大白法

平成18年6月16日号


主な記事

<1〜2面>

<3〜8面>


back      index      next




御法主日如上人猊下御言葉
6月度広布唱題会の砌


皆さん、こんばんは。ただいま総本山におきましては法華講夏期講習会が開催されておりますので、広布唱題会を1日繰り上げて、ただいま奉修した次第であります。

皆様方も最近の世間における様々な混沌とした樣子は重々、御承知のことと思います。悲惨な事件や凶悪な犯罪が多発しております。このように、現代の世相が極度に混乱している原因の一つつには、世の中の人達に善悪のけじめがしっかりとついていないところにあるのではないかと思います。ただ、この善悪につきましては、時代や社会、あるいは個人といった、それぞれの場合によりまして、この評価自体が様々ではあります。しかし、仏教におきましては悪について初期的には五悪、あるいは十悪というものが説かれているのであります。

五悪といいますのは、殺生・偸盗(ちゅうとう)・邪淫・妄語の4つに飲酒(おんじゅ)、つまりこれはお酒を飲むことでありますけれども、この飲酒を加えた5つであります。これを戒めたものがいわゆる五戒であります。

十悪と申しますのは、先程の殺生・偸盗・邪淫・妄語、そのあとに続く綺語・悪口・両舌・貪・瞋・痴が十悪であります。これはまた十不善業とも言うのですけれども、初めの殺生・偸盗・邪淫、この3つは身で行うところの三悪であります。次の妄語・綺語・悪口・両舌、これは口による四悪であります。最後の貪・瞋・痴、これは意の三悪であると言われているのでありますが、仏教におけるところの悪というのは、不善と同義であります。この不善という意味は、法や道理に背いて、現在、あるいはまた未来において苦の結果を招くという、そういう要因のことを言います。つまり、善因善果、悪因悪果と、このように言われていますけれども、悪の苦の結果を招く、そういう性質を持っているのであります。逆に善は幸せの結果をもたらすということになるのであります。

仏教におきましては、この十悪と並んで説かれておりますのが五逆罪であります。五逆罪というのは、父を殺し、母を殺す。また阿羅漢を殺す。仏様の身体から血を出す、つまり出(すい)仏身血、そして破和合僧、これが五逆罪でありますけれども、悪のなかでも最も重要と見なされているのであります。

さらにこの五逆罪より罪が重いとされているのが誹謗正法、つまり謗法であります。『顕謗法抄』には、「問うて云はく、五逆罪より外の罪によりて無間地獄に堕ちんことあるべしや。答へて云はく、誹謗正法の重罪なり。問うて云はく、証文如何。答へて云はく、法華経第二に云はく『若(も)し人信ぜずして此の経を毀謗(きぼう)せば乃至(ないし)其の人命終(みょうじゅう)して阿鼻獄に入らん』等云云」(御書279ページ)と仰せられております。つまり五逆罪は人の道に背く最大の罪悪とされている一方、この誹謗正法は読んで字の如く正法を謗(そし)るという意味がありまして、最極悪なものと見なされているのであります。

大聖人様は、「五逆と謗法とを病に対すれば、五逆は霍乱(かくらん)の如くして急に事を切る。謗法は白癩(びゃくらい)病の如し、始めは緩(ゆる)やかに後漸々(ぜんぜん)に大事なり」(同711ページ)とおっしゃっております。霍乱(かくらん)というのは急に襲うところの日射病のような、そういった病であります。つまり、そのように、急に起きてくる病気は、まさしく五逆罪に当たるとおっしゃっております。それに対しまして謗法は、始めはゆるやかにじわじわと襲ってくると、このように仰せあそばされておるのであります。

このほか、謗法ということがいかに恐ろしいかということについて『十法界明因果抄』のなかにには、「慳貪(けんどん)・偸盗(ちゅうとう)等の罪に依って餓鬼道に堕することは世人知り易し。慳貪(けんどん)等無き諸の善人も謗法に依り亦謗法の人に親近(しんごん)し自然に其の義を信ずるに依って餓鬼道に堕することは、智者に非ざれば之を知らず。能(よ)く能く恐るべきか」(同208ページ)とおっしゃっております。

