大白法

平成13年4月1日号


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法華講連合会第38回総会
於春季総登山会

本年「誓願貫徹の年」の法華講連合会春季総登山会が、3月24・25日の2日問にわたって行われ、全国から一泊・日帰り合わせて2万5000名が総本山に参詣した。一泊の登山者は、24日午後7時から客殿において行われた御法主日顕上人猊下の御講義に参加した。まだ25日には法華講連合会第38回総会が行われ、御法主日顕上人猟下御臨席のもと、総監・藤本日潤御尊能化、教学部長・大村日統御尊能化、庶務部長・早瀬日如御尊能化、大石寺主任理事・八木日照御尊能化をはじめ、宗務院各部の部長・副部長、総本山塔中の御尊師方が御出席され開催された。


栞


☆ 御法主上人猊下御言葉

法華講連合会第38回総会、おめでとうございます。この総会は、全国より2万5000余名の日蓮正宗信徒である法華講員の皆様方が参加された大総会であります。この大総会において、ただいまは2人の方の非常に感銘深き体験発表と、石毛大講頭の確信に満ちた信心・折伏の指導がありました。私も伺っておりまして、まことにた感銘に堪えない次第であります。これは申すまでもなく、御本仏日蓮大聖人の大正法の広宣流布の姿が、今まさにこの法華講員の皆様方の大結集において、はっきりと顕れてきておると思うのであります。まさに大聖人様の大法が日本乃至、世界の一切衆生を救済する姿として、今ここに法華講の皆さんの大総会として顕れておると思うのであります。

さて、本年はいわゆる「誓願貫徹の年」であります。宗旨建立750年の大佳節における「三十万総登山」等について広大なる仏恩に報謝しつつ、この大正法が日本乃至、世界の人々を未来に向かって救っていくところの大法広布の大きな礎がここにあると信ずるものであります。「三十万総登山」も、また皆様方一人ひとりの真心の御供養をもって建設いたすところの奉安堂も、ことごとくこれは大聖人様の仏法を正しく護持すること、そしてまた大法広布を未来に向かって開いていくところの根本となるのであります。

考えてみますと、現在の世界は、過去の世界を二分するような大きな戦争こそありませんが、それぞれのなかにおいて経済間題あるいは政治問題、そして民族問題、宗教問題等の対立から、様々な権力闘争等があらゆる所で巻き起こっております。まだ翻って我が日本の国を見ますと、今日において、まことに果てしない泥沼のなかに迷い込んだような経済の大混乱の姿があり、もはや当局者がどんなに考えても、いくら手を打っても、全く抜け出る道を見出だすことができないようなことを、新聞紙上においても常に伝えておるところであります。

さらに日本の国のなかにおいて、様々な分野のなかに果てしない闘争が行われ、特に正法に根本的に背いて日蓮正宗に敵対するところの、あの創価学会が根本となってあらゆる意味での思想の混乱、道徳、道義の混乱が相次いで起こっておるのであります。このようななかで、これらの者を本当に救っていくのが我が日蓮正宗の僧俗であります。この真の正法について僧侶が、御戒壇様を根本としたところの信行の道を、寺院の指導教師、住職というそれぞれの立場において、我が身を捨ててしっかりと正法を護持する覚悟をもって行われんとしております。

今まで色々な形のなかで、創価学会の在り方によって宗門が毒された面もあり、そのような在り方、考え方がわずかながら僧侶のなかに残っておった時代がありました。しかし、平成2年の「三万総登山」、そして平成6年の「六万総登山」乃至、平成10年の総本山客殿の落慶に伴う「十万総登山」が、ことごとく僧俗の真の一致和合によって達成できました。これはまさに大聖人様の御仏意のしからしむるとたまものころであり、また御加護の賜物であります。ここにおいて、宗門のすべての僧侶が本来の使命に目覚め、立ち上がっておると私は確信いたします。また信徒の皆様もこれに応じて、今日、あらゆる所で僧俗が本当に一致和合して、正法護持興隆に努めておられることを感ずるのであります。

先程の体験発表における、どこまでも信心第一で、唱題を根本とすることによって生活の道が正しく開かれていくのであるという体験の趣意を、私もひしひしと感じたのであります。一つひとつの職業中のあらゆる姿、あるいはそのなかにおける色々な問題も、ことごとく人間の貧欲・瞋恚・愚痴というような形のなかの一分の姿としての営みが多いのであります。それらをことごとく浄化していくところの根本の大法が妙法であり、御本仏の大慈大悲であります。故に、この信心を根本とする正法護持の上に、皆様一人ひとりの生活が、仏の加護による尊い行業として正しく開かれていくということを確信していただきたいと思うのであります。


大聖人様は御書に、「経のまゝに唱ふればまがれる心なし」(御書967ページ)と仰せでありますが、経文のとおり素直に信じて唱えるならば、まことにそのとおりの結果が顕われるということの御指南と拝されます。そこで、私はこれから自我偈の一部を申し上げます。

衆生劫尽きて 大火に焼かるると見る時も 我が此の土は安穏にして 天人常に充満せり 園林諸の堂閣 種種の宝をもって荘厳し 宝樹華果多くして 衆生の遊楽する所なり 諸天天の鼓を撃って 常に衆(もろもろ)の伎楽を作し 曼陀羅華を雨(ふら)して 仏及び大衆に散ず 我が浄土は毀れざるに 而も衆は焼け尽きて 憂怖諸の苦悩 是の如く悉く充満せりと見る (法華経440ページ)

