゅらい」というふうにどうしても「チュ」になってしまうのだ。でも、英語の「Let's」のような音があるので、この音は克服されつつあるようだ。しかし「ざじずぜぞ」は相変わらず難しいらしい。どうしても「じゃじじゅじぇじょ」となってしまう。これは日本人の皆さんは「ざ」と「じゃ」の違いが、舌の使い方で言い分けられることに気がつくだろうと思うけど、いかんせん、韓国人にとっては同じ音に聞こえるらしい。その他、「おばあさん」と「おばさん」の区別も難しいようだ。もちろん韓国人にとって「全く別の音」を日本人が聞いて全く区別出来ない場合もあって「おあいこ」ではある。いや、むしろ発音的には韓国語の方が複雑なので、日本人の方が判別できない音のほうが多いと思う。

 この辺の話を書き出すと切りがないので、今回は切り上げて旅行記に戻ろう。

 お昼ご飯が間だの人が何人かいたので、ソミョンの石焼きビビンバの店に行って、ビビンバを食べる。そして地下鉄でチャガルチ駅まで移動。待ち合わせ場所の、ミファダン百貨店に行く。しかしまだ約束の時間まで30分ほどあった。外で待っていると暑いので、とりあえず百貨店の中に入る。女性陣は水着コーナーに行ってしまったので、うみちゃんと二人でエレベーター横のベンチに座って話をした。


07南浦洞での宴会

 時間になったので百貨店前に行ってみたけど、案の定誰もいなかった。コリアンタイム(韓国では時間通りに集まるのは、極めてまれ)だから仕方ないのか・・・。そういっているうちに、ぼつぼつと集まり始めた。30分くらい待ってだいたいのメンバーが集まった。韓国での待ち合わせはいつもこんな具合だ。30分で集まればまだましな方かも知れない。早速メシを食おうと、チョッパル(豚足)の店に行った。

 今日の幹事はウソギ君(男)で、その他昼から一緒のナリ、セジャビン、うみちゃん。それから、みほちゃん(女)、かうりさん(男)、コンジョさん(男)、クィトゥラミ(女)らだ。 

記念写真(韓国・釜山)釜山旅行記 さて、目の前にはチョッパルがてんこ盛りになっていて、それをみんなでつつく。とてもおいしい。その他にパンチャンがいくつかつく。因みにここプサンではチョッパルをわさび醤油で食べていた。(変なわさびだったが)ソウルでは塩をつけて食べるらしく、地方によって差があると言うことだ。その他、コチュ(トウガラシ味噌)をつけてサンチュ(レタスみたいな野菜の葉っぱ)でくるんで食べる方法もある。これは、ソウルでポッサムを食ったときのパターンだなと思う。

 ところで、僕はお土産を持ってきていたので、ここで披露することにした。「もみじ饅頭」と「B'z」のシングルCDだ。日本のお菓子は比較的珍しがってもらえるので、お土産としてはいいようだ。特に日本に興味を持っている人にとってはなおさらいい。それを配ればいいので、箱入りのものを持っていくとちょうどいいと思う。ただ、この「もみじ饅頭」もそうだけど、甘いもの系は受けが悪い。和菓子のこってりした甘さには、あまり慣れていないと見える。それからB'zのCDだけど、あみだくじをして当たった人にあげることにした。当たったのはクィトゥラミだった。

 それから酒の方だが、プサンのソジュ(焼酎)「C1」(?)を飲んだ。なかなかおいしい焼酎だった。そしてほろ酔い気分になったところで、2次会のノレバン(カラオケボックス)へとなだれ込んだ。

 カラオケで韓国の歌、日本の歌が入り乱れながら、みんな争うように歌った。うみちゃんはアニメおたくらしく、アニメソングを熱唱していた。僕は韓国の歌と日本の歌の両方を歌ったのだが、韓国人で日本の歌を歌う人もいた。歌われた歌は、うみちゃんのアニメソングの他に、オフコースの「さよなら」、B'zの「ALONE」などだった。