また『善無畏抄』のなかには、「設ひ八万聖教を読み大地微塵の塔婆を立て、大小乗の戒行を尽くし、十方世界の衆生を一字の如くに為すとも、法華経謗法の罪はきゆべからず。我等過去現在未来の三世の間に仏に成らずして六道の苦を受くるは偏に法華経誹謗(ひぼう)の罪なるべし」(同509ぺーじ)と、このように大聖人様はおっしゃっておられます。要するに苦しみの根源となる十悪、あるいは五逆、あるいは誹謗正法、このなかでも特に誹謗正法すなわち謗法こそ最も恐れなければならないということになるのであります。

では、様々な宿業のもとに生まれ、十悪、五逆、誹謗正法の幾多の罪障を積んできた末法の三毒強盛の荒凡夫が、こうした謗法の罪障のといかに対決し、そしていかにこれを消滅することができるか。結論を言えば、法華経本門寿量文底独一本門の南無妙法蓮華経、すなわち三大秘法の随一、大御本尊に帰命することが肝要であります。

大聖人様は『日女御前御返事』に「されば首題の五字は中央にかゝり、四大天王は宝塔の四方に坐し、釈迦・多宝・本化(ほんげ)の四菩薩肩を並べ、普賢・文殊等、舎利弗・目連等座を屈し、日天・月天・第六天の魔王・竜王・阿修羅・其の外(ほか)不動・愛染(あいぜん)は南北の二方に陣を取り、悪逆の達多(だった)・愚癡の竜女一座をはり、三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神・十羅刹女(じゅうらせつにょ)等、加之(しかのみならず)日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神々、総じて大小の神祇(しんぎ)等、体の神つら(列)なる、其の余の用(ゆう)の神豈(あに)も(漏)るべきや。宝塔品に云はく『諸の大衆を接して皆虚空(こくう)に在り』云云。此等の仏・菩薩・大聖(だいしょう)等、総じて序品列座の二界・八番の雑衆等、一人ももれず此の御本尊の中に住し給ひ、妙法五字の光明にてらされて本有(ほんぬ)の尊形(そんぎょう)となる。是を本尊とは申すなり」(同1387ぺージ)と仰せであります。すなわち地獄・餓鬼・畜生等の悪も、すべて妙法に照らされて「本有の尊形」となると仰あそばされているのであります。

したがって、末法の荒凡夫はすべからく本門戒壇の大御本尊を帰命依止の御本尊と拝し奉り、無疑曰信(むぎわっしん)の信心に住して自行化他の行業に励むことによって、十悪、五逆、誹謗正法等の罪障を消滅し、煩悩即菩提、生死即涅槃、裟婆即寂光と開き、六根清浄の果報を得て、健全にして慈悲の心を持った人格により、安定した生活を送ることができるのであります。

しかし、さらにその上に今、我々にとって大事なことは、『妙法比丘尼御返事』に、「仏法の中には仏いまし(誡)めて云はく、法華経のかたきを見て世をはヾかり恐れて申さずば釈迦仏の御敵、いかなる智人善人なりとも必ず無間地獄に堕つべし」(同1262ページ)との仰せを心肝に染めて、妙法受持の功徳をおのれ一人だけに留めず、謗法の害毒によっていまだ塗炭の苦しみにあえぐ多くの人々に下種結縁し、折伏逆化の闘いを進めていくことが肝要なのであります。まさに、この闘いこそ、自らも救い、混沌とした世の中を救う最善の方途にて、今、最も急務とするところであります。

御命題の達成まであと3年、皆様方には一人ひとりが「地涌倍増」を目指して、本年「決起の年」にふさわしい大折伏戦を敢行されますように心から念じてまして、本日の挨拶と致します。