この御文は、自我偈のなかのちょうど真ん中に当たる部分であり、非常に大事な御文でありますが、「我が此の土は安穏にして 天人常に充満せり 園林諸の堂閣・・・衆生の遊楽する所なり」とあるなかの「遊楽」の遊、つまり「あそぶ」ということは、単に我を忘れて遊ぶということではなく、真に我が身を知り、また天地の因縁、道理を知った悠々たる境涯を「遊」というのであります。そして「遊楽」の楽とはすなわち「たのしみ」であります。本当に正しい仏法によって、このような楽しみが生じるのであるということを自我偈においてはっきり示されております。

しかしその反面、先ほどから申しましたように、衆生には様々な苦しみ、悩みが当然、存するのであります。そして、それぞれの煩悩の貧欲、瞋恚・愚痴等の荒れ狂うところとなって、その人その人の生活のなかに、心のなかに様々な魔が生じ、不幸な姿が現れて、それによってまことに苦しみの相が現れてきておるのが、現在の世界の謗法の人々の生活であり姿であるということを知るのが、また我々の信心のすぱらしさであると思うのであります。

このなかにおける衆生の様々な苦しみ、悩みについて、先程の自我偈の経文のなかで「我が浄土は毀れざるに 而も衆は焼け尽きて 憂怖諸の苦悩 是の如く悉く充満せりと見る」と仰せであります。つまり、同じ国土に住みながら、このような意味で焼け尽きるところの煩悩の炎によって、あらゆる苦悩が現れてくるということを、この自我偈において御指南であります。これが今日の、あらゆる面からの謗法の人々の生活であり、姿であると思うのであります。

これに対して、正法を信ずる人は必ず「衆生の遊楽する所なり」と示される如く、皆様方一人ひとりの生活、国土世間乃至、家庭のなかの命が、本当に悠々としたところの境界をもって生活しておるならば「自分もこのような勝れた境界をいただいておる以上、苦しんでおる人々を、この勝れた安楽の境界に導いてあげたい」ということを感じ、確信することが大切と思うのであります。

しかしながら、皆様方のなかに「はたしてそういうことができるであろうか?」ということを考えておられる方もいらっしゃるかも知れません。先程の方々の体験の確信について、私はひしひしと感じてはおりますけれども、やはり信心をしておりましても、苦しみは苦しいと感ずる方もいらっしゃると思います。

人生には生・老・病・死(しょう・ろう・びょう・し)という四つの苦しみがあります。また愛別離苦(あいべつりく)・求不得苦(ぐふとっく)・五陰盛苦(ごおんじょうく)・怨憎会苦(おんぞうえく)都等の様々な苦しみがあります。「ああ、今日も会社へ行って、いつも私をいじめる人間と顔を合わせなければならない、いやだな」ということも苦しみなのです。

では、なぜこのような苦しみを感じ取るのかというと、先程も申し上げましたが、自我偈において「衆生所遊楽」とおっしゃっておるのであります。妙法蓮華経をしっかりと受持して、大聖人様の御魂たる御本尊を絶対に信じ奉り、南無妙法蓮華経と唱えるなかにおいて、あらゆることを、本当に楽しいことであると自我偈に説かれてあるように、自ら信ずることが大切なのであります。「ああ、今日もいじめられたしかしこれは本当に楽しいことなのだ。自分自身の命のなかにそういうものがあって、過去から今日に来ておるのだから、この現実の姿をそのまま素直に受け止めるのだ。そしてあらゆる生、老、病、死の苦しみも、求不得苦、愛別離苦、怨憎会苦の苦しみも、ことごとくこれは楽しいことである。遊楽なのだ」と頭で考えるのは観念であって必ず崩れてしまいますから、このことを頭でだけではなく、常に御本尊に南無妙法蓮華経と唱えるなかにおいて開ききっていくならば、あらゆる悩みも苦しみも、また楽しみも解決されていくのであります。

さて、この楽しみには本当に様々な楽しみがあります。この楽しみについて、謗法の人間はただ五欲の楽しむことだけを目的とするために、そこに大きな陥穽(かんせい)、すなわち落とし穴が待ち受けていることを知りません。南無妙法蓮華経を受持するところ、真の楽しみは世間の泡のような楽しみの奥にあるということをしっかり考えたときに、謗法の人々による現在の享楽に誘われることなく、酔うことなく、むしろ、そのような楽しみによってさらに不幸を起こすような世の中の姿を知ることが、真実の正しい人生を築くところの基となると思うのであります。

要するに、我々は「衆生所遊楽」を南無妙法蓮華経の受持、すなわち唱題を根本としていかなる所においてでも必ずはっきりと対処し、どのような問題に対してでも自らの信心と境界において正しく裁き、正しく開いていくところに、自分自身の妙法蓮華経の当体たる命の確信が生ずるのであります。皆様方がこの確信を持った時、その時こそ、その確信をもって人に向かって「この妙法を信ずることによって必ず幸せになれます。ほかのあらゆる宗教は全部、本当の中道ということを、いわゆる人間の命の真実の姿を顕すところの道を説いていません。したがって妙法を信ずる大聖人様の仏法のみが、この道を示しておるのです」という境界において、人々を導く確信を持つことができると信じます。

