六波羅日報【1999年 5月前半】


1999年 5月 1日

http://www2s.biglobe.ne.jp/%7Erokuhara/diary/199905a.htm#1
#1
ひき続き26時間ぶーぶーを参照してくれぃ。


1999年 5月 2日

http://www2s.biglobe.ne.jp/%7Erokuhara/diary/199905a.htm#2
#1
朝、海星に天王寺駅まで送ってもらう。ちょっとヤボ用に時間を食ってしまい、大阪から泣く泣く特急電車を使う。無念ナリ。

#2
各駅停車の接続待ちで、小松駅で途中下車してみる。駅前にDAIWA(百貨店)が出来ていた。そのお陰で、もともとあったビルが、カラオケボックスとゲーセンだけの幽霊ビルと化していた。時間つぶしの為にゲーセンで雷電をやったら、思いの他進んでしまい二機残して離脱。だって、この電車を逃したら1時間近く来ないし…。

#3
実家到着。直前までど厚かましい姉夫婦&うるさいくそガキがいたので、到着そうそう拒否権ナシで実在母親から部屋の掃除を申しつけられる。ウチですらコレだから、農家の嫁さんなんて帰省の度に遊びにきやがる小姑どもの応対をせにゃならんので大変やな。いっその事、割り勘で近所の温泉にでも行って過ごす方が合理的ではないだろうか。

#4
ジャスコで万引き買い物。冷凍食品バイキングって初めて見るぞ。

#5
父親はビールと発泡酒の区別がつかない(安上がりな)人間なので、とくと解説する。その後、母親に怒られる。どうやら騙し続けていたらしい。真実を追求しただけじゃないか(笑)。

#6
普段、PCの音が子守り歌になっているが、異様なまでにしんとした環境での就寝。身体の血流の音さえ聞こえてきそうだ。


1999年 5月 3日

http://www2s.biglobe.ne.jp/%7Erokuhara/diary/199905a.htm#3
#1
坊さんが来るので、お布施を用意する。細かいお金が無いようなので、立て替える事に。そう言えば、前にもこの手口でヤラレタような気がするのだが…。

#2
隣の家のめいちゃん(8才)が縁側越しに遊びに来た。ワシとは初対面じゃない事もあって、お互いにっこり挨拶。「鉢植えの花が咲いたので見に来て」うむ。菓子折りでも持って行こう。

#3
挨拶がてら、お隣さんに。菓子折りのお礼という事で、めいちゃんから花をひとかぶ貰った。持って帰るのも難しいので、実家の庭に植える事に。この子、10年も経ったらエエ女になるよ、絶対(笑)。育成(育成ってゆーなー)の目標やねぇ。

#4
パソコン教室for父親(Word編)。今回のポイントは「行間調整」である。ワードパッドで書いていた文書をWordに読み込むと、1枚の紙に収まらないという現象に見舞われているようだ。覚える所が少ないという理由で、最初にワードパッドの使い方を教えたのがアダとなったか…。まあ、この場合でも「固定値」しか教えないんだけど。しかし、今年から年金を貰う年齢とは思えん積極性や。パソコン学ぶには、とても重要な要素なのである。

#5
ビールを補充すべく、コンビニまで歩いてゆく。おかしいなぁ、車で行ったらすぐに着くハズやのに、延々歩いているぞ。道路が広いから、近いような錯覚を覚えるんやろか。


1999年 5月 4日

http://www2s.biglobe.ne.jp/%7Erokuhara/diary/199905a.htm#4
#1
どうやらワシは、実家の貯蔵食料の最終処分場のようである。朝早くから豚の角煮300gというのは、結構強烈。北陸の朝ぼらけが、琉球国に早変わり。

#2
雨なので、出歩く事もなく部屋でごろごろ。

#3
洗濯物を干すために、ストーブをつけたせいか鼻血が出てくる。あぁ、今朝の味噌汁おいしうございました、角煮おいしうございました…。氷+圧迫で17分ぐらいで止血成功。民間療法も捨てたモンやないな