海外リポート
シンガポール開妙布教所 シャラリー・シム女子部長


シンガポールでは昨年11月、僧俗和合の結晶として、同国東部に開妙布教所を建立し、開妙布教所移転新築落慶法要を奉修した。かつては、独立した信徒組織が4つ存在し、総本山大石寺への登山ですら別々に行っていた時代もあった。しかし、御僧侶主導の布教体制確立後、10年間にわたりシンガポールに常駐され、昼夜の別なく指導してこられた滝川信雅御尊師のもと、幾多の試練を乗り越え、僧俗異体同心の信心の確立がなされてきた。その結果として、このほどようやく、悲願であった新布教所の建立にこぎつけたのである。

現在の信徒数は、約3,700人。10支部・26地区・103班体制を敷き、これに少年部、学生部、青年部が加わる。講中行事への参加は活発であり、御報恩御講への参詣者数は1,500名を超える。

女子部長のシャラリー・シムさんは、東奔西走の毎日である。その努力は確実に実っており、昨年、女子部は見事に折伏誓願目標を完遂した。人柄は、いたって控え目だが、長いこと信心を拒んできたお父さんやお祖母さんを続けて折伏し、交際相手もきちんと折伏してから結婚に臨んだ、健気な女性である。

開妙布教所(c)宗務院海外部

●平成6年の第一回海外信徒総登山に、深い思い出があると聞きました。

○あのとき私は、社会人になりたてでした。家計が苦しかったため、進学をあきらめて就職しました。経済的なゆとりが全くなかった中で、お山に行けたのは、母がそれまでに内職で貯めたわずかな貯金をすべて出してくれたからです。そのお金を使ってしまえば、家にはもう何も残っていませんでした。ですから、この貴重なお金を使って行くからには必ず何かをつかんで帰ってこよう、と固く決意して出かけました。

○生まれて初めて御開扉を受けたとき、これまでの様々な思いが涌き上がってきて、私は涙が出て仕方がありませんでした。そして、私たちをずっと苦しめてきた父をいつも憎く思ってきましたが、本門戒壇の大御本尊様の前で、父を憎むのはもうよそうと思えたのです。その心の変化に、我ながら不思議な気持ちがしました。また、帰国後、父の態度にこれまでにない変化が見られ、御本尊様の功徳はすごいと感じました。私は、我が家の宿業を変えていきたいと思い、もっとこの信心に真剣に打ち込もうと決意しました。


●一昨年、お祖母さんを折伏され、そして昨年はとうとう、お父さんを折伏されましたね。

○はい。信心を一生懸命する前は、父のことが大嫌いでした。家庭を省みないで、母を苦しめてばかりいる人というイメージでした。でも、布教所に通い、様々な体験を聞いて、御題目を唱えるうちに、「父を大事にしていこう」という気持ちに変わっていったのです。それでも、父への折伏はなかなかできませんでした。そして、家庭内にも、再び問題が起こり始めました。

○結果が出ないということは、何か間題があるからです。それは何なのかと、ずっと考えながら御本尊様に御祈念してきました。そして、母、妹、そして私の3人で共に努力するうちに、父の折伏が、思いもかけないタイミングで成就できたのです。あるとき、父が職場に電話してきて、お金を貸してほしいと言うのです。私は、「信心をしていかなければ、一生変われない。信心を始めて、家族みんなで幸せになっていこう」と、一生懸命話しました。初めて父の心が動いたのを、電話の受話器を通じてでも、感じとることができました。そして、その後とうとう御授戒をお受けするということになったのです。父の折伏の場にたまたま居合わせた叔母家族も、一緒に御授戒を受けるという.ことになり、親族の折伏も一気に進みました。


●さて、女子部では昨年、40世帯の折伏誓願目標に対して、見事に49世帯の折伏を達成しましたが、どんなことが功を奏したのでしょうか。また、女子部員が抱えている問題や、女子部の状況について話してください。

