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本年「誓願貫徹の年」の法華講連合会春季総登山会が、3月24・25日の2日問にわたって行われ、全国から一泊・日帰り合わせて2万5000名が総本山に参詣した。一泊の登山者は、24日午後7時から客殿において行われた御法主日顕上人猊下の御講義に参加した。まだ25日には法華講連合会第38回総会が行われ、御法主日顕上人猟下御臨席のもと、総監・藤本日潤御尊能化、教学部長・大村日統御尊能化、庶務部長・早瀬日如御尊能化、大石寺主任理事・八木日照御尊能化をはじめ、宗務院各部の部長・副部長、総本山塔中の御尊師方が御出席され開催された。
仏祖三宝尊御照覧あそばされる総本山において、恐れ多くも第67世御法主日顕上人猊下の御臨席を仰ぎ奉り、ここに盛大に開かれる日蓮正宗法華講連合会第38回総会、各会場の全国の皆さん、おめでとうこざいます。御法主上人猊下におかせられましては、御法務殊のほか御繁多の中にもかかわりませず、御臨席を仰ぎ奉り、ただ今はまた甚深なる御指南を賜り、まことにありがとうこざいました。また総監様、宗務院・内事部御出仕の御尊能化様、諸役の御尊師様、そしてまた各指導教師の御尊師様方にも、御法務ご多忙の中をご出席を賜りまして、まことにありがとうございます。衷心より御礼申し上げます。
今年は「誓願貫徹の年」、明年はいよいよ待望の宗旨建立750年、大佳節の年であります。我等は、平成6年・地涌六万大総会から7年間、御命題の三十万総登山は、一日も忘れることなく、また本年は、奉安堂建設御供養の最終回、まことに大事な年であります。すでにご承知のごとく、4月からは三十万総登山達成推進僧俗指導会も、3つのグループに分かれ全国78カ所を5月までに終わらせ、9月以降は、大布教区、8カ所の予定であります。また布教区内の僧俗協議会には、新しく地方部長さんが加わり、従来通り行われます。
今、この2年間を振り返る時に、すでにやるべき事は、十分に言い尽くされ、後はただ実行あるのみであります。そこで、この実行について申し上げたいことは、「使命の自覚」であります。私は、この言葉にはなんとなく、響きの割には違和感を持っておりました。それは、邪義、外道の輩は悪を糊塗し、善にすり替えそれを誇張し、大衆を扇動してきた歴史があるからであります。
しかし、昨今になって、その本質が判ってまいりました。本来の使命とは、それは、使いに出される使者が、主君から言い付けられだその言い付けのことであります。このことは、私は大聖人様の御振る舞いを拝し奉って、よく判ったのであります。下種仏法の使命とは、釈尊が説かれた脱益の仏法は末法には無益であること、このことをはっきりと言い切っていくことであります。これが折伏であります。脱益の仏法では祈りも叶わない、利益もない、このことを声を大にして、多数の人々に教えていく。そうして下種仏法の三大秘法の大御本尊様に題目を唱えさせていくことであります。
今、七百数十年を過ぎて、法華講の我等の使命を考える時に、御法主日顕上人猊下より申し付けられた「言い付け」は、一人が一人以上の折伏、三十万総登山の実現、奉安堂の建立であります。大聖人様は「人のつかひに三人あり」(御書1213ページ)と仰せられ、一番悪い使いと一番良い使いを判りやすくお諭しくださっております。それは、使者が、主君の使いにどこまでも忠実で自分の考えを入れてはいけないこと。そこに、相手の王の意に叛(そむ)き、命を奪われるようなことがあっても主君の言葉を曲げてはいけない。そこに、下種仏法の使いは命がけだよ、ということであります。
我等は、この三十万総登山も、また奉安堂建設御供養も、「大変だ人変だ」と自分の考えを入れているようでは、これは一番悪い使いになってしまうのであります。そこに下種仏法は、脱益の仏法とは違い、凡夫が仏になる抜群の利益があるのであります。さらにあの蒙古襲来の時の元軍14万を壊滅させた、戒壇の大御本尊の御威光・御利益。また謗法あれは、阪神大震災のごとく、わずか数秒の揺れに高層建築物が瞬時に崩壊する。そこに下種仏法の利益は、天地を動かしはたら法界を用かす大利益のあることを知って、我等は三十万総登山は必ず実現する、この大確信をもって、一人ひとりが渾身(こんしん)の力を出し切っていかなければなりません。