#4
そこの母親、すでにポンコツってゆーなー。そこの父親、病気のデパートとかゆーなー。

#5
夕方ぐらいから、Uターンラッシュになっている感じ。ワシはいっつも休みの最終日まで居座るから、ラッシュから外れて疲れずに帰れる事が多い。人生常にギリギリなヤツである。


1999年 5月 5日

http://www2s.biglobe.ne.jp/%7Erokuhara/diary/199905a.htm#5
#1
今回の帰路では「はくたか」を利用しないので、朝のうちに松任駅まで送ってもらう。予定していた一本前の電車が来たので、急いで乗る。発車時間になっても、階段をてくてく歩いてくるばーさんを待っているというアバウトさが、またいい。住むならやっぱり、こういう所である。

#2
金沢駅で途中下車し、試しに特急列車の指定席を照会してもらうと、南小谷からのスーパーあずさ10号に残席2席あり。当初予定していた、直江津→長野→松本と進むルートを糸魚川経由に変更しようとした。「過剰分の返金が無いのは承知の上」と言っているのに、係員に「旅行中止扱いにして払い戻しが必要で、新たに乗車券を購入すべし」とか言われた。経路変更の場合、過剰分は返金されないが不足分は清算可能な筈である。

希なケースだがJR地方会社間をまたぐ場合、変更によって全体経路が短くなっても、ある会社線の乗車距離が変更前より長くなってしまう場合は、不足分の清算が必要である(時刻表には記載されていないが)。この場合、直江津→長野→松本を、糸魚川→松本とショートカットする変更であるから、JR西日本及びJR東日本双方に過剰支払をしている事になる。感謝されても、文句を言われる筋合いはない。とりあえずスーパーあずさの指定席を確保した。現状の切符で糸魚川まで行っても問題ないので、金沢から糸魚川までの特急券を購入し、11:01雷鳥5号に乗り込んだ。

#3
うわー!糸魚川まで検札無かった〜。特急券大損…ってキセル鉄のオキテによって旅ヤング破門となるのだが(笑)。早速みどりの窓口に問い合わせてみる。案の定、経路変更に問題はなく大糸線の車掌に乗車証明の処置をしてもらうようにとのお達し。金沢で旅行中止扱いにしてたら大損する所であった。

#4
大糸線は一両すなわち単車運転である。しかも「ドアは手でお開け下さい」とか書いてあって、コンプレッサーの空気の抜ける音を確認してドアを開ける必要がある。私、生まれて初めて寒冷地でもないのに手でドアを開けて電車に乗った。

#5
車掌に経路変更&乗車証明をしてもらい、南小谷へ。着いたら、スーパーあずさ10号が待っていた。階段でホームを渡らないといけないのに乗換時間2分というのは何とかしてもらえないものだろうか。大糸線の発車を5分早めるだけで十分改善できるはずなのに。

#6
気持ちのよさに、つい居眠り。再起動したら甲府だった。

#7
新宿で晩御飯を食べて、中古カメラ屋も回って帰宅。おぉ!全力稼動させている10台のPC(バカ)が1台たりとも止まってないぞ。

#8
実家での規則正しい生活が祟り(もしもし?)、あえなく就寝。


1999年 5月 6日

http://www2s.biglobe.ne.jp/%7Erokuhara/diary/199905a.htm#6
#1
私の異動話に関して、場所を明かしていなかったので、引越し先についてさまざまな憶測が飛び交っていた。

さすがに某掲示板で「地球と僕達を忘れないでください」とコメントされると収拾がつかなくなってきたので、そろそろちゃん公表しておこう。

てなワケで、私の6月からの職場は埼玉県は熊谷になる。んで、現在、基地建設予定地物色中というあんばい。もうちょっとお金に余裕があったら赤羽あたりを候補にしたいんだけど…ま、そう都合よくは進むまい。

#2
出社して、溜まったメールを処理する。どこで聞きつけたのか(って自分のページで公表してりゃ世話ないのであるが)「送別会いつがいい?」というメールがサクサク到来。事業部を越えての異動で、元の職域に戻ってくる望みが薄いから商売仇の担当者&役人にまで飲みに誘われる始末。某国家機関研究員同期の結束は、入社同期の結束よりはるかに固いという事を実感。良否はわからんが、社外の方にかわいがって貰う事が多い仕事だったのかな。