皆様方、本年はいよいよ明年の「三十万総登山」に向かっての最後の締め括りの年であり、まだそれを貫徹するところの年であります。本日のこの総会を契機に、お帰りになりましたら、いよいよ唱題を根本として、多くの人々を一人でも救っていっていただきたいと思います。先程の石毛大講頭の話にもあった、「三十万総登山」達成に向けての折伏は、今回、ここにお集まりになった2万5000余の方々が中心となって、法華講員の一人ひとりが一人の方を、つまり一世帯を折伏するならは、必ず「三十万総登山」の達成として明らかに成就するのであります。これから本日を契機に、いよいよ自行化他に向かって御精進されることを心からお祈り申し上げ、本日の総会の挨拶といたします。


総会本会場


☆ 挨拶 法華講連合会委員長 柳沢喜惣次総講頭

仏祖三宝尊御照覧あそばされる総本山において、恐れ多くも第67世御法主日顕上人猊下の御臨席を仰ぎ奉り、ここに盛大に開かれる日蓮正宗法華講連合会第38回総会、各会場の全国の皆さん、おめでとうこざいます。御法主上人猊下におかせられましては、御法務殊のほか御繁多の中にもかかわりませず、御臨席を仰ぎ奉り、ただ今はまた甚深なる御指南を賜り、まことにありがとうこざいました。また総監様、宗務院・内事部御出仕の御尊能化様、諸役の御尊師様、そしてまた各指導教師の御尊師様方にも、御法務ご多忙の中をご出席を賜りまして、まことにありがとうございます。衷心より御礼申し上げます。

今年は「誓願貫徹の年」、明年はいよいよ待望の宗旨建立750年、大佳節の年であります。我等は、平成6年・地涌六万大総会から7年間、御命題の三十万総登山は、一日も忘れることなく、また本年は、奉安堂建設御供養の最終回、まことに大事な年であります。すでにご承知のごとく、4月からは三十万総登山達成推進僧俗指導会も、3つのグループに分かれ全国78カ所を5月までに終わらせ、9月以降は、大布教区、8カ所の予定であります。また布教区内の僧俗協議会には、新しく地方部長さんが加わり、従来通り行われます。

今、この2年間を振り返る時に、すでにやるべき事は、十分に言い尽くされ、後はただ実行あるのみであります。そこで、この実行について申し上げたいことは、「使命の自覚」であります。私は、この言葉にはなんとなく、響きの割には違和感を持っておりました。それは、邪義、外道の輩は悪を糊塗し、善にすり替えそれを誇張し、大衆を扇動してきた歴史があるからであります。

しかし、昨今になって、その本質が判ってまいりました。本来の使命とは、それは、使いに出される使者が、主君から言い付けられだその言い付けのことであります。このことは、私は大聖人様の御振る舞いを拝し奉って、よく判ったのであります。下種仏法の使命とは、釈尊が説かれた脱益の仏法は末法には無益であること、このことをはっきりと言い切っていくことであります。これが折伏であります。脱益の仏法では祈りも叶わない、利益もない、このことを声を大にして、多数の人々に教えていく。そうして下種仏法の三大秘法の大御本尊様に題目を唱えさせていくことであります。

今、七百数十年を過ぎて、法華講の我等の使命を考える時に、御法主日顕上人猊下より申し付けられた「言い付け」は、一人が一人以上の折伏、三十万総登山の実現、奉安堂の建立であります。大聖人様は「人のつかひに三人あり」(御書1213ページ)と仰せられ、一番悪い使いと一番良い使いを判りやすくお諭しくださっております。それは、使者が、主君の使いにどこまでも忠実で自分の考えを入れてはいけないこと。そこに、相手の王の意に叛(そむ)き、命を奪われるようなことがあっても主君の言葉を曲げてはいけない。そこに、下種仏法の使いは命がけだよ、ということであります。

我等は、この三十万総登山も、また奉安堂建設御供養も、「大変だ人変だ」と自分の考えを入れているようでは、これは一番悪い使いになってしまうのであります。そこに下種仏法は、脱益の仏法とは違い、凡夫が仏になる抜群の利益があるのであります。さらにあの蒙古襲来の時の元軍14万を壊滅させた、戒壇の大御本尊の御威光・御利益。また謗法あれは、阪神大震災のごとく、わずか数秒の揺れに高層建築物が瞬時に崩壊する。そこに下種仏法の利益は、天地を動かしはたら法界を用かす大利益のあることを知って、我等は三十万総登山は必ず実現する、この大確信をもって、一人ひとりが渾身(こんしん)の力を出し切っていかなければなりません。

今、学会は天に見捨てられ、明年の大慶事にも登山できず不憫(ふびん)でありますが、古い学会員の中には、学会への不信も限界ぎりぎりでそこに、明年の大慶事を意識している様子を聞くものでありますが、法華講はこの機を失せず、折伏をしていくことであります。

