第10回「Ryu杯」インフォメーション

 

 お待たせしました。
 遂にリリースしました。
 この先どんどん追加していきますので、チェキしてやってください。

 

1.開催情報(大会コンセプト、問題傾向編)(2002年8月14日リリース)

 今回はこの話題から。
 全てに関係しているので。

 前回の第9回Ryu杯では、初めて「長文系・短文系並立」というコンセプトのもと、参加者が好きなほうをチョイスしつつ戦ってもらうことができるようにモデルチェンジしました(決勝については両方ともやってもらいましたけど)。
 それは、Ryuが何度も何度も何度も言っているように、「長文系・短文系のどちらもクイズ。優劣なし」「本当の実力があれば、どちらでも勝てるはず」というポリシーに基づいたものです。

 そして、前回大会終了後、僕はこのHPでこうも語っています。

  せっかくある程度うまくいったことですし、もし仮に次回、第10回がいつの日にか開催されたとしても、
  この「長文系」「短文系」という区分けについては踏襲していきたいと思っています。細かいところを部
  分修正することはあっても。

 それでは、今回、第10回Ryu杯も、前回同様のコンセプトで実施されるのでしょうか?

 結論から言います。
 今回、第10回の大会のみ、このRyu杯は「短文系オンリー」とさせていただきます。

 決して長文系を軽んじているわけではありません。
 むしろ、自分としては「長文問題を作っていて、シビれるような前フリをつけることができたとき」のほうが、より喜びに震えることができるんですよ。いやホントに。
 「長文系・短文系のどちらにも優劣なし」、このポリシーは、いまだに自分自身の中では変わっていません。

 じゃあ、なぜ、前回同様のコンセプトを採らずに、今回だけは短文系オンリーなのか。
 理由は2つ。
  「TVで嬉しい思いをしたことにちなんで」
 そして、
  「TVで悔しい思いをしたことにちなんで」
 です。
 言うまでもなく、前者は「タイムショック21」、後者は「天」のことです。

 ここのところ、ひと頃の「冬の時代」がウソのように、TVでクイズ番組(ここで言う「クイズ番組」とは「我々一般人が参加できるクイズ番組」のこと)が多く制作・放映されてきました。
 そして、私も、そのなかでいろいろな経験をさせてもらいました。
 「タイムショック21」での、個人戦初のパーフェクト達成。
 「天」でのヘボさ大爆発(←これは当日収録会場にいた人しか知らないでしょうけど…)。

 その経験、決していい経験ばかりじゃなかったけれど、それによって私自身もまた1つクイズ屋として先に進むことができたような気がしています。
 「勝ちに驕らず、負けに腐らず」という姿勢を再認識することができたこと。
 そして、何より。
 最近久しく経験していなかった「緊迫感のなかでのガチンコ勝負」を味わうことができたこと。
 公共の電波に乗せて、我々クイズ屋同士の、魂揺さぶるファイトを見せつけることができたこと。
 幸せだったと思います。

 ちょっと話がズレます。
 先日、秋田と2人、某所からの帰路、私の車で同道する機会がありました。
 その車中で、第7回「史上最強のクイズ王」東日本予選のテープを2人で聴いたんですよ。
 で、それを聞いていて、どっちからともなく言って曰く、「…えらいテンポよく進んでるなあ」。
 また曰く「最近、こうしたインサイドワークが必要なクイズってやってなかったなあ」。

 今回の第10回Ryu杯に私が求めているもの。
 それは「見ている人が手に汗握るような、スリリングなガチンコ勝負」です。
 勝てば嬉しい、負ければ悔しい、この瞬間は2度とない、というコンペティションを見てみたい、と思ったんです。
 そのためには、ハイテンポな短文系の問題のほうがなじむと思ったんですよ。
 そう、「タイムショック21」や「天」で僕が味わったような。

 最初、今回の「オール短文系Ryu杯」を企画したとき、レギュラーの大会でなく、「日本史Ryu杯」みたいにイレギュラーな大会に位置づけしようかと思ったんですよ。
 「Ryu杯スプリント」とかいう名前で。
 でも、それはやめて、レギュラーの大会として扱うことにしました。
 なぜか。

 一口に「Ryu杯」と言っても、回によって性格は大きく異なります。
 TV時代の延長線上にあった第1回〜第4回。
 関西から難問が入り始めてきて、若干難易度が上がり始めた第5回〜第6回。
 Ryuが「怒涛の先端」を垣間見ることを欲したために、急加速で難化傾向を見せた第7回〜第8回。
 そして、今1度「自分にとっての最強とは?」を見つめ直し、「長文系・短文系並立」という新たなコンセプトを見出した第9回。

 これだけいろいろな性格のものがあっても、それらは全て「Ryu杯」として歴史を刻んでいます。

 今回、第10回Ryu杯が、前回の大会の例にとらわれず、TV時代と類似傾向にあったかつてのRyu杯に似通ったものになったとしても、それがRyu杯、つまり「Ryuの大会」であることに変わりはない。
 そう思ったんです。
 だから、あえてレギュラーの大会として取り扱うことにしました。
 「第10回」という区切りのいい大会ですし、かつてのクラシカルな(それでいて、ここのところまた盛んになってきた)スタイルで行うのもいいんじゃないかな、と思います。

 ただ、ここでお断り。
 繰り返しになりますが、私は、いまだに「長文系・短文系のどちらにも優劣なし」というポリシーは確固として持ち続けています。
 ですから、もし仮に、仮にですが、第11回Ryu杯を(かつての言を撤回して)開催することがあるとしたら。
 そのときには、かなり高い可能性で、第9回同様の「長文系・短文系並立」の大会に戻すと思います。
 まあ、今回の第10回Ryu杯の出来、そしてみなさんの反響を睨みつつ、ですが。

 そして、もう2つお話をば。

 まず1つ。
 「短文=ベタ」では決してありません。
 ラウンドが進むにつれて、豪速球のような難しめの問題も出題されることと思います。
 イメージとしては「水津本」でしょうか。
 まあ、「スリリングな勝負を見せる」というコンセプトが根幹として存在するので、序盤の難易度は上がらないと思いますが。

 そしてもう1つ。
 前回、第9回Ryu杯でもいくつか指摘を受けたのですが。
 「『短文系』と言ってるわりには、問題文は決して短くない」と。
 それにお答えして。
 「短文=単文」でも決してありません。
 1フリ程度ついた問題は随時出題するつもりです。
 かつての「史上最強」でも、そして、最近の「天」でもそうですし。
 問題文の長さとしては、概ねの目安として「60〜80字前後」を見ておいてください。

2.開催情報(ルール編)(2002年8月14日リリース)

 ルールについてですが、「オール短文系」の他に、もう1つ今回の第10回Ryu杯のミソをお知らせしましょう。

 今回のRyu杯では「完全トーナメント制」を採用したいと思います。

 「日本史Ryu杯」でも完全トーナメント制を採用しましたが、やっぱりトーナメントはスリルありますよ。
 トーナメントゆえに、山に笑う人、泣く人が出たり。
 そして、1vs1の対戦ゆえに、数多くのドラマが生まれてくれることでしょう。

 短文系問題ゆえに、番狂わせも少なくないでしょう。
 下剋上も数多く見られると思います。
 それでいいと思います。

 強い人が勝つのではありません。
 勝った人が強いのです。

 現時点でのルールは、次の通りを予定しています。
 詳細はまた追って。変更あるかもしれません。反響聞かせてくれると嬉しいです。

  1R.ペーパークイズ(全員→96)
  2R.1○1×(96→64)
  3R.2P先取(64→32)
  4R.タイムレース90sec.(32→16)
  5R.タイムレース180sec.(16→8)
  6R.新・ジャンル別GP(改訂版)(8→4)
  7R.バレーボールクイズ(4→2)
  8R.10P先取(2→1)
  ★ペーパー上位32人は2Rシード。
  ★「日本史Ryu杯」の優勝者・準優勝者(友澤誠二、千馬洋毅)は、2R優先出走とする
   (ペーパーシードではない)。

 「3Rもタイムレースにしようかな…」ともチラっと思ったりもしてるんだけど…。

3.開催情報(日程・会場編)(2002年8月14日リリース)

 …なんですが、日程・会場ともに、現時点では未定です。
 一応、2003年5月〜8月頃を考えています。
 仕事のカラミで流動的です。申し訳ないです。
 でもって、会場ももれなく未定です。すみません。

 これらについてもまた追って、ということで。

4.問題情報(追加)(2002年9月12日リリース)

 問題について、いろいろと問い合わせがあったので、ほんのちょっとなんだけど追加。

  イメージとしては「後期の『史上最強のクイズ王決定戦』で出題されたような問題」と以前ありました
  が、具体的にはどういう問題になるんでしょうか?

