綺麗な名のオッサン!?
今でこそ、その響きを耳にしても驚くことはなくなったが、喫茶店で最初にこの名前が聞こえてきた時は「いったい何だ?」と思わず振り向いてしまった。テーブルには、ごっついオッサンがドカッと陣取っていた。注文を取りに来たウエイトレスに向かい、即座に「俺、れいこ」と言い放ったのだ。口調は決してオカマではない。もし新宿二丁目の人なら“俺”ではなく“私”を使うはずだ。
例えば「かずみ(和己)」や「かおる(薫)」のように、男性の名前でも女性っぽい響きにお目にかかることはある。でも「れいこ」という名の男を、私は未だかつて見たことがない。しかもそのオジサンは目鼻立ちの整った美男子……なわけはなく、野太い声で筋金入りの関西弁を話す、容姿も態度も豪快な中年男性なのだ。
私の頭の中は、結び目が幾つもできた糸のように、こんがらがった。せめて結び目のひとつくらいは解かなくてはならない。そこで無理矢理ひとつの結論を出してみた。この中年客は、自分が「れいこ(麗子?)」だと宣言しているわけじゃないのだ。そもそも注文時に、品物ではなく自分の名を告げる客なんていない。そこで発想の転換を試みる。この客は常連であり、「麗子」とはウエイトレスの名、つまり「オレ、麗子」――わかりにくいが、客は「顔なじみの麗子さんにカフェオレを注文」したのだ。
この推理で間違いないと確信したのは、ウエイトレスの受け答えがあまりに自然だったからだ。慣れていなくては、こうはいかない。「ありがとうございます」と爽やかな笑顔を残し、彼女はおっさんのテーブルを後にした。
しばらくして、隣りに品物が運ばれてきた。チラッと横目で見る私。ちゃんと、カフェオレが出されるか確認するためだ。しかし微妙に違うものがストロー付きでおっさんの前に置かれた。何の変哲もない、普通のアイスコーヒーである。確信が揺らいだ。脳裏で糸の縺れが再び増えてしまった。
この疑問が胸につっかえたままでは帰れない……。そんな時、また別のテーブルから「れいこ」という名が聞こえてきた。ここのウエイトレスはよっぽど人気があるらしい。しかしそこに注意を払っている暇はない。目の前のハテナを何とか解決しなくては……。
さっきから気になってはいたが、麗子さんが呼ばれたテーブルには、ことごとくアイスコーヒーが運ばれていく。なぜ客は頑なにアイスコーヒーばかりをこのウエイトレスに頼むのか……。私の推理がクライマックスを迎えた時、真後ろから純真な子供の声が聞こえてきた。
「ねえ、お母さん、“れいこ”って女の人の名前だよね」
「そうね。でも喫茶点ではもうひとつの意味があるの。“れいこ”はアイスコーヒーのことよ。“冷たいコーヒー”を短く書くとこうなるでしょう→【冷コー】ね。冷蔵庫の冷(れい)だから【れいコー】→それで【れいこ】に聞こえるのよ」
お母さんのわかりやすい説明を耳から仕入れ、頭の中で変換してみる……。思わず何度も頷いてしまった(後ろに悟られないように気を配りながら)。ようやく、ウエイトレスの麗子さん――いや冷コさん――が、必ずアイスコーヒーを運んできた理由が、はっきり見えた。
満足感に浸る私に、麗子さんから熱い視線が注がれている。気のせいかと思ったが、数分後にもまた目が合った。一度や二度ではない……。おかしい、私は女性が目を惹くような外見など持ち合わせてはいない。なのに何故……その時、重要なことに気づいた。私は自分の注文を終えずに1時間以上もこの喫茶店ですごしていたのだ……。
2005.3.25
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