大白法

平成18年10月1日号


主な記事

<1〜3面>

<4〜8面>


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御法主日如上人猊下御講義
折伏要文(第5期)


皆さん、おはようこざいます。本年度の法華講夏期講習会も、今回で第5期を迎えた次第であります。皆様方にはそれぞれ、いつも広布のために御精進のことと存じ上ける次第であります。本年度の私の講義は、テキストに示したように『折伏要文』についてお話をいたします。

私も日顕上人猊下の御意を拝して、その後を継がせていただき、すでに半年が過ぎたわけでありますが、やはり私といたしましては、日顕上人猊下から賜った平成21年の「地涌倍増」と「大結集」の御命題、これは何としてでも達成していかなければならないと考えている次第あります。この「地涌倍増」と「大結集」ということでありますが、やはり「地涌倍増」ということが一番大事はないかと思います。「大結集」を図ると言いましても、そこに「地涌倍増」が伴わなければ、それは単なる数集めにしか過ぎないわけで、やはり「地涌倍増」を果たして、その上て「大結集」を行っていくということが大事ではないかと思います。

  さらに、その「地涌倍増」とは何かと言えば、それは「折伏」であります。折伏以外に「地涌倍増」を図ることはできないのでありますから、平成21年をめざす3年間の闘いとは、具体的に言えば大折伏戦であるということになるのです。そこで今回は、折伏の要文をテキストに挙げさせていただきまして、お話をしている次第であります。と申しますのは、皆様方も各支部にお帰りになりますと、指導教師をはじめ講頭さんや幹部の方々から「折伏をしなさい」と、常々言われていると思います。よく考えてみますと、「折伏をしなさい」ということは、別に支部の指導教師や講頭さんたちが勝手に言っているわけでもないのです。これは仏様が我々に命じていらっしゃることなのです。

  ですから、この要文を勉強していくと判りますけれども、大聖人様は、「法華経の敵を見なから置いてせめずんば、師檀ともに無間地獄は疑ひなかるべし」(御書1040ページ)とおっしゃっているのです。ですから、「折伏をしなさい」ということは、我々が勝手に言っているのではなくして、仏様がおっしゃっているのであるということをよく知っていただきたいと思います。今日の混迷を極める世の中を教うには、折伏以外にないわけです。そこで、この折伏についての要文を挙げて、皆さん方と共に勉強していきたいと考えた次第てす。



◆四条金吾殿御返事◆

さて、テキストのほうでありますが、今回は17ページの『四条金御殿御返事』の御文から拝読をしてまいります。では、テキストをご覧ください。

法華経に云はく『若し善男子善女人、我が滅度の後に能(よ)く竊(ひそ)かに一人の為にも法華経の乃至一句を説かん。当に知るべし是の人は則ち如来の使ひ如来の所遣として如来の事を行ずるなり』等云云。法華経を一字一句も唱へ、又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使ひなり】(御書620ページ2行目)

この「法華経に云はく」以下の括弧の中の御又は、テキストの最初のところに法華経の文をいくつか挙げていますが、その冒頭の『法師品第十』の文と全く同じてあります。つまり、大聖人様はまずこの『法師品第十』の文を引かれて、その後に「法華経を一字一句も唱へ、又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使ひなり」と、このようにおっしゃっているわけてあります。

この『法師品』は、法華経弘通の功徳を説かれると共に、法華経の弘通を勧めているのです。その中には「受持・読・誦・解説・書写の五種法師」や「已今当の三説」、それから「衣服室の三軌」などが説かれています。そこで「法華経に云はく」とあるのは、これは「法師品第十に云はく」という意味であります。

その『法師品』の文に、まず「若し善男子善女人」とありますが、この「善男子善女人」というのは、仏法を信ずる在家出家の男子と女人ということです。「善」というのは、善法のことで、つまり善い法を信じていることから「善男子善女人」というのであります。その「善男子善女人」が、「我が滅度の後に能く竊に一人の為にも法華経の乃至一句を説かん」。つまり、わずか一人のためにもこの法華経を説くということは、「当に知るべし是の人は則も如来の使ひ如来の所遣として如来の事を行ずる」ことであるということです。

「如来の使ひ」というのは、仏様から遣わされた者、つまり仏様の代理です。仏縁の代理として仏様のように振る舞うのが「如来の使ひ」であります。「使い」というのは、言い付かったことを行うわけですから、この場合は仏様の意を体して行ずることによって「如来の使ひ」になるわけです。ですから、違うことをしていたのでは「如来の使ひ」にはならないのです。わずか一人のためにも法華経を説くことが、まさに「如来の使ひ」であるということです。それから「如来の所遣」というのは、仏縁から遣わされた者という意味ですから、これは「如来の使ひ」と同じ意味であります。

そこで「如来の使ひ如米の所遣として如来の事を行ずるなり」とありますが、この「如来の事」とは何かと言いますと、これについて天台大師は『法華文句(ほっけもんぐ)』の中に、「今日の行人は能く大悲有って、此の経の中の真如の理を以て衆生の為に説いて利益を得せしむ。亦如来の事を行ずと名づくるなり」(法華文句記会本中635ページ)と、つまり仏様の教えを衆生のために説き、そして利益を得せしめることが「如来の事を行ずる」ことであると説かれています。今日で言えば、大聖人様の教えを衆生のために説き、そしてその功徳を得せしめることが「如来の事を行ずる」ことになるのです。

また、この「事」というのは「理」に対する言葉でありまして、特に天台の理行に対して大聖人様の仏法は事行であります。つまり、事行として仏様の教えを実践修行するところに大事な意義があるのです。理屈だけの理の仏法ては成仏はしないのです。事を事に行ずる、これが尊いわけであります。

これは折伏も同様でありまして、事行すなわち実践するところに折伏の功徳が存するかけですから、折伏をいくら頭で考えても、実際に行動に移さなければ何にもならないということてあります。ですから、たとえ一人のためにても折伏をするということは、これは仏様のなされることを行っているわけてすから仏様の使いであり、非常に尊いことであるということです。よって「法華経を一字一句も唱へ、又人にも語り申さんものは教生釈尊の御使ひなり」と、このように大聖人様がおっしゃっているのであります。