 という質問を数多く受けました。

 お答えします。

  「1フリ程度フリがあって、すぐストンと落ちるタイプの問題」と捉えておいてください。

 中目黒時代を知ってる方にとっては「それでもまだ長いよ…」と思うかもしれませんが、まあカンベンしてくださいな。

 私の師匠にして、「史上最強」の問題作成者の1人であらせられた大木一美さんも、かつて「1フリ程度の前フリ」に興味を持たれていて、問題作りに応用なさっていました(そのあたりのニュアンスが「後期の『史上最強』で出題…」という部分なんですよ)。
 また、最近の例では、「天」でも、直球ばかりでなく、1フリ程度ある問題はけっこう少なくなかったと記憶しています。

 要は、繰り返しになりますが「短文とはいっても単文ではない」ってことです(「単文が全くない」ってことじゃないですけど)。

 具体的な例を示してみましょうか。
 第9回の短文系コースで実際に使用した問題から。

  その附属中学校では教育実習も行ったという、「B'z」のヴォーカリスト「稲葉浩志」が卒業した関東
  地方の国立大学といえば何大学でしょう?

 もし次回のRyu杯が「短文=単文」だとしたら、問題文はこうなりますよね。

  「B'z」のヴォーカリスト「稲葉浩志」が卒業した関東地方の国立大学といえば何大学でしょう?

 「そこまで短くはない」ってことなんです。

 ここまでくると「個人個人の嗜好やセンスの問題」ってことになっちゃうかもしれないんですけど。
 でも、TVでも、実際には上記1問目ぐらいの長さの問題文は数多く出題されていると思いますよ。

5.開催情報(日程・会場編)(2002年12月17日リリース)

 ここにきて、ようやくアウトラインが見えてきました。
 まだまだ流動的なんですが、「暫定日程」ということでこの場を借りてリリースさせていただきたいと思います。

 第10回Ryu杯は、現時点では2003年9月13日(土)開催の予定でいます。

 ホントは「ヌマタ大先生優勝6周年記念」で8月23日にしようかと思ってたけど…新潟のみなさんに先越されてしまいました(笑)。まあ、あちらは「アイビスサマーダッシュの前日」ってしばりがあるからなかなか日程動かしづらいでしょうし、何よりこういうのって「早いもん勝ち」ですからね。こちらが後ろに移動することにしましたです。

 会場についてですが…今候補として考えている新しいところが1つあるんですよ。度肝を抜くことができるような(←できなかったりして(笑))。
 そこが取れればそこで。
 取れなければ前回と同じ「渋谷区代々木八幡区民会館」で。
 …てな感じで、現時点ではご承知置きください。

 ちなみに、その新しい施設の場所ですが…まだシークレットということでごめんなさい。チラッと予告だけしておくと、「名古屋・関西方面、それ以西から来る人にはあまり影響なし」「東北・新潟方面、それ以北から来る人には多少厳しめ(前日輸送をオススメ)」ってところでしょうか。関東勢は…ま、大丈夫でしょ。多少の有利不利はあるとは思いますけど。

6.開催情報(ルール編)(2002年12月17日リリース)

 ルールについてですが、3Rをいじることにしました。いかにメンツや制限時間が入れ替わるといえども、タイムレースを6セットも見せられたら「単調」かつ「胃もたれするぐらい重い」と思ったので(大会運営全般から考えると、タイムレースって超優良企画なんですけれどね。なにしろ時間配分が読みやすいうえに短期決着が相場ときているので…)。
 で、4Rはアタサヴァにしました。「おいおい、アタサヴァ4セットでも単調なのは同じことだろ」と言われる向きもあるかもしれません。まだまだ時間はありますし、検討続けていきたいと思っています。
 第4回「K−1」みたいに4セットそれぞれでルールを違うものにすることもちょっとだけ考えているのですが…。

 現時点で予定しているルールは、下記の通りです。

  1R.ペーパークイズ(全員→96)
  2R.1○1×(96→64)
  3R.2P先取(64→32)
  4R.アタック風サヴァイヴァル(32→16)
  5R.タイムレース180sec.(16→8)
  6R.新・ジャンル別GP(改訂版)(8→4)
  7R.バレーボールクイズ(4→2)
  8R.10P先取(2→1)
  ★ペーパー上位32人は2Rシード。
  ★「日本史Ryu杯」の優勝者・準優勝者(友澤誠二、千馬洋毅)は、2R優先出走とする
   (ペーパーシードではない)。

7.シンキングタイムについて(2002年12月31日リリース)

 2002年最後の更新になります。年が明けたら本格的に問題作りも始めないといけないなあ…。ま、頑張りますよ。

 今回はシンキングタイムについて。
 最近の大会ではあまりこれについて話題になることもなかったと思うんですよね。ていうか、最近の大会、特に長文系の大会では、シンキングタイムは比較的長く取る傾向があるかと思うんですよ。
 それはよく分かります。何しろ、問題文が長いので、「押したポイントまでの問題文自体をよく咀嚼して、続きと正解を導き出す」という作業に多少なりとも時間は必要でしょうし。それを否定するつもりは毛頭ありません(事実、私自身もシンキングタイムを長めに取ってくれたことに救われたことも何度もありましたし)。

 で、次回のうちとこの大会。
 今回は短文系オンリーですしねえ。「押したポイントまでの問題文を整理する」という作業はさほど必要ないと思うんですよね。
 それ以上に、次回の大会は「緊迫感のある大会にしたい」と思ってるんです。バカ押し、指の暴発には厳しく対処していくことが必要なんじゃないかな、って最近しみじみ思うんです。実名を挙げてしまって申し訳ないんですけど、「埼玉オープン」でそれを強く感じたんですよ(念のために言っておきますが、埼玉自体は決して悪い大会じゃなかったんですよ。ただ、そういう「荒れた押し」をする出場者が多かったのには閉口させられたというのもまた正直な気持ちでした…)。
 まあ、「バカ押し対策」には「誤答に厳しいルールを設定する」というのがまず第一なんでしょう。それはそれで反映させたルールにしていきますけど、シンキングタイムについてもここで予告しておきたいと思います。

 次回の第10回Ryu杯、シンキングタイムはほとんどないものと思ってください。
 名前を呼ばれたときに黙ったり言いよどんだりしたときには、カウントダウンなしにブザーを鳴らさせていただく場合があります。

 シンキングタイムに関連して思い出されるは、「史上最強のクイズ王」で正誤判定も担当していらっしゃった大木一美さんです。
 大木さん、ランプがついた解答者の表情を実によく見ていられてたんですよねえ。で、ちょっとでも「しまった」とか「分からない」といった顔つきをすると、その時点で情け容赦なくブザーを鳴らされてましたねえ。
 第7回東日本予選のときなんて特にスゴかった。法政大学のIくんという子が2×でとびリーチという局面で「ベートーヴェンの3大ピアノソナタといえば、『月光』/『熱情』…」とランプをつけたものの回答に詰まっていたら、もののコンマ数秒でブザー。このときばかりはみんなで「ヒドい!」と震えたものです。まあ、このIくんのケースは、1×目も2×目もけっこう暴発っぽいバカ押しだったので大木さんも「仏の顔も…」でソッコー失格にしてしまったのかもしれないですけど。

 次回のRyu杯、この私も、不肖の身ではありますが、大木さんの正誤判定のエッセンスを採り入れさせていただきたいと思っています。
 それによって、引き締まったタイトな大会になってくれることを期待しつつ。