○女子部全体では、三つの活動を中心に行っています。一つは、全体唱題会。一つは、座談会です。座談会では、何か題材を取り上げて、皆で話をしていきます。女の人は話が好きなので、心の中を吐き出して、そこから前進できるように構成しています。もう一つは、家庭訪問です。こまめに小さな単位で唱題会を行うなどしてお宅を訪問し、会話を重ねるように心がけています。

○正直に一生懸命に信心修行をしていけば、必ずそこに結果が伴ってくると思います。御本尊様に対して正直な心で、共に祈っていくこと、会話を重ねていくことが大事だと思っています。

○私たち女子部員の共通の悩みは、交際相手の折伏に手間取っていることでしょうか。相手を失うことを恐れるあまり、もう一歩踏み込んだ折伏ができていないような気がします。やはり、結婚する前に、勇気を持って相手を折伏していける女子部でありたいと願っています。


●今後の決意を聞かせてください。

○シンガポール信徒全体に目を向ければ、平成14年当時2,500人だった布教所の信徒数は、現在3,700人にまで上っています。地涌倍増の御命題まで残り1,300人となった誓願を、皆で必ず達成していくこと、そして新入信者の育成などが今後の課題だと思います。

○滝川御尊師は常々、「どんな問題に直面しようとも、御本尊様に祈り、広宣流布に向かって動いていく中で、必ず問題は解決していく」と御指導くださっています。僧俗和合の信心、異体同心の信心で、未来に向かって前進していく決意です。




体験発表 『脱会、乳ガン、折伏、全て御題目で解決』
覚法寺支部・加藤晶子


私が信心に巡り会えたきっかけは、母が昭和31年12月15日に御本尊様を我が家にお迎えしたことです。病気がちの母は元気になりたい一心で入信しました。無学な母が私に、「お経を読みたい」と言うので、毎日一緒にオウム返しで勤行をしました。ある日、母に「よい所に連れていってあげる」と言われ、一緒に出かけました。当時お寺がなかった和歌山に、月に一度、堺の本伝寺の御住職が出張御授戒に来てくださり、そこで私は御授戒をしていただきました。

翌年、母の元気になった姿を見て父も入信し、家族全員で御登山させていただきました。父は、「自分が死んだら総本山に墓を建ててほしい」と母に言ったそうです。その父が、昭和44年に亡くなり、下之坊の墓苑にお墓を持つことができました。

母は私に信心強盛な人と結婚するようにと、家族全員が学会の幹部をしている家に嫁がせました。昭和49年に長男を出産し、浄妙寺において子供の御授戒をしていただきました。当時、夫や夫の家族は「寺信心をしてはいけない」と、私がお寺に行くのを反対しました。その頃は、何のことか理解できませんでした。毎日の生活の中で意見が合わなくなり、私は離婚を申し立てました。子供を私が引き取り、何も要求しないことを条件に離婚に応じてくれました。

生まれて1ヵ月の赤子を連れて堺市に移り住みました。子供を保育所に預けて美容学校に通い、美容師の資格を取得しました。この頃は、毎日2時間以上の唱題と1年に2世帯の折伏を成就し、6年間で12世帯の折伏ができました。


昭和54年脱会、法華講へ

同じ頃、学会幹部の心ない行為に不審を抱いて学会が嫌になり、毎日本伝寺に通うようになりました。信心はやめたくない、これからどうしたらよいのかと、本伝寺の御本尊様に何時間も唱題し祈っていたところ、当時執事さんだった渡瀬御尊師(現・大栄寺住職)から、学会の教義逸脱問題を教えていただき、法華講という組織があると聞き、昭和54年に入講いたしました。私が折伏した友人たちも法華講に入り、現在も各地の寺院で活躍しています。

その後、故郷の和歌山に帰り、長男を連れて現在の主人と再婚しました。4人の息子にも恵まれ、家族全員で朝夕の勤行、お寺の行事へ参加と充実した毎日を送りました。母と一緒に毎月の登山も10年間、参詣させていただきました。

