<4〜8面>
本日の指導会に当たりまして、一言申し上げます。
皆様も既に御承知のとおり、本日、7月16日は、今を去る746年前、大聖人様が時の最高権力者である北条時頼に『立正安国論』をもって第1回目の国主諫暁(かんぎょう)をせられた、まことに意義ある日であります。すなわち、大聖人様は当時の天変地夭(ちよう)をはじめ、飢饉(ききん)、疫癘(えきれい)等が打ち続く混沌(こんとん)とした末法濁悪の世相を深く憂えられ、国土の退廃の根本原因は邪義邪宗の謗法の害毒にあると断ぜられ、邪義邪宗への帰依をやめなければ、自界叛逆(ほんぎゃく)・他国侵逼(しんぴつ)の二難をはじめ様々な難が必ず競い起こると予言され、こうした災難を防ぐためには、一刻も早く謗法の念慮を断ち、「実乗の一善」たる法華経文底独一本門の妙法蓮華経、すなわち三大秘法の随一、大御本尊様に帰命することが、国を安んずる最善の方途であると諫暁せられたのであります。
思うに、今日の国内外の混沌とした状況と当時の状況を比べて見ると、その類似点はあまりにも多く、我々は今こそ、真の世界平和の実現とすべての人々の幸せのために『立正安国論』の原理に従って、一日も早く、そして一人でも多くの人々に、一切衆生救済の秘法たる大聖人の仏法を下種結縁し、折伏していかなければならないと痛感するものであります。
先程の水島教学部長の話にもありましたように、秋田の小学生殺害事件や、奈良の高校生の長男による母子放火殺人事件、その他様々な悲惨で残酷な事件はなぜ起きるのか。なぜ人々の心はここまですさんでしまったのか。なぜ人が人を殺し合うテロや内紛や戦争が起きるのか。その原因は、既に大聖人が『立正安国論』にお示しのとおり、すべて間違った考えや思想、間違った教え、つまり謗法の害毒によるのであります。人の命が謗法の害毒によってむしばまれ、貪瞋癡の三毒が強盛となり、命の尊さ、正邪の分別、ものの道理が無視され、悲惨な結果を招くことになるのであります。まさしく、間違った教えほど恐ろしいものはありません。多くの人々を不幸にし、個人のみならず全体を破滅に導き、国土をも破壊するのが謗法の怖(こわ)さであります。
故に大聖人様は『立正安国論』に、「早く天下の静謐(せいひつ)を思はゞ須(すべから)く国中の謗法を断(た)つべし」(御書247ページ)と仰せなのであります。一人ひとりの幸せはもとより、天下の安寧(あんねい)を願うならば、何を差し置いても謗法を断たなければなりません。謗法を断つとは、すなわち折伏することであります。
大聖人様は『諸法実相抄』のなかで、「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱えしが、二人、三人、百人と次第に唱へつた(伝)ふるなり。未来も又しかるべし」(同666ページ)と仰せであります。「未来も又しかるべし」と仰せのように、今日における折伏も、大聖人自らが私どもにお示しあそばされたお振る舞いと同じように、初めは1人から2人、3人、100人と次第に伝えていく以外に道はないのであります。
ただし、動かなければ「折伏」も「地涌倍増」の御命題も達成することはできません。所詮、信仰とは実践であり体験であり、事(じ)を事(じ)に行じていくのが大聖人様の仏法であります。いくら頭で考え、決意をしても、座(ざ)したままで行動を起こさなければ、折伏はできません。幸せにもなれません。動いて大御本尊様の御照覧を仰ぐか、座して悔いを万代に残すか、ここが正念場であります。第二祖日興上人は『遺誡置文(ゆいかいおきもん)』に、「未だ広宣流布せざる間は身命を捨てゝ髄力弘通を致すべき事」(同1884ページ)と仰せであります。悔いを万代に残さないためにも、私どもは今こそ、この日興上人の御遺誡を守り、「身命を捨てゝ髄力弘通」していかなければなりません。
もちろん、我らが折伏逆化(ぎゃっけ)の闘いに立ち上がれば、三宝破壊の池田創価学会をはじめ、あらゆる障魔が我々の前に立ちはだかり、行く手を阻(はば)むことは必定(ひつじょう)であります。あるいは己心の魔も起きてくるでしょう。あるいは時間が経つにつれて、いつの間にか惰性に流され、折伏をおろそかにすることがあるかも知れません。