#3
(手配先)取引き代理店との間で進んでいる仕事内容を引継ぎする。これでウルサイ営業ともオサラバや。

#4
電車内にて、ワンダースワンが2回目の電池切れ。この電池のもち具合を考えると、単3リチウム電池を入れる勇気は、まだ無いな。ハーフサイズ判のカメラに36枚撮り(都合72枚撮れる)のフィルムを装填する方がまだマシ。あ、言い忘れる前にグンペイ150万点突破したナリ。

#5
部屋に帰ってきたら、何やらギョリギョリと音がするではないか。ガビーン(3点)、OKIのAX機のHDDが昇天してしまわれた。ま、RC5専用なのでFD運用にしよう。

#6
今日の片づけ。一部PC台にしていた雑誌約450冊を寮の雑誌置場に持って行く。予想通り、新聞・ダンボール置場まで侵食する大オーバーフロー状態。これでハイエナどももヤル気が失せるであろう(笑)。いい汗かいたぜ。

#7
おー風呂だ、お風呂だぁー…。もう雑誌置き場がハイエナに荒らされとる(苦笑)。


1999年 5月 7日

http://www2s.biglobe.ne.jp/%7Erokuhara/diary/199905a.htm#7
#1
すっかり夜ふかしするいつものペースに戻ってしまった。なので10:00出勤。

#2
異動の件は、まだ内示なので言いふらす事は無いのだが、業務の都合上チロチロと漏れてしまう。職場では「いいなぁー」とか「ズルい」とか「脱出」とか数々の罵声を浴びている(緘口令もはや意味なし)。いや、好きでそうなったんじゃ無いんだけど。あと、これ幸いと、あからさまに急ぎの小間仕事を入れるのはやめて頂きたい。(-_-#)凸

#3
今日の引継ぎ。自分が引いた図面データ・仕様書の引継ぎ。引継ぎってラグビーと同じように横か後ろが基本だけど、先輩に引き継ぐってのは何だかやりにくいものである。

#4
残業してたら、同じ業務の先輩からサシで飲みに誘われる。第1回送別会というワケで、川崎の「藩」へ。お酒に関しては、軽くドクターストップがかかっているので、ビール中ジョッキ1杯と天狗舞を3合ぐらい。「弟子に技の伝授&説教をしてゆけ」という有り難い言葉を頂いた。

うーん、弟子はまだお客さんの前に一人で出すには不安だし、ましてや他社さんとの付き合い方も教えていないし…(設計者にそれが必要か、という論議は置いておく)。こういうのって結局場数がモノを言うのだが、現状は日々の業務に追われ、そんな機会にはとんと恵まれなくなっている。さしあたり、お客さんから出入り禁止を食らわないように「仕様」と「設計都合」の違いをキチンと認識させるようにしよう。

#5
ああっ、先輩ひきょーナリ。明日は土曜出勤日なのに、自分は休暇ですかい。ワシはちゃんと働くだよ(涙)。


1999年 5月 8日

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#1
本日は土曜出勤日。会社側から暗黙のうちに有給休暇を消化しなさいと誘導されている日である。もちろん、このテに乗って休暇を取得する人多数。出勤してみれば、職場の人数半数以下。これで機能するのかねぇ。

#2
土曜出勤日の有り難い所は、外部からの電話が極端に少なくなること。精神面&能率面から考えて、かなり有利である。土曜に出勤してもいいから、替わりに平日が1日休みにならないかなぁ。

#3
うがー!(沈黙に絶えられないヤツ、それが私)こんな日は、仕事していようがいまいが大勢に影響がないので、厚生部門に行って茶でもすすりながら部屋探しの相談でももちかけてみよう。内示された時点で行動を起こしてもいいのだ。欽ドン決定。

