《5月11日(火)》
なんだか今日は涼しかったわね。これから涼しくなるの? 暑いよりはいい。いや、なによりも。
とゆーことで、最近読んだ本の感想。
- 高畑京一郎『クリス・クロス 〜混沌の魔王〜』(メディアワークス)
- ◇あらすじ◇
MDB9000。コードネームは「ギガント」。日本が総力を結集して作り上げたスーパーコンピュータである。世界最高の機能を誇るこの電子頭脳は、256人の同時プレイが可能な仮想現実型RPG「ダンジョントライアル」に投入された。
その一般試写で現実さながらの仮想世界を堪能する主人公。しかし、彼を待っていたのは、身も凍るような恐怖だった………。
電撃ゲーム小説大賞で金賞を受賞したバーチャルRPGノベル、ついに起動。
(カバーより)
いわゆるあれやね、『クラインの壺』やね。まー、扱ってる題材がだけど。
「ゲーム大賞」ということでどうしてもある種のバイアスがかかるんだけど(って、昔は割と読んでたけどねぇ)、それをいい意味で裏切る展開なわけで。
終盤の「悩み」が軽いと言えば軽いんだけど、その分勢いがあって読みやすいよね。
ラストはもうひと展開欲しい気もするけど、これはこれでいいかも。
《5月12日(水)》
このつまらない日記だけでしか私を知らない人にとっては驚かれるかもしれないが、私は笑いが好きなんである。
正確に言うと、人を笑わせるのが好きなんである。そんなわけで普段の会話はほとんど「笑い」を狙ってしまうのだ。
話は少々変わるが、「大阪の人間は普通の会話が漫才である」なんて言われることには、私はものすごく反発を覚えるのだ。
また「あの芸人より自分の方が面白い」などというバカがたまにいるがそんなやつは問題外。
当然、漫才の方が比較にならないくらい面白いのだ。大阪人は素人の限界を重々承知しなければならない。意識的行動と無意識的行動の強度には格段の差がある。
それはともかく
笑う門には福来るとかいうが、これは弊害があって、「真剣な会話」が出来なくなってしまうのである。もう友人と真面目な会話をしなくなって何年がたつのであろうか………。
普段出来ない「真面目な話」を日記でやってるとも言えるんだけど、つまんない内容なのはただ単にすべってるだけだと理解されたい。
で、なんでこんな事を書いているかというと、今日映画「ライフ・イズ・ビューティフル」を見て笑いというものについて考えてしまったからだったりする。
映画は非常に面白かった。是非多くの人に見て欲しいものである。
内容についてはここでは書かないが、「笑い」「泣き」を欲する人は見て損はないだろう。ただし、この映画は基本的にはファンタジーである。そんな事もわからずリアリズム的な観点からしか見れずに批判するバカは死ね。
「笑い」の裏にある哀しさ。言葉にするととてつもなく陳腐だなぁ。こういう風に書くと「道化」の哀しみみたいなものを一般的には想起されるだろうが、ここで述べたいのはそういうことではない。
冒頭に書いたように素人なりに人を笑わせようとし続けていると、時に暗い淵をのぞき込んだ気分になるのだ。
これは言葉にしにくい感覚なのだが、ある種本能的なモノなのか。
言葉による笑いとは「言語以前のシンボルへの退行を唆すと同時に、その退行の誤りを証明すること」といった哲学者がいたが、なるほどこの通りであるならば、私が見たものは「言語以前のシンボル」を崇拝していた太古の生活の縁だったのかもしれない。
なんちゃって。
《5月13日(木)》
つまり、あれだな。いびつなところが魅力なんだな。
《5月14日(金)》
こんなもんでいいですか?(^^;
- 坂本真綾「DIVE」
-
これはどんなジャンルの音楽にも言えることなのだが、演者が意識的であろうが無意識的であろうが、いくらかは「ファン向け」といった要素があるのは否めない。
もちろん、それは決して悪いことではない。
その要素が肥大しているものですぐに思い当たるのが「ヴィジュアル系」というものであろう。有名どころでは、LUNA SEAのファンのことをSLAVEと呼んだり、TMRが「ファンみんながTMRだ」などと言ったりしているのは顕著な例だろう。そうか?
