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                       ■本日の密室系の評価は☆☆☆満点


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98.5.28(木)
・「怪奇探偵小説集T」「朝霧」「われわれはどんな時代に生きているか」(ハスミ先生の久々の新著!)を新刊レヴューにアップ。
●国内リスト更新情報
藤桂子「人形の家殺人事件」、山田正紀「仮面」、二階堂黎人「空より来たる怪物」を追加。


98.5.25(月)
・小説新潮6月号の「探偵ミステリー特集」(変なタイトルだ)の密室短編3つ読んだが、現代密室物の困難性を思って、結構つらいものがあった。「現代において密室ミステリを書くのは不可能だ」というところから書き始めることも、もはや不可能なのか。
■本日の密室系■
015 「使用中」 法月綸太郎 「小説新潮」6月号
死体を入れたトイレが密室になっている謎/新谷弘毅/
実は、密室物というわけではない。エリンの「決断の時」を密室物のパロディと再解釈した上で、倒じょ物を「開けるべきか開けざるべきか」のリドルストーリーにもっていったもの。最近とみに、教師的になってきた法月の作家的良心は感じさせる。☆☆

016 「人形の館の館」 山口雅也「小説新潮」6月号
人形の館の密室に運び込まれた死体/ヒュー・グラント/
ドールハウスと密室殺人。眼目は、密室マニア批判にあるのかもしれないが、様々な意匠をまといつつも、実は単なる夢オチにすぎない。もはやこの手のものは、自家中毒の果ての衰弱なのかもしれない。☆☆

017「雪華楼殺人事件」 有栖川有栖「小説新潮」6月号
ビル屋上に被害者の足跡しかない不審な死/火村英夫
いくら男女の幼い恋愛の顛末をうまく書こうが、この結末は、ミステリ作家としての自殺行為では。/BOMB!
●国内リスト更新情報
 上記3作をアップ



98.5.24(日)
・「よしのさん」の掲示板で、「小説宝石」6月号に山風インタビューが載ってることを知り、書店へダッシュ。立読み。本人もどこかでいってたけど、最近インタビューずれして、こう聞けばこう答えるというのが完成している感じ。エッセイとか、インタビューで読んだ話がほとんどで、これからりインタビュアーには一工夫がほしいところ。新ネタは、次のものくらいかな。
  ○旺文社の第一回懸賞応募小説は、帰郷中の医学生が事件を解決するというもの
   (ほんとかな。戦後のデビュー作「達磨峠の事件」がそんな話なので、勘違いでは)
  ○「あと千回の晩餐」は、口述筆記
  ○最近、奥さんがパソコンを買った。自分に小説書かせるつもりではないか。でも、もう書かん。
・先日、横山隆一(フクちゃんの漫画家)90歳とかいう番組をみたが、まだ、まだ現役。風太郎先生、いまだ76歳。がんばって「蓮如」を書いてほしい。
・昨日、「私家版」を札幌駅北口の「蠍座」という変な名前の映画館でみる。昨年、一部で評判になったフランス・ミステリで、「本が人を殺す」がテーマ。どのように本が人を殺すかは、お楽しみとしておくが、フランス出版界の内幕やロンドンの古本屋等出てきて興味深かった。お話の方はあっさりしすぎの印象。もう一波乱欲しかった。
・風太郎ファンのもりみつさんからメールをいただいております。色々、御教示ありがとうございます。
本HP山田風太郎作品リストの冒頭にある「リストの
謎」に関して次のような見解をいただきました。

以下は、私の文章。

>(リストの謎)
>・昭和31年の短編「青春探偵団」については、廣済堂文庫の『青春探偵団』
>にその題名の短編がなく、単行本未収録の期待も抱かされます。ただ、同書に
>は「書庫の無頼漢」という「帰去来リスト」にない短編が、単行本初収録され
>ており、初出は高二時代(昭和44年4月号付録)とされているのが気になり
>ます。思うに、他の作品の書かれた年代等から考えて「青春探偵団」と「書庫
>の無頼漢」は同一作品であり、昭和31年の短編が高二時代の付録に再録され
>たのではないかという推測が成り立ちます。(まだ、単行本化されていない短
>編「青春探偵団」が存在するのなら、それはそれで嬉しいことですが。)

次は、もりみつさんの見解。

山田風太郎作品リストの(リストの謎)について

『青春探偵団』(講談社ロマンブックス昭和34年1月刊行)は
全5話の連作短編集であり、これに「書庫の無頼漢」を加えたものが
廣済堂文庫に入っています。34年に既に6話あったとすれば
なんらかの理由で「書庫の無頼漢」を削ったということになります。
しかし内容・長さでは特に削る必要があったようには思えないので
当時は5話しかなかったのではないかと思います。
また6話中「書庫の無頼漢」のみ犯罪動機が山田風太郎してる(いや、
情[恋]がからむと人間なにをするかわからない。ということですが)
ので、ちょっと異色に感じます。(違和感はないのですが、逆に山田
風太郎ならこんな話ばかりの方がそれっぽいっていうか^^;)
それから6話の中で「幽霊御入来」「泥棒御入来」のタイトルが対応
しています。本に収める時にそろえたのかもしれません。
以上から、短編「青春探偵団」は、本では「泥棒御入来」という
タイトルになっている短編だろうというのが私の推測です。

ちなみに国会図書館に問い合わせたところ、該当する「明星」は
欠号でした。(;_;)

 以下、地の文。
 そうなんですよね。私も、国会図書館に行ったときに「明星」の該当号を探してみたけど、なし。大宅壮一文庫、近代文学館にも「明星」はなかったし。

 多少話を整理すると、こういうこと。「帰去来リスト」によれば、「青春探偵団」は、1959年に講談社ロマンブックスで初めて単行本化されており、その収録作は、次の5編。
  1 幽霊御入来    初出:傑作倶楽部19583   
  2 泥棒後入来   初出::不明
  3 屋根裏の城主  初出:全国学園新聞1958.7.6〜10.5
  4 砂の城      初出:全国学園新聞1957.11.24〜1958.3.2
  5 特に名を秘す  初出:全国学園新聞1958.4.6〜6.29

 で、このほかに、青春探偵団ものとして、次の2編があることとされています。
  6 青春探偵団  初出::明星19569〜10
  7 書庫の無頼漢 初出:不明  

 一方、廣済堂文庫版では、ロマンブックス版を底本に、7(「高二時代」昭和44年4月号付録小説フェスティバル掲載)を第2話として追加しています。
 となると、6は、単行本未収録ということになるが、実は、6と7は同一作品ではないかというのが、私の推測。
 もりみつさんは、2と6が同一作品ではないかという説。
 いわれてみれば、そのとおりで、「青春探偵団」として題した作品が単行本の『青春探偵団』に入っていないのは、なんとも解せない。本に収めるときにタイトルをそろえたというのも、合理的な解釈です。「泥棒御入来」に人物紹介等基本的設定があまり詳しく書かれていないのが若干ひっかかりますが、単行本化の際に、重複部分を削ったと考えれば、それも納得がいきます。ということで、私も、もりみつ説に鞍替えしたくなりました。
 ただ、そうなると、「書庫の無頼漢」が1969年にポツンと書かれている理由がよくわからない。この時期、風太郎は、忍法帖の短編ばかり書いていた頃で、10年前のシリーズを忽然と1つだけ書いたというのは、ちょっと信じがたい。結局、「書庫の無頼漢」は、単行本化の後にどこかに発表され、高二時代の付録に再録されたということになるのでしうか。
 いずれにしても、「青春探偵団」という単行本未収録の短編は、存在しないことになってしまうのは、残念です。明星の該当号が見つかれば、はっきりするのですが・・。