 最後に、シンキングタイムにまつわる余談を1つ。
 シンキングタイムで思い起こされるクイズ屋がもう1人います。
 法政リバティOBの宮里吉徳。
 彼、問題の答が思い出せないと、とにかくしゃべりまくるんですよ。指をパチパチ鳴らしつつ。「…ほら、あいつ! あのフランス人」といった手合いに。
 で、ある日のこと。クイズやってたら、いつものように宮里が押して答えに詰まったんですよ。で、例によって、指パチパチ鳴らしつつ、「あいつあいつ! あのフランス人」。
 その瞬間にブザーが鳴って、出題者がキッパリと一言。
 「宮里さん、フランス人じゃありません」。

 しかし、物語はそこでは終わりませんでした。
 何問か後の問題、性懲りもなく指をパチパチ鳴らしながら「あのフランス人」を続ける宮里に、出題者笑いをこらえて一言。
 「…宮里さん、今回は正解、人名ですらないです」。

8.開催情報(日程・会場編)(2003年3月6日リリース)

 ハイ、「5.開催情報(日程・会場編)」で話していた「度肝を抜くことができるような」施設は押さえることができませんでした。「…その日は自主事業が開催される予定なんです」だとさ。残念。
 とはいえ、昨今にわかにオープンラッシュの様相を呈してき始めたこのご時世、早々に日程を確定させなければ各所にしわ寄せが行ってしまいかねないところ。ツラいんですが、ここは踏ん張って二の矢、三の矢を考えていかないといけません。
 次のヤマは3月13日です。「会場申請は半年前から」という施設がけっこうあるので。よさげな候補をいくつかピックアップしてリサーチしたうえでアクションを起こす予定でおりますです。というわけですので、日程・会場の確定まではもうしばらくお待ちくださいな。

9.開催情報(ルール編)(2003年3月6日リリース)

 またまたルールをいじることにしました。まあ、またこの先考えが変わって変更したり、従前通りのルールに戻したりする可能性も大ありなんですけど。あくまで「現時点での暫定ルール」ということでご承知置きのほどを。
 変更の最大の目玉、それは「ジャンル別は5R。しかも、16人一斉早押しで実施」という点です。早押し機の改造を高畠さんにお願いできそうな状況になってきたので、可能となりました。
 1つのラウンドで半分の8人がノーポイントとなるわけですから(言い忘れましたが、今シーズンから実施されるF1のレギュレーション変更に伴い、ポイントを獲得できるのは8人までということにします(笑))、1つの誤答によって出場者に跳ね返ってくるダメージはますます重くなる。さりとて、グズグズと待っているとポイントはゲットできない。…出場者泣かせですよね(笑)。自分が出場者の立場だったら「そんなんムチャだって。16人でなんかやってランプつくんかいな…」と泣き言の1つも言いたくなるところです。
 でも、これによって、ますますスリリングな戦いが展開されることでしょう。主催者としては、今回のジャンル別、楽しみでしょうがないんですよ。力の限りいい問題揃えて待ってますから、みなさん頑張ってここまで残ってくださいね。ホントに期待してますよ。
 また、このルール変更に伴い、タイムレースを4Rにスライドしました。これも16人ずつ2セットで実施。…これもまたランプつけるの至難の業かもしれませんね。スコアレスドローの対戦がいくつか出るかもしれませぬ(笑)。
 6Rから1vs1の対戦にするつもりです。ということなので、準々決勝・準決勝・決勝とはいってもベラボーには難易度は上げていかないつもりではいます。ま、前回並みってところ。難易度的に天井の問題は、むしろジャンル別の1・2問目ぐらいの局面のほうで出すようにします。

 もう1点大きな変更点。
 ペーパー通過者の人数を減らしました。8人減、−8%です。リストラだ首切りだ山田浅右衛門だと非難しないでくださいな。それでも88人も通過するわけだし。

 とどのつまり、今回の通過者減の最大の理由、それは「予選上位者に与えられるシードの変更」なわけなのです。1位〜4位のヒトぐらいは、3Rの2P先取も免除してもいいのかなあ…なんて思ってしまったので。いや、深い理由はありません。思いつきなんですけど。
 「いくらなんでも優遇が過ぎる」「ずっとシードでいきなりタイムレースじゃかえって不利」「たとえリスクがあったとしてもいっぱい勝負を楽しめたほうがいいのでは」など、いろいろな意見があるはずです。ぜひぜひ聞かせてください。こちらで。みなさんから意見をいただければ、元のルールに戻したり、さらにルール変更したり、と反映させていきたいなあ…と思っています。よろしくお願いします。いやマジで。

  1R.ペーパークイズ(全員→88)
  2R.1○1×(88→60)
  3R.2P先取(60→32)
  4R.タイムレース180sec.(32→16)
  5R.新・ジャンル別GP(改訂版)(16→8)
  6R.連答制サヴァイヴァル(8→4)
  7R.バレーボールクイズ(4→2)
  8R.10P先取(2→1)
  ★ペーパー1位〜4位は2R・3R、5位〜32位は2Rシード。
  ★「日本史Ryu杯」の優勝者・準優勝者(友澤誠二、千馬洋毅)は、2R優先出走とする
   (ペーパーシードではない)。

10.開催確定について(2003年4月12日リリース)

 …いやはや、お待たせし続けてたいへん申し訳ありませんでした。やっとこさで確定です。
 当初予定していた9月13日は抽選ではずれ(確率1/2だったのに…)、次に予定していた10月11日は施設の主催事業があって予約NG。で、次の候補日でなんとか押さえることができたという次第でして…。
 日程は、10月12日(日)になりました。3連休の中日ですね。前日も翌日も休みだから、かえって東京以外の方には参加しやすくなったかもしれませんね。せっかくの3連休なのに私のほうでいただいちゃって申し訳ないような気もしますけど、「東京見物のついで」みたいな感覚で気軽に参加していただけると嬉しいっす。
 会場は…今回は初めて使用させてもらうところ。「川崎市民プラザ」のホール。下見行ってきたけど、ここはホントにスゴいですよ。Ryu杯ごときに使うにはもったいないぐらい(笑)。イメージとしては…遠藤が優勝した98年マンオブの会場みたいな感じ、ってところかな。ま、第10回のメモリアル大会だし、豪勢に…と思ったはいいけど、これで参加者総数50人ぐらいだったら悲しすぎるなあ。Maxで500人近く入るホールだし。せめて150人ぐらいは集まってくれないと…。
 あと、施設が豪華なのはいいけど、ちょち場所が都心から遠いんですよ。川崎市高津区。ただでさえ所在地が都心から遠いのに、そのうえ最寄駅からバスで移動しなきゃいけないところに施設があるという…。特に千葉、埼玉にお住まいのみなさん、ご不便おかけします。多分ここ使うの今回だけだと思いますから、カンベンしてください。

 というわけで、今回の第10回Ryu杯の開催要項は、次のとおりです。

   ・日時:2003年10月12日(日)11:00開場、11:30開演、19:30終演
       (いずれも予定。特に、終演時間については、なるべく早く終わらせるようには努めます
        が、まあ20:00くらいは見積もっておいてください。特に関東以外から参加される方)

   ・場所:川崎市民プラザホール(ふるさと劇場)
       (東急田園都市線梶が谷駅下車、バス5分、または東急田園都市線溝の口駅・JR南武
        線武蔵溝ノ口駅下車、バス10分、いずれも「市民プラザ」下車)
       ★詳細はこちらをご覧ください(バス時刻表などの細かいインフォメーションあり)。
        バスの時間帯によっては「4人ぐらいでタクシー乗り合わせる」ほうが早いかもしれませ
        ん。事と次第によってはそのうえ安かったりして。

       (関東以外から参加される方へ)
        今回、会場が都心からやや離れたところにあります。
        そのため、関東以西から参加される方と、東北、上信越方面から参加される方とは最
        短ルートが異なっています。
ご注意ください。