今、学会は天に見捨てられ、明年の大慶事にも登山できず不憫(ふびん)でありますが、古い学会員の中には、学会への不信も限界ぎりぎりでそこに、明年の大慶事を意識している様子を聞くものでありますが、法華講はこの機を失せず、折伏をしていくことであります。
また本年は、戒壇の大御本尊様を御安置し奉る奉安堂建設御供養も、先ほども申しますがごとく最終回であります。伺いますれば奈良の大仏、東大寺の堂塔より遥かにかに大きく、日本第一の堂宇になるとのことであります。その雄大なる姿も断もなく現れてくることであります。
そこに我等の本年の信行は、渾身の力をふり絞って折伏、御供養に励み、大功徳を戴き、大勢の眷属を連れ、宗旨建立750年慶祝大法要には、法華講三十万の総登山をもって、この大法要を、立派に飾ってまいろうではありませんか。
終わりになりましたが、我等は本日の御指南を心肝に染め、一人ひとりが下種仏法の使命を自覚し、折伏に、力一杯精進していくことを、ここに御法主上人猊下にお誓いいたしてまいろうではありませんか。御法主上人猊下のますますの御健勝と、御宗門の御隆昌、そしてまた御出席の総監様・御尊能化様をはじめ、御尊師様方、さらに皆様方の御健勝と各支部の御発展を心から念願いたし、御礼のご挨拶とさせていただきます。御法主上人猊下まことにありがとうございました。
さあ皆さん、明年の大佳節、三十万総登山に向かって心を引き締めて折伏はもとより、すべての総仕上げを、僧俗一致で完遂してまいろうではありませんか。以上、よろしく御願い申し上げます。
各会場の皆さん、こんにちは。本日は、畏れ多くも御法主日顕上人猊下の御臨席を仰ぎ奉り、宗旨建立750年慶祝記念・法華講三十万総登山の達成に向かつて僧俗一致して大折伏戦を展開せんとする、法華講連合会第38回総会、まことにおめでとうこざいます。
平成6年・地涌六万大総会の砌、僧俗一同に対し直々に賜われました「法華講三十万総登山」も、いよいよ明年に迫ってまいりました。本年は、この三十万総登山の達成に向かって、全支部が折伏誓願目標を完遂し、三十万総登山への総仕上げをしていく「誓願貫徹の年」であります。
御法主上人猊下は、「本年の誓願貫徹とは云うまでもなく、平成14年の大佳節に於ける僧俗一致の御報恩の事業を遂行し切る為の、広布前進の実証を徹底して貫き顕す事にあると思います」(大白法564号)と仰せられ、「本年こそ、その信行の充実を一人ひとりが発揮され、誓願目標の貫徹にその実証の成果を堂々と顕されることを願うものであります」(同)と御指南を賜われました。我々はこの御指南を体し、本年こそ僧俗一致・全国一丸となって唱題根本に大折伏戦を展開し、必ず「一人が一人以上の折伏」を実行して、全支部が折伏誓願目標の貫徹に、その実証の成果を堂々と顕していこうではありませんか。
三十万総登山達成の成否は、まさに本年の折伏誓願目標の完遂にかかっております。『如説修行抄』には、「法華経の御敵を責めずして山林に閉じ篭もりて摂受の修行をせんは、豈法華経修行の時を失ふべき勿怪にあらずや」(御書673ページ)と。また『富木殿御書』には、「我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇(いとま)を止めて之を案ぜよ。一生空しく過こして万歳悔ゆること勿れ」(同1169ページ)と仰せられており、『弥三郎殿御返事』には、「今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり」(同1165ページ)とも仰せられております。