また本年は、戒壇の大御本尊様を御安置し奉る奉安堂建設御供養も、先ほども申しますがごとく最終回であります。伺いますれば奈良の大仏、東大寺の堂塔より遥かにかに大きく、日本第一の堂宇になるとのことであります。その雄大なる姿も断もなく現れてくることであります。

そこに我等の本年の信行は、渾身の力をふり絞って折伏、御供養に励み、大功徳を戴き、大勢の眷属を連れ、宗旨建立750年慶祝大法要には、法華講三十万の総登山をもって、この大法要を、立派に飾ってまいろうではありませんか。

終わりになりましたが、我等は本日の御指南を心肝に染め、一人ひとりが下種仏法の使命を自覚し、折伏に、力一杯精進していくことを、ここに御法主上人猊下にお誓いいたしてまいろうではありませんか。御法主上人猊下のますますの御健勝と、御宗門の御隆昌、そしてまた御出席の総監様・御尊能化様をはじめ、御尊師様方、さらに皆様方の御健勝と各支部の御発展を心から念願いたし、御礼のご挨拶とさせていただきます。御法主上人猊下まことにありがとうございました。

さあ皆さん、明年の大佳節、三十万総登山に向かって心を引き締めて折伏はもとより、すべての総仕上げを、僧俗一致で完遂してまいろうではありませんか。以上、よろしく御願い申し上げます。


総会各会場


☆ 『僧俗一致で大折伏線を展開し、誓願貫徹・三十万総登山を達成しよう』 法華講連合会副委員長 石毛寅松大講頭

各会場の皆さん、こんにちは。本日は、畏れ多くも御法主日顕上人猊下の御臨席を仰ぎ奉り、宗旨建立750年慶祝記念・法華講三十万総登山の達成に向かつて僧俗一致して大折伏戦を展開せんとする、法華講連合会第38回総会、まことにおめでとうこざいます。

平成6年・地涌六万大総会の砌、僧俗一同に対し直々に賜われました「法華講三十万総登山」も、いよいよ明年に迫ってまいりました。本年は、この三十万総登山の達成に向かって、全支部が折伏誓願目標を完遂し、三十万総登山への総仕上げをしていく「誓願貫徹の年」であります。

御法主上人猊下は、「本年の誓願貫徹とは云うまでもなく、平成14年の大佳節に於ける僧俗一致の御報恩の事業を遂行し切る為の、広布前進の実証を徹底して貫き顕す事にあると思います」(大白法564号)と仰せられ、「本年こそ、その信行の充実を一人ひとりが発揮され、誓願目標の貫徹にその実証の成果を堂々と顕されることを願うものであります」(同)と御指南を賜われました。我々はこの御指南を体し、本年こそ僧俗一致・全国一丸となって唱題根本に大折伏戦を展開し、必ず「一人が一人以上の折伏」を実行して、全支部が折伏誓願目標の貫徹に、その実証の成果を堂々と顕していこうではありませんか。

三十万総登山達成の成否は、まさに本年の折伏誓願目標の完遂にかかっております。『如説修行抄』には、「法華経の御敵を責めずして山林に閉じ篭もりて摂受の修行をせんは、豈法華経修行の時を失ふべき勿怪にあらずや」(御書673ページ)と。また『富木殿御書』には、「我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇(いとま)を止めて之を案ぜよ。一生空しく過こして万歳悔ゆること勿れ」(同1169ページ)と仰せられており、『弥三郎殿御返事』には、「今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり」(同1165ページ)とも仰せられております。

今、我々法華講にとって、「此の事」とは一体何でしょうか。それは御法主上人猊下御命題の法華講三十万総登山の達成であります。またこの三十万を達成していくための折伏であります。さあ、皆さん。宗旨建立750年の大佳節に巡り合わせた大福運と使命の重大さを一人ひとりが自覚し、「止暇断眠」・「不自惜身命」の信心に立って、僧俗一致で「今生人界の思い出」となる大折伏戦を展開し、本年度の折伏誓願目標を全支部が完遂していこうではありませんか。

御法主上人猊下は、常に我々に対し、「一切を開く鍵は唱題行にある」と御指南を賜われて、また、「毎日の題目受持の功徳は、或る時には直ちに罪障消滅の不可思議な現証となって顕れ、また次第に積って五尺の器に充満し、おのずから化他の徳となって外へ流れ出ます」(大白法277号)と、「唱題の大事」と「題目の功徳」について、御指南を賜われております。また、夏期講習会の中でも、「其剣にお題目を唱えながら折伏をすれば、御本尊様の不思議な功徳と御加護を賜って、必ず折伏を達成することができる」と御指導をいただいております。

この御指南、そして御指導を真剣に実践し、僧俗一丸となっての大折伏で既に2月末で年間折伏誓願目標の半分以上を達成した理境坊妙観講支部、蓮成坊支部、大教寺支部などがあります。また地方部で、僧俗一体の目覚ましい闘いで、年間折伏誓願目標の30%の成果をあげた福岡地方部があります。このように本年は、「誓願貫徹の年にふさわしく、全国的に折伏の意気が溺っております。