#4
いやっほうっ!会社都合のムチャ異動なので、寮に入れるみたいだ。しかも入寮可能期間5年延長というすんばらしいオプション付き。今の寮の入寮期間リミットが半年後に迫っていたから、何と効率のいい切替え(笑)。さらに、さらに…「自動車持ってないんでしたら近くの寮が一杯だったら、ワンルームの借上げですなぁ」という笑いとまんねーモード。せっかくだから、この話に飛びついておく事にした。

…こんなオイシイ話のウラには何が潜んでいるんやろ。一抹の不安は拭いきれない。腎臓一個で済むやろか(どういう換算やっ)。

#5
今日も夕方から飲みに誘われる。第2回送別会は、横浜にて行われた。テーマ(テーマって何や)は「商品構成で語ろう」。設計者は、常に製品の最終形態を想定しておかなくてはならんと思う。「本体が完成しました」と言って全てが終わったような顔をする人が多い。本体だけで完結する商品なら別だが、付属品とのカラミで考えなければならない製品の方が、世の中には多いのである。商品がどういう組み合わせでどう使われるか、トータルとして使いやすいか、交換条件として機能を削ぎ落とした方向性に間違いはなかったか、従来品との互換性はどの程度か、などなどシステムで考えなければいかんのだ。こういうシステム設計をないがしろにしていると、機種毎に違うケーブルや充電器といった数々の悲劇・負の遺産を残すのである。

ソフトウエアであっても、データ形式変更などのインターフェースの変更が伴う場合は、根幹部分に近い大々的な変更が生じるものである。例えば、安易に「デリバリが悪いから、表示素子を変えてソフトウエアで吸収すればいい」などと考える輩には百烈張り手をお見舞いしたい気分なのだ。機構・電気・ソフトなどとセクショナリズムを重視するような組織では、どうしてもトータルで見るという意識が育たないのである。そして、それは多くの会社、部署に当てはまる事ではないだろうか。

あ、あかん。これでは愚痴モードだ(苦笑)

#6
妙に電車の来る時間が違うと思ったら、土曜日だった事を思い出した。調子狂うなぁ。

#7
と、いう事はバスの時間も違うわけだからして…ガビーン、期待していた終バス無いやん。きっつい坂道歩くんかいなー。酒入りで。


1999年 5月 9日

http://www2s.biglobe.ne.jp/%7Erokuhara/diary/199905a.htm#8
#1
せっかく休日なので、コンテンツの充実(笑)をば。あーあ、こんなんで休日をつぶす事になろうとは。そんなワケなので東海道131駅に挑戦26時間ぶーぶーでも見てやってくらはい。このチャンスに書いておかないと、永遠に書きそうにないもので。

#2
本日の荷造り。冬物衣料と布団類、ネガ・ポジ・プリントの写真成果物関係。7年で300本弱かぁ。書籍関係も荷造りしたいんだけど、そんな時に限って読みたくなるしなぁ(我慢という言葉を知らないのか?)。

#3
保険屋から電話。しつこいなぁ。こっちは引っ越しで保険どころや無いんやて。ウダウダ言ってると、埼玉の担当者に切り替えるぞ、コラ。

#4
賞味期限3日オーバーの菓子で空腹をしのごう。いや、別にお金が無いワケじゃないけど、文章を書いていると外出するのが何となく億劫になるので。

#5
15000HITの賞品発送の準備をして、16000HIT記念賞品となるブツを物色する。見っけー!という事で、付属品が揃い次第公表。欲しい人にはたまらない逸品だよ。そこ、引越し前の荷物処分ってゆーなー。

#6
西原テイスト全開にしたら、18禁Webになってしまう(笑)。危険である。そう言えば、はにゃ丸は「PCを持つ気にならん」とか言ってるけど何とかならんかのぉ。

#7
熊谷前線基地ねぇ、そういう言い方してくれるのは、まだ優しいよ。くるみ嬢なんか「部屋の合鍵作らせてくださいっ」だもん。会社から帰ったら御飯を作ってもらうのを待っているカモ。恐ろしい話や。