 「青春探偵団」は、成立事情その他、結構謎の多い本です。内容に関しても、よしのさんは、「砂の城」で、主人公たちが「森の木陰でどんじゃらほい」を踊り狂うシーンを謎としていますが、私は、「書庫の無頼漢」に登場する、足の悪い薬剤師(ラジオ体操を聞くと足が立ちそうな気がして興奮しながら「もっと大きく、もっと大きく」と叫ぶ)がなんとも謎です。
 また、「日本映画データベース」によると、195612.12封切りで山田風太郎原作の「高校生と殺人犯」(大映東京)という映画が存在しています。(監督 水野洽、出演 品川隆二、南左斗子、立花宮子、いずれも筆者知らず)。他にそれらしい作品もないので、「青春探偵団」の映画化だと思われます。
 時期的には、明星の「青春探偵団」を原作にしたと考えると、かろうじて間に合ってますが、映画化が早すぎるような気もします。倶楽部雑誌の王者だった当時の風太郎にとって、「明星」という芸能誌は、まことに異質。映画化前提のタイアップ企画だったのかもしれません。
 やっぱり「青春探偵団」は、謎多しです。
・「怪奇探偵小説集T」読了。小説新潮6月号の密室短編3つ読んだが、コメント等は、次回。


98.5.20(水)
・山風。廣済堂文庫『神曲崩壊』出る。リストに追加。来月は、とうとう『太陽黒点』。何をいってもネタバレになりそうなこの作品。読んで驚け。
・といっている、喜びもつかの間、傑作大全がこれをもって完結とか。しおしおのぱあ。
・「矩形の密室」「ローウェル城の密室」「谷崎潤一郎ラヒリンスT」「怪奇探偵小説集T」「虚構まみれ」買う。
・奥泉光「虚構まみれ」に、風太郎論が載っているが(講談社ノベルス「信玄忍法帖」解説)、これは、ちょっと違うような。
・もりみつさんから、面白いメールいただいてるが、次回ご紹介いたします。、
●国内リスト更新情報
 『矩形の密室』矢口敦子

98.5.17(日)
・業務連絡(誰も読んでないか)。
 大森さん、リンクありがとうございました。宮澤さん、「探偵小説頁」大森氏のHPにリンク貼られてますよ。よしのさん、ごめんなさい多少猶予を。もりみつさん、近日中に直します。
・あー、終わった終わった。途中で投げ出したくなったが、一応終わらせました。それもこれも、「三月」が読者を挑発する小説だったせいで、まんまと作者の術中にはまった感じ。全体通して読むと、「十日間の不思議」のパロディ(のつもり)になってます。

我は如何にして「恩田陸」=「前HMM編集長」説を信じこみしか(最終回)

 「三月は深き紅の淵を」の構想は、第4章で作者自身が登場して明らかにしている。四人の男女をそれぞれの視点から描いたロレンス・ダレルの「アレキサンドリア四重奏」のひそみにならって、別々の視点から書かれたものが、全体が実は緻密かつ周到な計算で書かれていることがわかる仕組みをめざしたものだ。「三月〜」を書くに当たり、作者は、外側の物語4つと内側の物語4つを用意し、ある程度内側の4部作と外側の4部作が二重写しになるようにしたかったが、劇中劇もの、入れ子式小説の流行に、気恥ずかしかったとも明かしている。
 作中の作者が漠然考えていた企画は、第1章「待っている人々」では、「三月」は存在しないことになっており、第2章「出雲夜想曲」では、実際に存在することになっており、第三章「虹と雲と鳥と」では、これから書かれようとしているところ、というものだったバレという。
 でも、この小説、よく読むと、全体を伏流する別のストーリーがあるようにも読めるのである。
 第3章「虹と雲と鳥と」は、人口十五万足らずの城下町が舞台になっている。主人公の女子大生、野上奈央子は、就職が決まって、この城下町に帰ってくる。この城下町が長野であることは、199pで判明する。奈央子の就職先は、出版社である(200p)。回想シーンで、奈央子は、将来編集者になる夢を語っている(206p)。奈央子の教え子だった美佐緒は、小説を書くことを夢見ていたが、何かの理由で小説が書けなくなったときは、奈央子に代わりに書いてほしいと頼む(266p)。美佐緒の死の真相を知った奈央子は、美佐緒の代わりにいつか自分が物語を書くことを決意して、第3章は終わる。
 第2章の主人公は、まだ若い女性編集者堂垣隆子である。隆子の実家は、長野であることが会話の中でさりげなく触れられる(200p)。蔵の中で「嵐が丘」や「僧正殺人事件」を読みふけった少女時代の幸福な読書体験が語られる。
 隆子が作中作の「三月」を読んだ経緯は、こう語られる。

 「大学を卒業して、就職が決まって、田舎に帰った時です。出版社に行くって決まった時に読ませようと思ってたみたい。あのルールを説明されて、東京に戻る前に一晩で読んだものです」

 こうみると、第3章の野上奈央子と第2章の堂垣隆子との連続性は明らかである。そうして、第1章にも何かないかと戻ってみると、あるある。
 四人の老人の一人、英文学の教授一色が「三月」を読んだ経緯を話すくだり。
 英文学の授業の学生Nという女子大生が年度末の授業の後、「私、田舎に帰るんです」というと、赤い表紙の本「三月」を取り出して、一晩で読んでくれと教授に差し出す。Nは、「おとなしい、目立たない学生でした」と描写される。彼女は、一晩のち本を取り戻しにきていう。

 「『先生、いつかうちの田舎にいらして下さい』と、住所を残して去っていったんです。長野の、諏訪の方だった」(37p)

 彼女は、地元に就職するが、半年後に行方不明になっていることが判明する。一人で北陸方面を旅行して、その行程の最後に東京に来るはずだったのに、旅行の最中ぷっつり消息を絶ったままであることが明らかになる。一説には、佐渡島に渡る途中、船から落ちたといわれているという。
 この「大学卒業間近・直後」、「長野」、「女子学生」というキーワードをたどれば、Nが第2章の堂垣隆子と第3章の野上奈央子(イニシァルは、N.Nだ)と、実質的には同じ人間であることが明らかである。野上奈央子は、教え子の死の秘密を探りに新潟にも向かっているのである。

 作家自身が登場する第4章では、自身の回想としてこう語る。

 それは誰の夢だったのだろう。色のついた眩暈。夕方四時からはじまる「ローハイド」の再放送。日本アルプスの残照。

 日本アルプスの残照。
 以上は、明らかに、作者の意図的な仕掛けである。全体を通してみれば、読書好きな長野県出身の少女が、大学卒業後、編集者になったものの、大学卒業直後の事件を契機に作家をめざし、今は必死に物語を紡いでいるという作家の精神的自伝小説として読めるのである。

 ここまでは、いい。だが、本書には、どうしても理解できない謎が残るのだ。仮にこれを4つの不在と呼ぼう。

第1 小泉八雲の不在
 第四章で登場する作者は、四部作に小泉八雲を登場させるという意図を語っている。

「今書いている四部作に小泉八雲を出演させるという企画は、第二章の設定を決めた時から考えていた。それぞれの章のどこかに、ちらりと登場させるのである。永遠に新たな神話や物語を求め、大きなトランクをもって旅する男。彼と、彼女の書く世界の中のあちこちで遭遇できるように。」

 小泉八雲は、第1章では、語り手の話の中の「三月」を置き忘れていていく人物として登場する(39p)。第2章では、夜行列車の中の不審な乗客として(117p)、第4章では、出雲取材中の作者を大きな物語の彼方に誘う人物として(342p)登場する。
 ところが、第3章のどこにも、小泉八雲は、登場しないのである。目を皿のようにして読んでも、この大きな鞄をもった義眼の西洋人は、表れない。一体、これは何を物語るのか。「全体が実は緻密かつ周到な計算で書かれていること」小説にもかかわらず、この欠落は、意図的なものとしか思われない。