さあ、みんなで大歓喜の折伏をしていこうではありませんか。「折伏ができない」という人は、まだまだ題目が足りない証拠です。臆病者です。『教行証御書』にも、「日蓮が弟子等は臆病にては叶ふべからず」(御書1109ページと、また『曾谷殿御返事』には、「法華経の敵を見ながら置いてせめずんば、師檀ともに無間地獄は疑ひなかるべし」(同1040ページ)と厳しく仰せになられ、題目を唱え勇気を持って、謗法を破折していくことの大切さを御教示されております。折伏なくして、三十万総登山の達成はありません。真剣な唱題と、勇気ある実践で、今日からさらに一段と大折伏戦を展開していこうではありませんか。

「誓願貫徹の年」も、いよいよあと9カ月で終わりです。本日の総会を契機に、毎日1時間以上の、諸天をも動かす真剣な唱題の渦を巻き起こし、全国一丸となっての大折伏戦で、本年度の全国折伏誓願目標・2万7077世帯を完遂して、御命題の法華講三十万総登山を名実共に成就し、以て未来広布への磐石な礎を築いて、宗旨建立750年慶祝記念大法要を大法要を大歓喜で奉修申し上げ、御本仏・日蓮大聖人様の大慈大悲に御報恩謝徳申し上げてまいろうではありませんか。


鼓笛


☆ 体験発表 長妙寺支部・結城エツ子

私は、平成元年に妹の勧めにより入信しましたが、自分から御本尊様に向かうことができませんでした。創価学会の人たちは池田大作のことを「すばらしい人よ」と言いますが、私には心打たれるものがありませんでした。そして、自然と勤行・唱題をしなくなったとき、学会問題が浮上し、私は正邪が判らず御本尊様から疎遠になりました。その後、平成9年に、法華講員の方の勧めで勧誡をお受けし、さらに昨年2月には妹が勧誡をお受けすることができ、2人で御本尊様に向かえるようになりました。

家族の理解がなかったので、押し入れの中に御本尊様を御安置させていただき、毎日、勤行・唱題に、そして長妙寺での3000遍唱題行へ参加するようになりました。それから、私の身の周りに思いがけないことが起こりました。夫が「大事な御本尊様を、そんな所に置くと罰が当たる」と言ってくれました。夫の口からこんな言葉が出てきたことが信じられませんでした。私はこのとき初めて、御本尊様のお力だと思い、それからというものは堂々と勤行ができ、晴れ晴れとお寺に参詣でき、真剣に教学も学び、講中の皆さんと一緒に御題目を唱えられます。

そうしているうちに、私は家族皆にこの御題目を唱えて欲しいと思うようになり、日々唱題も大きな声へと変わっていきました。まず、子供たちに御授戒をという思いで、毎日御祈念しながら唱題しました。そして、はじめは意味もわからないまま入信した子供たちも、少しずつ勤行・唱題ができるようになり、長妙寺での『少年部御講』等に参加させていただくようになって、生活の上においても少しずつ変わっていきました。夫や父が「お寺に行くようになって、他人のことを思える子になったね」と言ってくれました。

その後、妹と2人で折伏していました母と姉も御授戒をお受けでき、姉にいたっては、御本尊御下付もしていただき、唱題のすばらしさを身をもって体験することができました。姉は、嫁という立場なので思い切った信心活動ができませんが、勤行・唱題をしていくうちに、御本尊様を信じ、確信を持てるようになったと言ってくれています。月に2・3度ですが、お寺へも参詣できるようになり、2人の子供も御受戒をお受けすることができました。姉の次男は喘息があるので、未入信の義兄は御登山に反対しましたが、次男の大石寺に行きたいという気持ちが強く、お寺へ参詣してお経を読む姿を見て、賛成してくれました。

私は、唱題を積み重ねることにより、祈りとして叶わざることなしの御本尊様だという思いで一杯になります。唱題行は足がしびれたり、眠気が襲ってきたりと辛かったです。はじめは、ただ何となく御題目を唱えていましたが、折伏は大聖人様がお命をかけてなさった御振る舞いだということを学んでからは、唱題に一念が込もり、必ず成就させていただきたいという御題目に変わりました。

そのとき、私は夫を折伏しなければと思いました。近くにいるのに言い出せなくて、思いだけが頭の中を回っていました。毎日、御祈念帳に夫の名前を書き続け、一念を込めて御題目を唱えました。夜勤行をしているとき、子供が「お父さんも一緒に、御題目三唱しよう」と声をかけると、はじめ御本尊様に向くことすらできなかった夫が、珠数を手に御題目を口にすることができました。その日、夫に大石寺に連れて行って欲しいと頼みました。夫は「いいよ」と承諾して、御授戒をお受けすることもできました。このとき私は、下種する人を選んでいたということに気づき、下種の大切さを知り、一人でも多くの人たちに大聖人様のお命をお伝えしていくことの使命を感じ、決意しました。

そして、家族揃って初めて御登山できました。私は御開扉のとき、御題目を唱えていて、自然と涙が出ました。この涙は今までに味わったことのない涙でした。家族皆で日蓮大聖人様と同じ御題目を唱えることができた歓びと、この地に足を運んで来て、家族和楽の信心へと一歩ずつ近づけたことを有り難く思いました。


御登山後、父の兄が亡くなったという報せが入りました。伯父は独り暮らしだったので、父が一切のことをするようになり、困っていたので、私と妹は日蓮正宗で葬儀をするように勧めました。父は先祖から伝わる浄土真宗をしており、少しためらっていましたが、私たちの気持ちをくんでくれました。私は宗旨替えをしたいという気持ちがありましたので、その時がきたと思い、これは伯父がもたらせてくれた折伏だと思いました。