ここに「教主釈尊」とありますが、この教主釈尊という名には、6通りの解釈があるのです。「釈尊」というと、みんなインド応誕のお釈迦様のことだと思っているけれども、そうではないんですね。六種の釈尊とは何かと言いますと、日寛上人が、「教主釈尊の名は一代に通ずれども、其の体に六種の不同あり。謂わく、蔵・通・別・迹・本・文底なり。名同体異の相伝、之を思え。第六の文底の教主釈尊は即ち是れ蓮祖聖人なり」(御書文段270ページ)と仰せのように、まず蔵教の仏様、次に通教の仏様、そして別教の仏様がありまして、さらに円教、すなわち法華経に入っていきますと、まず迹門の仏様、それから本門の仏様、そして、法華経本門寿量品の文底の仏様というように、この6通りがあるわけです。ですから、「教主釈尊」とあるからといっても、必ずしもこれはインド応誕のお釈迦様に限るということではないのです。したがって、ここで仰せの「教主釈尊」とは、まさしく6つ目の法華経本門寿景品の文底の仏様である大聖人様のことであり、「如来の使ひ」とは、その大聖人様のお使いであるといことです。

大聖人様が、「力あらは一文一句なりともかたらせ給ふべし」(御書668ページ)と仰せの折伏は、仏様のなされることを仏様の代わりに私たちが行じているわけですから本当に尊いことなのです。折伏というのは、自らを救うと共に相手も救っていくのでありますから、これほどすばらしい、これほど功徳のあることはないということてあります。



◆木絵二像開眼の事◆

次に、

【今真言を以て日本の仏を供養すれば、鬼入りて人の命をうばふ。鬼をば奪命者といふ。魔入りて功徳をうばふ。魔をば奪功徳者といふ。鬼をあがむるゆへに、今生には国をほろぼす。魔をたと(尊)むゆへに、後生には無間の獄に堕す。人死すれば魂去り、其の身に鬼神入れ替はりて子孫を亡ず】(御書638ページ8行目)

ここでは、特に真言による謗法の恐ろしさというものをあげていらっしゃるわけです。やはり、邪義邪宗は破折をしなければならないということなんです。多くの人の中には、邪義邪宗のような謗法を犯しいる者は、因果応報で必ず自ら滅びると思っている人がいるかも知れませんが、そうではないんです。邪義邪宗というものは、私たちが破折しなければ絶対に滅びません。この真言宗もそうですが、創価学会をはじめとするその他の邪義邪宗も世間に遍満(へんまん)しているではありませんか。ですから、我々が折伏をしなければだめなのです。

暢気(のんき)に構えて「あの人はそのうちに罰が当たるわ」なんて言って折伏をしなかったならば、これはだめです。折伏は我々がやるのです。仏様の使いとして我々がやらなければ、邪義は滅びないのです。放っておけば、どんどん蔓延(はびこ)っていって、そして今日のような混沌とした世相になってしまうのです。そこに一人ひとりが本当に立ち上がって折伏をしていくということが、今、一番大切であり、最も急務であるということです。

「今真言を以て日本の仏を供養すれば、鬼入りて人の命をうばふ」。この「鬼」というのは、仏道修行を妨げて衆生を悩ますような用(はたら)きをするものを「鬼」と表現しているわけです。『立正安国論』の中には、仁王経を引かれて、「国土乱れん時は先づ鬼神乱る。鬼神乱るゝが故に万民乱る」(御書236ページ)と、このようにおっしゃっています。つまり、仏道修行を妨げて衆生を悩ますもの、広く言うならば、誤った宗教や思想など、こういったものも悪鬼になるわけです。そして、鬼は命を奪う者であるとおっしゃられています。ですから、悪鬼を恐れなければならないということですね。

次に「魔入りて功徳をうばふ。魔をば奪功徳者といふ」。この「魔」というのも、鬼と同様に衆生の心を悩乱させる用きをするものであります。有名なところでは「三障四魔」などがありますが、仏道修業が進めば進むほどその前進を阻もうとするような、いわゆる抵抗力が生まれてくるわけです。しかし、その魔を乗り切っていくところに、我々の本当の信心の姿が現れてくるわけです。魔を魔と見破り、その魔を退治して本当の幸せを掴んでいくには、秘訣があるのです。それは何かというと、魔は仏には絶対に勝てないということです。ですから、我々が御本尊様に対して絶対の確信を持つことです。どのような難が襲い来たっても、御本尊様をしっかりと信じている限り、魔には絶対に破られないという確信を持って魔に立ち向かっていけばよいのです。少しぐらい魔が動いたからといって、それを慌てふためくようなことではだめなのです。魔は絶対に仏には勝てないんだという、この確信を持って魔に立ち向かっていけば、奪功徳者と言われる魔も退治し切っていくことができるということであります。

「鬼をあがむるゆへに、今生には国をほろぼす。魔をたとむゆへに、後生には無間の獄に堕す」。特に「真言」というのは、大聖人様が「真言亡国」と仰せられているように、それこそ国を失うような邪義なのです。ですから大聖人様は、厳しく真言の破折をしていらっしゃるわけです。日本真言の開祖である空海などは、大日経などが第一で、華厳経が第二、そして法華経は第三の戯論(けろん)であるなどと言っているのです。そして本来、一切衆生の救済の主であるところの釈尊を排して大日如来を立てているわけです。そのようなところから世の中に様々な乱れが生じてくるのであります。よって、大聖人様は「真言亡国」とおっしゃっているわけです。この真言宗を含めた邪義邪宗は、私たちが徹底的に破折をしなければいけないのです。放っておけば、今生には国を失うことになり、そしてまた自らも、後生(ごしょう)には無間地獄に墜ちることになると仰せであります。

「人死すれば魂去り、其の身に鬼神入れ替はりて子孫を亡ず」。ですから、謗法によって死んで魂が去ると、その身に鬼神が入れ替わって、そして、子孫を失ってしまうということです。これが真言の姿であり、国を失う姿であると、このようにおっしゃっているのです。邪義邪宗を破折せずに放っておけば、どんどん邪義邪宗が蔓延っていくわけでありあます。

皆さん方もよく知っているオウム真理教なんていう団体もありましたけれども、あのような誰がどう見てもおかしいと思うような間違った教えであっても、まだ相変わらず一生懸命やっている人がいるわけです。ですから、邪義は放っておいてはだめなんです。そういう間違った教えに人々は惑わされてしまうことを防ぐためにも邪義を破折していくことが大事であるということをよく覚えておいていただきたいと思います。

したがって、選(え)り好みをせずにすべての人に下種結縁をして、折伏をしていくということが、今、一番大切なんです。魔を魔と見破り、そしてまた鬼を鬼と見破るためには、先ほども言った通り、大御本尊様への確固たる確信を持つことが必要です。それにはやはり唱題、そして折伏ということが大事であると思います。では、次にまいります。