今、我々法華講にとって、「此の事」とは一体何でしょうか。それは御法主上人猊下御命題の法華講三十万総登山の達成であります。またこの三十万を達成していくための折伏であります。さあ、皆さん。宗旨建立750年の大佳節に巡り合わせた大福運と使命の重大さを一人ひとりが自覚し、「止暇断眠」・「不自惜身命」の信心に立って、僧俗一致で「今生人界の思い出」となる大折伏戦を展開し、本年度の折伏誓願目標を全支部が完遂していこうではありませんか。
御法主上人猊下は、常に我々に対し、「一切を開く鍵は唱題行にある」と御指南を賜われて、また、「毎日の題目受持の功徳は、或る時には直ちに罪障消滅の不可思議な現証となって顕れ、また次第に積って五尺の器に充満し、おのずから化他の徳となって外へ流れ出ます」(大白法277号)と、「唱題の大事」と「題目の功徳」について、御指南を賜われております。また、夏期講習会の中でも、「其剣にお題目を唱えながら折伏をすれば、御本尊様の不思議な功徳と御加護を賜って、必ず折伏を達成することができる」と御指導をいただいております。
この御指南、そして御指導を真剣に実践し、僧俗一丸となっての大折伏で既に2月末で年間折伏誓願目標の半分以上を達成した理境坊妙観講支部、蓮成坊支部、大教寺支部などがあります。また地方部で、僧俗一体の目覚ましい闘いで、年間折伏誓願目標の30%の成果をあげた福岡地方部があります。このように本年は、「誓願貫徹の年にふさわしく、全国的に折伏の意気が溺っております。
さあ、みんなで大歓喜の折伏をしていこうではありませんか。「折伏ができない」という人は、まだまだ題目が足りない証拠です。臆病者です。『教行証御書』にも、「日蓮が弟子等は臆病にては叶ふべからず」(御書1109ページと、また『曾谷殿御返事』には、「法華経の敵を見ながら置いてせめずんば、師檀ともに無間地獄は疑ひなかるべし」(同1040ページ)と厳しく仰せになられ、題目を唱え勇気を持って、謗法を破折していくことの大切さを御教示されております。折伏なくして、三十万総登山の達成はありません。真剣な唱題と、勇気ある実践で、今日からさらに一段と大折伏戦を展開していこうではありませんか。
「誓願貫徹の年」も、いよいよあと9カ月で終わりです。本日の総会を契機に、毎日1時間以上の、諸天をも動かす真剣な唱題の渦を巻き起こし、全国一丸となっての大折伏戦で、本年度の全国折伏誓願目標・2万7077世帯を完遂して、御命題の法華講三十万総登山を名実共に成就し、以て未来広布への磐石な礎を築いて、宗旨建立750年慶祝記念大法要を大法要を大歓喜で奉修申し上げ、御本仏・日蓮大聖人様の大慈大悲に御報恩謝徳申し上げてまいろうではありませんか。
私は、平成元年に妹の勧めにより入信しましたが、自分から御本尊様に向かうことができませんでした。創価学会の人たちは池田大作のことを「すばらしい人よ」と言いますが、私には心打たれるものがありませんでした。そして、自然と勤行・唱題をしなくなったとき、学会問題が浮上し、私は正邪が判らず御本尊様から疎遠になりました。その後、平成9年に、法華講員の方の勧めで勧誡をお受けし、さらに昨年2月には妹が勧誡をお受けすることができ、2人で御本尊様に向かえるようになりました。
家族の理解がなかったので、押し入れの中に御本尊様を御安置させていただき、毎日、勤行・唱題に、そして長妙寺での3000遍唱題行へ参加するようになりました。それから、私の身の周りに思いがけないことが起こりました。夫が「大事な御本尊様を、そんな所に置くと罰が当たる」と言ってくれました。夫の口からこんな言葉が出てきたことが信じられませんでした。私はこのとき初めて、御本尊様のお力だと思い、それからというものは堂々と勤行ができ、晴れ晴れとお寺に参詣でき、真剣に教学も学び、講中の皆さんと一緒に御題目を唱えられます。
そうしているうちに、私は家族皆にこの御題目を唱えて欲しいと思うようになり、日々唱題も大きな声へと変わっていきました。まず、子供たちに御授戒をという思いで、毎日御祈念しながら唱題しました。そして、はじめは意味もわからないまま入信した子供たちも、少しずつ勤行・唱題ができるようになり、長妙寺での『少年部御講』等に参加させていただくようになって、生活の上においても少しずつ変わっていきました。夫や父が「お寺に行くようになって、他人のことを思える子になったね」と言ってくれました。