以前の私なら、伯父を引き取ることに大反対したと思いますが、今は、何が正法で、何が邪宗かということを、行じて、学んでいますから、宗旨替えを強く勧めました。また、父と話をする度に邪宗の恐ろしさを身をもって知らされました。大聖人様のお命を伝え、「本尊とは勝れたるを用ふべし」(御書1275ページ)との御金言を言い続けました。しかし、「阿弥陀も釈迦が説いたのだから一緒だ」と言い、私たちの話は届きませんでした。私たちは毎日毎日唱題をがんばり、父に日蓮正宗の御本尊様の意義と、日蓮大聖人様の命を伝えました。すると父は宗旨替えを決意し、御授戒・御本尊下付をお受けすることができました。

私は、ここに仏様が本当にいらっしゃるのだと確信しました。以前の私なら、お金がたくさんあって、家族が元気で楽しい日を過ごせれば、それで幸福だと思っていました。しかし、今は違います。家族が御本尊様に向かい、御題目を唱えることができ、一人でも多くの人たちを折伏していくことが、絶対の幸福だということに気づきました。そして、友人を折伏する決意をしました。

友人は、立正佼成会で法華経の教義を誤って学んでいました。唱題しながら御祈念し、教学も学ぼうと決めました。私は、御祈念帳にその友人の名前を書き、御祈念を続けました。私を襲っていた眠気は消えて、御本尊様のもとへ一歩でも近づきたいという一念で唱える御題目は必ず届くという確信を持って、友人だけでなく、家族みんなを折伏していきました。

すると、はじめに友人の娘さんが御授戒・御本尊下付をしていただくことができ、弟さんの御授戒、そして、友人とご主人、下の子供さんと、次第に友人の家族の中に妙法が響き渡り、嬉しく思いました。唱題根本にという御法主上人猊下の御指南の意義を、身をもって知ることができました。その後、友人は知人を折伏成就するほどになり、一緒に唱える御題目は、折伏の御祈念となっています。

11月の支部総登山を目前にして唱題に一層の力が入りました。友人の子供さんが行けないと言うのです。これが魔というものだと思い、このときこそ信心強盛に祈りきろうと思いました。唱題し、魔を見破り、強い確信をもってがんばりましょうと激励しました。そして、唱題行で乗り越え、友人の家族全員と私の家族など、総勢十四名で支部総登山に臨むことができました。総本山に近づくと富士山が見えてきました。ただの富士山見学でなく、信心の精進でこの日を迎えられたことで、御本尊様が私たちを迎えてくださったのかしらと、うれしく思い、涙が出ました。

私は2度目ですが、三門を見て一人も欠けることなく御登山ができたことを、早く本門戒壇の大御本尊様に御報告したい気持ちで一杯になりました。夫が塔中を流れる水を見て「澄んだきれいな水だね」と言ったとき、この地に足を運ぶことで命が清浄になることを体験でき、本門戒壇の大御本尊様はここにいらっしゃることを、ひしひしと感じ、いつまでもお護りしていく覚悟をいたしました。

御登山後、母と妹と3人で力を合わせて親戚や友人を3世帯折伏させていただき、長妙寺支部としても、誓願目標50世帯を大晦日に成就いたしました。引き続いて、本年も誓願目標達成の唱題をしていました。しかし、思うように進まず悩んでいると、父が2世帯の折伏を成就しました。御題目三唱がやっとの父なのですが、その中にはいつも心が込もっています。教学のない父がどうやって折伏を成就したのだろうかと考えてみますと、父の気持ちは、「とにかく困っている人たちを救ってあげるのだ」という一念と、手作りの野菜を御供養させていただくためにお寺へ参詣するというものです。そうした中に、義兄も入信してくれました。

私に欠けているところを、父の折伏を通して、見直すことができました。また、父も、以前から肩に重くのしかかっていた何かが、スーッと取れたように思うと言ってくれました。そんな父の姿を見て、中学二年生の娘が決意したのだともいます。昨年、夏休みの宿題で、日蓮大聖人様の御誕生について調べ、「今の世の中は自分の命をも絶してしまう人たちがいる。しかし命をかけて南無妙法蓮華経を弘めてくださった大聖人様のように強い命を持てる人になりたい」というレポートを学校に提出していました。そんな思いを込めて折伏した同級生が、ご両親にも許可をいただき、御授戒をお受けいたしました。

少しずつ法を学び、御本尊様を信じ、実践する姿を見て、我が家に折伏の渦が起こり、このときに家族一同で信心の歓びをつかめました。この信心をするまでは、自己中心的で争い事も多く、楽しい家庭ではなかった我が家に、唱題の声が響き渡り、命に染めさせていただきました。

これからは、御題目が我が家から隣りに、そしてまた隣りにと、多くの方に下種させていただくことを御祈念し、また平成14年の法華講30万総登山には、一人でも多くの方々と本門戒壇の大御本尊様に御報恩できることを願い、たとえ小さな力でも「誓願貫徹」に全魂を傾けたいと思います。