これはファン向けの要素というよりも、聴き手のある種の選民意識を刺激する戦略といえる。まぁ、この話は今回のモノとは関係なし。なら書くな。
期待の実現。現在はヴィジュアル系と呼ばれる人達がかなりその立場を奪ったように思うのだが、かつてはそれをマスレベルで展開できていたのが「アイドル」なんだろう。この話も今回のモノとは関係なし。なら書くな。
坂本真綾は声優だそうだ。はっきり言って知らない。まぁ、私が名前まで知っている声優なんて限られているんだが。
ほとんど聴いたことがないので憶測だけで書くのだけれども、声優が出すCDもファン向けのアイテムなんであろう。多分。違ってたらごめん。
アニメファンなのか声優ファンなのかよくわからないが、そういう人達がターゲットの中心なのは確かだろう。そういう意味ではこういうCDに関しては、「そのジャンルに詳しい人」/「それ以外の人」の境界の断絶は非常に大きいと思う。メタル系と匹敵するほどに(おぃ。
だが、時にその境界を越えて現れる作品がある。これは冒険でもあるはずだ。ある程度の市場が確立されているのならば、そこに安住していれば十分数は見込めるのだから。
しかし、その安住は閉塞化をもたらす。それはわかっているだろうが、個々の作品/アーティストレベルでは、その大局的な状況まではなかなか目を向けられないものだ。
そこを越える作品。それが「名作」と言われるものなのだろう。
「DIVE」がそういった作品なのかどうかは、聴いてみないとわからないけどさ。聴いてないのかよ。
《5月15日(土)》
とゆーことで、最近読んだ本の感想。
- 皆川博子『死の泉』(早川書房)
- ◇あらすじ◇
第二次世界大戦下のドイツ。私生児をみごもりナチの施設<レーベンスボルン>の産院に身をおくマルガレーテは、不老不死を研究し芸術を偏愛する医師クラウスの求婚を承諾した。
が、激化する戦火のなか、次第に狂気をおびていくクラウスの言動に怯えながら、やがて、この世の地獄を見ることに………。
双頭の去勢歌手、古城に眠る名画、人体実験など、様々な題材と騙りとを孕んだ、絢爛たる物語文学の極み!
(カバーより)
うーん、重厚。「物語」を読む楽しさを存分にあじわえました。
伝説、カストラート、ドイツ化、親子、双子、人体実験、そして復讐。
様々な題材を扱いながらそれらが見事に絡み合い、流れを作り上げているのは特筆に値しますねぇ。消化不良になっていない。それでいて、あまり分厚く、詰め込みすぎになってないんだよなぁ。
よく書評でみられる(た)ように3章「城」がそれまでにくらべていまいちではあるのですが、それを反転させるような「あとがき」の展開。遊び心も含めて非常に堪能。
こういう稚気は絶対にいるよね、小説には。書いてる方も楽しかっただろうなぁ。
本当の「あとがき」さえもちょっとドキドキしたりして(笑
《5月16日(日)》
今日は、レンタル屋で借りてきたビデオを観まちた。
タイトルは「新幹線大爆破」
新幹線下り109号に爆弾を仕掛けたという脅迫電話が! 80キロ以下に速度が落ちるとそれは爆発するという。犯人の狙いは?! 1500人の乗客の命と共に、新幹線は終着駅博多へと走り続ける!!