平成6年、私が46歳のとき、高齢で女の子を出産しました。何よりも母が喜んでくれました。母は「やっと願いが叶った、これで安心して死ねる」と私に女の子が生まれることを10年間祈ってくれていたことを話してくれました。

翌年の3月8日、家族で登山をしたその帰りの車中で、母は私に「最後の登山になった。ありがとう。お前が一番親孝行だった」と言い、3月10日、私の御題目の声を聞きながら83歳で亡くなりました。無事に日蓮正宗で葬儀を済ませ、初七日の日、学会員である4人の兄嫁たちは、私が学会に入らないのなら兄妹の縁を切ると言ってきました。兄は「ごめんよ。この年で離婚されたら困るし」と言っていました。あまりの理不尽さに私は泣きました。


乳ガン、余命6ヵ月

それから3ヵ月が過ぎた頃、体調不良で病院に行きました。検査の結果、乳ガンの末期で余命3ヶ月、長くて6ヵ月と診断されました。「私の番がきた」と思いました。父が肺ガン、姉が卵巣ガン、母が白血病、兄が胃ガンで亡くなっていましたから、覚悟はできていました。夫や子供たちとも話し合い、命尽きるまで御本尊様の使いをして、悔いのないよう精一杯生きようと決心しました。

入院はせず、その日から毎日5時間、10時間と唱題しました。すると、不思議に折伏ができました。ヤクルトの営業に来た人、訪ねて来た古い友人、息子の友人、近所の友人の娘、離婚問題で悩んでいた友人夫婦、私の美容院のお客さんで恋愛で悩んでいた若い女の子2人、訪ねてきた姪、偶然病院で会った知人、年配のお客さんと、気がつけば10世帯ほど折伏ができていました。

病気のほうは宣告の6ヵ月はとっくに過ぎて、病院に行ったところ、ガン細胞が消えて水泡になっていると先生が驚いていました。今までの人生で地獄のような思いを何度も経験しましたが、それを乗り越えてこられたのは、亡き母が毎日唱えていた御題目が心に残っているからです。すべて御題目で乗り切れたのは、信心を教えてくれた母のお陰です。

「日は西より出づるとも、法華経の行者の祈りのかな(叶)はぬ事はあるべからず」(御書630ページ)との御書の通りと確信しています。


昨年末の折伏状況

平成17年12月4日の広布唱題会の後、御住職・小笠原制道御尊師が「この後も残って唱題される方はしてください」とおっしゃいました。私が娘と唱題を始めると、谷川さんと女子部長の高坦さん親子、壮年部の向井さんも一緒に参加され、昼まで3時間の唱題をしました。

午後から私と娘は、谷川さん夫妻と一緒に折伏に出かけました。はじめに、私が折伏した上道君の家に行きました。私は上道君に「有田市にいるお母さんを折伏して早く親孝行しよう。今から行こう」と言うと、「夜勤で帰って来たばかりだから」と言うので、近いうちにお母さんに会いに行こうと約束をしました。

次は近くに引っ越してきた七森さんのお宅に行きました。いろいろと信心の話を聞いていただき、七森さんは入信を決意され、12月10日に娘さんと2人で御授戒を受けて内得信仰を始められました。

12月27日の夜、主人から京橋の飲食店で待ち合わせの電話があり、私と娘は喜んで車で向かいました。そこで片桐さんを紹介されました。彼は「加藤さんと兄弟として付き合いたい」と言うので、私が「うちと付き合うのなら日蓮正宗の信心を理解していただかないと、よいお付き合いができませんよ」と言うと「日蓮正宗とは何ですか」と尋ねられました。