1999年 5月10日

http://www2s.biglobe.ne.jp/%7Erokuhara/diary/199905a.htm#10
#1
所用でくるみ嬢に電話する。ええっ、あの妄想特急なヒト爆裂なコトを企て、すでに一部を実行に移しているのカー。侮りがたし。

#2
ダンボールがぁっ…ダンボールがぁぁっ、寝床に迫ってくるぅ〜。盗まれてもエエから部屋の前に荷物を出してしまおうかな。そういえば、写真なんかは盗まれると、ある意味パソコン盗まれるより痛手やから、やっぱりあかんなぁ。

#3
今日の引継ぎ。ネットワークの管理関係なんかをまとめて。こういう地味な仕事ってのは、やる人間がいなくなった時にありがたみがわかるモノなんだよ、へっへっへ。

一応、IPアドレス表や路線図(笑)など作っておいたドキュメントを渡しておく。更新漏れは無い、たぶん無いと思う、無いんじゃないかな、ま、ちょっと覚悟はしておけという程度のモノだが、無いよりは遥かにマシだろう。

#4
昼ごはんのジャンバラヤ(事実誤認)チャーハン、なんか親の敵みたいな強烈な盛りようやった。「ガストでのライス・メガ盛り事件」(この顛末はいつか書こう)を思い出してしまい、不覚にも吹き出してしまった。げへげへ。

#5
やっぱり16000HIT記念景品の付属品は、職場にあった。

#6
気分が乗らないので、定時退社して帰宅。近所のコンビニまで15000HITの景品を発送しに行こう。少しでも部屋を広くしなければ…。

#7
地底説(笑)ですかぁ。いや、職場が地底だったら好都合かもしれないケド…。


1999年 5月11日

http://www2s.biglobe.ne.jp/%7Erokuhara/diary/199905a.htm#11
#1
書類上の異動日以降に引継ぎ期間をもってはいけないって…、それは口止めする意味ナシって事やん。ひょっとして、6月1日に現職場に何かが起こるのか!?

#2
本日の引継ぎ。(こーゆー行動って根回し以外の何物でもないな)先輩と開いている部長室に入ってドアを閉める。「あの…、グループの宴会幹事をお願いしますね。私がいなくなったら、年齢が若い順という事で」どうみても係長職の人間に引継ぐ内容とは思えないが、掟は掟として従ってもらはなくては。結構大事な事だし。

#3
とうとう、営業部門の部長にまで知れ渡ってしまった。激怒してくれる(必要としてくれる)のは本当に嬉しい事だけど、私自身はこの現実を受け入れているので、直談判はやめてね、お願い(笑)。

#4
さすがに、ノーマル時間帯に書類棚の整理をするのは気が引けるので、終業後で人が少なくなってからコッソリと…。

#5
行き帰りの電車の中で、頼めメガ!食らうぜメガ!を書きとばしてしまった。いかん、まだ思い出し笑いしてまう…。

#6
本日の荷造り。ギターとキーボード(楽器)けっこうかさばるなぁ。


1999年 5月12日

http://www2s.biglobe.ne.jp/%7Erokuhara/diary/199905a.htm#12
#1
だいぶ前に人から貰った耳栓を試していたら、目覚まし時計の音に反応できず、8:23。ぐはー。

#2
普段は良きマウスパッドとして活躍している就業規則をふにふにと読んでみる。ん?赴任費なんて出るんか。さらに読む…。ほほぅ、寮→寮だとかなり減額されるが、それでもワシの場合で14万円も出るではないか。よし!これでライカを救出やっ。

#3
どうせヒナタ仕事しかしていないので、カネがからむ所をさらに熟読。業務上で死亡したら、社葬してくれる上にピー千700万円がっ(超爆)。そうかー、多重債務してても余裕やん、仕事で死ねば。そういう意味では現職って、ガケから落ちたり、海に放り出されたりとかなり死にやすい要素があったんやけどなぁ。うーむ、残念(こらこら)。