第2 9月(秋)の不在
 もう一つ「三月〜」には、大きな欠落がある。
 第1章「待っている人々」は、3月の出来事として描かれる。「早春の、落ち着かない、浮わついた不安な季節」「君、三月の予定は?」(10p)。
 第2章「出雲夜想曲」は、6月(174p)。読んだ方なら、この月は、鮮明に記憶に残っているはずだ。 第3章「虹と雲と鳥と」は、12月。少女の墜落事件は、11月も末の朝だが、本筋のストーリーは、それから2度目の土曜日以降の事件として描かれるから、12月で間違いないだろう。
 第4章「回転木馬」は、作者が物語を書き進めている外枠の現在の季節の明示はないが、作中作の「三月」(学園帝国ドラマの方)では、物語の始まりが2月のおしまいの日に設定されていて、ここは3月の国として説明される。
 3月、6月、12月、3月。なぜ、9月の物語がないのだろう。4部作のオムニバスであることからも、美学的見地からも、春、夏、秋、冬と推移する方がしても、うるわしいのではないか。回転木馬という最後の章にも、よく照応するはずである。また、第1章には、春、夏、秋、冬の四季の家が登場するから、これとの対応を考えても、9月(秋)の物語が欠けているのは、奇異な感じを受ける。しかも、不思議なことに、第1章では、具体的に、冬、春、夏の家が使用されているのに、秋の家については、名前が出てくるだけである。

第3 赤い本又はノートの不在
 さらに、さらに、細かな引用は避けるが、作中作の「三月」は、1、3、4章では、赤い本又はノートの形で出てくるのに(3章では死んだ少女の手記として)、2章では、赤い本もノートも出てこない。

第4 ざくろの不在
 1章では、ダイイングメッセージ、2章では同人誌名、4章では、「持った瞬間にずしりとした重さを感じさせる果実のような物語」として登場するのに、第3章には、ざくろは出てこない。作中の「三月」の説明として、「四部作には、さりげない隠喩として「ざくろ」が使われている。」(120p) とあるから、明らかに変である。それとも、連続殺人のシーンが「ざくろ」のイメージだというのだろうか。

 以上を表にすると、こうなる。

季節 小泉八雲 赤い本 ざくろ
第1章 待っている人々 3月   ○  ○  ○
第2章 出雲夜想曲 6月   ○   ×  ○
第3章 虹と雲と鳥と 12月   ×  ○  ×
第4章 回転木馬 3月   ○  ○  ○

 これに関しては、色んな説が考えられる。
 ・秋がないのは、あきないのためにやってるから(dedicated to sanpei hayasiya)とか、
 ・実は「三月」は5部作で、9月が舞台である真の第3章があるのではないか(でも、これは、最初から4部作として構想されたとする作者の言に反する)
 ・八雲は、実は第3章では「稲垣史郎」として登場していて、そうなると「八雲が殺した」となって赤  江瀑へのオマージュになる。(第2章の小説家両角満生のモデルと思われる) とか、
 ・第3章のタイトルに「雲」が登場するから、「七雲」となる(意味不明) とか・・

 私は、頭をかきむしったが、結局、結論は出なかった。多分、この小説自体が特定の誰かに向けたメッセージなのだろう。その鍵をもつ人だけが、「4つの不在」から、この小説の真の意味を理解できるに違いない。

 私の追及は、ここで終わり、恩田陸=T内元編集者説を唱え、そして現実の前に敗れさった。
 これかさき、わたしはどうして再び、こんなブリキの神様のような役を演ずることができようか?私にはできない。私は、終わりだ。私は、二度と事件には、関係しないつもりだ。

 だが、「現実」に何の意味があろうか。汲めどもつきぬイメージを散乱させながら、完成から遠ざかっていく物語「三月は深き紅の淵を」を書いた恩田陸とは、本当は誰?

                                                     (一応、完)

98.5.16(土)
・市川さん、小林さんHPへの言及ありがとうございました。

我は如何にして「恩田陸」=「前HMM編集長」説を信じこみしか(第3回)

「それがですね。まだ、この犯人探しならぬ作者探しは続くんです」
                                恩田陸「三月は深き紅の淵を」

(前回までのあらすじ)
 安サラリーマンの「私」は、連休の朝、謎の覆面作家「恩田陸」の正体に思い当たる。次々と、明らかになる証拠の数々。興奮した「私」は、「おんだりく」のアナグラムを始めるが、そこには不思議なメッセージが・・・。

 いくら丼。
 あまりにも、魅惑的なその言葉。私は、とても空腹なことに気がついた。サイ君は、まだ起きてこない。私は、先日、もらったばかり、瓶詰めのいくらを思いだし、サイ君が見たら気絶するくらいの量を思い切ってごはんにかけた。
 いくら丼か。私は、インスタント味噌汁を飲みながら考えた。
 いくらは、鮭の卵(筋子)のことだが、元々はロシア語。魚卵のことを一般をロシア語で「イークラー」という。ロシア語から、日本語に転訛した言葉は、このほかに幾つかあって、例えば、ロシア人」のことを蔑称で「露助」というのも、もともとは、ロシア人を意味するロシア語「ルースキー」がなまったものである。
 「ドン」は、ロシア語で「建物」や「家庭」を意味する。

 魚卵の建物。

 意味があるとは、思えない。
 間違いなく、この言葉に作者の正体が隠されているはずなのだが・・。

 いくらどん。番茶をすすりながら、私は、その言葉をつぶやいた。
 私には、困難にぶちあたったときにいつも思い出す言葉がある。それは松田道弘氏の「とりっくものがたり」に出てくる「困難は分割せよ」という言葉である。もともとは、不可能犯罪やマジックの不思議をなしとげるには、全体を一挙に達成するのはなく、困難をいくつかに分割して、それぞれ個別に考えよ、という意味である。私は、仕事や日常生活にも役立つ魔法の言葉だと思っているのだが。
 「いくら」「丼」でうまくいかないのは、分割の仕方が間違っているせいではないのか。こうしてみたらどうだろう。
 いく・らどん。行く・ラドン。行く、行く。

 ユーレカ。我発見せり。

 私は、万葉集の中のある和歌の一節を思い出したのだった。
 
 「百足らず 山田の道を 波雲の 美し妻 語らはず 別れしくれば 早川の 行きも知らず・・
                                         (万葉集第13 歌番号3276)

 「百足らず」は、「山田」の枕言葉。「波雲の」は「美し妻」の枕言葉。
 そして、「行く」の枕言葉は、「早川の」なのである。大辞林の「早川」をひもとくと、「早川の流れ行く意から「早川の」は「行く」にかかるとある。
 これが早川書房のことでなくて、なんだろう。

 一方「ラドン」は?
 もちろん、ゴジラシリーズにも登場する有名怪獣である。「シネマびあ」でひいてみると、初登場は、東宝映画「空の大怪獣ラドン」。制作費2億円の巨費を投じて本多猪四郎が監督した日本初のカラー怪獣映画。阿蘇の地下洞窟に眠る太古の怪獣が孵化し、地上へ飛び出し大暴れするという映画だ。早川に才能を眠らしている自らが、小説界で大暴れするという願望が託されているのは、明らかである。しかも、映画の制作年に刮目されたし。1956年である。この年、産声をあげたものがもう一つある。すなわち、ミステリ・マガジンの前身「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン日本版」が創刊されたのが、1956年なのだ!
 こうしてみると、「いく・らどん」は、自らの正体を暗示しつつ、現状脱出と将来の活躍の願望をこめた希有のペンネームであることが理解できる。
 私は、「いくらどん」のアナグラムを試み、「恩田陸」にたどりついた作者の姿を思い、微笑した。
 