  ◆諸法実相抄◆

【日蓮を供養し、又日蓮が弟子檀那となり給ふ事、其の功徳をば仏の智慧にてもはかり尽くし給ふべからず。(乃至)若し日蓮地涌の菩薩の数に入らば、豈日蓮が弟子檀那地涌の流類(るるい)に非ずや。経に云はく『能く竊(ひそ)かに一人の為に法華経の乃至一句を説かば、当に知るべし是の人は則ち如来の使ひ、如来の所遣として如来の事を行ずるなり』と】(御書666ページ2行目)

この御文の中にも、最後のところに『法師品』の文が引かれております。そこで「日蓮を供養し、又日蓮が弟子檀那となり給ふ事、其の功徳をば仏の智慧にてもはかり尽くし給ふべからず」とありますが、これは日蓮を供養して、日蓮の弟子檀那となるその功徳は、仏の智慧によっても計り尽くすことができないほど大きなものでるということです。こうしたことからも、我々は大聖人様の信心をしているという自信や確信を、もっと持たなければだめなのです。それを自分の小さな心に頼ってしまうから、いざというときに弱くなってしまうのです。「私たちには御戒壇様が存すのだ」という強い信心に立っていけば、魔は絶対に打つ破ることができるのです。

このように、大聖人様の弟子檀那となるその功徳は、、仏様の智慧をもっても計りつくすことができないほど大きいのであるとおっしゃっているのですから、皆さん方には、もっと自信を持って折伏をしていただきたいと思います。 「(乃至)若し日蓮地涌の菩薩の数に入らば」これは大聖人様が御自身のことを謙遜しておっしゃているわけです。

「豈日蓮が弟子檀那」。この「弟子」というのは出家、つまり僧侶のことで、「檀那」は在家信徒の方々のことです。ですから今日、大聖人様の仏法をしっかりと信仰している我々僧俗は、「地涌の流類に非ずや」。この「流類」とは、同類とか仲間という意味です。したがって、大聖人様が地涌の菩薩であれば、我々もまたその同類、仲間であると、このようにおっしゃているわけです。そういう意味からも、我々一人ひとりが「地涌の流類」であるという確信をもつことが大切なのでです。この確信があれば、あらゆる難も乗り越えていけるのです。

そこで次に『法師品』の文を引かれて、一人のためにも法を説くということは、仏様より遣わされた使いの者、仏様の代理として仏様のように振る舞う者であると、このようにおっしゃているわけです。そういう意味では、皆さん方に確信を持ってもらいたいということでありまして、何しろ折伏をすることが大事であるということを、ここでおっしゃているのです。


次も同じく『諸法実相抄』の御文です。

【末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり。日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつた(伝)ふるなり。未来も又しかるべし。是あに地涌の義に非ずや。剰(あまつさ)へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし】(御書666ページ16行目)

まず「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず」とおっしゃっているのです。今日では男女は平等ですか、昔はそうではなかった時代があったのです。経典には、女人に「五障三従」があるから罪が深いということが説かれているのです。

そこで、この「五障」とは何かと言えば 、「五障とは、一には梵天王、二には帝釈、三には魔王、四には転輪聖王(てんりんじょうおう)、五には仏にならずと見えたり」(御書1317ページ)とありますように、女人は梵天王になれない、それから帝釈天になれない、そして魔王にもなれない、それには転輪聖王にもなれない、それから一番大事な仏にもなれないと言われてきたのです。

それから「三従」というのは、「三従とは、女人は幼き時は親に随ひて心にまかせず、人となりては男に従ひて心にまかせず、年よりぬれば子に従ひて心にまかせず」(同)ということで、女性は、幼い時は親のいうことに従い、嫁(か)したからは夫に従い、年老いてからは子供に従うというように、常に思うことも言えずに他の人の言うことに従っているということです。女性には、このような「五障三従」があるということです。

しかるに、法華経に来て初めて女人の成仏が説かれるわけです。それ以前の教えでは、女性は罪が深いから仏になれないというように説かれてきたのです。実はそのような思想が、日本にも多少しばらくの間残っていましたね。男女平等になったのは近年のことなのです。最近では、むしろ女性のほうが強いのかもしれませんね。

要するに「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず」ということは、この法華経は、男性であろうと、女性であろうと、老若男女を嫌うことなくすべての者を成仏せしめる、それほど大きな功徳がある、それが大聖人様の仏法であるということことなのです。ですから「男女はきらふべからず」と、このようにおっしゃっているのです。そして、このことは「皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱えがたき題目なり」と仰せです。

「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり。未来も又しかるべし」。ここに大聖人様が「未来も又しかるべし」とおっしゃているように、今日における折伏も、大聖人様の当時のお振る舞いと同様に、二人、三人、百人と次第に唱え伝えていくということなんです。

折伏というのは、例えば、一度に千人もの集めて話しをしたからといって、その千人の人たちが皆直ちに入信するということではないのです。折伏は皆、一対一なのです。やはり、「この人を幸せにしたい」と思う心、それが一対一の胸襟(きょうきん)を開いた会話の中で、初めて功を奏していくのです。皆さん方のように信心をしていれば、大勢を集めて話しをしても、おとなしく聞いてくださっていますが、そうではない人たちを大勢集めて話しをしても、これはだめなんです。やはり、折伏というのは、大聖人様のお振る舞いがそうであったように、初めは一人のところから、二人、三人、百人と次第に伝えていくのです。これが折伏の原型なのです。このことを忘れてしまうとだめなんです。

まず、皆さん方一人を折伏するとことが大事なのです。そこで日顕上人猊下は、常々「一年に一人が一人の折伏」ということを御指南あそばされていたのです。まずは「一人が一人」、そこから二人、三人、百人と次第に唱え伝わっていくのです。まず「一年に一人が一人の折伏」を実践していく、そこからすべてがスタートしていくということなのです。

ですから、自分の周りの人を見て、「あの人がやっていないから私もやめよう」ということではいけないのです。右顧左眄(うこさべん)せずに、誰がやろうがやるまいが、自分自身が一人立つことが大事なのです。皆さん方がその気になって本気で折伏に立ち上がればいいのです。これが「是れあに地涌の義に非ずや」ということなんですね。口先ばかりの地涌の菩薩ではなく、実践の伴った地涌の菩薩たらんということが大事であると思います。