 カラオケが終わり、時間も遅くなってきたのでここで解散となった。僕はかうりさんの家に泊めてもらうことになり、コンジョさんと3人で車に乗って移動した。


ウソギ君は韓国的なさわやかな青年で、日本語同好会の釜山でのリーダー役をしている。好青年という形容詞がぴったりきそうだ。スポーツマンタイプで歌もうまい。日本語がどのくらい喋れるのかは、よく分からない。プサンに行くという話をすると、必ずといっていいほど宴会をしてくれる。そしてそこそこに人が集まるのだ。彼の人徳なのかも知れない。因みにまだ学生のようだ。

usogi

みほちゃんは明日開かれる予定の「日本語同好会定期集会」の場所である、ソンジョンの「海の家 ユラク フェチプ」の娘さんだ。プサンメンバーの中心の一人でもあるらしい。比較的大柄の女性で、エプロンが似合いそうな感じだ。今回初めて会ったのだが、以前、プサンに行ったときに電話で話をしたことがある。ところで、このみほちゃんの実家の「海の家 ユラク フェチプ」だが、このあとにもしばしば宴会に使われているらしい。ただ、儲かっているかどうかは不明。

miho

かうりさんは男性なのに女性の「テファミョン」(対話名:ハンドルネーム)を持っている。ハングル表記では「かうり」なのだが、発音は「かおり」に近いようだ。背はそれほど高くないが、がっちりとした体格で、レスリングの選手のような感じだ。日本語はまだ「ひらがな」程度らしい。ただしプサン外国語大学の貿易学科卒業で、英語は得意のようだ。チョルラド(全羅道)にあるチリサン(智異山)という山にお茶畑を持っていて、お茶を商いしている。

kauri

コンジョさん(男)さんは、日本語の「根性」から取った対話名だそうだ。20代後半の男性で、身長が170センチくらいのやややせ形。色が黒く韓国人にしては珍しくギョロッとした目をしている。最近使う機会がないとこぼしていたが、日本語はかなり上手だ。前出のかうりさんの友達で、かうりさんはコンジョさんにくっついて日本語同好会に出入りするようになったらしい。

konjo

クィトゥラミ(女)は現在、プサン大学のフランス語専攻の3年生だ。広島の集まりにも来ていた。大柄な女性で、のびのび度は日本語同好会で一番かも知れない。フランス語はもちろん喋れるのだが、日本語も結構上手だ。趣味で始めたにしては結構なもので、もともと語学の才能があるのかも知れない。因みに「クィトゥラミ」を日本語にすると、「コオロギ」だ。日本のコオロギと韓国のクィトゥラミが同じ種類を指しているのかどうかは定かではない・・・。それを一度聞いてみたことがあるのだが、そもそも「鳴きまね」の仕方が韓国と日本とでは違うのでよく分からなかった。日本では「りりりり」とかだと思うけど・・・。もしかしたら韓国の場合はキリギリスあたりまで含んだ概念かも知れない。古語「こほろぎ」も、昔はキリギリスのことを示していた(いつの時代か分からないけど、意味が変わった)し、あり得ないことはない。調査が必要だ。

kwiturami

08知り合いの家にご宿泊

 かうりさんの家は南浦洞の近くて、車でほんの10分ほど走ったところだった。狭い路地に駐車して家へと向かったのだが、その家はびっくりするくらい立派な一戸建てだった。築20年くらい経っているらしいが、手入れがいいのかとても綺麗だった。庭も立派なものがあるし、少し驚いてしまった。家が商売をしているので、いわゆるお金持ちのようだ。庭の片隅には茶室もあった。日本のものとは少し違うようだが、畳の部屋があったりした。それに「珍島犬」が1匹いた。珍島犬ねぇ・・・。

 かうりさんは、「お腹が空いたでしょう」といいながら、韓国人御用達の辛ラーメンを作り出した。そして夜中だというのに3人で腹一杯食べたのだ。こんな生活をしていると、ぶくぶくに太ってしまうと思うのだが、そうでもない人が多いのはどういうわけだろう? そしてラーメンを食ってからチョルリアンに接続してみたりする。その後に広島の集まりのビデオを持ってきていたので、それを見ているうちに夜中の2時頃になってしまった。僕はそこで耐えきれずにダウンしてしまった。

 かうりさんとコンジョさんはそのあとも、チョルリアンでチャットをしていたようだった。

(第1話終了/全3話)

 

第1話
1998.8.12〜13
下関から釜山へ
第2話
1998.8.14
韓国のパソコン通信「千里眼」(チョルリアン)の「日本語同好会」の集会に参加 そのまま松亭(ソンジョン)の海の家に雑魚寝宿泊 
第3話
1998.8.15
再び海岸へ移動 朝の松亭(ソンジョン)海岸

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