 さらに、私は早川書房50周年を記念してつくられた「現代日本ミステリ作家25人作品集」(95年11月ミステリ・マガジン臨時増刊号、もちろんT内元編集長編集)を本棚から取り出した。
 まったく失念していたが、恩田陸が25人の1人として選ばれ、作品を寄せているではないか。プロフィール欄では、写真の載るべきところに、大きな?マークが書かれている。T内氏が書いたと思われる紹介は、こんな風。

「第3作「不安な童話」では、超自然現象とミステリを見事に融合させ、既成のジャンルにとらわれない瑞々しい感性をアピール。谷崎潤一郎、ファウルズ、キングなどを愛読し、海外ミステリにも造詣が深い」

 第3作は、ほとんど注目を集めなかったはず。しかも、「海外ミステリにも造詣が深い」とは、なかなか、やってくれるではないか。私は苦笑した。

 外堀は、完全に埋まった。
 後は、「作品をして語らしめよ」である。私は、積読状態だった恩田陸の「三月は深き紅の淵を」を引っ張り出してきた。
 本屋のカバーをはずした私は、またも意味不明のうなり声を挙げた。

 なんのことはない。この本の作者の正体は、はじめから明らかだったのである。
 装幀は、北見隆。スマートで、ちょっと幻想的な絵を描くイラストレーターである。(カバーを剥がした本体にも素敵なイラストがある)そして、この方、96年3月号まで、独特のタッチで、ミステリ・マガジンの扉及び目次イラストを飾ってきた方なのである。自信作の装幀を旧知のイラストレーターに頼むのは、あまりにも当たり前ではないか。

 「三月〜」を一読。不思議な小説である。「かつて、一度でも、むさぼるように本を読む幸せを味わったことのある人に。」という帯の惹句に偽りはない。ミステリでもあり、幻想小説でもあるという不思議な結構や輪郭だけ明かされる作中作に、私は、はまった。
 全体は、それぞれ独立した四話から構成されているが、読む人を惹きつけてやまない謎の作者による私家版の小説「三月は深き紅の淵を」が共通するモチーフになっている。
 第1章「待っている人々」は、ある青年が途方もない蔵書を有する邸宅に招かれ、「ザクロの実」というダイイング・メッセージを基に幻の本「三月〜」を探し出そうとする。青年を招いた四人の老人たちは、長年探し続けているのだが、いまだにその膨大な書物の中から「三月を〜」見つけることができていないのだ。青年の見事な推理の後に、味わい深いオチがついている。
 第2章「出雲夜想曲」は、2人の女性編集者が、幻の本「三月〜」の作者を探し出すために、出雲を旅するという話。結末は驚きに満ち、ミステリとしての出来は、随一。
 第3章「虹と雲と鳥と」は、長野の高校を舞台に、大学卒業間近の女子大生が、昔の教え子である女子高生の死の秘密を探る。
 第4章「回転木馬」は、「飲んだくれのアバウトなOL」と作家の2足のわらじをはく恩田陸自身が登場し、本小説の構造を語り、これから書こうとする小説の書き出しに苦吟する。アイリッシュの「三文作家」、小林信彦の「発語訓練」、遡ればジイド「贋金つくり」のように、小説を書くことについての小説である。作家の様々な思いのほかに、取材のための出雲行きの回想、書きつつある小説の一部が交錯し、結末は、フィクションを書き続けることに関しての決意表明で終わる。読後は実に清々しい。
 物語の輪郭だけ簡単に語られる作中作「三月〜」は、こんな話。作中人物がいうように、いずれも実にそそる話である。
 第1部は「黒と茶の幻想」、サブタイトルは「風の話」。四人の老人がただ旅をする話だが、彼らは不思議な事件の話を喋り続る。その謎は、解かれるものもあり、解かれないものもある。その断片が非常に魅力的だ。
 第2部は、「冬の湖」、サブタイトルは「夜の話」。失踪した恋人を、主人公の女性が恋人の親友と探す話。「恋人の親友」がテーマだと作中人物は、語る。
 第3部は、「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」サブタイトルは、「血の話」海辺の避暑地に家族とやってきた少女が生き別れになった腹違いの兄を探す物語。「夏の晴れた日の情景しかないのに、全体のトーンがどこか不気味で乾いている」
 第4部は、「鳩笛」。サブタイトルは「時の話」。ある物語作家が小説。「彼は」、自分の物語の原点を象徴するのが一人の少女ではないか、と疑問にとらわれ、推理を始める。やがて彼は、見境なく訪れるイメージに飲み込まれそうになりながら、実は、その少女が人類の物語の核であることを発見する。
 1部から4部が外枠である1章から4章と異なりながらも、呼応しあっているものであることがわかるだろう。
 個人的には、第1章で、クイーンの「ライツヴィル」シリーズを発表順に再読する人物が出てきただけでもうもうメロメロである。クイーンは、私の秘孔なのだ。村上春樹の「羊をめぐる冒険」にイカれたのも、主人公が、「エラリー・クイーンの作品の犯人の名は、全部いえます」って言っていたせいだった。閑話休題。

 本文に入っても、手がかりは、無数に散りばめられていた。
 まず、エピグラム。
 いきなり「チョコレート工場の秘密」ロアルド・ダール作 田村隆一訳である。本作自体は、童話で、他社の出版だが、ダールといえば、早川の専売特許。しかも、田村隆一といえば、創業当時の早川編集部にいたはずで、まさに早川にとっては大恩人である。
 さらに、第1章の冒頭で再びダールの短編の引用である。題名は書かれていないが、私的にもダールの最高傑作と考える「お願い」である。絨毯の上で、踏んでいいところ、悪いところを決めて一人遊びをしている子供を描いただけの短編だが実に怖い。もちろん、この短編は、サラリーマンと作家の二重生活を強いられている作者の隠喩になっている。
 続いて、お屋敷ホラー物として、作者が挙げるのが、シャーリイ・ジャクスン「山荘奇譚」、リチャード・マシスン「地獄の家」、ビクトリア・ホルト「女王館の秘密」・・。(27p)1964年生まれで「海外ミステリに造詣が深い」という作者の姿が浮かぶセレクトである。これより、若い人が、これらの作家を読んでないとはいわないが、これらの作家は既にもうリアルではないのではないか。
 もう一つ付け加えれば、200部限定の本を家に隠した男の名が圷(あくつ)比呂央。明らかに、マニアのアイドル天城一が私家版で出した長編「圷家殺人事件」を意識してのネーミングだ。ミステリ全般に造詣が深い人物であることが窺われる。
  
 内枠の物語にも手がかりが仕掛けられている。
 第1部のタイトルは、「黒と茶の幻想」。「デューク・エリントンの名曲である。T内氏がジャズファンなのは、その文章からも十分窺いしれるところ。
 第2部は、「恋人の親友」がテーマだというが、映画ファンなら、「友達の恋人」という映画を思い出すだろう。4人の男女の恋の心理をユーモラスに描いた映画だった。監督・脚本は、ヌーヴェル・バーグ最後の生き残り、エリック・ロメール。そう思ってみると、第3部の元ネタは、タッチの違いはあるが、同じ監督の「海辺のポリーヌ」だろう。ノルマンディーの夏の海辺にやってきた15歳の少女ポーリーヌと年上の従姉妹の恋のさやあて。と、なると外枠の第2章の「出雲夜想曲」は、夏のバカンスをひとりで過ごすことになった若い娘のさすらう姿を描いた名作「緑の光線」とぴったり呼応する。さらには、ロメールには「レネットとミラベル 四つの冒険」という4編のオムニバス映画があったことも思い出すし、最近手がけた「四季の物語シリーズ」は、第1章で登場する四季の家に反映していることがわかるだろう。で、恩田陸がエリック・ロメールを意図的に引用していることに、なにか意味があるのか。
 ロメールはヌーウ゜ェルバーグの牙城だった「カイエ・デュ・シネマ」誌の元編集長なのである。