#4
今日の餞別。サントリークレスト12年+謎のオーストラリアワイン(けっこう高級品らしい)。だから酒は止められているんやってば(汗)。

#5
今日の片付け。個人的にため込んでいた資材を捨てまくる。そうやなぁ、小間物部品だけで

20万円分以上は捨てた

な(笑)。SIMMメモリとか利用価値の高い資材については、こっそり持ち逃げを企んでいる。でもSPARC-5はさすがにイラン。

#6
宴会対策としての残業。野放図になっていた文書類を集めてみたりして+2時間。

#7
予想以上に疲れたので、帰って風呂入って寝る。だから荷造りはナシ。


1999年 5月13日

http://www2s.biglobe.ne.jp/%7Erokuhara/diary/199905a.htm#13
#1
病院に行ってきて紹介状を書いてもらう算段をしないといけないので午前休暇。今月は1日も休まないつもりだったんだけどなぁ。

#2
待っている間、グレー電話(ISDN)があったのでモバイルギアでメールチェック。すると、結構興味深いメールが届いていたりなんかする。文面の主は、私の年齢ダブルスコア越えな人生の大先輩。メールアドレスは見覚えがある。どうやら娘さんが打ち込んであげたらしい事がうかがえる。ちなみに、その娘さんは、このページのお得意様の一人で、たまにメールを頂く事がある。

「拝啓 六波羅様 いつも末娘がお世話になっています…」と始まる文面。いやはや、娘さんとは一度もお会いした事が無いのだが(笑)。以後、晴朗矍鑠(かくしゃく)たる文面が続くのであるが、無粋ながら要約させて頂く。申し訳ない。

今般、長年続けていた仕事から引退し、家族と共に余生を送っている。末娘から「遊んでいたら、すぐにボケちゃうよ」という脅し文句と共にパソコンをプレゼントしてもらった。六十三の手習いで、娘から手ほどきをを受けながらパソコンを勉強してゆくつもりだが、どうも続けられそうな自信が無い。そこで娘から「同じような境遇で父親にパソコンを教えている、六波羅って人がいる」と紹介を受けて、一緒にホームページを拝見した次第。うまく続けてゆく秘訣があれば、アドバイス頂きたい。

はらはらはら…いい娘さんじゃないかぁ。おいら泣いちゃったよ。やっぱり育成するなら…以下省略。この方は、私が思うに、続けてゆく最も大事な条件を既に十分満たしているのではないか。何故か、それは自分から手紙を書くという積極性が全てを物語っているからである。パソコン習得を御自身の課題として、しっかり認識されてらっしゃる。きっと普段からの、何事に対しても、そういう姿勢を娘さんが見ていたのに違いない。微力ながら応援させて頂こう。…という大筋でふにふにと返信。

#3
ええ〜(語尾上げる)「紹介状書くけど、緊急時以外はここに通え」ってか。交通費出してくれよぉ。月イチとはいえ、つらいなぁ。

#4
うわー、午後就業ギリギリやん。結局、昼ごはんを食べそこね。机の中に眠らせていた某果汁70%ジュース(賞味期限4ヶ月オーバー)で餓えをしのぐ。

#5
新しい定期をもらったんだけど…半年分もいらんってば。どうして、こう何て言うかね、効率的でないんかね。

#6
社外の人と第3回送別会。「じゃあ、ウチに来る?」って、冗談とも本気ともつかん言葉を投げかけるのは勘弁してくれ。本人、ただ今カネ次第でどこにでもホイホイ付いて行くモードなもので(爆)。

#7
会長の呪いは、実はFTZ的に多方面に及んでいるのだ。会長の骨折から2ヶ月以内に発生した出来事を列挙してみる。

こうしてみると呪い以外の何者でもないと思う(汗)。当の会長は、それからさらに数ヶ月後に、またもやジムカーナで反対側の足の同じよーな所を骨折したし。左右のアライメントとったんかな(こらこら)。

#8
意を決して、梱包済みのダンボールを部屋の外の廊下に出す。で、今日の荷造りは、書籍といこうじゃないか。調子に乗って、引越屋の「中」ダンボールを組み、がすがすと本を突っ込んでフタをしたら、二度と持ち上がらない箱が出来上がってしまった(笑)。しかたなく「小」の箱を組み直す。それでも本が入ったら平気で20kgを越えるのね。4箱作ったが、いまだに過半数が残っている…むむむ。

