大白法

平成21年10月16日号


主な記事

<1〜3面>

<4〜8面>


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御法主日如上人猊下御言葉

10月度広布唱題会の砌
平成21年10月4日 於 総本山客殿


 皆さん、おはようこざいます。本日は、総本山における10月度の広布唱題会に当たり、多数の方が参加され、まことに御苦労さまでございます。

 先般、9月21・22日の両日、総本山におきまして「海外信徒2万名大結集第3回総会」が、海外20の国と地域から約3千名の方々が御登山され、盛大に執り行われました。これには、近くは韓国、台湾、遠くはアフリカ・ガーナ、ブラジル、アルゼンチン、イギリス、ドイツなどから多くの方々が、渇仰恋慕の思いをもって、本門戒壇の大御本尊様まします、ここ総本山に登山参詣されてきましたが、皆様が歓喜に燃えて御登山されてきた様子が伺え、まことに頼もしく、その強盛な信心に感服した次第であります。

 特に、当日、体験発表された方の話をはじめ、それぞれの国の代表者が新たな目標達成へ向けて力強く決意を発表されておりましたが、海外の方々の広布にかける意気込みがひしひしと感ぜられ、たいへん身の締まる思いでありました。このことは10月1日号の『大白法』に掲載されておりますので是非、読んでいただきたいと思います。また、台湾、韓国、スリランカなどでは、現在、日本をしのぐ勢いで折伏が進んでおり、本家本元の日本がこのままではならないと痛感した次第であります。


三惑(見思惑・塵沙惑・無明惑)について

 さて、大聖人は「御義口伝』に、「此の本法を受持するは信の一字なり。元品の無明を対治する利剣は信の一字なり。無疑曰信の釈之を思ふべし云云」(御書1764ページ)と仰せであります。

 「元品の無明」とは、衆生が本然的に具えている根本の迷いのことであります。「元品」とは、根本あるいは元初、初めという意味であります。「無明」とは、邪見や俗念に妨げられてものの道理が解らず、真理を悟ることができない無知ということで、中道法性の悟りを妨げる一切の煩悩の根本となる惑であります。

 この煩悩を大別いたしますと、見思惑・塵沙惑・無明惑の三つになります。

 見思惑とは「見惑」と「思惑」のことで、「感」というのは煩悩の異名であります。この二つは共に三界の煩悩のことで、見惑とは物事や道埋を弁えず、邪まに分別して考えを起こす後天的、知的な迷いであります。これには身見・辺見・邪見・見取見・戒禁取見の五利使と、貧・瞋・癡・慢・疑の五鈍使があります。思惑とは、見惑が知的な迷いであるのに対して、貧・瞋・癡・慢の四つを根本とする先天的、情緒的な迷いであります。爾前経においては、この見思惑は三界の生死を受ける原因となるものであって、声聞・縁覚はこれを断滅して初めて三界の生死を離れることができるとしているのであります。

 これに対して、菩薩はのちの二惑、いわゆる「塵沙惑」と「無明惑」を断じて生死を離れることができると言われているのであります。また、見思惑は声聞・縁覚・菩薩の三乗に通ずる故に「通感」とも言います。また、それに対しまして塵沙惑・無明惑は、これは「別惑」と言うのであります。

 次に塵沙惑とは、『摩詞止観』に、「塵沙と云うは、無知の数多きに譬う」(学林版止観会本上144ページ)とありますように、つまり塵や沙(すな)、塵沙の如き数限りなき現実の事象に対して、その都度、的確に判断し、対処する能力のないことから起きる惑であります。これは菩薩が衆生を化導する際に起きるところの惑でありますので「化導障の感」とも言います。

 次に無明感とは、非有非無の理に迷って中道の妨げとなる惑のことで、成仏を妨げる一切の煩悩の根本となる惑のことであります。天台大師の『摩詞止観』には、無明惑は空・仮・中の三観のなかの中観によって断ぜられると説かれています。また別教では、この無明惑を十二品、十二種に分け、円教ではこれを四十二品に分けて、四十二の最後の無明惑を元品の無明としており、三惑を次第に断じ、最後に元品の無明を断尽すると成仏ができるとされているのであります。