 心理的な手がかりとしては、つぎのものがある。
 作中人物の口を借りて語られる「おたく」批判、「やおい」批判の後に続けられる次の文章。

 だからね、あたしは昭和三十年代以降に生まれた女の書く「ぼくは」で始まる一人称の小説が大っ嫌いなのよ。(30p)

 なぜ、「昭和三十年代以降」なのだろう。作家の生年を基準に、好悪がはっきりするものだろうか。
 なんとなく、エクスキューズのにおいを感じる。
 ミステリで女が書く「僕は」というと、栗本薫あたりからだろう。栗本薫の生年を調べてみると、昭和27年。どうも、栗本薫救済のためのフレーズのようなのである。でも、どう考えたって、若竹七海がダメで、栗本薫ならヨイという法はない。しかも、栗本薫は、批判対象である「やおい」系の元祖のような方である。なぜ、言い訳めいたこの一節が必要だったのか。
 でも、作者の正体がT内氏とすれば、この疑問も払拭される。早川の編集者としては、グイン・サーガ・シリーズで早川のドル箱である栗本薫を批判するわけには、いかない。ましてや、彼女の夫君は、元ハヤカワSFマガジンの編集長という会社の大先輩。サラリーマンとしては、筆にバイアスがかかっても、やむを得まい。 

編集者のつぶやきも、そこそこに垣間見られる。

「でもね、面白い本が読まれる、注目されるというのは幻想ですよ」49p

「編集者なら誰だって、「これだ」という本をプロデュースしてみたい。」114p などなど。
 
  唯一の欠点とも思えた「女流」問題すら、作中の「三月〜」謎の作者をめぐって交わされる会話で解消される。

「金子さんはどっちだと思ってるの?「三月」の作者は男か女か」(52p)

「男として育てられた女−もしくは、女だと信じて育った男が書いた小説、という感じがするんだよ」
「じゃあ、やっばり男かもしれない?」
「うん、直感では女だと思うんだが、もしかすると自分は女だと信じているし、完全に女としての思考経路をもった男が書いているかもしれないという疑問が頭をかすめる時があるね」(54p)

「やっぱり本を読む時、作者の性を気にしている。意識されていないようでいて、実は作者の性別というのは、重大な問題なのよね」(55p) 

 しかも、第4章の作中作では、「麗子」という「三月〜」(外枠の物語とも、内枠の1部から4部とも異なる学園帝国ドラマとしての「三月〜」。複雑デス)の作者は、男の子として育てられたことが明らかになるのである。

 このほかにも、自説の証拠は、幾つもある。だが、もうやめよう。日も暮れてきた。

 けれども、今までの証明もすべて、徒労だったともいえる。この小説の第2章を読んでいただければ、作者の正体が、明瞭に示されているともいえるのであるから。

 私は、作者探しをやめて、パラパラと「三月〜」を読み直した。
 作中の「三月〜」をめぐって交わされる次の会話が気になっていたのだ。
 「その本を書いた自体が何かの仕掛けなんじゃないかなあ、って思うんです。特定の誰かに向けたメッセージなんじゃないかなって。」(80p) 
                                     (終わらん(泣)。もう1回だけ)


98.5.10(日)
・恩田陸問題(問題にするな)、完全解決である。大森氏のHPから、「SFセミナー」の報告を載せているHPに多数リンクが貼られており、これらのHPから「恩田陸」の人となり、が十分わかるのである。これらの情報によれば、不動産会社に勤務されていた1964年生まれの美人で、酒好き、本好きの豪快な方ということらしい。早稲田のミステリ・クラブにも半年ほど所属していたとのこと。
 なお、大森氏の伝言板の書込みでは、T内氏とは、退職が2週間ほどずれていた由。
 それにしても、「SFセミナー」のレポートも色んな視点から数々速報されていて、まさに多元宇宙。SFファンの熱さと、インターネットというメディアの凄さを感じさせられた。
・これらのレポートを読んで吃驚したことが一点。評論家、日下三蔵氏の正体が、前出版芸術社の編集者溝畑氏、であるらしい。既に周知の事実なのかもしれないが、当方は、驚きました。溝畑氏といえば、小森健太朗のミステリにも登場する有名編集者。その方が、風太郎アディクトの評論家日下三蔵氏だったとは。となると、『帰去来殺人事件』(出版芸術社刊)の巻末に載っている風太郎作品リストは、やっぱり、日下三蔵氏が作成したんでしょうかね。→久留さん。
・ネタ的には、全然アウトですが、続き物にした手前、一応、続けますか。

我は如何にして「恩田陸」=「前HMM編集長」説を信じこみしか(承前)

 このミス98年版では、多くの人が「三月は深き紅の淵を」をセレクトしているが、その一人三橋暁氏(HMMの常連ライターでもある)のコメントによれば、「三月」は、投票者に送られた参考リストに入っていなかった作品だったらしい。その中で、9位と、健闘したのは、作品の力量だと思うが、本作品を選んだ茶木氏のコメントには注目である。

 恩田の5はリーチ目と見た。そろそろ大当たりが来そう。
 
 力強いコメントである。前から暖かく見守ってきたが、ここらでもう一つ押し上げようというコメントである。でも、「三月」は久々の恩田陸の新刊だったはず。なのに、98年には、ばりばり新刊が出るであろう事情を知っているような口ぶりである。「隔離戦線」における茶木氏とT内氏の関係を考えると、フに落ちる。来年、T内氏が退社し、著作に専念することを知った上での発言なのだ!
 これで、ほぼ決まったようなものだが、私は、さらに念を入れる。
 「goo」で「恩田陸」に関する情報を集めると、1964年仙台市生まれとある。覆面作家である以上、経歴もあてにならないが、生年をごまかしても仕方ないだろう。一方、T内氏は、というと・・あった、あった。ミステリ・マガジン95年4月号の編集後記に、

 ふと自分がここ32年近くツイていないことに気づいた。

と、ある。雑誌の発売時期からいって、95年に31又は32歳とすると、63年生まれか64年生まれ。
再び、ビンゴである。年齢が同じで、退社の時期も同じ、さらに茶木氏の知り合い。こんな人間がこの世に二人も存在するか。
 だが、決定的な証拠が欲しい。
 私は、恩田陸の名を繰り返してみた。おんだりく、おんだりく。ペンネームとしても、おかしな名前である。だいたい、「陸」なんて名前が存在するか。

 私は鉛筆を取り上げて、メモ用紙の上にいたずら書きをはじめた。

 ONDA RIKUだな。なかなかよろしい。ははあ、こうしたら、どうだろう。

 DORAKUNI  (道楽に)
 道楽に始めたということか。少し、弱い。これは、どうか。

 OKIRUNDA (起きるんだ)
 二足のわらじで朝、眠いということだろうか。弱い。

 変種は次々とできた。
 UK IN A ROD (小枝の中のイギリス)
 INDOKURA    (インド蔵)
 IKURADON
 
 いくらどん。イクラ丼?イクラ丼!
 私は、その磯の香りのする言葉をじっと見た。

 (次回完結。←まだ続くのか)


98.5.7(木)
・大失敗である。顔から炎である。5月4日の朝、神の啓示を受けたと思い、前からたまに見に行っていたSF翻訳家、大森望氏の伝言板に次のように書き込んだのである。