※この原稿は谷口様の御協力で掲載しました


塔中


☆ 蓮成坊実修講支部・岩井俊夫

本日は宗旨建立750年の大佳節を明年に控えた重大な総会に、御法主上人猊下の御前で体験発表させていただけることは、私の眷属はもちろんのこと、講中全員の喜びであります。

私は、30年前の20歳のときに、故倉橋講頭に折伏されて入信し、その後、先に正法に縁していた妻と結婚、娘2人に恵まれ、家族4人で幸せな毎日を送らせていただいていました。御住職・石井信量御尊師が毎週、総本山より東京へ見えて、勉強会を開いてくださったときは、幼い子供を家に残し夫婦で参加させていただき、支部においては幹事として、各班、各地域のお世話をさせていただいたりして、本当に信心中心の安穏なる生活のように見えました。

しかし、それを御本尊様の功徳とも考えず、仕事で重責を担う立場になってからは、徐々に仕事中心の生活になってしまいました。病魔に倒れるような現証は現れませんでしたが、恐ろしくも、少しずつ心の中に魔が忍び込み、御住職の御期待を裏切り、自ら支部幹事を下ろしてくださいとの願いを出すにいたりました。その結果、何回も転職、引っ越しを繰り返し、家族にもたいへんな迷惑をかけました。

当時、病院経営の一翼を担い、何日も泊まり込んで仕事をしたり、接待などで遊興三昧が続きました。しかし、いくらがんばっても、ますます経営者の欲に振り回され、世法に流されていきました。

そんな中、10年ぶりに家内が妊娠し、事前に男の子と診断されました。待望の男の子であり、少し家庭に目が向くようになりました。出産の当日、病院より電話があり、仮死状態での出産でしたので、日本赤十字社医療センターへ救急車で搬送したとのことでした。さらに先生から「詳しい診断は検査してからですが、ダウン症候群という障害がある可能性があります。奥さんは血圧が異常に上がり、しばらく入院することになりますので、障害のことは、ご主人よりお話してください」とのことでした。

すぐに、御住職に連絡し、当病平癒の御祈念をお願いいたしました。お蔭様で、家内の産後もようやく落ち着き、息子は心臓病などの大きな合併症はなく、3週間で退院できました。息子に障害があることを、初めて家内に話しました。これでは、家内になお心配をかけると思い、障害があっても御本尊様を拝し信心していける子になれるようにと「大を知る」と考え大知と命名したいと話しました。しかし家内は、「主人が家庭を顧みないならば、たとえ、どういう名前であろうとも・・・・・・」と、恐らくこの子とこれからの人生をやっていこうと決意していただけに、ショックで涙を流して聞いていました。私も、そんな家内の様子にショックを隠し切れませんでした。

ともかく退院後、夫婦揃って御住職に、事の経緯と長男誕生のご報告をいたしました。その折、御住職から、「大丈夫、この子はきっと岩井家の信心を奮い立たせる立派な仏様のお使いをするようになるでしょう。それとも、五体満足であるならすべて立派だとでも言うのかね。間違いなくこの子が信心を引っ張っていくから、勇気と希望を持ちなさい」と、厳しく御指導くださいました。

当時、私は御住職の御指導を理解しようともせず、相変わらず仕事中心でありましたが、家内は、幼い病弱の子を背負いながら、子供たち3人と信心根本にやっていけばいつか必ずまた、あのときの信心中心の家庭が築けると、愚癡一つ言わずに必死で唱題をしていたのです。


丸3年経ったある日、家内が「受けてみたら」と1通の広報紙を差し出しました。そこには、地元上尾市の小中学校の用務員の募集が載っていました。そして「応募してみてください。ここなら時間に余裕があり、信心中心に大知を育てていける。ダウン症の子供は特に体が弱く、子育ても3倍手がかかるので、これからは私1人ではなく、父親の役割も必要です」と言ってきました。職場では病院長の右腕として人事のすべてを統括していました私は、一笑に伏して断りました。しかし、かわいくなってきた我が子を見て、心の中では、何とかしなければと少しずつ考えるようになってきました。

翌年、家内が最後の通告のように、再度、広報紙を私に手渡しました。そのとき、「これはただ事ではない。家内は相当疲れているな」と察知したのであります。そして、以前の信心中心であった家庭を私は徐々に思い出し、なぜか素直に願書を提出することにしました。試験は2月でしたが、年明けすぐに辞表を提出し、採用試験に臨みました。無謀にも前職を捨てての挑戦でありましたが、数多くの応募者の中、たった3名の枠に合格しました。その陰に、何も言わず唱題を続けていた家内の姿があったことを、当時の私は知るよしもありませんでした。

それからの私は、家内の意見にも少しずつ素直に耳を傾け、そうだ、組織へ戻らないと家庭は破滅してしまうと思い、心新たに支部活動を再開しました。何年かぶりで闘わせていただいた信心活動は、世法の中では体験できない喜びの連続でありました。その後、壮年部長、登山部長という立場を御住職より与えていただき、その中で時の重大なることに気づかせていただきました。


昨年、福島地区で講員さんの葬儀の一報が入ったおり、御住職より、「因習深い地ですので、事前に福島へ行って、無事、日蓮正宗の葬儀ができるよう段取りするようにしてください。私は御本尊様のお供をして福島へ向かうから」との御指示で、すぐに福島へ向かいました。常々、御住職から葬儀は折伏の場であるとの御指導をいただいていました。