「剰え広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」。こうして折伏をしていけば、必ず広宣流布は達成できるのです。「こうしていけば」とは、大聖人様のお振る舞いがそうであったように、一人ひとりがまず折伏をし、そこから二人、三人、百人と次第に唱え伝えていけば、かならず広宣流布は達成できるということです。「大地を的とするなるべし」とあるように、大地を的とするわけですから、外れるわけがないのです。もし外れたとするならば、それは我々の努力が足りないということなのです。

法華経の『薬王品』の中に、「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん」(法華経539ページ)とあるように、必ず広宣流布は達成するのです。けれども、我々の努力はなくしては広宣流布は達成しないのです。先ほど言った邪義邪宗ということも同様です。我々が、邪義邪宗を破折しなければ、邪義邪宗は滅びていかないのです。そこに折伏ということが必要なんですね。

要するに、これらのことは全部大聖人様がおっしゃているわけです。私が勝手に言っているのではないんです。あるいは皆さん方の指導教師や講頭さんや幹部の方が勝手に言っているのではないんです。仏様の御言葉をそのまま伝えているだけなのです。ですから皆さん方には、折伏の大事ということをよく知っていただきたいということであります。



◆如説修行抄◆

では、次に『如説修行抄』を拝読します。

凡(およ)そ仏法を修行せん者は摂折(しょうしゃく)二門を知るべきなり。一切の経論此の二を出でざるなり。されば国中の諸学者等、仏法をあらあらまな(学)ぶと云へども、時刻相応の道理を知らず。四節四季取り取りに替はれり。夏はあたヽかに冬はつめたく、春は花さき秋は菓成る。春種子を下して秋菓を取るべし。秋種子を下して春菓実を取らんに豈取らるべけんや。極寒の時は厚き衣は用なり、極熱の夏はなにかせん。涼風は夏の用なり、冬はなにかせん。仏法も亦是くの如し。小乗の法流布して得益あるべき時もあり、権大乗の流布して得益あるべき時もあり、実教の流布して仏果を得べき時もあり。然るに正像二千年は小乗・権大乗の流布の時なり。末法の始めの五百歳には純円一実の法華経のみ広宣流布の時なり。此の時は闘諍堅固・白法隠没の時と定めて権実雑乱の砌なり。敵有る時は刀杖弓箭(とうじょうきゅうせん)を持つべし、敵無き時は弓箭兵杖(きゅうせんひょうじょう)なにかせん。今の時は権教即実教の敵と成る。一乗流布の代の時は権教有って敵と成る。まぎ(紛)らはしくば実教より之を責むべし。是を摂折の修行の中には法華折伏と申すなり。天台云はく「法華折伏破権門理」と、良(まこと)に故あるかな】(御書672ページ9行目)

この「摂折(しょうしゃく)二門」とは、摂受と折伏ということで、この二つのことを知らなければならないということをおっしゃているわけです。これは前回の時もお話ししたわけでありますけれども、摂折二門について、総本山第26世日寛上人は『『開目抄文段』に、「摂折二門の就(つ)いては古来の義蘭菊(らんぎく)なり。今且く五義に約す云々」(御書文段183ページ)と。つまり、摂受と折伏の二門については、古来、様々な見解があるので、五義に約して示すと御指南あそばされているわけです。「五義に約す」とある「五義」とは、教・機・時・国・教法流布の前後の5つの義です。この五義に約して、摂折二門のうちで折伏がいかに大事であるかを日寛上人がお示しになられているわけです。

そこで、まず1つ目の「教」に約しますと、法華経の教え、法華経の思想そのものが、まさに折伏であるということです。これについて天台大師も「法華折伏、破権門理」と述べているのです。つまり「法華経は折伏にして権門の理を破す」と読みますが、まさしく法華経の教え、法華経の思想というものは折伏であるということが、教えの上から言えるのであります。

次に、2つ目の「機」に約しますと、衆生の機根には「本已有善(ほんいうぜん)」と「本未有善(ほんみうぜん)」の2つがあるわけで、本にすでに善のある衆生のためには摂受の修業でよいけれども、本に未だ善のない末法の衆生は、折伏の修業でなければならないということです。

それから、3つ目の「時」に約しますと、末法の時においては、謗法が充満しているわけであるから、『不軽品』のごとくに折伏を行わなければならにということです。この『不軽品』のごとくに折伏をするというのは、要するに「毒鼓の縁」、つまり逆縁の衆生に対して強いて説き聞かせていくということです。これはどういうことかと言いますと、私たちが折伏をする場合に、素直に話しを聞いてくださる方はそんなにいないと思います。およそ耳を塞いだり、あるいは非難中傷をしてきたり、悪口を言われたりと、いろいろなことが起きます。けれども、我々が折伏をすることによって、その折伏の声が相手の耳を通して命の中に入っていくのです。たとえその時に反対していても、それが縁となって必ず後にこの信心に入るようになる、成仏することになるのです。これが逆縁成仏ということです。

これは前にも何回か話しましたけれども、大聖人様は『上野殿御返事』(御書1358ページ)の中で、逆縁ということについて譬え話を説かれているのです。天竺にある夫婦がいたのですが、その奥さんはとても嫉妬深くて、夫のことを非常に憎んでいたわけです。そこである時、その奥さんは、夫がいつも読んでいる法華経を、両足でさんざんに踏みつけてしまったのです。その後、命が尽きてその奥さんは当然の報いで地獄に行くことになったわけです。そこで獄卒が、この奥さんを地獄に入れようと、鉄杖(てつじょう)をもって打つのですが、どうしても両足だけが入っていかないわけです。それはなぜかと言うと、生前、夫の法華経を足蹴にした逆縁によって、両足だけが地獄に入っていかなかったということです。つまり、逆縁成仏とは、こういうことなのです。相手が耳を塞ごうが、非難中傷しようが、我々は法を説いて縁せしめる、縁に触れさせるということが大事なのです。

けれども、折伏をするときに「あの人は、これ以上言ってもだめ」などと、自分勝手んい決めつけてしまって、話す前から諦めてしまう人がいるのです。これは、自分の心に従ってしまうからだめなんですね。やはり、仏様の教えに従って、どのような相手にも法を説いていくことが大事なのです。今の譬え話のように、大聖人様も逆縁成仏ということをおっしゃっているのですから、末法という謗法充満の時には折伏を行っていくことが大事であるということです。