しかし、こうした時こそ、法華講の同志の方々は大御本尊様への絶対の確信のもと、真剣に唱題に励み、お互いが「い(言)ゐはげ(励)まして」(御書1398ページ)助け合い、とにもかくにも身体を動かして折伏を行じ、折伏によって内外の魔を打ち破っていくことが肝要であります。世のため、人のため、広布のため、そして自分自身の一生成仏のためにも、御命題達成まであと3年と迫った本年、すべての法華講員は、一人ひとりが「師子王の如くなる心」(御書579ページ)をもって大折伏戦を実行していただきたいと思います。「師子王の如くなる心」とは、あらゆる障魔を打ち払い、凛(りん)として広布へ向かって力強く前進していく、破邪顕正の信心そのものであります。そして、その源は大御本尊様に対する絶対の信、「無疑曰信(わっしん)」(御書 1764ページ等)から生ずるのであります。
なにとぞ皆様方には、このたびの夏期講習会で学んだこと、あるいは指導会で得たことを、今度は自らの折伏実践の上に活(い)かし、もって講中全体が一人も漏れず立ち上がり、地涌倍増の御命題を必ずや達成されますよう心から念じ、挨拶とします。
本年度夏期講習会に当たり、ようこそ全国から登山参加されました。たいへん御苦労様に存じます。昨日は御戒壇様への御目通りに引き続き、『上野殿御返事』の講義、『地涌の菩薩の意義と使命』、さらに『登山参詣の意義』についてと、詳細なテキストに基づく講義を受けられ、ただ今はまた、もったいなくも御法主日如上人猊下より親しく甚深の特別御講義を賜り、皆様の信行増進にたいへん意義深い講習会であったと存じます。
さて、本年「決起の年」も半年を経過いたしました。御法主日如上人猊下は、春の法華講連合会第43回総会の折に、「本年『決起の年』は、すべての法華講員が心を新たにして、平成21年の『地涌倍増』と『大結集』の御命題達成を目指して立ち上がり、決意を固め、断固として行動を起こすべき年であります。いかなる行動を起こすかと言えば、それは言うまでもなく『地涌倍増』と『大結集』の絶対的要件である折伏を行ずることであります」(大白法690号)と、私共僧俗の進むべき道を明確にお示しくだされました。
さて、宗祖日蓮大聖人の御一生は「『立正安国論』に始まり『立正安国論』に終わる」と言われます。すなわち、末法万年の闇を照らし、あらゆる一切の人々を救う御本仏大聖人は、世の中に在って人を不幸にするすべての誤った邪な教えを打ち破って、末法適時(ちやくじ)の唯一の正法を打ち立てられました。その正しい教えを「広く世の中に流布する…」、広宣流布することによって人々を幸せにし、国に安寧をもたらし、さらに全人類の福祉と世界の恒久平和実現の道を確立なされ、私たちにお示しくださいました。
「立正」とは「正を立てる」ということです。では、その正しい教えとは何か。「正」という字を分解すると「一に止まる」と書きます。二つとない「ただ一つ」という意味で、大聖人の下種仏法において拝すると、「一」とは久遠元初であり、『当体義抄』にお示しの、「因果倶時・不思議の一法」(御書695ページ)が、その意義を持っています。したがって、久遠即末法の上から御本仏の御当体として出現あそばされた大聖人の御化導の根本である本門戒壇の大御本尊に帰するのであります。
故に、総本山第26世日寛上人は、「立正の両字は三箇の秘法を含むなり」(御書文段6ページ)すなわち「本門の本尊」「本門の戒壇」「本門の題目」の三大秘法を示すのであると御指南されています。しかして、その三大秘法の根源は、我が総本山奉安堂に安置奉る本門戒壇の大御本尊様に在(ましま)す。したがって、この「立正」とは、本門戒壇の大御本尊を立てて広宣流布することであり、そこに初めて「安国」が存するのであります。
翻って、日本乃至世界の現状はどうであるか。まさに750年の昔、この『立正安国論』に、「世皆正に皆き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てヽ相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる」(御書234ページ)と、大聖人が喝破(かっぱ)された通り、世の人々が専(もっぱ)ら謗法に染まって大白法たる大御本尊を顧みることがなく、かえって誹謗するために諸天善神に見離され、逆に悪鬼が便りを得て世の中が乱れ、様々な災害が起こるのであります。
ここ数年の様相を見ても、台風が5月や6月に上陸したり、集中豪雨、熱波等の異常気象、ひき逃げ放置、幼い子供が大人に襲われる、少年犯罪の低年齢化、耐震偽装事件、テロリズムの拡散などの社会問題、国際問題が人々に不安を与え、憂いを募(つの)らせる元になっています。これら、国の内外の様相を見聞するにつけ、一刻も早く大聖人の正法に帰依する功徳により、人々の心を善導し、社会不安を拭い去り、人類共通の安寧秩序確立を図らなくてはならないと痛感するところであります。