        (1)関東以西から参加される方
        今回は新横浜駅で下車したほうがベストです。いろいろ検索かけてみたり、10月1日
        の新幹線品川駅開業を睨んだりもしてみたんですが、そういう結論になりました。
        新横浜駅からの推奨ルートは次の通りです。これも何通りかあるのですが、時間的に
        1番早いのはこれだという結論になりました。

         新横浜−(横浜市営地下鉄)→あざみ野−(東急田園都市線)→梶が谷

        ※新幹線を降りてから梶が谷に着くまで45分程度を見ておいていただければいいと思
         います。
        ※梶が谷駅には田園都市線の急行は停車しません。ただ、急行が来てしまった場合に
         は「乗ってしまって、溝の口まで行ってしまう」というテもあります。ケースバイケース
         なんですけど…心配なら次の各駅停車を待ったほうが無難かもしれません。
        ※当日輸送の場合ですが…10月1日の品川駅開業に伴ってダイヤが改正されると思
         います。申し訳ありませんが、今回は各自でお調べください。
         参考までに…現在のモノを。
         <のぞみ4号>
           広島(6:25)−岡山(7:05)−新神戸(7:39)−新大阪(7:54)−京都(8:10)
           −名古屋(8:48)−新横浜(10:10)

         ただし、新横浜駅着がこの時間だと、開演ギリギリになってしまう危険性もあります。
         新大阪以東の方はこの電車の1本前の「のぞみ42号」(新横浜着9:43)、それ以西
         の方は「始発の上りに乗って新大阪でのぞみ42号に乗り換え」あるいは「思い切って
         前日輸送(笑)」をお勧めします。

        (2)東北、上信越方面から参加される方
        検索かけてみた結果、東京駅回りの以下のルートがよいかと思います。

         東京−(JR山手線)→新橋−(営団地下鉄銀座線)→表参道−(営団地下鉄半蔵門
         線・東急田園都市線直通)→溝の口(or梶が谷)


        ※新幹線を降りてから溝の口に着くまで45分程度を見ておいていただければいいと思
         います。
        ※表参道駅の乗り換えは「ホームを挟んで反対側」ですのでカンタンです。なお、半蔵
         門線→東急田園都市線は直通運転ですのでこれまたノープロブレムです。
        ※溝の口駅には田園都市線の急行は停車します。ご安心あれ。ただ、乗った電車が各
         駅停車だった場合は、1つ先の梶が谷まで行ってしまったほうがいいかもしれません。
         事と次第によっては施設まで歩くこともできますし(笑)。
        ※当日輸送の場合は、(東海道新幹線のダイヤ改正に連動しての改正がなければ)次
         の新幹線がベターだと思います。ご参照ください。
         <やまびこ2号>
           盛岡(7:30)−仙台(8:15)−東京(9:51)

         停車駅が少ないので、途中駅から乗る場合は「やまびこ32号」(東京着10:20)がベ
         ターかと思います(ただし開演ギリギリになる危険性も…)。
         <Maxあさひ2号>
           新潟(8:07)−長岡(8:26)−越後湯沢(8:49)−東京(9:55)

         停車駅が少ないので、途中駅から乗る場合は「あさひ402号」(東京着10:24)がベ
         ターかと思います(ただし開演ギリギリになる危険性も…)。

   ・参加費:未定(思案中)
   ・その他:当日は、筆記用具・案内ハガキ(エントリーを受け付けた旨の)をお持ちください
         また、問題集その他の売買は禁止だそうです。一応お知らせしておきます。

11.エントリーについて(その1)(2003年4月12日リリース)

 今回も「原則としてエントリー要」とさせていただきたいと思います。
 エントリー制を採用するに至った経緯については、前回「第9回Ryu杯インフォメーション」で熱き心のままに((C)B'z)語らせていただきましたので、そちらをご覧ください。あれが私の言いたいことの概ね全て。
 実際のところ、準備段階でどれだけの参加があるか把握していないと、とても不安なんですよ。かつてさる大会で「予想以上の参加者が駆けつけて、用意してきたペーパーの問題用紙・解答用紙が足りなくなってしまって近くのコンビニにコピーしに走った」なんて事態を経験したこともありますし(…まあ、「嬉しい悲鳴」と取るべきなんでしょうけど)。
 今回、会場のキャパだけは余裕であります。いや、余裕なんてもんじゃない。超超超超余裕だな。何しろどう見積もっても空席のほうが多い勘定なんだから(笑)。だから、当日の飛び込み参加だって、受けて受けられないことはないんですよ。むしろ大勢来てくれることは歓迎したいぐらい。
 「じゃあ、なんだってエントリーなんて縛りをつけるのか?」って聞かれそうですね。
 初めての方も、そうでない方も、もう1度こちらをぜひぜひご覧ください。

 いろんな刷り物関係だって、余分に刷っていきゃいいんでしょうけど、紙はタダじゃありません。第一、カネのこと語る以前に、ムダ使いはもったいないでしょ? 環境省のヌマタ大先生に怒られちゃいますですわよ(笑)。
 だから、なるべく「最大限必要な値キッカリに近いギリギリの数」で用意していきたいんですね。
 そのためにも「エントリー制」を活用させていただけたら、と考えているんです。
 まあ、それが主たる理由じゃないんですけど…。

 いろいろな考え方があるかとは思います。
 それでもあえて言います。
 「ぜひ、ご協力ください」と。

 早めにエントリー済ませると、前回みたいにいいことあるかもしれませんよ。な、松本?

 エントリー方法については、追ってお知らせします。
 受付開始の時期も。
 マメにここのコンテンツチェックしてやってください。

 (ちなみに、まだエントリー受付してませんよー。「焦っちゃいやーん」ってことでよろしゅ)

12.エントリーについて(その2)(2003年4月30日リリース)

 さって、お待たせいたしましたです。
 肝心のエントリー方法をお知らせします。

 このページを見られる環境にある方は、メールにて次のとおりの書式でお知らせください。

   ・氏名
   ・郵便番号
   ・住所
   ・電話番号(携帯・PHS推奨)
   ・出身校(学生の場合は在学校・学年)
   ・所属サークル(もしあれば。もちろん、なくても一向に可)
   ・三題噺(お題:「ボタン」「指」「そこに山があるから」)(←書けなければムリにとは言いませんの
    でご心配なく。空欄でエントリーしてください。ただ、私が独断と偏見で「面白い」と感じた作品書
    いてくれた人には、何らかの形でその労に報います)

を明記したうえ、こちらをクリックしてメールを送信してください。
   ★メールの表題は「第10回Ryu杯エントリー」でお願いします。
   ★折り返し、案内のハガキを郵送する予定です。なお、大会当日には、そのハガキもご持参くだ
    さい。
   ★締め切りについては、今のところ、9月30日(火)を考えています。ただし、エントリーの総数が
    こちらが想定した数を大幅に下回るという悲ちい事態が勃発した場合は、延長することも検討
    します。

 このページを見られない環境にある方のエントリー方法については、別にお知らせしていくつもりです。もし、これを見ている方で「自分にはパソコン見られる環境にない知り合いがいる」という方は、このコンテンツをプリントアウトしてその知り合いの方に見せてあげてくださると、とてもありがたいです(←と第9回のインフォメの文章をそのままペーストしてみたりして)。

 気づいた点があったら、今後ドンドン追加していきます。

 最後に。エントリー受付開始ですが…。
 「5月1日 0:00から」とさせていただきます。
 さあ早い者勝ちだ! 今回のエントリー1番乗りは誰だ?