その後、妹と2人で折伏していました母と姉も御授戒をお受けでき、姉にいたっては、御本尊御下付もしていただき、唱題のすばらしさを身をもって体験することができました。姉は、嫁という立場なので思い切った信心活動ができませんが、勤行・唱題をしていくうちに、御本尊様を信じ、確信を持てるようになったと言ってくれています。月に2・3度ですが、お寺へも参詣できるようになり、2人の子供も御受戒をお受けすることができました。姉の次男は喘息があるので、未入信の義兄は御登山に反対しましたが、次男の大石寺に行きたいという気持ちが強く、お寺へ参詣してお経を読む姿を見て、賛成してくれました。
私は、唱題を積み重ねることにより、祈りとして叶わざることなしの御本尊様だという思いで一杯になります。唱題行は足がしびれたり、眠気が襲ってきたりと辛かったです。はじめは、ただ何となく御題目を唱えていましたが、折伏は大聖人様がお命をかけてなさった御振る舞いだということを学んでからは、唱題に一念が込もり、必ず成就させていただきたいという御題目に変わりました。
そのとき、私は夫を折伏しなければと思いました。近くにいるのに言い出せなくて、思いだけが頭の中を回っていました。毎日、御祈念帳に夫の名前を書き続け、一念を込めて御題目を唱えました。夜勤行をしているとき、子供が「お父さんも一緒に、御題目三唱しよう」と声をかけると、はじめ御本尊様に向くことすらできなかった夫が、珠数を手に御題目を口にすることができました。その日、夫に大石寺に連れて行って欲しいと頼みました。夫は「いいよ」と承諾して、御授戒をお受けすることもできました。このとき私は、下種する人を選んでいたということに気づき、下種の大切さを知り、一人でも多くの人たちに大聖人様のお命をお伝えしていくことの使命を感じ、決意しました。
そして、家族揃って初めて御登山できました。私は御開扉のとき、御題目を唱えていて、自然と涙が出ました。この涙は今までに味わったことのない涙でした。家族皆で日蓮大聖人様と同じ御題目を唱えることができた歓びと、この地に足を運んで来て、家族和楽の信心へと一歩ずつ近づけたことを有り難く思いました。
以前の私なら、伯父を引き取ることに大反対したと思いますが、今は、何が正法で、何が邪宗かということを、行じて、学んでいますから、宗旨替えを強く勧めました。また、父と話をする度に邪宗の恐ろしさを身をもって知らされました。大聖人様のお命を伝え、「本尊とは勝れたるを用ふべし」(御書1275ページ)との御金言を言い続けました。しかし、「阿弥陀も釈迦が説いたのだから一緒だ」と言い、私たちの話は届きませんでした。私たちは毎日毎日唱題をがんばり、父に日蓮正宗の御本尊様の意義と、日蓮大聖人様の命を伝えました。すると父は宗旨替えを決意し、御授戒・御本尊下付をお受けすることができました。
私は、ここに仏様が本当にいらっしゃるのだと確信しました。以前の私なら、お金がたくさんあって、家族が元気で楽しい日を過ごせれば、それで幸福だと思っていました。しかし、今は違います。家族が御本尊様に向かい、御題目を唱えることができ、一人でも多くの人たちを折伏していくことが、絶対の幸福だということに気づきました。そして、友人を折伏する決意をしました。
友人は、立正佼成会で法華経の教義を誤って学んでいました。唱題しながら御祈念し、教学も学ぼうと決めました。私は、御祈念帳にその友人の名前を書き、御祈念を続けました。私を襲っていた眠気は消えて、御本尊様のもとへ一歩でも近づきたいという一念で唱える御題目は必ず届くという確信を持って、友人だけでなく、家族みんなを折伏していきました。