 はじめまして。4/25の日記を読んで恩田陸氏の正体、ピンときました。以前の日記にちゃんとヒントも書いてるし。女流じゃないがな。しかし、C木氏のコラムでいつもいぢめられていた方とは。個人的には、栗本薫/中島梓、北上次郎/目黒孝二以来のインパクトです。

 なんとなく、わかる人だけわかる書き方になっているが、いわんとするところは、前HMM(ハヤカワ・ミステリ・マガジン)編集長T内氏が謎の覆面作家「恩田陸」氏の正体であるということである。
 恩田陸氏といえば、1991年第3回日本ファンタジー・ノベル大賞の最終候補作となった「六番目の小夜子」でデビュー。昨年のこのミスで、「三月は深き紅の淵を」が第9位に入って、ミステリファンの視野にも入って来た「女流作家」である。「三月は〜」は、あの鬼の集団SRの会のベスト10で、1位になったという。昨年出た「光の帝国」も、SFファンに評判がいいらしい。とにかく、今、注目の作家なのだ。
 が、この作家、正体が別にあるらしい。その年、帝都の人々は、顔を合わせるたびに「恩田陸」の正体は、と噂したものでございます、てなもんである(全然嘘)。その正体が実は、前HMMの編集長(男性)だというのだから、関係ない人にはどうでもいいかもしれないが、実に驚くべき発見である、と私、思いこんでしまったのである。
 結局、この「大発見」、2日後の同伝言板に「小説すばる」の編集者C塚さんが全面否定の書込みをして、チョン(文中(笑)が5つも)。楽しんだ人がいたから良かったようなものの、その書込みを1日中気にしていた方もいたようで、結構、罪深い書込みだったかも。それも、これも、筆者、自説を完全に信じ込んでいたせいで、なぜ、このような妄想推理が爆発したのかを以下、物語ろうと思う。題して

 我は如何にして「恩田陸」=「前HMM編集長」説を信じこみしか
 
 最初は形がなかった。暗闇が、ダンスしている人のように絶えず動いて移って行った。
 連休ただ中、月曜の朝6時。ゴールデンウィークだというのに、家族を一泊旅行に行くという甲斐性もない、安サラリーマンの私は、前夜もミステリを相当遅くまで読み耽っていたにもかかわらず、暗闇でふと眼が覚めた。そのとき、何かが降りてきたのである。最初は、形がない何物かが明確な輪郭をとるに及んで、私は、ふとんをがばっとはねのけた。
 「恩田陸」は、「T内前編集長」だ。

 話は、数日前に遡る。
 4月27日発売されたミステリ・マガジン6月号(札幌は2日遅れ)。いつも最初に開く「隔離戦線」に、元編集長のT内氏が早川書房を先日退社した、とあるではないか。編集後記にも同趣旨の記述。  ふーん、と私は思った。何を隠そう、私は、中学2年生のときから、ミステリ・マガジンを購入しつづけている同誌ファン。T内前編集長は、93年4月号からの編集長だ。
 93年3月まで、20年間同誌の編集長を務めながら黒子に徹したS氏と違って、T内前編集長は、「歌って踊れる編集者」を標榜し、編集後記で毎月、自分の失敗談を披露。そのうち、同誌ライターのエッセイにも、登場しはじめる。
 甚だしくなってきたのは、96年6月号から「隔離戦線」(地雷地帯)という、池上冬樹、関口苑生、茶木則雄の各氏による「コラム・バトル」が始まってから。特に茶木氏のコラムでは、T内編集長は、「日本一身分の低い編集者」「クサレ外道」と呼ばれ(96年6月号)、カラオケボックスでの業界を震撼させるセクハラ事件を暴露され(7月号)、ついに茶木氏にオカマまで掘られてしまう(8月号)のである。内輪受けと業界ネタのオンパレードに、オールドファンの私は、日本を代表するスリック・マガジンは何処へいってしまったのかと慨嘆しつつも、茶木氏の話芸に、結構はまってしまったのだった。誌面には、時代の息吹みたいのが感じられるようになって、これも時代の流れか、と自分を納得させることにした。雑誌に日本作家をフィーチャーしていったのも、T内編集長の功績だろう。
 T内編集長は、96年12月号で、「自分なりにミステリを好きだった証として」編集した、渾身の「ショート・ショート特集」を花道に、書籍の編集の方にうつった・・。
 まあ、こういった次第で、T内元編集長が早川書房を退社すると聞いて、一読者として、一体、これからどうするんだろう、という関心をもったとしても不思議はあるまい。池上冬樹氏は、「新しい仕事とお嫁さんを見つけろ」と書いている。
 そして、5月3日、大森氏のHP4月25日の日記で、以下の文章を発見。

 「恩田さんは、ちょうど4月末で会社を辞め、このセミナーが初の顔出し興業」

 このセミナー(SFセミナー)の部分をクリックすると、セミナーの中で「覆面作家の素顔がついに明らかになる!」とあるではないか。それまでも、大森氏の日記かなんかで、実は、正体があるんですぞ、というような記述を読んだ記憶があり、それでは普通のOLのわけがない。覆面レスラー「グレートゼブラ」の正体は、ジャイアント馬場だったから、みんなが驚いたのであり、ただの「背の高い人」だったら、面白くもなんともなかったろう。多分、国民みんなは知らないが、みるべき人が見れば、おっ、とかあっ、とかいう人なんだ、というのが私の頭に刷り込まれた。
 もちろんこれらは、後で再構成した事象。それぞれをとってみれば、日常与えられる無数の情報のほんの断片にすぎない。
 そして、冒頭のシーンだ。我、発見せり。しかし、ミステリ・マガジンの池上氏のコラムを読み直してみると、「先日退社した」とある。コラム執筆の時期は、少なくとも1月前のはずで、そうなると4月末で退社という大森氏の日記の記述とあわない。妄想かと思いつつも、パソコンを立ち上げ、大森氏の日記を遡っていくと、4月10日の時点でなんと、次の記述があるではないか。

 「死の泉」は、早川書房のT内の担当で、ほんとなら3月末の退社のはずが、この話があったため、世にもめずらしい「退社日変更の回覧」がまわったらしい。

 鎖はつながった。退社が4月末にずれこんだのである。池上氏は、仙台に住んでいるため、このことを知らなかったのである。
 大森氏は、あとで種明かしの際に、手がかりは、すべて日記に書いていたというのである。

 こう考えると、すべて辻褄が合う。次の仕事も決めずに会社をやめるか。次の仕事は決まっているのである。
 考えて見れば、歴代のミステリ・マガジン(前身のEQMMも含めれば)の編集長は、都筑道夫、生島治郎、常磐新平、各務三郎、長島良三と錚々たる面々である。前編集長が作家になってもなんの不思議もない。
 「女流作家」とされていることにもなんら問題は、ない。北村薫のデビューを思い起こせ。ミステリではないが、プロ野球評論の「草野進(しん)」は、和服の似合う華道教授として紹介されたではないか。(正体は、現東大学長蓮実重彦が定説)。

 さらに、私の眼の前にあった「このミス」の昨年版にも、恐るべき秘密が隠されていたのである。(以下、次回) 