さて、その大白法を護持弘宣する崇高な役目を荷負う私共正宗僧俗は、広布へ向けての着実な歩みを進めていますが、当面は3年後の「『立正安国論』正義顕揚750年」の佳節を迎えるに当たり、先般、記念局の設置をみたところであります。すなわち、宗祖日蓮大聖人が『立正安国論』によって正義顕揚をあそばされ、文応元(1260)年から数えて、来たる平成21年がちょうど750年目に相当いたします。そこで、この大佳節までに「地涌の友の倍増乃至、それ以上の輩出と大結集」を何としても完遂し、もって世界の恒久平和実現と一切衆生救済の大慈大悲を垂れ給うた宗祖日蓮大聖人の御報恩謝徳に供え奉り、大法広布の願業達成を期していくことになり、去る4月1日、御法主上人を総裁猊下と仰ぎ奉る「立正安国論正義顕揚750年記念局」が正式に発足し、業務が開始されました。
その記念事業の主なものとしては、第一に、来たる平成21年7月に奉修の「立正安国論正義顕揚750年記念大法要並びに大結集総登山」であります。
第二に、「地涌倍増大結集推進」であります。御法主上人猊下は、このことについて先般の御講義の冒頭にも御指南がございましたが、法華講連合会第43回総会の砌には、「大聖人は『御義口伝』に、『大願とは法華弘通なり』(御書1749ページ)と仰せであります。つまり広布の大願も、そして御命題の達成も、我々の身軽法重・死身弘法の弛(たゆ)まぬ折伏弘通によって、初めて達成されるのであります。折伏なくして広宣流布の実現はなく、御命題の『地涌の友の倍増乃至、それ以上の輩出と大結集』もありません。したがって、折伏こそ御命題達成の絶対の要件であることを、本年『決起の年』に当たって、本宗僧俗の一人ひとりがしっかりと念頭に置いておかなければなりません」(大白法690号)と仰せられ、さらに記念局の実行委員会において、「この4つの事業が全部、大事ではありますけれども、そのなかでも『地涌倍増』ということが一番大事ではないかと思います。ランクをつけるのはおかしいですが、地涌倍増、つまり折伏をして地涌倍増する。折伏なくして地涌倍増はできません。また、その地涌倍増なくして『大結集』をしても、それは単なる数集めに過ぎない。そういったことを考えますると、やはり地涌倍増大結集の推進というものは、それこそこれからのたいへんな闘いになってくると思いますが、どうぞ担当の方々には骨身を惜しまず、御奉公に励んでいただきたい」(同692号)と御指南あそばされています。
つまり「地涌倍増」という御命題達成が最も大事であるが、その基盤となるのは折伏である。折伏なくして地涌倍増はないという、この大原則を決して忘れてはならない、との御指南であります。私共は、この御指南をしっかり肚に入れて進んでいくことが肝要であると存じます。
そこで、このメインとなる「地涌倍増」の闘いをしていく上においては、多角的な活動を行っていきますが、その一つとして、従来行われてきた毎月の布教区別の広布推進会を、当記念局の行事の一環として執り行っていくことにいたしました。また、住職を対象とした世帯数別指導会、あるいは大布教区別、さらに布教区別の指導会。そして現在、柳沢総講頭・石毛大講頭によって行われている地方部別の激励会、さらに各支部を単位として種々企画を立てて折伏を推進していく活動等を、地涌倍増へ向けて積極的に行ってまいります。いずれにいたしましても、先ほども申し上げた通り、「地涌倍増」とは折伏以外にありません。
『聖愚問答抄』に、「今の世は濁世なり、人の情もひがみゆがんで権教謗法のみ多ければ正法弘まりがたし。此の時は読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり。只折伏を行じて力あらば威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり」(御書403ページ)と仰せのように、今、末法にあっては、人々を不幸に陥れる誤った教えがたくさん蔓延(はびこ)っています。そこで我々は、その邪法邪義を破折屈伏せしめ、その存立を決して許さず、しかして、唯一の正法であり、すべての人々が必ず幸せになり成仏できる大聖人の仏法の正義を顕していくという、この折伏の修行に励まなくてはなりません。