次に、4つ目の「国」がに約しますと、国にも「悪国」と「破法の国」があるわけで、悪国のほうは摂受でよいけれども、法を破る謗法の国においては、折伏を行わなければならいということをおっしゃています。それから、最後に「教法流布の前後」に約しますと、これは前代に流布してきたところの爾前迹門を破折するというのが末法の折伏の姿であるということです。 このように、「摂折二門」についておっしゃているわけです。ですから、仏法を修行する者は、この「摂折二門」を知るべきであり、一切の経論もこの2つを出るものではないということを仰せられているのであります。


「されば国中の諸学者等、仏法をあらあらまな(学)ぶと云へども、時刻相応の道理を知らず」。諸々の学者などは、仏法を学んだとはいっても、時に適った修行の道理を知らないということです。

「四節四季取り取りに替はれり。夏はあたヽかに冬はつめたく、春は花さき秋は菓成る。春種子を下して秋菓を取るべし。秋種子を下して春菓実を取らんに豈取らるべけんや」。これは自然の道理に従わずに、秋に種を蒔いて春に果実を取ろうとしても、それは無理ですよということです。

「極寒の時は厚き衣は用なり、極熱の夏はなにかせん。涼風は夏の用なり、冬はなにかせん」。これは、寒いときに厚い着物は役に立つけれども、真夏に厚い着物は役に立たない。また、涼しい風は夏には心地よいけれども、冬には寒いだけであるということです。

「仏法も亦是くの如し。小乗の法流布して得益あるべき時もあり、権大乗の流布して得益あるべき時もあり、実教の流布して仏果を得べき時もあり。然るに正像二千年は小乗・権大乗の流布の時なり。末法の始めの五百歳には純円一実の法華経のみ広宣流布の時なり」。このように仏法にも「教法流布の前後」という、教えが弘まっていく順序次第というものが必ず存するということであります。

このことは『高橋入道御返事』の中に「我が滅後五百年が間は迦葉・阿難等に小乗経の薬をもって一切衆生にあたへよ」(御書887ページ)と示されるように、釈尊滅後500年の間は迦葉・阿難等が小乗の教えをもって一切衆生を救ったのです。そして、「次の五百年が間は文殊師利菩薩・弥勒菩薩・竜樹菩薩・天親(てんじん)菩薩等、華厳(けごん)経・大日(だいにち)経・般若(はんにゃ)経等の薬を一切衆生にさづけよ」(同)とあるように、次の500年の間は、文殊・弥勒・竜樹・天親(てんじん)等の菩薩が、華厳経や大日経や般若経等の薬を一切衆生に授けたのです。それから、「我が滅後一千年すぎて像法の時には薬王(やくおう)菩薩・観世音(かんぜおん)菩薩等、法華経の題目を除いて余の法門の薬を一切衆生にさづけよ」(同)と、滅後1000年が過ぎた像法の時代には、薬王菩薩や観世音菩薩などが、法華経の題目以外の教えをもって、この時代の人たちを救ったということです。

さらに、「末法に入りなば迦葉・阿難等、文殊・弥勒菩薩等、薬王・観音等のゆづられしところの小乗経・大乗経並びに法華経は、文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず。所謂(いわゆる)病は重し薬はあさし。其の時上行菩薩出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提(えんぶだい)の一切衆生にさづくべし」(同)と、末法の時には上行菩薩が出現して題目の五字を一閻浮題の一切衆生に授けるのであるとおっしゃっているのです。このように、仏法は一つの流れがきちんとあるのです。

ですから、末法の今日は、いかなる仏を崇(あが)め奉るのか、末法の本未有善の衆生に有縁の仏とは、いかなる仏であるのかということが大事なのです。そこで、末法の衆生に有縁の仏とはいかなる仏であるのかと言えば、それは『百六箇抄』に、「本地自受用報身の垂迹(すいじゃく)上行菩薩の再誕、本門の大師日蓮」(同1685ページ)とお示しのごとく、それはまさに末法の御出現あそばされた日蓮大聖人様のことなのです。したがって、我々は末法御出現の大聖人様を御本仏と崇め奉って信心をしていくことが大事であるということです。

そして「末法の始めの五百歳には純円一実の法華経のみ広宣流布の時なり」。末法という時は、御本仏日蓮大聖人様が説かれる「純円一実の法華経のみ」、つまり南無妙法蓮華経の題目のみが広宣流布する時であるということであります。

「此の時は闘諍堅固・白法隠没の時と定めて権実雑乱の砌なり」。末法という時は「闘諍堅固・白法隠没」して「権実雑乱の砌なり」であるということです。

「敵有る時は刀杖弓箭(とうじょうきゅうせん)を持つべし、敵無き時は弓箭兵杖(きゅうせんひょうじょう)なにかせん。今の時は権教即実教の敵と成る」。末法の今の時は、権経がすなわち実教の敵となると仰せです。

「一乗流布の代の時は権教有って敵と成る」。つまり、三大秘法の仏法が流布する時は、権経がすべて敵となってしまうということです。

「まぎ(紛)らはしくば実教より之を責むべし」。もし、権経が紛らわしいというのであれば、まず実教より権経を責めなければならないとあります。

「是を摂折の修行の中には法華折伏と申すなり。天台云はく「法華折伏破権門理」と、良(まこと)に故あるかな」。これは先ほども言いました通り、法華経の思想そのものが折伏であるということです。ですから、我々が大聖人様の信心をするということは、折伏をすることなのです。それが法華経の思想であり、命なんです。大聖人様の仏法は自行化他であり、折伏を離れた信心はあり得ないのです。

皆さん方は、声聞・縁覚の二乗の者たちが、お釈迦様から「あなたたちは絶対に成仏をしない」と言われてのは、なぜか知っていますか。これは、声聞・縁覚の者たちが、小乗仏教の凝り固まって自分のことしか考えずに修行していたから「成仏をしない」と言われたのです。仏様は最初、小乗教を説いたわけですが、その小乗教に固執してしまったのが二乗の者たちなのです。仏様は次に権大乗教を説き、さらに実大乗教を説いたわけですが、いつまでも最初に聞いた小乗の教えに固執していたことから、やがて仏様の教えに反するようになってしまったのです。つまり、小乗の教えに則(のっと)って自分のためだけに一生懸命に修行するけれども、他の人を導くという化他の修行をしなかったのです。