この地には、亡くなったご主人と、その奥さんのご夫婦2人だけで、他に講員さんは、いませんでした。おまけに福島へ向かう途上で携帯電話に「今、御住職様が東京を出発しました」との一報が入り、車中で日蓮正宗で葬儀ができますよう唱題いたしました。そして、そのお宅に着くや、意を決して玄関に入ったところ、険しい表情のご親族の中で、奥さんが温かく出迎えてくださいました。聞けば昔、東京にいた頃、家内の母親と一緒に飛び込み折伏をした仲だったそうです。娘さんも鼓笛隊で家内と活動したことがあったと思い出され、親しく話が弾み、ようやくご親族ともお話することができました。そこで日蓮正宗のすばらしさと、長年信心を貫いてこられた故人のお気持ちを訴えました。そして、ご親族より「日蓮正宗でお願いします」と聞いたときは、本当に嬉しかったです。

無事、通夜、そして、告別式を終え、ご自宅に戻り奉修された初七日法要の後、御住職は、ご親族に気迫溢れる御指導をされ、引き続き折伏が始まりました。そして、日蓮大聖人の仏法と大石寺の信仰を話されている中で、みるみるうちに一時学会に身を寄せた娘さんが正しい信心を思い出したのでしょう、その場で勧誡を受け、さらに親戚の方が入信を決意され、併せて4世帯の折伏が成就し、ご親族14人が入信されました。

その後、三十五日忌の法要も御住職が福島まで足を運んでくださるとのことで、家内と事前に福島へ行き、法要に新来者をと奥さんに訴え、地元の友人をお誘いいただきました。三十五日忌法要では5世帯の折伏が成就でき、さらに総本山での納骨の際にも1世帯できと、1人の方の葬儀をきっかけに、10世帯の折伏をさせていただきました。

また、私共の地元の埼玉では、息子大知と同じ学級の子のお母さん方を夫婦で下種、折伏し、家内共々2世帯の折伏をさせていただきました。こうして私の担当地域の折伏目標21世帯のところ、25世帯の折伏を成就させていただきました。


これらの活動に出かけるのに、大知を1人、家に置いておくわけにはいかず、常に3人で活動しています。この4月で12歳になります。障害のある子供は身体が弱いことが多いのですが、土曜日、日曜日は全部活動で、一緒に遠く新潟、福島と、生意気にも御住職のお供をさせていただき、さらには担当の群馬、栃木、埼玉と連れて歩いているにも関わらず、体調を崩して学校を休んだことはありません。謗法のお宅に伺っても仏間を捜したり、御本尊様がないと問いかけたり、折伏のきっかけを作ってくれます。また、新来者を我が家にお呼びしたときは気配りしてくれたり、接待してくれています。どこへ行っても、大知のおかげで下種させていただいています。

思えば、誕生のご報告にうかがったときに、御住職からいただいた「五体満足であるならすべて立派だとでも言うのかね。間違いなくこの子が信心を引っ張っていくから、勇気と希望を持ちなさい」との御指導の意味が、ただ今判りました。御住職様本当にありがとうございました。一度地に落ちた男が、また御奉公させていただけたのも家族の必死な唱題と、いつかは立ち上がってくると厳しくも温かく見守ってくださった眷属はじめ講中の同志のお陰と、本当に感謝の気持ちで一杯です。

昨年、250世帯の折伏目標も御住職の死身弘法の御活躍と講中の異体同心の活動で、11月に250世帯を完遂いたしました。本年は、破邪顕正の折伏はもちろんのこと、私も体験済みですので、講中の1人も落とすことなく30万総登山につなげてまいります。

本年、「誓願貫徹の年」、255世帯の目標に向かって蓮成坊実修講支部は、御住職を先頭に、現在84世帯の折伏を成就させていただきました。一昨日は、娘が新来者をお連れでき、法道院様での会議の途中、たまたま蓮成坊東京出張所へ戻っておられた御住職から、早速、御指導をいただくことができ、1世帯の折伏を成就させていただきました。昨年よりの波動を止めることなく、私共家族も、この1年を命がけで闘い切ってまいります。


御法主日顕上人猊下は、1月1日の唱題行の砌、「この唱題の深い意義、功徳は到底、言葉をもって尽くせるものではないと思います。しかし、その時々に応じて、その方の生きておる尊い意義、値打ちが、この唱題行によって凡身を仏身と開きつつ、必ず顕れてくることを確信するものであります」(大白法 565号)と御指南くださいました。

御題目の功徳を堂々と人に語り、我が講中を広宣流布に向かって大前進させていくことこそ、大佳節に巡り合える我が身の尊い意義ととらえ、先々代・倉橋講頭、先代・新井講頭の意志を受け継ぎ、現・石村講頭を中心に、どこまでも指導教師であられる石井御住職様の御指導のもと、御法主日顕上人猊下に支部一丸となってお応えし、本年度の折伏誓願目標完遂と、明年の30万総登山支部目標の完全達成をお誓いし、体験発表とさせていただきます。


※この原稿は若山さんの御協力で転載いたしました


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