放射線情報の読み方

99年9月30日に茨城県東海村の核燃料工場で起きた放射線もれ事故[asahi.com]は、放射性物質の目に見えない恐ろしさを再認識させると同時に、同様の核燃料をもつ施設に近接して住んでいる人たちに、つよい不安を与えました。こうした目に見えない恐怖に対しては、当事者に正しい情報を伝えることが重要ですが、今回の場合、地域住民が頼りにしたのは主にNHKが流し続けた報道だったのです。避難する住民に対しては村役場が直接出向いて知らせたにしても、10km以内の地域に出された自宅待機の指示は、100%報道機関から得ていたはずです。そんな中で、インターネットを通した情報はどれくらい役に立ったのかと考えると、まだまだ、お遊びの領域であるとしか言えないのではないでしょうか。

実は、事故の夜に、東海村のホームページ[net-ibaraki]にアクセスが殺到していました。事故の前は2万アクセス程度だったのが、事故から24時間以内に5万アクセスを越えていました。そして、一週間たった10月7日にはホームページのカウンターは97000を越えています。事故当時、村役場は村民に伝える情報収集で精いっぱいでしたから、あの日にこのホームページを見ても、関連する情報はありませんでした。それでも、この自治体のホームページになんらかの情報が出ているのではないかと、アクセスした人がいたわけです。多分、ほとんどはやじ馬的につないだのでしょうが、なかには東海村に、親戚や、知人が住んでいるような人が、何らかの情報を求めてアクセスしたかもしれません。でも、ああいう修羅場状態の自治体に、インターネットにまでリアルタイムの情報を流す余裕はありません。それができるのは、やはりテレビやラジオの放送でしょうね。インターネットを通して記事を発信している新聞社でも、記事を載せていましたが情報の即時性はテレビ放送には勝てません。こういう状態を見ると、こうした災害時にインターネットはどう役に立てるのかと考えてしまいます。

リアルタイムの情報も発信できるのが、インターネットの売りであるわけですが、今回の事故でも核燃料サイクル開発機構のホームページでは、ガンマー線の定点観測データ[apple.co.jp]を流し続けていました。この機関は、じつは97年に、核廃棄物の処理施設で爆発事故を起こしたところです。このサイトでは、東海村の村松にある核燃料リサイクル開発機構の構内と、同じく東海村の船石川(住民が避難したコミュニティセンターがある)と、村の南に隣接するひたちなか市の高野と長砂におかれた、ガンマー線観測装置の測定データをリアルタイムで表示しています。グラフは一週間分しか表示されないので、すでに事故当時の変化を見ることはできません。そこで、事故が起きた日と翌日の放射線量をこのサイトからコピーしておいたので、それをグラフにしてみました。このグラフには、各測定点のガンマー線量と、そのときの村松の降雨量を棒グラフで示しています。プロットと地名の対応は、右端の凡例を見てください。これらの観測点と、事故現場の位置関係は、船石川は事故現場から南に約1.5km、村松は南東に5km、長砂は南南東に7km、高野は南に5kmはなれています。さて、こういうリアルタイムの情報をWebで見ることができるのも、インターネットの特徴ですが、ひとつ問題があると思います。それは、我々素人が、こうした専門的な生のデータを正しく理解するのは難しいという点です。

このグラフを一目見たら、事故による影響が7km離れたところにまで及んでいることは明らかで、すぐにこの範囲は汚染されていると短絡的に考えるかもしれません。しかし、もう少し注意してみると、肝心の事故発生時刻にはなんの変化もなく、12時間も経過してからガンマー線が変化していることに気がつくでしょう。これは、どういうことだろうか。なぜ、12時間もあとに影響が出たのかは、村松の風向きのデータをみると推測できます。グラフの下に、影響が表れる前後の風向きの変化を表にしてみました。これをみると、変化する数時間前にそれまで東よりに吹いていた風が、西よりに変わったことがわかります。つまり、ここに現れている放射線の変化は、現場から風に乗って流れてきた微量の放射性物質(これは死の灰ではない)の影響と考えることができます。この、物質の流れは狭いようで、現場から1.5kmしか離れていないのに、船石川には風向きが変わるまでこの影響が出ていません。また、たがいに3kmしかはなれていない高野と長砂でも、明らかに差がみられます。言い換えれば、このグラフに出ている放射性物質は、最初の12時間の間は、西よりの那珂町方向に流れていたのでしょう。そして、北よりの常陸太田や日立市には、もしかしたら何の影響もなかったかも知れません。では、この放射線は体に悪影響があるのだろうか。それには、縦軸の意味を理解しないといけませんね。

このサイトの説明を読むと、私たちは自然界から一年間に1mSv(ミリシーベルト)程度の放射線を受けているようです。そして、グラフの縦軸(マイクログレイ毎時)に時間と0.8をかけたものがシーベルトになります。仮に船石川で観測された一番高い放射線量0.3μGy/h(注:実際は4倍の1.2μGy/hあった?追記を参照)を12時間浴びつづけても、0.003mSvにしかなりません。これは、東京と大阪の自然界からの被爆量の差(年間0.17mSv:核燃料サイクル開発機構のホームページによる)に比べても無視できる量です。ちなみに、東京より大阪のほうが自然の放射線量がおおいんだそうな。神経質な人は暮らせませんな。でも、大阪よりも滋賀県や福岡県の方が多いとか。結論から言えば、このグラフは事故の影響があったが、人体や植物に影響するほどではないということを示しています。日常でも、空には放射性物質が漂っており、雨が降るとそれが地上に降ってきます(グラフの30日18時頃の変化もそれ)。それを考えれば、自然界の10倍の強さでも、こうした一時的な放射線量の増加は、たいしたことではない。と、説明されても、事故で発生した放射性物質が、ごく微量にしても大気中に漂ったということは事実ですから、気分が良いものではありませんけどね。

リアルタイムのデータをWebで見れるのもよいのですが、理解が難しいものを見せられても逆効果のような気がします。このグラフをリアルタイムで見ても避難するかどうかの判断は難しいでしょう。こうした、災害時の情報は、十分にわかりやすく噛み砕いた状態で、公開されるべきです。では、インターネットがこうした災害時に役に立てることはないのだろうか。もちろん、ひとつは、ニュースサイトの役割でしょう。もう少し、速報性があるともっとよいですが、テレビが見れない場所では重宝です。もうひとつは、消息を掲示する場として使えないでしょうかね。いつも、災害時には、地域の電話回線がパンクします。直接書き込める人は自分で書いてもらって、パソコンのない人は役場かボランティアの人に消息を書いてもらう。それを、ミラーサイトにばら撒けば、少なくとも、インターネットが使える人は、電話を待たずに住むでしょうね。こういう使われ方が一般的になれば、インタネットも生活に浸透したと言えるのではないでしょうか。

1999.10.08
[追記]ここに紹介した空間ガンマー線量のグラフは、核燃料サイクル開発機構のホームページに載ったデータを使って書きましたが、同じ測定点で取ったと思われる別のグラフによると、30日19時過ぎに船石川で1.2μGy/h弱の高いピークがあります。この相違は、開発機構のホームページでは1時間ごとの更新になっているために、その間のデータが表示されていないことが原因だと思います。ですから、今回のように、風で数分の間だけ放射線量が増えるような現象は、1時間ごとの表示では追いきれないものがあるのですね。こんなところも、インターネット上の生データを読むときの難しさだと思います。

1999.10.11
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