98.5.4(月)
・久しぶりの快晴。サイ君(久々登場)にせっつかれて、外出する。狸小路の帝国劇場で「スターシップ・トゥルーパー」。今、なぜ「宇宙の戦士」なのか、と思っていたが、結局、最後まで、わからずじまい。映画自体も、戦争批判なのか、戦争批判を仮装した戦争オタクの夢の実現なのかよくわからない(多分、その両方)。でも、決定的に新しいと思ったのは、男女が平等に戦士として参加している点で、この映画、実は、初の戦争フェミニズム映画なのではなかろうか。今後の戦争映画は、好むと好まざると、この映画の、教練後に男女が一緒にシャワーを浴びているシーンを意識せざる得ないだろう。と、冗談を飛ばしつつ、わらわらとわいてくる虫どもの映像を反芻中。
・グリンリーフ「欲望の爪痕」を買う。
■本日の密室系■
014 「天狗起し」 (’70) 都筑道夫  『くらやみ砂絵』
通夜中に監視された部屋から死人が消え、別人の死体で発見される/センセー
死体が人を殺して逃げたとしか思えない抜群の不可能状況、二度にわたる見せかけの解決、盲点を突く真相。集中の名編に恥じない内容。本編の自作解説、「死体を無事に消すまで」と併読すると、一層興味深い。☆☆☆
●国内リスト更新情報
 上記を追加。

98.5.2(土)
・やっと連休という感じである。周囲も暦どおりの人が多いし。終日、雨。
・新刊レヴューに「毒の神託」「殺しにいたるメモ」「カリブ諸島の手がかり」をアップ。すぐ書かなければ忘れてしまうことは、わかっているのだが。
・都筑道夫「ちみどろ砂絵」読了。ベストは、町の怪異と意外な犯人、人情噺と江戸情緒、なめくじ長屋の住民の活躍が巧みにブレンドされた「本所七不思議」か。「ろくろっ首」は首の切断理由に創意が、「春暁八幡鐘」は、風呂桶の盗難依頼という怪盗ニックばりの発端が魅力的。

■本日の密室系■
008 『騎士の盃』 ’54 カーター・ディクスン (ハヤカワ文)
鍵のかかった部屋で〈騎士の盃〉が動くという怪事/H・M卿/
H・M卿物最後の長編である本書は、作中、「オペラは踊る」のタイトルが何度も出てくるようにマルクス兄弟真っ青のスラップスティック編。場面が固定したまま、素っ頓狂な人物が出入りして事件を巻き起こすのは、当時、はやったスクリューボール・コメディのようでもある。謎は、冒頭のものがあるだけで殺人も起きない。意外な犯人はあるものの、予想されるように、謎解きも小粒。ヒロインの父であるウィリアム・ハーヴィは、アメリカ民主主義の熱烈な賛美者でありながら、実はイギリスびいきという、カー自身の投影であり、ある種、アメリカとイギリスに分裂した自己をもてあましているようなところもある。回顧趣味はますます深くなり、願望充足的要素も強まって(カーが嫌悪する労働党の美人議員とのベッドイン)、なんとなく、作家の衰えというものも感じさせる。評価は、スラブスティックを楽しめるかどうかにかかっているのだが、ここは、愛を込めて。/Bomb!

009 『毒の神託』 P・ディキンスン → 新刊レヴュー

010 「きみとともに島で」 ('81) 小林信彦 『超人探偵』
ドアに目張りされた部屋でのガス死/神野推理/
 カーが『爬虫館の殺人』、ロースンが「この世の外から」で挑んだテーマに挑戦。こういう手もあるか。「唐獅子」の学然和尚登場。☆☆

011 「クアラルンプールの密室」 ('81) 小林信彦 『超人探偵』
入り口が監視され、ドアがロックされたホテルの部屋での殺人/神野推理/
集中、最も本格的な謎解きの一編。ノックスの十戒「の1つ「中国人を登場させてはいけない」の珍解釈もキマっている。犯人の目的のためにここまでやる必然性に疑問あって、惜しくも。/☆☆

012 「よろいの渡し」 (’69) 都筑道夫  『ちみどろ砂絵』
渡しの舟から消失した男/センセー/
「なめくじ長屋」シリーズ第1作。消失の謎はともかく、舟が渡る際の椿事が眼にも鮮やかな一編。/
☆☆

013 「三番倉」 (’69) 都筑道夫  『ちみどろ砂絵』  
閉じこめられた倉から消失した犯人/センセー/センセーの推理と奸計が冴える。/☆☆

●国内リスト更新情報
 都筑道夫の上記2編、長井彬「北アルプス殺人組曲」を追加。


98.4.29(水・祝)
・不可能犯罪ミステリリストを、あ行、か行・・に分割。少しは、軽くなったか。近いうちに再整理をする予定。
■本日の密室系■
007 「ダービー出走馬の消失」 ('54)  マイクル・イネス 『敗者ばかりの日』(ハヤカワ文)
 ダーピー出走馬の輸送中の消失/アプルビイ/イネスの第1短編集に収められたショート・ショート。解決がもたらすイメージが爽快で、なかなかよろしい。☆☆
●国内リスト更新情報
 広瀬正「T型フォード殺人事件」、折原一「猿島館の殺人」、草川隆「東北新幹線やまびこの殺人」
関口甫四郎「A寝台殺人事件」「小樽玻璃街殺人事件」、山村美紗「京都離婚殺人事件」「京都清水坂殺人事件」「京都大原殺人事件」、西村京太郎・山村美紗「京都旅行殺人事件」を追加。

98.4.28(火)
・昨日、今日と根室、釧路へ出張。根室は4年ほど住んでいたところなのだが、訪れるのは約10年ぶり。色んなことを思い出した。日中の気温は、3℃。納沙布岬も、人がほとんど見えず、寂しかったなあ。
■本日の密室系■
005 「ブルー・トレイン綺譚」 ('81) 小林信彦 『超人探偵』
 ブルートレインの鍵のかかった個室で刺されたやくざ/神野推理/前作(『神野推理氏の華麗な冒険』が1編30枚程度のパロディ(著者曰く「バーレスク」)という性質上、謎解きも、おふざけが主だったのだが、『超人探偵』の方は、枚数も50枚に増え、謎の骨格も本格的である。本作は、短いせいか、あっけない。☆

006 「帰ってきた男」 ('81) 小林信彦 『超人探偵』
 密室の溺死体/神野推理/天才犯罪者オヨヨ大統領と香港に消えた神野推理の復活編。ネタも冴えている。☆☆

98.4.26(日)
・昨日から、一挙に寒くなってしまって。咲いた桜も蕾に戻ったか。
・「仮面劇場の殺人」読了。カーが読みたくなって、未読の古い本を引っ張り出してくる。
■本日の密室系■
003  「方子と末起」 '38 小栗虫太郎 「不思議の国のアリスミステリー傑作選」(河出文)
 容疑者が1人しかいない部屋での密室殺人/方子/女子学生同士のレスビアニズム、不思議の国のアリス、密室殺人が奇妙に混交した怪作。ラストは、わけがわからないながら、かなり怖い。
☆☆★

004  『殺人者と恐喝者』 '42 カーター・ディクスン 創元推理文庫
 衆人環視下での凶器のすり替え/H・M卿
別題「この眼で見たんだ」。この時期のカーは、謎はシンプルなものになり、怪奇趣味も陰を潜め、ひどく読みやすい。冒頭から、ある殺人の顛末が語られ、殺人者と同居する若妻の不安が描かれる。ここまでは、心理サスペンス小説風。その後の展開が読めずにとまどっているうちに、その家で催眠術の実験が行われ、実験さなかに夫が死亡してしまう。若妻が術者のいいなりに、夫の心臓に切りつけると、絶対安全なはずのゴムのナイフが本物にすり替えられていたのだ・・。とカーらしい展開になる。冒頭の謎を中心に物語は転がり、次の事件の起きるテンポもよく、飽きさせない。トリックは、トンデモ系なのだが、隠された大ネタあり。これが見事に決まっていればよかったのだが・・。やっぱり、この書き方は読者の許容の範囲を超えてるでしょう。グリーンの「ジョン・ディクスン・カー 奇蹟を解く男」によれば、カーファンで知られる作家・評論家アンソニー・バウチャーは、記述のアンフェアに激怒して、「最低のいかさま」と、カーに怒りの手紙を送りつけたという。そういう意味では、カー最大の問題作?この点を除けば、H・M卿の興味深い生い立ちあり(作品中で伝記を口述中)、 いつもながらのハッピーエンドありで、楽しめたのだが。☆★