13.ここで…ちょっと話題転換(2003年5月9日リリース)

 ちょちRyu杯からは話がはずれます。ただし、全く無関係ではありません。ブーメランみたいにグルーっと回って結局Ryu杯関係に戻ってくるようなお話。

 このゴールデンウィーク、2つのオープン大会に参加しました。
 どちらも良質の大会でした。
 そこで思ったことをいくつか書きます。といっても、プレイヤーサイドから視点じゃなく、プロデューサーとしての視点で。

 まず日高の「Quiz Road Cup」。
 「短文といっても、単なるベタオンリーにはしたくない。自分なりに新たな境地を開いた問題を少しでも多く作り出していきたい」。これは日高が常々僕に言っていた問題作りに対しての考え方。
 その考え方を具現化したオープン、それが「Quiz Road Cup」だったと思う。
 問題に対して、そしてクイズそのものに対して日高が日頃から持ち合わせている真摯な姿勢。それがよくにじみ出た大会だったと思う。
 日高に対して「こいつはすげーなー」と僕が舌を巻くのは、そのような「クイズに対する情熱」溢れる姿勢。
 それが、プロデューサーとしても、そしてもちろんプレイヤーとしてもクイズ屋日高大介に対しての魅力になっていると言っても過言ではないだろう。
 シンプルで、かつオーソドックスな大会だった「Quiz Road Cup」。でも、だからといって参加者が満足しなかったかといえば、答えは「否」。「オーソドックスな大会だった」ということは、言い換えると「ほとんどケチのつけどころのない大会」だったということ。さすがだと思った。同じようなことの繰り返しになるけど、ものすごい熱気溢れる大会だった。日高の気合と実力のほどが伝わってくる大会だった。
 この大会で印象的だったのは、みんな敗戦をとても悔しがっていたということ。特にいしのさんの悔しがりようはスゴかった。
 「勝ちたい大会」とは、イコール「いい大会」なんだろう。そんな大会を構築しえた日高は、やっぱり大したヤツだと思う。

 一方、三木くん主催の第5回「勝抜杯」。
 かねてからいい大会だいい大会だと噂には聞いていたけれど、なかなか参加する機会がない大会だった。あまつさえ、前回は「日本史Ryu杯」とバッティングしてしまったし。
 今回初めてこの大会に参加するに当たって、プレイヤーサイドとしての個人的な目標(もちろん「優勝」!)とは別個に、プロデューサーサイドとしても目標を持ち合わせていた。これだけ評判になっている大会だけに「どこがいいところなのか徹底的に観察して、いいところは積極的に盗んでやろう」という思いを。
 で、大会を完走してみての感想。
 噂に違わぬ大会だった。まず、三木くんによる開始前の1人1人に対してのお出迎え。話には聞いていたけれど、やっぱスゴいと思う。自分には大会直前にそれだけの余裕があるとは思えない。大したもんだ。単純なことだけど、参加者に対しる主催者の気持ちが伝わってくるよね。
 あと思ったこと。
 「三木くん、すごいこの大会に自信と愛情を持ってるんだな」と。
 主催者が100%の自信と愛情を持ちえない大会を、参加者は楽しむことはできない。
 前回、第9回Ryu杯の準備・本番を通して思い知らされたこと。
 それをごくごく当たり前のようになしえている三木くん。
 やっぱり大したもんだと思う。
 もっとも「大会自体も、自信を持つだけにふさわしい内容である」ってことなんだろうけど。
 細かい点でもいくつか「盗むべきところ」は見つけたんだけど、それは…まあここでは割愛させてもらうということで失礼。

 自分も、これら2つの大会に参加して、自分なりに感じたこと、
 そう、「大会主催者とはいかにあるべきか」、
 それを今1度考え直して、10月12日、参加者のみなさんの前に姿を現したいと思う。
 次回の第10回Ryu杯。
 終了後、みなさんに「Quiz Road Cup」や「勝抜杯」終了後と同じような気持ちを持ってもらうことができるのであろうか…。

14.エントリーについて(その3)(2003年5月27日リリース)

 エントリー…伸びていません(苦笑)。

 「明大オープン」の席でいろいろな人に理由をリサーチしてみました。
 みなさん、来てくださるお気持ちは持っていただいているようで、とりあえずはホッと一安心。

 では、なぜにエントリーが少ないのか。
 「時期的にまだ早過ぎて予定がハッキリと立たない」ってのも大きなファクターだと思います。
 それに関しては一言。
 「都合がつかなくなったらエントリー取り消ししていただくのは一向構いませんので、とりあえずエントリーしておいていただけるとありがたいです」。

 それ以上に大きなファクター。
 それは…。
 「三題噺」の存在…みたいです。

 「いや、三題噺が書けなくて…」という声、思いの他に多かったんですよねえ…。

 一応、こちらサイドとしましては「書けなければムリにとはいいません」とは書かせていただいていたんですけど、みなさん「…せっかくだから、三題噺も書いてみたいし」と言ってくださる方がけっこう多くて。
 ありがたいです。
 ちょっとした遊び心で追加した項目なのに。
 楽しみに待たせていただきます。

 ただ、ただ…なんですけど。
 もしよろしかったら、「三題噺は後日別便にて」という形で、先にエントリーだけ済ませていただけると、とてもありがたいです
 (そのように明言して先にエントリーだけ済ませてくださった方も何人かいらっしゃいます)
 勝手言って申し訳ありませんが、よろしくお願いします。

 ところで。
 「三題噺」について、内容の質問をいくつかいただいてます。
 別に真面目な内容のものじゃなくていいんですよ。
 「マスコミ入社試験風の創作文」とでも捉えておいてくださいな。
 (懐かしいなあ。小学館の入社試験で書かされてから早12年…)

15.開催情報(ルール編)(2003年5月27日リリース)

 毎度恒例の(笑)、現時点でのルールのリリースです。
 ペーパー通過者の人数、元に戻しました。いろいろ考えたんですが、結局「過剰な優遇はしないで、コンペティティヴな勝負を見せてもらう」ことにしました。
 ただ、それによって、本来残ってもらいたいところの上位通過者が短期決戦で次々と波乱の犠牲になるのは、私としても好ましくないと考えます。ガツンとした骨太のルールでじっくり戦ってもらって、それによって持てる力を発揮してもらうべきであると心得ます(それで結果として下位の参加者が下剋上を達成したとしたら、それはもう、下位の参加者のほうが天晴れだ…ということで)。

 ということで、3Rは「3P先取」に変更します。
 これなら実力が反映されやすいですからね。
 問題作り…たいへんなんですけど、あえて自分にも厳しいノルマを課すことにします。
 大会を納得いくものにするためですからね。

 もう1つ。
 4R.タイムレースは「8人ずつ4セットで実施」に戻します。
 理由は単純です。
 「バカ押しばかりがまかり通る、ニセモノのタイムレースなんて見たくない」からです。
 16人でやると、どうしてもムチャして解答権取ろうと「荒れた押し」する参加者が増えてきてしまいかねないですしね。
 キラリと光る、ホンモノのタイムレースを見てみたいと思っています。
 そのためにも、「これぞ!」という問題揃えていくべく、努力していきます。

 ちなみに、5R.新・ジャンル別GP(改訂版)は、予定通り「16人一斉に実施」で行います。
 ある程度ふるいにかけられたメンバーですし、バカ押しはさほどないと思うんですよねえ。
 よしんばバカ押しする人がいたとしても…このジャンル別のルールじゃ絶対勝ち上がれないと思いますし。

  1R.ペーパークイズ(全員→96)
  2R.1○1×(96→64)
  3R.3P先取(64→32)
  4R.タイムレース150sec.(32→16)
  5R.新・ジャンル別GP(改訂版)(16→8)
  6R.連答制サヴァイヴァル(8→4)
  7R.バレーボールクイズ(4→2)
  8R.10P先取(2→1)
  ★ペーパー1位〜32位は2Rシード。
  ★「日本史Ryu杯」の優勝者・準優勝者(友澤誠二、千馬洋毅)は、2R優先出走とする
   (ペーパーシードではない)。

16.開催情報(問題傾向編)(2003年5月27日リリース)

 すみません。
 もう1度だけ念押しさせてください。

 「短文といっても、単文ではありません」って。

 あと、ビミョーに長い問題もチラホラ出てき始めました。
 第9回で実際に使用した問題を例に出せば、この程度。

  ルービックキューブが発売された2年後の1982年に発表された、マス目が4×4と増やされた新型
  キューブで、考案者の「エルノ=ルービック」博士からの「復讐」という意味の名前がつけられたも
  のは何でしょう?                                  (ルービック・リベンジ)