話を聞くと、2年前に奥さんを亡くされて息子さんたちは独立しているため今は独り暮しとのことです。先祖代々禅宗だと聞き、間違った宗教は不幸の原因であり幸せになれないことや、私の今までの体験を話しました。すると「同じ乳ガンで僕の嫁さんは死んだのに、何で奥さん生きてるねん」と言って泣き出しました。それから仏法の話を聞いていただき、「一日も早く亡くなった奥さんの成仏を願って回向してあげましょう」と言うと、「一緒に信心させてください」と、翌日にお寺に行く約束をしました。

翌朝9時頃、片桐さんが家に来ました。「午後1時に御住職と約束したのに」と言うと「夕べは興奮して眠れなかったんです。早く来たくって来てしまいました」と言い、もっと早くこの信心に巡り会えていたらと悔やんでいました。御住職よりお話していただき、片桐さんは元旦に御本尊様を御下付戴くことが決まりました。


「決起の年」 元旦から折伏成就

年が明けて今年の元旦は、片桐さんと一緒に、東京で世帯を持った四男が御本尊様を御下付戴き嫁の御授戒もしていただきました。1月4日の初登山会には片桐さんも私の家族と共に参加され、御開扉のとき奉安堂の中で涙が止まらなかったと感激していました。翌日には大雪の中を東京に行き、四男の御入仏式ができました。

1月15日、覚法寺で広布推進会のあった日のことです。そこに上道君のご両親が来られていたのですが、8年も会っていなかったので、私はすっかり顔を忘れていました。そこへ御住職の「上道君は最近来なくなったけど」の言葉で思い出し、上道君のお母さんに「8年も会っていないので感じが変わって判らなかった」と言いました。彼女は「長い間御無沙汰しています。苦労したので顔が変わって判らなかったでしょう」と言って泣きました。

聞くと、上道君からは信心の話は聞いていたのですが、その当時は悩みもなく幸せだったので、考えてみると言ってそれっきり8年も経ってしまったそうです。上道君のご両親は、「今回、自分たちから息子に『加藤さんに連絡して信心させてほしい』と言ったところ、『加藤さんにはお寺に行ったら会えるから、お寺に行って御住職にお願いして信心させてもらい』と言われたので来ました」と言うのです。私は今までに御縁のあった人たちの名前をお経本の後ろに貼って、朝夕の勤行で御祈念しています。そのことを伝えると、自分たちの名前を見つけてご夫婦で泣いて喜んでくれました。2月12日、御授戒を受けて御本尊様を御下付戴いた後、有田市まで御住職に御足労いただき御入仏式をしていただきました。

次に2月19日、仏覚寺での婦人部対象の広布推進会の帰り、同じ支部の川崎さんを車で高野口まで送って帰る途中のこと、川崎さんが「近所に折伏したい人がいる」と言うので「今から行きましょう」と言って、前垣さんという方のお宅に伺いました。いろいろと信心の話や私の体験など聞いていただきました。前垣さんは、素直に入信を決意され、3月5日に御本尊様を御下付戴き、御入仏式もできました。

3月12日には、片桐さんが母親に信心をさせたいと御住職にお願いして、片桐さんのお母さんが御授戒をお受けしました。この日は1月に生まれた2人目の孫も一緒に御授戒をしていただきました。

御法主日如上人猊下は、「大御本尊様という最高の縁に出値うことによって、仮りに我々がいかなる悪業の因を積んでいたとしても、妙法蓮華経の偉大なる功徳によって変毒為薬し、煩悩即菩提、生死即涅槃、娑婆即寂光と変えていくことができるのであります。ここで大事なことは、善き縁に出値うということであります」(大白法685号)と御指南あそばされています。

今まで縁のあった人たちには必ず仏法の話を聞いていただき、それが縁となって入信されています。毎日元気に仏様のお使いをさせていただける喜びにあふれ、苦悩に満ちている多くの人たちを日蓮正宗に縁させてさしあげる役割が私の使命と感じ、「『立正安国論』正義顕揚750年」に向かう「決起の年」、御法主上人猊下の御もと、法華講員としてこれからも御住職のもとに折伏にがんばってまいります。




back      index      next