我々は、この折伏行によってのみ、自らの過去世からの様々な罪障を消滅し、成仏得道の大利益を得ることができるのであります。このことを改めて自覚し、一日一日身体を動かし、精進していきましょう。
さて、記念事業の第三が「総本山総合整備事業」であります。その一つは御影堂の改修工事で、江戸時代、第17世日精上人の代、寛永9(1632)年に、阿波徳島藩主夫人・敬台院殿の御供養により建立されました由緒ある木造建築ですので、耐震面も含め、この際、十分な調査の上、万全の改修工事を補して後世へ伝えていきたいとの御法主上人猊下の思し召しを受け、鋭意準備を進めています。これは、工事に7〜10年ほど要する大事業であります。二つ目は、塔中坊の建て替え改築工事で、浄蓮坊・久成坊をはじめ10カ坊を予定しています。三つ目が、塔中坊の耐震補強事業で、これは今回、建て替えずに補強を行ってそのまま存続させることになるわけですが、これについては現在、耐震調査中であります。以上が、総本山総合整備事業です。
次に、第四の柱が「記念出版事業」です。これは宗務院教学部が主体となり『御書教学辞典(仮称)』の編纂・出版等、種々計画が進められています。『御書教学辞典』は、宗門において初めて編纂出版する辞書であり、大聖人の仏法を正しく学ぶ上で、また日常の折伏活動の上で欠かせない、すばらしい書籍になると期待されます。
以上が、記念事業の概要であります。これらの大事業を遂行していくためには、当然、その資金が必要となります。そこでこの際、御信徒の皆様をはじめ、寺院、僧侶、あるいは寺族からも「特別御供養」を勧募することとなりました。その「趣意書」もすでに出来上がり、全国の末寺を通して皆様のお手元へ配られていると思います。なにとぞ皆様方には、この尊い御報恩事業につき深い理解をいただき、護惜建立(ごしゃくこんりゅう)の強い信心に立って御本尊様に応分の御供養を捧げて功徳を積まれ、事業がとどこおりなく遂行できるよう、御協力のほどお願い申し上げるものであります。
さて、それではもう一点お話をして、最後の締め括りといたします。先ほど「地涌倍増」実現の要は折伏の実践以外にないことを、御法主上人猊下の御指南を拝して申し上げました。そこで、この折伏の大事ということにつき、強い強い決意を固め、その気持ちを、信心を、さらに持続していくための方法として、今から私が一つ提案をいたします。
それは皆さん方が、今、折伏しようと思っている人、あるいは目下、折伏中の人でも結構です。その人の名前を書いてみる。そして、何月何日と日時を決めてその人に会う、あるいは電話をする、という具体的なスケジュールを立てるということです。先ほどの御法主上人猊下のお話にもありましたが、我々は、何事によらず、得てして何かやらなくてはならないことについて、頭の中では折々思い出しては「ああ、あれをやらなくては」と、心で思うことは度々あります。しかし「いずれ、そのうちに…」という程度の思いでは、ついつい延び延びとなり、そのうちに「忘却の彼方へ」ということになりかねません。そこで「本当に実行しよう」と心に決めた時は、即座に予定表とかカレンダーにしっかりと書き付ける、という具体的な行動に表すことが大事であります。
そこで、ただ今、御法主上人猊下から賜った御講義のテキストをお出しください。その最後のぺージの余白のところに、今、申し上げた通り、折伏の相手、下種をしようという相手の方の名前を書いてください。もし正確な名前が判らなければ、判る範囲内で書き記しましょう。次に、今度はそれをいつ実行するかという日時です。これは、弱い自分の心を強くする、後押しするための重要なポイントとなります。3カ月先だとか1年先というのでは、ほとんど意味がありません。せいぜい1週間か10日以内に設定しましょう。それで現実味が帯びてきます。時間も決めて書いてください。相手のあることですから、今この場で書いても、あるいはダメかもしれません。しかし、それでもいいのです。それをもとにして、また変更していけばよいわけです。細かい時間を決めかねるのなら、大まかに午前か午後か、だけでも決めましょう。そして最後に、実際に訪ねて会うか、あるいは電話を架けて話をするかを選んで、それも書き留めてください。