  塩素を発見したことでも知られるスウェーデンの化学者で、「ジョゼフ=プリーストリー」より2年前
  に酸素を発見していたものの、本の出版が遅れたために彼に栄誉を奪われてしまった人物は誰で
  しょう?                                (カール=ウィルヘルム=シェーレ)

 「『60〜80字程度』という基準によらず、この程度の長さの問題は出題されることもある」とご承知置きください。
 「それじゃもはや短文じゃない!」と言われるなら…「看板に偽りあり」になってしまいかねないので、その際は看板架け替えます。
 「短中文の最強決定戦」と。

 でも、クドいようですけど…かつて『史上最強のクイズ王』でもこの程度の長さの問題は出てたと思うんですけどねえ。
 これぐらいならアリにしといてやってくださいな。

17.読みもの(その1)「過去の大会結果」(2003年6月23日リリース)

 ここで、新たに「読みもの」をば。
 過去の大会を振り返りたいと思います。

 ま、今回の大会は、過去の大会それぞれとはかなり違った性格を持った大会になることとは思いますけど、ここで参考までにそれぞれを紹介させていただければ、と。

 <第9回>
     2000年12月23日、渋谷区代々木八幡区民会館
     参加人数:99人
     ペーパー1位:秋田芳巳(東京大学OB)
     Winning Answer:「南京の基督」
     【大正9年7月の『中央公論』で初めて発表された、年老いた父親を養うために売春婦になっ
      て梅毒に感染した15歳の少女「宋/金花」が…(彼女の信仰するキリストに似た男に身を
      任せることによって奇跡を感じるというストーリーの「芥川龍之介」の短編小説で、1995年
      に日本・香港合作で映画化され、作品中で金花を演じた「富田靖子」がヌードを披露したこ
      とで話題になった作品といえば何でしょう?)】

    ・優勝……秋田芳巳(東京大学OB)
    ・準優勝……田中伸之(東京工業大学OB)
    ・第3位……沼田正樹(慶応義塾大学OB)
    ・第4位……能勢一幸(一橋大学OB)
    ・第5位……塚本丈二(東京大学4年)
    ・第6位……春日誠治(明治大学OB)
    ・第7位……牟禮大造(立命館大学OB)
    ・第8位……樋口知彦(明治大学4年)

 今1度「Ryu杯とは何か?」「大会とはどうあるべきか?」を見直して再構築した回。1999年夏からの1年ちょっとにわたるクイズ休業も、今となっては大会を考えるいい機会になってくれたのではないかと思える。そこで導き出された方法論、「短文・長文の並存」は、ある程度の成果を見せられたと自負している。大会のフタを開けてみれば、秋田が他を問題にせず、この大会V3。決勝で戦った沼田が秋田に語って曰く、「今日のアンタにゃ何度戦っても勝てんわ」。決勝のメンバーの豪華さには驚愕。全員合わせてオープン46勝(当時)、この大会だけでものべ5勝だもんなあ。

 <第8回>
     1998年12月19日、目黒区福祉センター
     参加人数:103人
     ペーパー1位:牟禮大造(立命館大学4年)
     Winning Answer:「ジーン=ハーロー」
     【映画会社「MGM」はグラマーぶりを強調するために彼女にブラジャーをつけさせなかったと
      いう、本名を「ヘレン=カルパンティエ」という女優/で、…(1931年に『地獄の天使』という
      作品で娼婦役に抜擢され、豊満な乳房と豊なブロンドヘアーでたちまちセックスシンボルと
      して人気となったものの、37年6月7日、映画『サラトガ』の撮影中に腎臓障害から来る尿毒
      症のために26歳の若さで世を去ったのは誰でしょう?)】

    ・優勝……牟禮大造(立命館大学4年)
    ・準優勝……小川雄之(大阪市立大学OB)
    ・第3位……鈴木雅也(明治大学5年)
    ・第4位……石川貞雄(東京農工大学2年)
    ・第5位……横田薫(大阪大学OG)

 「難易度が高すぎた」「決勝で問題を使い切っての決着はどうか」などいろいろと物議をかもしだした(らしい)回ではあるものの、この回で出した問題も自分自身としては「決してピント外れのものではなかった」と今でも思っている。こういう方向性も「選択肢の1つ」としてはありではないかと。Ryu杯がそれにふさわしいかどうかは別として。ディフェンディング・チャンピオンの沼田は就職試験を控えてクイズ休業中で欠場。波乱の連続の勝負を制したのは予選1位からスタートした牟禮大造。決勝の勝負中、「ジーン=ハーロー」を正解したときの目は実にいい目をしていた。大会8回目で優勝トロフィーが初めて箱根の山を越えていく結果に。

 <第7回>
     1997年8月23日、目黒区福祉センター
     参加人数:131人
     ペーパー1位:堀家敦(神戸大学OB)
     Winning Answer:「西徳二郎」
     【薩摩藩出身の外交官で、明治31年、第3次「伊藤博文」内閣の外務大臣に就任、駐日ロシア
      大使「ローゼン」との間に「朝鮮問題に関する議定書」を調印し、後に男爵の位を受けた、そ
      の3/男に…(ロサンゼルスオリンピック馬術競技で金メダルを獲得した「西竹一」がいるの
      は誰でしょう?)】

    ・優勝……沼田正樹(慶応義塾大学2年)
    ・準優勝……池田忍(慶応義塾大学OB)
    ・第3位……大村哲也(室蘭工業大学OB)
    ・第4位……関口仁(東京大学OB)
    ・第5位……牟禮大造(立命館大学3年)

 問題難易度がそれまでと比べて飛躍的に上昇したという意味で、ターニング・ポイントとなった回。自分としては「参加者のニーズがそこにある」と踏んだうえでのチョイスだったんだけど。大会本番は、ディフェンディング・チャンピオン秋田の欠場で混戦が予想されたものの、終わってみればまさに沼田正樹の1人舞台。ステージ上でも、それ以外でも、うるさいくらいに誰よりも存在感を見せつけての内容。歴戦のプレイヤーたちも足が止まった決勝の難問も涼しい顔で正解を重ねていき、2位と5点差の圧勝。オープン初制覇を遂げた。「この日の大会は全て沼田のために用意されてたステージだった」とコンパである人がつぶやいていたのが印象的だった。

 <第6回>
     1996年8月31日、目黒区福祉センター
     参加人数:110人
     ペーパー1位:秋田芳巳(東京大学OB)
     Winning Answer:「理事長」
     【一般の普通銀行の「頭取」に/あたる、…(信用金庫のトップのことを何というでしょう?)】

    ・優勝……秋田芳巳(東京大学OB)
    ・準優勝……上野裕之(東京大学OB)
    ・3位…堀家敦(神戸大学OB)
    ・4位……石貫能和(大阪大学OB)
    ・5位……吉屋大樹(慶応義塾大学4年)

 ドラマティックな展開が多い回だった。「アスワン怒涛の3連取勝ち抜け」「能勢さん神業的な2回目の敗者復活」などいろいろあったものの、そのなかでも、3R逆ドミニカ、ディフェンディングチャンピオンの田中伸之と上野のサシの勝負、「全血献血」でノビを葬り去った上野のパワープレイは1番しびれた。2度続けて同じ相手には負けられない、上野の気迫を感じずにはいられなかった。決勝では、秋田、上野が壮絶な叩き合いを再現。が、終始勝負の主導権を握っていた秋田が終盤抜け出し、大会V2。秋田は第2回から5回連続の予選1位もマークし、この大会との相性のよさを証明した。

 <第5回>
     1996年3月2日、中目黒スクエア
     参加人数:123人
     ペーパー1位:秋田芳巳(東京大学OB)
     Winning Answer:「たんせい」
     【日本で1番最初に打ち上げられた人工/衛星は…(「おおすみ」ですが、2番目に打ち上げ
      られた人工衛星は何でしょう?)】

    ・優勝……田中伸之(東京工業大学大学院1年)
    ・準優勝……黒巣弘路(法政大学2年)
    ・3位…堀家敦(神戸大学OB)
    ・4位……上野裕之(東京大学OB)
    ・5位……金谷竜太郎(一橋大学3年)