速度が落ちると爆破………どこかで聞いた話ですね。そう、日本でも大ヒットした映画「スピード」です。
有名なことですが、「スピード」は「新幹線大爆破」のパクリ、といったら言葉は悪いか、リメイクです。これは監督も認めてるそうで。
見所は豪華な役者陣。犯人役に高倉健、いっぱいいっぱいの管制官(?)役に宇津井健、そしてとにかく運転し続ける新幹線の運転手役に千葉真一だ!! なんと全然アクションしないぞ!!(笑。
他にもチョイ役でやたらと豪華なメンバーが出てるんである。それをさがすのも楽しみとか。
精巧な特撮も見逃せ無いぞ。新幹線を爆破するってんだから、当然実際の車両は使えないわけで。そこで日本の誇る特撮技術、模型の出番だ。
ミニチュアの新幹線が走る! 軋む! 飛ぶ! 爆発する!! これはマニアにはたまらんでしょう。
と、こんな風に書いてるとなにやらB級バカ映画の匂いだけども、これがおもしろいんだなあ。よくできてます。
けれん味たっぷりの黒澤明「天国と地獄」といったところか。
日本でこういう映画を撮れてた時代もあったんだねぇ。聞いた話によるとこの映画の監督ってあの「北京原人」を撮った人なんだとさ………
日本映画の凋落を体現してるなぁ(^^;
《5月17日(月)》
私は最近スピリチュアライズドに夢中ですが、皆さんはどうですか?
ということで、ここんとこの日記は何だか長い上に意味不明だぞ、と某方面から苦情が届きました(笑。反省することしきりでございます。ええ、ええ。
今日はいい天気だったねぇ。
こんなもん?
いやいや。
『永遠の仔』上巻を読了。なんとも破滅への予感がひしひしと。どうしようもない歪みってやつか。今さらだけどこりゃ傑作の予感。
《5月18日(火)》
ふあー、しんど。
今日もいい天気だったねぇ。
《5月19日(水)》
天気予報ではえらい雨だとか言ってたけどさー、そうでもなかったよねー。
ぱらぱらとは降ってたけど。
本日は散髪をしたのである。うーんすっきり。何と言っても風呂の時に頭洗うのん楽でいいね。
《5月20日(木)》
とゆーことで、最近読んだ本の感想。
- 天童荒太『永遠の仔(上下)』(幻冬舎)
- ◇あらすじ◇
霊峰の頂上に登れば「神に清められ自分達は救われる」と信じた一人の少女・久坂優希と二人の少年は、その下山途中同行していた優希の父親を憑かれたように殺害する。
三人は、事件の秘密を抱えたまま別れ、それぞれの人生を歩んでいたが、十七年後運命に導かれたように再会を果たす。
(上巻カバーより)
20世紀も終わろうとしているこの現代に生きている人間で、「親と子」や「家族」の問題について考えたことがないものは、よっぽどの楽天家かただのバカだろう。
一貫して「家族とは」「親子とは」と問いかけ続けている天童荒太の新作です。前作『家族狩り』も大変面白くはあったんですが、少々テーマの先走りというか観念の暴走があったためか、いびつな作品であったことは否めなかったわけで。
まぁ、それが魅力でもあったんですけど。
『永遠の仔』はテーマとストーリーテリングが非常にいいバランスで合ったために「名作」となりえているののでしょう。
といっても作家の「想い」がスポイルされているわけではなく、より深みをましてこちらに迫ってくるように思います。
ラスト近くではボロボロに涙が。久しぶりにというか、ここまで泣けたのはあまり記憶にないっすね。
冷静になって考えれば、これだけ泣けたのは私が「子供(親じゃなく)」で「男」だからなのかも知れないという気もするわけで、他の立場からの感じ方も知りたいですね。
で、とにかく面白い(しかし、めちゃヘビーな)作品なんですが、オドロキなのはこういうテーマなのにしっかりと「ミステリ」していること。
もちろんその仕掛け自体はさほどオドロキは伴わないわけなんですが、しかしテーマとは非常に不可分なものになっているわけで。こういうの読んじゃうと、うじうじ悩んでる(た?)法月なんかが軽く見えちゃうんだよなぁ(^^;。
展開が納得できる人もできない人もいるだろうけど、これは読んどけ。つうか、べし。
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