#9
不要品を選別している時間が惜しいので、すべてブチ込んで発送という方針に切り替える。PC小物の元箱なんかも、つぶす時間が惜しいので「大」の箱にブチ込みまくり。部屋の外に荷物を出している時に、管理人とバッタリ。あちゃー(汗)。「その3人分の荷物、なんとかしなさい」…へい(;_;)。あの、まだPC(10台!)は梱包してないんだけど(爆)。

#10
ガビーン、もう28:00ではないか。さっさとポテろう。


1999年 5月14日

http://www2s.biglobe.ne.jp/%7Erokuhara/diary/199905a.htm#14
#1
翌日は、いつき姉大撮影会(Part1)の為に、前日からママ御殿に宿泊させて頂くため、カメラバック(お泊りセット)を持って出勤となった。

その、あからさまに退勤後は遊びに直行な姿を職場の某氏に見られ、「もう心は週末かね」とか言われたモンだから…

「ええ、もう心は熊谷です」

と反射的に言い返してしまった。イカンなぁ、善良な市民(今年の重点課題)としては過激な受け答えをしてしもうた。同僚には「凡人には言えない台詞」と冷かされるし(汗)。

#2
充電時間が足りなかったのか、ポテ直前。屋上に行って30分急速充電。

#3
そういや、aimフリーWebを廃止する って噂を聞いたけど、会長のページはどうするんだろうか。

#4
さて、仕事も終わったので、北千住に直行。にほんばし亭にて合流。みなさん、半分出来上がっている…というのは気のせいという事にしておこう。電話によると、今晩はV−MAX★な人も後に合流して宿泊する事に…。

#5
北千住を後にして、ママ御殿までタクシーで直行する。その近所に、今回御厚意で使わせてもらうスタジオがある。すなわち実家ofママの写真館である。20畳ぐらいあり、吊りかけレールで可動するストロボ五灯(メイン、サイド、トップ、バック補助二灯)、その五灯の集中コントロールパネル、電動バックロール六種…どれもこれも個人レベルでは到底用意できないような贅沢な設備。うーん、マンダム(意味不明)

#6
なんやかんやと準備をしているうちに、弁吉、V−MAX★も集結し、全員集合。四匹の猫の出迎えなんか受ける。ママルールでは、風呂に入らないヤツは極刑との事なので、ずうずうしくも風呂まで頂く事に…。いやホンマ、頭が下がる思いである。猫四匹にも接待してもらったし。

#7
あうー、鼻水が苫小牧とまらない。ずびずび…。


1999年 5月15日

http://www2s.biglobe.ne.jp/%7Erokuhara/diary/199905a.htm#15
#1
モデルさんの調子を最優先、という事で、11:00頃にガストに行き、昼食。とりあえず、メガ盛りを注文するのはお約束か。

#2
12:00。いよいよ開始。メイクの時間を利用して、スタジオのライティングと、最初に使う背景の選択を行った。モデル登場…以後、怒涛のように撮影、着替、メイク、のループが回る。ワシはアシスタント兼ポラ係なので、要所のチェック用にポラロイドで撮影する。それにしてもウエストレベルファインダーで縦位置撮影は難しい。利き目が右(というか、左目は使い物にならんし。そこ、ポンコツってゆーなー)なので、左から構えるとファインダー内は左右上下逆像だもんな(笑)。

#3
写真館の主の、ママの実在パパが登場。「女はなぁ、誉めちぎって脱がせちまえ。服来てる時なんか、無駄だからカメラにフイルム入れなくていいんだよ、カラ写しだってわかりゃしねぇし…オレ、一応PTAの役員だから、さすがに高校生を脱がせるのは躊躇したけどな、ハッハッハ!」とてもとてもありがたい御教授を賜るのであった(笑)

#4
当初無理と思われていた20カット分の撮影が、深夜に終了。各々解散となり、お食事した後にくるみ邸に厄介になる。


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