 大本命の秋田、ディフェンディング・チャンピオンの上野が3Rで相次いで敗れる波乱の展開。しかし、上野は敗者全員によるトーナメントで神がかり的ともいうべき復活劇を見せる。決勝は3人が9点で並ぶ大混戦。それを制したのは、関東のオープン大会を総ナメにしていた田中伸之。初参加初優勝。ノビの強さがひときわ際立っていた大会だった。準優勝はデカダンスなプレイスタイルが板につき始めていた黒巣。この回から関西勢の参戦も目立ち始め、堀家が3位に入る。

 <第4回>
     1995年3月4日、中目黒スクエア
     参加人数:84人
     ペーパー1位:秋田芳巳(東京大学4年)
     Winning Answer:「沸騰石」
     【ビーカーに液体を入れて加熱したときに、液体が激しく煮え立つのを/防ぐ…(ために入れる
      素焼きの石のかけらなどのことを一般に何というでしょう?)】

    ・優勝……上野裕之(東京大学4年)
    ・準優勝……秋田芳巳(東京大学4年)
    ・3位…那谷明弘(慶応義塾大学5年)
    ・4位……山根幸治(筑波大学4年)
    ・5位……吉屋大樹(慶応義塾大学2年)

 大雪の降りしきるなか行われた回。ディフェンディング・チャンピオンの秋田。その盟友の上野。2人の熱い戦いは、決勝という舞台で最高潮のヒートアップを見せる。秋田が正解すれば上野が返し、上野が前に出ようとすれば秋田が食らいつく。壮絶な叩き合い。勝負の明暗を分けたのは何だったのか。多数のオープン優勝経験がある秋田と、未勝利の上野。「沸騰石」は、勝利にかける執念だったのか。上野は嬉しいオープン初制覇。

 <第3回>
     1994年3月5日、中目黒スクエア
     参加人数:100人
     ペーパー1位:秋田芳巳(東京大学3年)
     Winning Answer:「伏見城」
     【「徳川家康」が亡くなったお城は「駿府城」ですが、/「豊…(臣秀吉」が亡くなったお城は何
      城でしょう?)】

    ・優勝……秋田芳巳(東京大学3年)
    ・準優勝……鷹羽寛(ホノルルクラブ)
    ・3位…斉藤喜徳(早稲田大学OB)
    ・4位……上野裕之(東京大学3年)
    ・5位……小川悟(一橋大学4年)

 関東に迫り来る「世代交代」の波。草間宏貴、根岸潤、緒方創造など、関東をリードしてきた「44年組」が次々と敗れる。最後の砦能勢さんも、準決勝のボードクイズで敗退。大会を制したのは、前回に続いて予選1位からのスタートとなった秋田芳巳。3R開始前の「優勝宣言」を実行してみせ、堂々のポール・トゥ・フィニッシュ。「平成3年入学組」の当時3年生が多数活躍し「最強世代」をアピールした。ディフェンディング・チャンピオンの小川は決勝で失格。個人的には、大会途中に司会やってて倒れたことも忘れられない思い出。

 <第2回>
     1993年3月6日、目黒区緑ヶ丘区民会館
     参加人数:72人
     ペーパー1位:秋田芳巳(東京大学2年)
     Winning Answer:「トッグル」
     【ダッフルコートな/どにつ…(いている、釣りの「浮き」のような形をした木でできたボタンのこ
      とを何というでしょう?)】

    ・優勝……小川悟(一橋大学3年)
    ・準優勝……藤井和彦(慶応義塾大学2年)
    ・第3位……木下和彦(早稲田大学3年)
    ・第4位……宮里吉徳(法政大学3年)

 「自分の問題を関東のトップクラスのプレイヤーにぶつけてみたい」という野望のもとに、前回とはうって変わって大会をフルオープン化。関東でのオープンブームの嚆矢となったのは「一橋オープン」とうちの大会だと言っても過言ではないんじゃないかな。フタを開けてみれば、社会人トッププレイヤーたちは3Rで全滅。若手の台頭が目立つ結果となった。当時関東でスピードキングとして名を売り始めていた一橋の小川悟が並み居る社会人プレイヤーを蹴散らして優勝。「トッグル」の押しは今日のタイムレースでも充分通用する押しだろう。結局決勝進出したのは全員学生。今のオープンでは考えられん。

 <第1回>
     1991年12月11日、早稲田大学7号館
     参加人数:51人
     ペーパー1位:山崎淳也(早稲田大学3年)
     Winning Answer:「足利義満」
     【来年(1992年)は、日本の「南北朝」が1つになって600年目です。さて、南北朝が1つにな/っ
      た…(ときの室町幕府の将軍は誰だったでしょう?)】

    ・優勝……山崎淳也(早稲田大学3年)
    ・準優勝……高野泰宏(早稲田大学4年)
    ・第3位……松島淳也(早稲田大学1年)
    ・第4位……門口浩一(早稲田大学3年)

 「卒業記念に、N.Y.Club(注.当時の早稲田大学クイズ研究会で行われていた、今の「紺碧」のはしりとも言える実力増強のための例会)で大会をやらせてほしい」と後輩にお願いしてやらせてもらった大会。というわけで、「早稲田の例会」であった以上当然クローズドの大会。勝負は、本命と目された当時の早稲田最強プレイヤー門口浩一を抑えて、もう1人の早稲田の雄山崎淳也が予選1位から完勝。ペーパーが圧倒的に弱く「史上最強」や「FNS」で何度も予選落ちしていたこいつの予選1位は本当に珍しい。余談だけど、大会開催日は卒論締め切り5日前。そんな状況で大会開催しようなんて、今思い出してみても気がふれているとしか思えない。どっちも恙なく終わったからいいようなものの。

 <日本史Ryu杯>
     2002年3月23日、渋谷区代々木八幡区民会館
     参加人数:34人
     ペーパー1位:鈴木亮(早稲田大学OB)
     Winning Answer:「北原怜子」
     【父は高崎経済大学学長も務めた経済学博士の「金司」、昭和33年1月23日、腎臓病のためにわ
      ずか28歳の若さで他界した女性で、昭和25年、「ゼノ=ゼブロフスキー」修道士と出会ったことが
      きっかけで、隅田公園内にあった通称「アリの街」に単身飛び込み、/…(街の浄化と子供たちの
      福祉のために献身的な奉仕活動を行い「アリの街のマリア」と呼ばれた人物は誰でしょう?)】
     ★2004年10月22日、北原怜子さんのご家族の方からのご指摘を受け、一部問題文を修正しました。
      誤りをお詫び申し上げるとともに、ご指摘くださったことを感謝いたします。

    ・優勝……友澤誠二(京都産業大学4年)
    ・準優勝……千馬洋毅(立命館大学OB)
    ・第3位……鈴木亮(早稲田大学OB)
    ・第3位……上野裕之(東京大学OB)

 「自分でも競技日本史系オープンを開催してみたい」という欲望がヒシヒシと湧き上がるのを抑え切れず、第10回を後回しにして開催したイレギュラーの「もう1つのRyu杯」。仕事上の都合で「勝抜杯」と日程がバッティングしてしまったのはかえすがえすも残念だった。企画、問題、勝負、どれを取ってみても、競技日本史系オープンで最高峰のものであったと自負できる大会だったから。参加者34人は実にもったいない。もう1回ぐらい競技日本史系オープンもやってみようかな。大会自体は好勝負の連続。緊迫感のある「完全トーナメント制」は第10回に引き継がれることになった。決勝では友澤誠二くんが10−1で圧勝。「競技日本史界最強」を強烈にアピールする結果となった。

18.読みもの(その2)「出場者紹介(1)」(2003年8月6日リリース)