すると、はじめに友人の娘さんが御授戒・御本尊下付をしていただくことができ、弟さんの御授戒、そして、友人とご主人、下の子供さんと、次第に友人の家族の中に妙法が響き渡り、嬉しく思いました。唱題根本にという御法主上人猊下の御指南の意義を、身をもって知ることができました。その後、友人は知人を折伏成就するほどになり、一緒に唱える御題目は、折伏の御祈念となっています。
11月の支部総登山を目前にして唱題に一層の力が入りました。友人の子供さんが行けないと言うのです。これが魔というものだと思い、このときこそ信心強盛に祈りきろうと思いました。唱題し、魔を見破り、強い確信をもってがんばりましょうと激励しました。そして、唱題行で乗り越え、友人の家族全員と私の家族など、総勢十四名で支部総登山に臨むことができました。総本山に近づくと富士山が見えてきました。ただの富士山見学でなく、信心の精進でこの日を迎えられたことで、御本尊様が私たちを迎えてくださったのかしらと、うれしく思い、涙が出ました。
私は2度目ですが、三門を見て一人も欠けることなく御登山ができたことを、早く本門戒壇の大御本尊様に御報告したい気持ちで一杯になりました。夫が塔中を流れる水を見て「澄んだきれいな水だね」と言ったとき、この地に足を運ぶことで命が清浄になることを体験でき、本門戒壇の大御本尊様はここにいらっしゃることを、ひしひしと感じ、いつまでもお護りしていく覚悟をいたしました。
御登山後、母と妹と3人で力を合わせて親戚や友人を3世帯折伏させていただき、長妙寺支部としても、誓願目標50世帯を大晦日に成就いたしました。引き続いて、本年も誓願目標達成の唱題をしていました。しかし、思うように進まず悩んでいると、父が2世帯の折伏を成就しました。御題目三唱がやっとの父なのですが、その中にはいつも心が込もっています。教学のない父がどうやって折伏を成就したのだろうかと考えてみますと、父の気持ちは、「とにかく困っている人たちを救ってあげるのだ」という一念と、手作りの野菜を御供養させていただくためにお寺へ参詣するというものです。そうした中に、義兄も入信してくれました。
私に欠けているところを、父の折伏を通して、見直すことができました。また、父も、以前から肩に重くのしかかっていた何かが、スーッと取れたように思うと言ってくれました。そんな父の姿を見て、中学二年生の娘が決意したのだともいます。昨年、夏休みの宿題で、日蓮大聖人様の御誕生について調べ、「今の世の中は自分の命をも絶してしまう人たちがいる。しかし命をかけて南無妙法蓮華経を弘めてくださった大聖人様のように強い命を持てる人になりたい」というレポートを学校に提出していました。そんな思いを込めて折伏した同級生が、ご両親にも許可をいただき、御授戒をお受けいたしました。
少しずつ法を学び、御本尊様を信じ、実践する姿を見て、我が家に折伏の渦が起こり、このときに家族一同で信心の歓びをつかめました。この信心をするまでは、自己中心的で争い事も多く、楽しい家庭ではなかった我が家に、唱題の声が響き渡り、命に染めさせていただきました。
これからは、御題目が我が家から隣りに、そしてまた隣りにと、多くの方に下種させていただくことを御祈念し、また平成14年の法華講30万総登山には、一人でも多くの方々と本門戒壇の大御本尊様に御報恩できることを願い、たとえ小さな力でも「誓願貫徹」に全魂を傾けたいと思います。
於春季総登山会
☆ 挨拶 法華講連合会委員長 柳沢喜惣次総講頭
☆ 『僧俗一致で大折伏線を展開し、誓願貫徹・三十万総登山を達成しよう』 法華講連合会副委員長 石毛寅松大講頭
☆ 体験発表 長妙寺支部・結城エツ子
御登山後、父の兄が亡くなったという報せが入りました。伯父は独り暮らしだったので、父が一切のことをするようになり、困っていたので、私と妹は日蓮正宗で葬儀をするように勧めました。父は先祖から伝わる浄土真宗をしており、少しためらっていましたが、私たちの気持ちをくんでくれました。私は宗旨替えをしたいという気持ちがありましたので、その時がきたと思い、これは伯父がもたらせてくれた折伏だと思いました。
※この原稿は谷口様の御協力で掲載しました