大乗教というのは、自分も救うけれども他の多くの人たちをも救う教えなのです。このことは、そもそも仏様が出現した目的は一切衆生を成仏に導くことなのです。多くの人たちを幸せにするために御出現なったわけです。それにも関わらず二乗の者たちは、自分のことしか考えずに、自分のためだけに修行していたから、仏様より「あなたたちは絶対に成仏をしない」と言わたのであります。これでは、だめなんですね。

今日の我々の信心も同様てす。一生懸命に題目は唱えるけれども、折伏を忘れた信心をしていたのでは自行化他の修行にはならないのです。大聖人様の仏法は「自行」と「化他」なんです。この両方がしっかりしていなければならないということであります。大聖人様は『三大秘法稟承事』に、「末法に入って今白蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(御書1594ページ)と仰せです。ここに大聖人様の仏法、法華経の教えそのものが折伏であり、折伏を忘れた信心はあり得ないということをおっしゃっているのです。このことをよく知らなければだめなのです。

声聞・縁覚の二乗の者たちは、ずっと小乗教に固執してきたけれども、これがようやく法華経に来て初めてこの者たちにも記別が与えられるのです。したがって我々は、大聖大様の仏法を奉じ、信行している者として、それこそすべての人が折伏をしなければだめなんです。相手が聞こうが聞くまいが、老若男女を問わず折伏を実践していくことです。折伏を忘れた信心では、大聖人様の御意に叶っておらず、小乗教に固執してしまった二乗の姿と同じになってしまうということであります。このことは、よくよく気をつけていかなければなりません。


それでは、次にまいります。次も『如説修行抄』の御文です。

【然るに摂受たる四安楽の修行を今の時行ずるならば、冬種子を下して益を求むる者にあらずや。鶏の暁に鴫くは用なり、よいに鳴くは物怪(もっけ)なり。権実雑乱の時、法華経の御敵を責めずして山林に閉ぢ籠りて摂受の修行をせんは、豈法華経修行の時を失ふべき物怪にあらずや。されば末法今の時、法華経の折伏の修行をば誰か経文の如く行じ給へる。誰人にても坐(おわ)せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音(こえ)も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ。三類の強敵来たらん事は疑ひ無し】(御書673ページ1行目)

ここに「摂受たる四安楽の修行」とありますが、これは皆さん方もご承知の通り、法華経の『安楽行品第十四』に説かれる「四安楽行」のことで、身安楽行・口安楽行・意安楽行・誓願安楽行の4つのことであります。すなわち、「身安楽行」とは、誘惑を避け、静かな所で身を安定にして修行をすること。次の「口安楽行」とは法華経を説く時には、他人の過失を暴いたり、軽蔑したりすることなく、慈悲をもって穏やかな心で話しをしなければならないということ。それから「意安楽行」とは、他の仏法を信じている者に対して、嫉妬をしたり、毀ったり、争いの心を抱いてはならないということ。さらに「誓願安楽行」とは、大慈大悲の心で一切衆生教おうとの誓願を発するというこであります。

これらの四安楽行は、すべて摂受の修行に当たるのです。そして、この摂受の修行をすべき時というのがあるわけです。つまり、正法時代、像法時代という時は、摂受の修行でよかったのです。しかし、末法は摂受ではなく、折伏の修行でなければだめなのです。前のところでも言いましたが、同じ修行でも「摂折二門」ということをしっかりと弁えていくことが大事なのです。

たしかに仏法の修行方法として、摂受ということがあるけれども、その摂受の修行を末法の折伏の時に持ち込んではならないということです。ですから「摂受たる四安楽の修行を今の時行ずるならば、冬種子を下して益を求むる者にあらずや」と。つまり、摂受の修行である四安楽の修行を末法の時に行ずるならば、それは冬に種を下して利益を得ようとする者と同じではないかと仰せられでいるのであります。

「鶏の暁に鴫くは用なり、よいに鳴くは物怪(もっけ)なり」。鶏が暁に鳴くのは当然の用きであるが、宵に鳴くのは化け物だとおっしゃっているのです。

「権実雑乱の時、法華経の御敵を責めずして山林に閉ぢ籠りて摂受の修行をせんは、豈法華経修行の時を失ふべき物怪にあらずや」。これは厳しい御指南ですね。末法の折伏の時に、折伏を忘れて何か取り澄ましたような信心をしている者は、それは化け物であるとおっしゃっているのです。皆さん方も化け物などと言われないような信心をしなければだめですね。

やはり、末法という時代をよく考えて精進すべきなのです。先ほどの日寛上人の御指南にもあった通り、教・機・時・国・教法流布の前後の上からも、末法の時は折伏をしなければ功徳がないわけです。折伏をしなければ、自らの過去遠々劫以来の罪障を消滅していけないのです。折伏をしなければ、他の人を教うこともできず、慈悲行、報恩行を果たすことができないのです。本当の仏道修行をすることができなくなってしまうということてあります。

「されば末法今の時、法華経の折伏の修行をば誰か経文の如く行じ給へる。誰人にても坐(おわ)せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音(こえ)も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ」。と仰せであります。つまり、末法においては「大聖人様の仏法以外に幸せになる道はありませんよ」、「あなたのなさっている間違っている教えでは、本当の幸せ掴めませんよ」と言わなければだめなのです。

この御文をよくよく拝したならば、私たちは直ちに立ち上がって、一人ひとりが折伏を行じていかなければだめなんです。折伏をしなければ本当の信心をしたことにはならないとおっしゃっているのです。自行だけの信心てはなく、自行化他にわたる信心をしていくことが大聖人様の仏法であり、それが法華経の精神であるということです。つまり、折伏というのは大聖人様の御命であると、このようにおっしゃっているわけてあります。

「三類の強敵来たらん事は疑ひ無し」。そうすると「三類の強敵」が必ず現れて来ると仰せです。皆さん方が折伏をしていく上においては、様々な難に遭うことがあるかもしれません。しかし、我々が折伏をしていく中で様々な難に遭うことによって過去世からの罪障を消滅しているのです。これが法華経の『不軽品』に説かれる不軽菩薩の折伏の姿です。「あの人にこんなこと言ったらたいへんなことになってしまう」と、難を恐れて折伏をしないというのが一番よくないのです。そこで御題目をしっかり唱えていくと、勇気が湧いてくるのです。そういう意味からも、しっかりと御題目か唱えていくことが大切なのです。