 さて、本番も近くなってきたことですし、これからは私の独断と偏見で「注目プレイヤー」を紹介していきたいと思います。
 あくまで「出場者は平等であるべき」という考え方は貫かれるべきですし、私としても重々理解はしています。まあ、そんなに深い意味合いがあって書いているものではありません。あくまで「1つの読みもの」として捉えてくださいな。プリントアウトして大会当日に持ってきていただければパンフレット代わりにはなってくれることでしょう。
 あくまで、私の私見全開モードです。ご了承ください。
 紹介されている方、文章気にいらないと怒らないでくださいね。
 紹介できなかった方、紹介できなくてごめんなさい。やっぱり怒らないでくださいね。徐々に追加していきたいとは思っていますです。どこまで行けるかは心もとないんですが。
 まずは、この大会の優勝経験者から。

 (Ryu杯優勝者編)
・山崎淳也(早稲田大学OB)
  【Ryu杯実績】第1回優勝(決勝進出1回)
 …栄えある第1回優勝者。入学早々に「アタック25」新大学生大会を制し、さらに翌年2月には1年
  生ながら第2回「史上最強」で本戦進出…と、門口浩一と並んで早稲田89年入学組のツートップ
  として君臨し続けた。しかし、ナチュラル知識派の門口と対照的に「知識の薄さを指でカヴァー」と
  いうスタイルゆえ、その後「史上最強」「FNS」などで数多く予選落ちの憂き目もみることに。が、
  第1回Ryu杯では下馬評をひっくり返してなんとポール・トゥ・フィニッシュ。完勝だった。某TV局
  に就職した現在ではハッキリ言って「シロート同然」で予選通過すらおぼつかないと推測されるも
  のの、それでも1つの時代を築いたクイズ屋であることは間違いないはず。
・小川悟(一橋大学OB)
  【Ryu杯実績】第2回優勝(決勝進出2回)
 …某国営放送で「一橋大学クイズ研究会の有能な副会長」と紹介された小川。とにかく、指指指。
  草間から受け継がれた(とおぼしき)指の速さでは関東無双だった。彼の後も一橋では黒木浩一
  郎、土橋史幸と「サル系プレイヤー」の系譜が存在したものの、速さ、そして威圧感なら彼がピカ
  イチだろう。優勝を決めた問題「トッグル」のスラッシュを見よ。大学卒業を契機にオープン戦線か
  らは遠ざかっていたものの、98年3月15日、「五大老杯」でほぼ4年ぶりにオープン参加。ブランク
  をものともせずタイムレースでぶっちぎり1抜けし、問題読みをしていた秋田を感涙させたことも付
  け加えておきたい。
・秋田芳巳(東京大学OB)
  【Ryu杯実績】第3回・第6回・第9回優勝、第4回準優勝(決勝進出4回)
 …自他共に認める「現役最強プレイヤー」。ベタだけ強い、学生系だけ強いクイズ屋は数多くいるも
  のの、その両方を極めんとするプレイヤーはそんなには存在しないのが現実。そのRyu言うところ
  の「クイズ屋の理想」に最も近いとされているのが秋田。「ホノルルクラブの翌日にコンモリ参加」
  なんてマネを涼しい顔してこなしているのだから。いやはや。Ryu杯的には「良くも悪くもRyu杯を
  1番知り尽くしているクイズ屋」といっても過言ではないはず。優勝3回、予選1位6回はダントツ。
  この大会でやり残したことといえば「連覇」ぐらいしかない。それすらもあっさり達成してしまいそう
  な予感も感じさせる。今回も優勝最右翼と言って間違いはないだろう。
・上野裕之(東京大学OB)
  【Ryu杯実績】第4回優勝、第6回準優勝、日本史Ryu杯第3位(決勝進出相当5回
(注)
 …「Ryu杯を最もドラマティックに染めてくれる男」、上野いるところに数多くのドラマがあった。「中
  山晋平の波」で会場を笑いに取った第3回、秋田との壮絶な叩き合いを制してオープン初優勝を
  果たした第4回、1度敗れたものの神がかり的な敗者復活劇を見せて連覇への執念を見せた第
  5回、前回決勝で苦杯を飲んだノビを1vs1の勝負で葬り去った第6回。Ryu杯には欠かすことの
  できない“役者”である。そんな上野が、優勝可能な位置にいながら、ここ3回連続でハードラック
  に泣いている。4回連続決勝進出を誇りながら、ここ3回は決勝とは無縁。日本史Ryu杯第3位を
  弾みに、久しぶりの決勝進出なんてケチなことは言わず、8年ぶりの「優勝」を狙いたい。
・田中伸之(東京工業大学OB)
  【Ryu杯実績】第5回優勝、第9回準優勝(決勝進出2回)
 …「こいつは問題集食って生きてるんじゃないか?」と思わず考えてしまうぐらいの超知識派。難問
  の大会では慶応主催の「PRIDE」3連覇を筆頭に無敵を誇っている。そもそも、「関東で定期的に
  続いているオープンでノビが勝っていない大会はない」と言われるぐらい、勝ち鞍には数多くの大
  会名が並んでいる。第1回の山崎、フルオープン初回の小川を除けば、初参加であっさりこの大
  会を制したのはノビただ1人。決してRyuの問題が合うとは思えないだけに、「単なる難問屋では
  ない」としか言いようがない。「史上最強」本戦進出経験もあるし。その真面目一筋の風貌とは裏
  腹に、コンパではボルボのように回りながら酒を飲むという飛び道具も持っている。
・沼田正樹(慶応義塾大学OB)
  【Ryu杯実績】第7回優勝、第9回第3位(決勝進出2回)
 …初参加は高校3年生のときの第5回。いきなり予選13位の好位置で予選通過。その後、第6回で
  の「答案紛失騒ぎ」から始まるRyuとの因縁の数々はクイズ史上語り草になってはいない。これで
  うるさいだけならただのデンパだけど(笑)、クイズのほうは一線級。難問渦巻いた第7回を他を寄
  せつけずに圧勝。そのスタイルとは裏腹に、実はストイックなまでにクイズに取り組む求道者であ
  る。負けず嫌いでは人後に落ちないRyu以上の負けず嫌いとしても有名。しかし、こいつと罵り合
  いしてた当時、まさかこいつとタッグ組んでオープンに出場したりホノルルにこいつ推薦するように
  なるなんて想像もつかんかったなあ…。
・牟禮大造(立命館大学OB)
  【Ryu杯実績】第8回優勝(決勝進出3回)
 …難問華やかなりし頃の関西で産湯をつかった牟禮。東西交流が始まり、関東に難問化のうねりが
  押し寄せてきたとき、僕が最初に手に取ってツブしていった問題集がムレの「モンキーの巣の上で」
  だった。そのため、長文を作るときの問題作りの着眼点が知らず知らずのうちにムレそっくりになっ
  てるかも。初参加の第7回で決勝進出(第5位)、続く第8回では予選1位から一気に優勝、第9回
  も決勝進出(第7位)、と実は決勝進出率100%。なんだかんだ言ってるわりにはこの大会との相性
  はかなりいい。「短文系オンリー」となる今回改めて真価が問われるが…前回の準決勝でも短文系
  で勝ってるし、さほど心配はいらないかも。上位進出へのカギは4Rのタイムレースだろう。
・友澤誠二(京都産業大学OB)
  【Ryu杯実績】日本史Ryu杯優勝(決勝進出1回)
 …クイズ界にカルト系オープンは数多くあれど、7回も大会が開催されたのはわれらが「競技日本史」
  だけだろう。その競技日本史界で、間違いなく現在1番強い男。断言できる。「日本史Ryu杯」はそ
  れだけの大会だったと胸を張って言えるし、その日本史Ryu杯をグウの音も出ないぐらい圧勝した
  彼にこそ「最強」の称号はふさわしいはず。ただ、彼にはやり残したことが1つ。「まだ直接対決で1
  度もRyuには勝っていない」。それを成し遂げたとき、名実ともに「最強」は彼のものになることだろ
  う。今回、参加が実現すれば、一般オープンは実にしばらくぶりだとか。2Rの優先出走権を活かし
  て、一般オープンでも上位進出を目指したい。

(注)「日本史Ryu杯」は、完全トーナメント制採用のため、準決勝進出で「決勝進出相当」とみなすこ
   ととする。

19.開催情報(参加費編)(2003年8月26日リリース)

 今まで長いこと「思案中」だった

 

 

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