もっとも、この中には恐らく「今の話については、もう何年も前から実践していますよ」「今さら言われなくても」とおっしゃる方も大勢いらっしゃるかも知れません。その方たちには申し訳ありませんでしたが、しかし、中には「よし、今日から実行してみよう」と、決心される方もお出になるかと思ってお話をした次第です。それではお帰りになったら、このテキストを毎日お仏壇の前に供えて、しっかり御祈念し、実践していってください。御戒壇様在すこの総本山で、御法主上人猊下が御覧あそばされているその御前で、しかも、その猊下の御講義テキストに書き込ませていただいたわけですから、決して反故(ほご)にすることのないよう、くれぐれもお願いいたします。
そして今後共、その姿勢を崩すことなく、次々と新しい人を対象にし、この方式を持続して実行していっていただきたいと念願いたします。あと半年残されています。それぞれの支部へお帰りになったら、同じ信心の同志にも今のことを伝えて、一緒に実行を心がけていきましょう。以上で話を終わります。
昨日は3時限にわたって、時に適った大事な信心の基本を御指導いただき、ただ今はまた、御法主上人猊下より、折伏の肝心とその実践について、親しく御指南賜ったものでのります。そこで私は、皆さん方と共にこれだけの御指南を賜り、また御指導をいただいて、どう具体的に実践していくかについて申し上げたいと思います。
皆さん方も、一人残らず、ただ今の御指南を戴いて感激されておられることと存じます。そこで、具体的にどう実践するのか、このことをよくお考えいただかなければ、せっかく戴いた宝物、すなわち御指南が無駄になってしまうような気がいたします。そこで私は、今の自分の生活を改めなければ、具体化はしていかないのではないかと申し上げたいわけであります。
お山へも登山し、毎月の御報恩御講にも家族を挙げて参詣し、機会あるたびに信心の話をして折伏する、そういうことを長くやってきますと、だいたい世間の人たちには、「信心に凝っている」と評価されます。つまり、あの人たちは、違うんだということですね。そのとき我々が「本当にそうだ、あなた方と違う」と思ったらだめです。それでは折伏になりません。
何も変わりはないんです。同じように子供の将来を考え、我が家の将来を考え、常に未来を考えながら、毎日毎日を一生懸命に努力して、生活していることは同じなんですから。ただ、未来を考える人には、常に恐れるものがあります。それは災難です。病気もそうでありますが、不慮の災難。この難を封じなければだめです。そこで、尋ね尋ねて巡り会い、今、大石寺の信心をさせていただいているんです。
ところが、だんだんと年を取って、すっかりそのことを忘れ、御加護を戴くことに慣れてしまって、子供たちに至っては、初めから今のような生活だったと思っている。そこなんです、子供によく教えなければならないのは。「我が家は昔は今と違って、もっともっと生活が貧困で厳しかったんだ。戒壇の大御本尊様のおかげで、今日こうして、毎日を安心して生活できているんだ」ということ。皆さんは、こういう話をあまり家族にしてこなかったのではないでしょうか。これがいけないのです。このことを含め、今まで自分の歩いてきた生活の考え方を、どこかできちんと改めなければ、御本尊様の御恩ということが、どこかへ行ってしまいます。
また、子供たちは、どう考えているかと言いますと、「親は利益があるようなことを言うけれども、あまり利益を戴いているように感じない」ということです。自分たちの幸せは、政治のほうに要因があると思っている。生活の根本が信心にあるんだということを、子供にしっかり教えられるのは、親しかいないんです。ところが、親のほうが、段々と生活が良くなってきますと、自分もなんとなく、名門の生まれのような見栄を張りたい。ましてや信じている法が立派ですから、昔からこうだった、という気になってしまう。それは間違いです。今、その恩を忘れて生活をしてきた、不知恩の罰が当たっているということを自覚しなければなりません。
私たちはやろうと思っていても、下山すると忘れてしまう。それではだめなんですね。恩を知り恩に報いる信心をしている人と、また、御本尊様に救われた時は涙を流し有り難いと思いながらも忘れてしまう人との差は、10年、20年、30年と経って、はっきり出てまいります。自分はもとより、家庭の中に出てくるのです。それは成長した子供たちです。子供は両親の振る舞いを見ていますから。他人様はうまく誤魔化せても、子供はそうはいきません。親の行躰行儀を見ていますから。そして子供が20代、30代に入ったとき、謗法にはならないけれども、一生懸命に信心しない。なぜかというと、親が不知恩の姿を長年、子供に見せてきたからです。