もちろん、朝夕の勤行もしっかりとしなければだめです。そうすれば、きちんと勇気が湧いてくるのてあります。大聖人様は『御義口伝』に、「末法に於て今日蓮等の類の修行は、妙法蓮華経を修行するに難来たるを以って安楽と意得べきなり」(御書1762ページ)と御指南あそばされています。そういう意味からも、これから先の闘いにおいては老若男女を問わず、一人ひとりが折伏に精進をしていっていただきたいと思います。これが大聖人様の教えであり、これが法華経の精神なのです。このことを忘れずに、大聖人様の教えのままに信心修行をしていくことが大切てあり、そこに大きな功徳が存するわけです。

皆さん方には、この「誰人にても坐せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ」との御文を、よくよく拝読していただきたいと思います。


それでは時間がまいりましたのて、本日の講義はここまでといたします。このテキストに、法華経と大聖人様の御書の中から抽出した『折伏要文』を挙げておきましたので、皆さん方には、ぜひとも毎日一つずつでも結構ですから拝読してください。

朝夕の勤行の後など、何かにつけて御書をよく拝読して、「折伏をしなければ本当の幸せは掴めない」「今日の混沌とした世の中を救っていくには折伏以外にない」「自分自身のためにも折伏をしていこう」と決意し、折伏に立ち上がっていただきたいと思う次第であります。皆様方のますますの御精進をお祈りいたしまして、私の講義を終了いたします。




日蓮正宗の基本を学ぼう(8)
『日目上人様』


御誕生

第三祖日目上人は、奇しくも大聖人が『立正安国論』を提出された文応元(1260)年に、伊豆の畠郷(現在の静岡県伊豆の国市)に御誕生されました。父は新田五郎重綱(にいだごろうしげつな)といい、母は南条兵衛七郎殿の長女で南条時光殿の姉に当たる方で蓮阿尼といいます。

日目上人は、幼名を虎王丸(とらおうまる)といい、誕生まで母の胎内に12カ月おられたと言われています。この奇瑞は聖徳太子と同じであり、生まれる前より非凡さを伺わせる兆候がすでにあったのです。


新田家と南条家

新田家は、もともと小野寺という姓を名乗り、下野(現在の栃木県)に暮らす一族でしたが、日目上人の祖父・重房が奥州新田(現在の宮城県)の地に移ってから、新田の姓を名乗るようになったとされています。新田家は、後に伊豆の畠郷の地も領するようになります。大石寺の開基檀那である南条時光殿が誕生した南条家は、北条家の御家人であり、元来、伊豆の畠郷に隣接する南条の地を収める領主でした。時光殿の父である兵衛七郎殿は、その後、上野の地も領することになります。新田重綱の妻として、時光殿の姉である蓮阿尼が嫁がれたのも、伊豆の地で新田家と南条家に親交があったからでしょう。


走湯山入山

新田家では、虎王丸が5歳になる頃までに、虎王丸の祖父母と父が相次いで逝去するという哀しい出来事に見舞われました。そうした中、新田家では虎王丸の将来に期待をかけ、虎王丸13歳の時、武士の子弟の学問修養所ともなっていた走湯山(そうとうさん)に入山させたのです。走湯山は伊豆山(いずさん)ともいい、熱海にほど近い場所にあります。虎王丸は、走湯山の円蔵坊という住坊に暮らし、日夜勉学に励みました。


日興上人との出会い

文永11(1274)年、日興上人は、佐渡からお戻りになった大聖人を身延まで御案内した後、折伏弘通の教線をいよいよ拡大されました。日興上人が富士方面に赴かれた際、南条時光殿の甥に当たる虎王丸が走湯山に修学されていたことも、当然、耳に入ったことでしょう。日興上人は虎王丸を訪ねるため、走湯山に赴かれました。また走湯山は、日興上人が弘長元(1261)年に折伏した元真言僧の行満と因縁が深い場所です。

虎王丸15歳の時、日興上人が走湯山を訪れ、そのとき、日興上人と、山内随一の学匠と謳(うた)われた式部僧都(しきぶそうず)との問答が行われました。日興上人と式部僧都との問答が重ねられるうち、式部僧都は言葉に詰まり、虎王丸は幼いながらに日興上人の学識の深さと偉大さに感銘を受けたことでしょう。虎王丸は、このとき、日興上人の弟子として出家することを決意したのです。


出家

虎王丸は、日興上人と出会ってから2年間、昼夜の別なく勉学に励み、出家の時を待ちました。そして建治2(1276)年4月8日に、走湯山において日興上人を師匠として出家得度し、その後、日興上人と共に身延に登り、大聖人に御目通りをしました。さらに、大聖人からも身延山における修行を許されるのです。日目上人の身延山における修学を物語るものとして、得度の翌年の建治3年には、大聖人の講義を筆録したと思われる日目上人直筆の書物が伝えられています。


常随給仕

日興上人は、大聖人の直弟子の中で大聖人の御本仏としての御境界をただ一人、拝信されていました。日興上人は身延入山まで常に大聖人のお側で伊豆、佐渡へと艱難(かんなん)を共にされてきましたが、大聖人の身延入山後は、富士方面ヘの折伏に、またそれに伴って生じた熱原法難の対処のために、身延を留守にされることが多かったと思われます。

そのような中、日目上人は、師匠である日興上人の御意を体し、大聖人に常随給仕(じょうずいきゅうじ)されたのです。古歌に、「法華経を・我が得しことは・薪(たきぎ)こり・菜つみ水くみ・つかへてぞえし」とあるように、日目上人は、大聖人こそ末法の御本仏であり、その御本仏への御給仕が自らの法華経修行であるという深い自覚に立たれていたと思われます。また、宗門に伝わる日目上人の御影(みえい)は、頭上に水桶を乗せて大聖人に常随給仕をされ、頭頂の平らになったお姿が伝えられています。

御本尊授与弘安2(1279)年2月に、大聖人から日目上人に対して御本尊が授与されています。日興上人の『弟子分本尊目録』には、「新田卿公(きょうこう)日目は、日興第一の弟子なり。依て申し與(あた)ふる所、件(くだん)の如し」(歴代法主全書)と日興上人が大聖人に申し上げて御本尊を授与していただいたことが記されています。

日目上人が御本尊を授与された弘安2年は、大聖人御入滅の3年前であり、9月には熱原法難が起こり、10月には大聖人が本門戒壇の大御本尊を御図顕あそばされるという重要な年に当たっていました。師匠の日興上人は、大聖人の御境界の深まりと呼応して、お側で仕える御弟子・日目上人の信心修行が深まりを見せていったのを感じ取られていたことでしょう。