98.4.22(水)
・この時期の北海道にしては、異常なまでの暖かさ。7月上旬のような感じかな。
■本日の密室系■
002 「赤馬旅館」 '38 小栗虫太郎 「ホームズ贋作展覧会 下」(河出文)
 夜毎密閉された部屋に現れる人物/シャーロック・ホームズ/戦前の密室系巨匠がラジオ放送用に書いた文士劇台本。ホームズを江戸川乱歩、ウォトスンを水谷準が演じた。解説が木々高太郎、演出が久生十蘭という超豪華布陣である。お話の方は、結構まじめなパスティッシュだが、こんなところにも密室の謎をもってくるのが虫太郎らしい。海野十三が演じた女房マーサってどんなだったんだろう。☆★

98.4.20(月)
・少し古いネタですが、「新潮」5月臨時増刊号「歴史小説の世紀」に風太郎「みささぎ盗賊」が選ばれてましたね。著者写真がなかなか良い。
・「真夏の夜の夢」について、風太郎コンメーディア昭和27にコメントアップ。
・発作的新コーナ「本日の密室系」開始。☆☆☆満点。
■本日の密室系■
001 「大いなる密室の謎」 '49 ケリイ・ルース HMM(’98.4)
 踏み込むのに3日もかかる鉄壁の密室での富豪の死密室の死/セント・ジョン/MWAのエドガー賞受賞ディナー等で演じられた文士劇の脚本。名探偵セント・ジョンを演じたのは、J.D.カー。パロディ劇だが、カーの女好きをからかったりして、なかなか笑える。オチも決まった。☆★


98.4.19(日)
・本日も行ってみよう。
・4月はじめの転勤、引っ越しのどさくさの中で、行って来ました、日本近代文学館。小田急線東北沢駅から徒歩10分。閑静な区立駒場公園の中にある。利用料金300円をとられるものの、コピー代1枚100円と安い(?)。最も気に入ったのが、利用者数が少ないことで、土曜日の2時頃行ったにもかかわらず総利用者は、5〜6人。こちらがバンバン、本や雑誌の請求をすると、暇そうな係員がバンバン持ってくる。1度、土曜日に行った国会図書館の巨大病院なみの行列と比べると、嘘のような回転の良さである。最後の方では、係員のちょっと冷たい視線を感じたりもしたが、風太郎探索行シリーズ第3回も収穫ありました。
・まず、単行本未収録の「女探偵捕物帳」(昭和28年「りべらる」8〜12)。大宅壮一文庫で全部入手したと思っていたのに(3/4の記述参照)、3話目が終わりらしくないので、リストをよくみると、11、12月号にも続きがあるではないか。痛恨の極みとほぞを噛んでいたか、運良く、11月号、12月号
をここで見つけることができた。11月号「怪奇玄々教」、12月号「輪舞荘の水死人」。心躍るタイトルである。コメントを「コンメーディア」の昭和27年にアップ。
・国会図書館で見つからなかった「渡辺教授毒殺事件」(昭和27年週刊朝日10増刊)がここにはあった。(雑誌のタイトルは「秋季増刊」となっている)。ニュー・ストーリー特集の一編で、当時のノンフィクション作家?の作品と目次で並んでいる。
・「真夏の夜の夢」(昭和27年サンデー毎日7増刊)もゲット。
・高木彬光との合作長編「悪霊の群」の連載された「講談倶楽部」も見ることができたので、連載開始時の「作者の言葉」を昭和26年に追加しておく。
・それと早稲田の平野書店(「白い夜」が収録されている「新潮」を500円で買ったところ)で、「探偵実話」昭和35年の8月増大号(夏のエロチィック・スリラー号)を購入。風太郎の未収録短編「あいつの眼」が収録されているのだ。この作品、帰去来リストによれば、昭和32年傑作倶楽部6月号が初出になっているから、再録版である。当時は、結構、再録と断らない再録が多かったようだ。以前、神田でみた「宝石」の別冊かなんかで、リストにない「東京阿呆宮」という作品を見て眼を剥いたことがあったが、中身を少し読むと「新かぐや姫」(昭和26年)、なんてこともありました。作品自体は、現代ミステリらしい(読まずにとってある)。ところで、この「探偵実話」お値段は2000円。んー、ここに書いて少しウサをはらしたが。
・以上が私の東京における風太郎探索行の最終成果。まだ、気になる未収録短編が結構あるなあ。
「天狗岬殺人事件」、「ウサスラーマの錠」、「死人館の白痴」、「パンチュウ党事件」・・・。東大のハスミ先生が東京に生まれるのも才能の一種だと、どこかで書いていたけど、確かに東京の情報集積は圧倒的。札幌での風太郎探索行はかなり絶望的である。また、いつの日か国会図書館にチャレンジしてみたいものだ。
●国内リスト更新情報
 「きみとともに島で」小林信彦、「今はもうない」森博嗣、「鍵の抜ける道」西澤保彦

98.4.18(土)
・「江戸にいる私」(短編の方)、読む。面白半分にチョンマゲかつらを買った中年の物書き、藪井氏
(藪医師)が正月にかつらをかぶると、江戸の田沼時代にタイムスリップして・・という珍品。といっても、SFになるわけではなくて、高度成長期の昭和と田沼時代を比較した文明批評に主眼が置かれている。エッセイ等でおなじみの日本批判、戦後批判が随所で顔を覗かせるが、主人公の口を借りて出てくる歴史観(「寛政、天保、幕末なんてなくてよかった」等)はかなり率直で、興味深い。田沼時代を扱った作品には「天明の判官」「忍法女郎屋戦争」等があるが、こちらの田沼意次・意知や平賀源内像と比べてみるのも一興。
・でも、山風作品リストで昭和34年版と昭和48年版「江戸にいる私」を同一作品として整理してしまったのは、若干早計だったかもしれない。文庫版では昭和48年当時の時代背景(田中角永、横井庄一、連合赤軍等)が相当書き込まれており、特にラストはその頃ならではのオチがついている。
昭和34年版の結末は、また、違ったものになっているはず。原型も楽しむためには、完璧な風太郎全集が出るまで待つしかないか。
・4月に入ってから「毒の神託」「殺しにいたるメモ」「シャーロッキアン殺人事件」「カリブ諸島の手がかり」を読む。砂漠にそびえ立つ逆ピラミッドの方へ、英国戦意昂揚省の方へ、全盛期のハリウッドの方へ、呪術の支配するカリブ海の方へ。ミステリの一番おいしいところを読んでる感じ。おいおいコメントも書きまする。


98.4.17(金)
・しばらくご無沙汰でしたが、職場が変わって、4月から札幌の自宅に戻ってまいりました。電話回線の接続に結構手間どったけど、心機一転続けますので、また、ひとつ、ご贔屓のほどを。
・やっばり、北海道は、食い物もうまいし、のんびりしてるし、娘はかわいいし、いいっすねえ。
・書くことがいっぱいあるような気がしますが、とりあえず今日は、山風ネタ。
・廣済堂文庫新刊「江戸にいる私」に、未文庫化短編がたくさん収録。表題作は、単行本初収録。登場カウントダウン、山風作品リストに反映いたしました。
・明日も書きます。
●国内リスト更新情報
 「致死海流」森村誠一、「ディオゲネスは午前三時に笑う」小峰元、「ブルー・トレイン綺譚」「帰ってきた男」「クアラルンプールの密室」小林信彦