勝手に、贈る言葉
偶然なのだが、5月は送別会が重なった。6月も、またひとり……。同じような時期、それぞれの人が異なる想いで、自分の進む道を探していたわけだ。そして送別会の数だけ、新たな道が開けた証拠である。
人は変化の中を生きている。留まっているつもりでも、地球は時速1674kmの速さ(横浜・クルーンの球速の10倍)で自転している。そう考えれば止まっていることさえもひとつの変化といえる。具体的な行動に出ていなくとも、頭の中であれこれ考えていれば、それは立派な変化なのだ。
真剣に自分の道を探していると、最初は濃かった霧も晴れ、進むべき場所が明確に見えてくる──今回送った人たちの姿を見て、とにかくそれを感じた。別れなのに寂しくない。温かな気持ちになるのである。
会っていないと不安になる──もちろん、それも人間だと思う。でも職場や住む環境が違っても、お互いのことを考え、思いやる心を持てたなら、それは良い人間関係ではないか……と思うようになった。ワーキングホリデーで海外に暮らす娘を想う親の気持ち、天国の祖父母を慕い続ける孫の心、卒業後は数年おきに会うだけでも、その1回でこれまでの生き方が瞬時に分かり合える友人の絆……。“尊い”とは、こういう間柄を指すものなのかもしれない。
仲の良かった人を送り出すとき、一番に考えること──それは、贈る言葉である。長すぎては重くなる。でも「じゃあね」の一言だけでは、これまでの歳月が軽くなってしまう。回想、感謝、エール……その中で伝えたいことをひとつだけ言えたなら、それが適度なバランスだ。……下書きにはどれだけ時間をかけたっていい。野球も小説も音楽も同じだ。試合や作品やステージで最大の力を発揮するために、人はその何倍もの時間を練習に割く。ほんのワンフレーズを生み出すにも、表には見えない影の時間が必要なのだ。洒落たジョークやひねりを入れるのも手だが、もっと泥臭く、素直な言葉でいいだろう。
「勝手に感謝しています」
こんな言葉が浮かんだ。格好良くもなく、分かりやすくもない言葉だが、その根底には“ギブ&テイク”に関するひとつの思いがある。人と人との関係は「持ちつ持たれつ」が基本だが、それに拘らなくてもいいのではないか……と、ふと思う。見返りを欲しない「ありがとう」──新たな道を歩む人に、こんな言葉を贈りたい。
2005.06.10
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