そして同じようなことを、それから20年も経たないうちに、今度は孫の代にやられてしまう。三代続く信者の少ない原因は、これです。子供たちに、「我が家は大御本尊様の御利益によって救われた」ということを話して、躾(しつ)けていくこと。重ねてこのことは申し上げておきます。現在の家庭の信心の状態が、全部自分たちの晩年に響いてくるのですから、躾を軽く考えていてはだめです。
その躾の元を教えてくださるのが、お山です。それをずっと遡っていきますと、二祖日興上人様に至ります。そして血脈嗣法の御法主日如上人猊下の今日まで、ずっと続いてきます。また、全国各地に命を受けて派遣されている御僧侶が、その地域の人々に手を取って教えてくださる。
ところが、理屈ばかり言う人、上手に世を渡る術(すべ)を身につけていて、いろいろと批判をする人がいます。その人たちが終(しま)いには、幹部批判をして、それがこうじて御住職批判を始める。これが自分の身近で起こった時に、困ったなと見ていてはだめです。立ち上がって、「止めなさい」と震えながらでも言っていくのです。その時に、皆さんも「そうだ、そうだ」と言わなければだめです。黙っているような人には折伏はできません。
最近はだいぶ学歴偏重が崩れてきていますが、それは、社会全体が大きく変化することが眼に見えてきたからです。ですから、我々が折伏していくにはたいへん条件のいい時なのです。
ここで、自分のほうの生活の在り方が崩れていると折伏がうまくいかない。しかしまた、それでもいいんです。もし相手が「偉そうなことを言ったって自分の家を見て見ろ。いろいろな問題を抱えているじゃないか」と言ってきたら、「何を言うか」と対立せず、「あなたの言うとおりだ」と言えばいいんです。これまで学会だったり、邪教をやってきて、心がけが悪いんですから、言われても仕方ない。これはみんな同じなんですから。世間の人たちは隠しているけれど、私たちは隠す必要はない。仏様の言われることを話していくのであって、偉そうなことを話すのではない。自分の今の姿も、仏様の教えに逆らってきたその報いだと認めていけばいいんです。そして、「自分は気づいて改めたけど、あなたも早く改めないとだめですよ」と。これなら立派に折伏ができるのではありませんか。
そこに私たちは、共々に、自分というものにとらわれないで、夏期講習会で戴いた御指南、御指導をしっかりと心に染め、法の立派なことを体を張って証明していく、そういう生活に立って、折伏を励んでまいりましょう。その結果は、本年後半の前半までには兆候が現れてくるということを申し上げまして、私の話を終わります。
そこで、先程の水島教学部長からの提案にあったように、まず皆様が折伏の見本を示し、是非とも立ち上がっていただきたいのであります。皆様方が立ち上がれば、その波動は必ず講中に広がります。さらにその波動が講中から全国に広がり、折伏の渦を巻き起こしていけば、必ず本年度を勝利し、御命題も達成することができます。
○指導 法華講本部指導教師・八木日照御尊能化
立正安国とは広宣流布
記念局の設置と報恩事業
スケジュールを決めて折伏を実行
○激励 法華講総講頭・柳沢喜惣次
例えば御登山することについて、「たいへんだ」という声が聞こえてきます。信心の明確な者は「どうしてだろう?」と思うでしょうが、そういうことを言う人たちにとっては、たいへんに感ずるんですね。それは生活に対する考えが違うからです。どう違うのかと言いますと、世間の価値観、結局お金なんです。信心のことも、他のことも、一切はお金があれば解決していくと思っている。また、そういう人の周りには、「結局はお金だ」という人がたくさんいる。先ほどからの御指南を本当に心肝に染めていくためには、これを破らなければなりません。
そこで、どうしたら折伏ができるのかということです。この指導会においてずっと、法華講本部の指導教師の御尊能化、御尊師様方から御指導の最後に、皆さん方が帰ってから早速、折伏に動けるよう、この場で折伏する相手の名前を書き、いつまでに行くか、または電話するかを決めてそれも書くということを、お話くださっています。
今、私たちが直面している大事な問題に、教育の貧困があります。この根底にあるのは根深く、貧・瞋・癡の三毒が浄化されていないことであり、その因は謗法からきているのです。謗法の社会は、この浄化されていないと貧・瞋・癡の煩悩の上に、知識や経験を積み重ねて、20年後、30年後に、必ず幸せになれると、勝手に思っているだけなんです。