続:なぜネットワーク越しに喧嘩をするのか

前々回のこの欄に、電子掲示板(BBS)の上の喧嘩が絶えない理由として、文字を使ったメディアの特性自体にも原因があると書きました。しかし、インターネットやパソコン通信で起きている喧嘩には、もう一つ、利用者が相手や掲示板に対して持つ、心理的な認識のづれというのも大きく影響している思うのです。そして、これは将来、インターネットを利用する人が増えるにつれて大きな問題になってくるでしょう。

たとえば、あるBBSに初めて書き込むときを考えてみます。まず、読んで興味を持った話題に関連したことで、追記記事を書き込んでみる。これは、そのボードの流れを乱してはいないし、ほかの読者にも違和感を与えないでしょう。ところが、慣れてきて自分の考えなどを書いているうちに、同じ掲示板に書き込んでいる人との間で意見の相違が見えてくる。それがきっかけで喧嘩が始まり、ボード上の生き残りをかけたバトルにまで至ると、誰かが出て行くという不幸な結果になります。でも、これは、単純に論理的な意見の相違だけが原因でしょうか。日常でも、意見がすべて一致した人ばかりが集まって生活しているわけでもないのに、なぜ、電子掲示板上では許容できないのでしょう。こうした口論がもとで、面と向かい合って言えないような中傷を掲示板上に書きこみ、裁判ざたにまで至ってしまう「ニフティ名誉毀損事件」のような例もあります。こうした例は、決して特殊な例とは言えません。それに近い状況はどのBBSでも起こりうるのです。私には、こうした破局は、特別に攻撃的な人物の性格に起因していると言うよりも、誰もが心の中でBBSの上に投影している仮想空間の崩壊のようなものが原因となっているように思います。

BBSの上の文字を通した会話は、個人情報抜きで行われることが多いものです。この時、人間は名前、あるいはニックネームしか分からない相手と、どうやって意志の疎通をしているのでしょう。私が思うに、このとき私たちは相手の書いたメッセージをもとに、無意識に相手の人間像を作って、分からない部分を補完しているのではないでしょうか。例えば、「この人は、書いている内容から年齢40才、そうそう、いつだったか中学生の子供がいるとか言っていたな、」という具合に典型的なおじさん像を作り、その人間像に適した口調や内容の文章を作っている。さらに複数の人間が参加しているBBSでは、そのボードの雰囲気を、そうした仮想的な人間像の集まる一つの仮想空間として認識することで、書き込むのに使う口調や話題を選択しているのではないかと思うのです。そうすることによって、日常生活の延長として、名前も定かでない人物との対話が可能になる。しかし、そんな人間像は、各自がかってに推測して作ったものですから、とても正確とは言えません。だから、一度BBSの上で戦闘状態に入ると、相手の人間像は、必要以上に自分に対して敵意をもつ人物へと歪み、面と向かって話せないことまで書くようになるのではないでしょうか。もちろん、これは心理学者の学説でも何でもない、パソコン通信の経験から考え出した私の仮説です。

しかし、この仮説が本当であれば、将来、多くの人がネットワークを使ったコミュニケーションに加わったとき、そうしたコミュニケーションは、非常に脆弱なものになると思うのです。なぜかというと、まず、各自が持つ仮想空間は、現実よりかなり簡略化されたものであるということ、そして、簡略化されたイメージに対する人間の反応は、直接に会ってコミュニケーションする場合に比べて単純化され、過激になりがちだからです。実際、ネットワーク上のコミュニケーションにおける、他人のイメージというのは、じつに曖昧です。私は赤兵衛というハンドル名でPC-VANのBBSに参加していますが、実際に会った人に私に持っていたイメージを聞くと、中年の男性にとっては、なぜか私は彼と同じくらいの年齢にみられるようです。40才の人は40才、45才の人は45才、50才の人は50才の赤兵衛を思い浮かべて、私とネットワーク越しに対話しているわけです。でも、当たっているのは、本当に私と同い年の人だけですよね。さらに、個人の経歴とか、職業を知ることで、私たちのもつ相手のイメージはもっと変わります。あるいは、相手の職業や、職位を知ったおかげで、もはや対等のコミュニケーションができなくなる可能性もあります。そこで、ネットワークでの匿名性の是非が議論になります。果たして、各自のもつ曖昧な仮想空間をもとにコミュニケーションするのと、完全に個人情報まで認識したうえで付きあうのと、どちらが問題が少ないでしょうか。

しかし、残念なことに、匿名性についてはコミュニケーションの問題というより、日常生活の安全性の面からそれが必要とされる場合が多いのです。ネットワークの外の社会でさえ、個人情報の漏洩は、多くの場合、個人の権利を奪う結果になっています。それと、無制限のアクセスを認めるのが一般的な使い方であるインターネットの性質を考えれば、個人情報を出すことは非常に危険を伴うという結論になります。すると、将来のネットワークでも、各自のあいまいな仮想空間を信じて情報を伝えあわないといけないことになります。単に、趣味でネットワーク上のコミュニケーションをしているのならよいけど、将来、ネットワークが日常生活に入り込んで、個人間の商取引など、実生活での利害関係に影響を与えるような使い方をするようになると、各自の持つ仮想空間の崩壊が実空間の人間関係もめちゃめちゃにする恐れがあります。しかし、こうした混乱をどうしたら避けることができるかと考えると、結局、いかに自分の仮想空間を健全に保ち、また、それに基づいて書き込んだ自分の発言に対して責任を負うことができるか、というつまらないけど重要な倫理観に頼らざるを得ないように思えるのです。

1998.02.13
ひとつ戻る HOME つぎに進む