代奏

大聖人は、弘安4年、さらに弘安5年にも朝廷を折伏するため、日目上人を代奏に発たせています。日興上人最晩年の元弘2(=正慶元・1332)年の御本尊には、「最前上奏の仁、新田卿阿闇梨日目に之を授与す 一が中の一弟子なり」との脇書きがありますが、この「最前上奏の仁」の意味は一番最初に天奏を遂げた方という意味であると思われます。しかも日目上人は弘安5年の天奏の際には、後宇多(ごうだ)天皇より、「朕(ちん)、他日法華を持たば、必ず富士山麓に求めん」という下し文を賜っています。


大聖人御入滅

弘安5年9月、大聖人は常陸の湯(福島県いわき市)に湯治に向かわれました。日目上人も、師匠の日興上人と共に大聖人のお供に加わり、常陸に向かわれました。途中、武蔵の国池上宗仲の館(東京都大田区)に立ち寄られますが、その地が大聖人御入滅の地となったのです。

そこに大聖人の逗留(とうりゅう)を知った、天台宗の僧侶・伊勢法印が数十人を引き連れて問答を挑んできました。大聖人は、「卿公問答せよ」(日蓮正宗聖典603ページ)と仰せられ、日目上人に問答の相手を命じられました。この時、日目上人は伊勢法印の問難を一々に破折し、伊勢法印はついに閉口し、日目上人に屈服するのです。大聖人は、「日興に物かかせ、日目に問答せさせて、又弟子ほしやと思わず、小日蓮小日蓮」(同654ページ)と、日興上人と日目上人を「小日蓮」と評しておられますが、まさに日目上人は問答の名手だったのです。

大聖人は池上で最後の力を振り絞り、柱にもたれながら『立正安国論』の御講義をされたと伝えられています。日目上人は大聖人のこの御振る舞いを拝し、広宣流布への誓いを新たにされたに違いありません。

大聖人は弘安5年10月13日、弟子・檀越に見守られる中、御入滅あそばされました。日目上人は大聖人の葬送に際し、大聖人の棺の前陣右側を担(にな)われています。


奥州弘教

池上では大聖人葬送の後、『墓所守るべき番帳の事』が制定されます。日興上人は大聖人正統の後継者として身延に入山されますが、その他の弟子も当番で、大聖人の墓所に大聖人生前のごとくに常随給仕申し上げることが定められました。日目上人も墓所の番に任ぜられ、自分の当番以外の時には奥州に布教に赴かれたのです。日目上人は新田家の御出身で、日目上人の祖父、父はもともと奥州新田の地(宮城県登米市)に暮らしており、日目上人の縁者も奥州に大勢おられたようです。日目上人の弘通により、奥州に上行寺などの寺院が建立されたのです。


身延離山と日目上人の大石寺運営

日興上人は身延の別当(住職)として身延に住まわれていましたが、地頭・波木井実長(はきりさねなが)や民部日向(みんぶにこう)の謗法により身延を離れ、富士に移ることになりました。日興上人は南条時光殿の庇護(ひご)のもと、正応3(1290)年10月12日に大石寺を建立され、その翌日、日目上人に血脈を内付されています。内付とは、公には知らされない御相承のことです。しかし日興上人は、日目上人に血脈相承の証となるべき大幅の御本尊、通称「譲座(じようざ)御本尊」を授与されています。

日興上人は大石寺建立の8年後、永仁6(1298)年に大石寺からほど近い重須(おもす)に談所(=講義所)を開かれ、後進の指導に専念せられました。そして、大石寺は名実共に日目上人に譲られたのです。

日目上人は、日興上人が定められた本六僧を中心として大石寺の運営に当たられました。本六僧が本堂の香華(こうげ)当番をするということは、700年以上経った現在も、御本番6人・御助番6人という制度に、厳然と受け継がれています。


日興上人の御遷化

日興上人は御遷化の前年、元弘2(=正慶元・1332)年に日目上人への血脈相承の意義を門下に徹底させるべく『日興跡条々事』を著されました。その中には、「日目は十五の歳、日興に値ひて法華を信じて以来七十三歳の老体に至るも敢へて違失の義無し」(御書1883ページ)と、日目上人の御振る舞いがすべて日興上人の御意に適ったものであったことが記されています。

日目上人のみが、日興上人の生前より唯一、御本尊書写を許され、さらに「違失の義無し」と日興上人の仰せを賜っているのです。この事実からも、日目上人が日興上人の正統な後継者として血脈相承を受け継がれていることは疑う余地がありません。

日興上人は日目上人に跡を託され、元弘3年2月7日、安祥として御遷化あそばされました。


御遷化

日目上人は、生涯42度にもわたる天奏を果たされたと言われています。最後の天奏は日興上人が御遷化された年、元弘3年の11月に、74歳の身を押しての出発でした。日目上人は、出発前、日道上人に金口嫡々(こんくちゃくちゃく)の血脈相承を授けられました。そして日尊師、日郷師らの弟子をお供として天奏に発たれますが、二度と大石寺に戻られることはありませんでした。

日目上人は、美濃の垂井(たるい)の地(岐阜県垂井町)で、吹きすさぶ鈴鹿おろしの中、病床に臥(ふ)し、11月15日、安祥として御遷化あそばされます。日尊師、日郷師は日目上人を荼毘(だび)に付し、御遺骨を抱いて代奏を果たされます。そして、日尊師は京都の布教を志されて京都に留まり、日郷師は御遺骨を抱いて富士に戻られたのです。


一閻浮提の御座主

日目上人の辞世に、「代々を経て・思をつむぞ・富士のねの・煙よをよべ・雲の上まで」(富士宗学要集)との歌を詠まれています。この意味は、富士大石寺のみに継承される血脈正統の仏法は、代々の御法主上人に受け継がれ、広宣流布への思いは富士よりも高く「雲の上まで」届き、必ず成就するのであるとの、熱烈な願いを表現されたものであります。このことから古来、宗門では、一閻浮提広宣流布の暁(あかつき)には必ず日目上人が再来され、一宗を統率あそばされると伝えられています。

日目上人の生涯は、ひとえに大聖人がめざされた、大慈大悲による立正安国の御精神に則ります。私たちは、今、日目上人の御振る舞いを通じ、「『立正安国論』正義顕揚七百五十年」という重大佳節の意義を再確認し、折伏の実践に徹して、御命題の成就に邁進していきましょう。


※前半部分は
第700号に掲載されたものです。



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