 しかし、これは脱益仏法における所談でありまして、根本無明の煩悩は微細の惑で、初めより感知できませんので、方便の手段によって、初めに見思惑を、次に塵沙惑を断じ、最後に無明惑を断ずることになりますが、本来的には、これらの惑はすべて無明煩悩のなかの諸惑であり、一体であります。


元品の無明を対治する利剣は信の一字

 よって、末法においては、先程の『御義口伝』に「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり」と仰せのように、三惑を見思、塵沙、無明と次第に断じていくのではなく、三大秘法の御本尊様に対する無疑曰信の信心、すなわち心に疑念のない強盛なる信心によって、直ちに一切煩悩の根本である元品の無明を対治し、即身成仏することができるのであります。つまり、この無疑曰信の信心こそが元品の無明を対治し、一切を開いていくことができるのであります。

 また爾前経においては、煩悩を断ずることが成仏に至る道であると説かれていますが、しかし、法華経において十界互具・一念三千の理が説かれるに及んで、煩悩と菩提は根本において相即不二にして、煩悩を断じ尽くすことなく、妙法蓮華経の広大無辺なる功力によって、そのまま煩悩を菩提に転じて、即身成仏することができると説かれているのであります。

 よって、大聖人は『当体義抄』に、「正直に方便を捨て但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩・業(ごう)・苦の三道、法身・般若・解脱の三徳と転じて、三観・三諦即一心に顕はれ、其の人の所住の処は常寂光土なり」(御書694ページ)と仰せであります。

 「正直に方便を捨て但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は」とは、つぶさには「方便たる爾前権経を捨て、但法華経の本門寿量品文底の教主の御金言を信じて南無妙法蓮華経と唱える人」という意であります。

 「煩悩・業・苦の三道、法身・般若・解脱の三徳と転じて、三観・三諦即一心に顕はれ」とは、「煩悩」とは、先程言いました見思・塵沙・無明の三惑。「業」というのは煩悩より起きる身・口・意の三業の所作、五逆とか、あるいは十悪等があるわけであります。「苦」とは煩悩と悪業の結果、その報いとして受ける苦しみ。この三つは互いに因果となってよく通ずる故に「三道」と言うのであります。この三道が文底下種の南無妙法蓮華経を信ずることによって、凡智では到底、計り知ることのできない妙法蓮華経の広大なる力用によって、仏様の具える三種の徳相たる「法身」「般若」「解脱」の三徳と転ずることができるのであります。「転ずる」とは、その体を改めずに、ただその相を変ずることであります。すなわち、三道を断じて三徳を現ずるのではなく、文底下種の妙法に値(あ)い、正境を縁として、三道を転じて三徳を成ずることができるという意味であります。

 「其の人の所住の処は常寂光土なり」とは、依正不二を明かされているのであります。すなわち「其の人」とは三道即三徳の人を指し、正報に当たります。「所住の処」というのは依報を示します。依正不二の原理によって、三大秘法の随一・本門の本尊を信ずることによってその不可思議広大無辺なる功徳により、その人の所住の処が常寂光上になると仰せられているのであります。


 されば、我々は『立正安国論』正義顕揚750年の大佳節の年を迎えた今、仏国土実現を目指し、この御金言を心肝に染めて、一意専心、自行化他の信心に励むことが肝要であります。

 特に今日、我らがなすベき最も大事なことはなんであるか。それは折伏であります。悪しき教えによって煩悩・業・苦の三道に苦しむ多くの人達に対して、大御本尊の三道即三徳の広大なる功徳を説き、本因下種の妙法を下種結縁し折伏を行じていくことが、我々本宗僧俗が今なすべき重大なる使命であることを自覚しなければなりません。

 どうぞ、皆様にはいよいよ強盛なる信心をもとに折伏を行じて、もって各講中ともに、まずは本年度の折伏誓願を必ず達成し、その勝利の歓喜と功徳をもって新たなる目標に向かって一意専心、御精進くださることを心から願い、本日の挨拶といたします。





信行を磨く 『御本尊に正直にお仕えして成仏しましょう』
東中国布教区支院長・菅原信了御尊師


諸天の御加護を賜り、未曽有の「7万5千名大結集総会」を慶賀し奉り、早くも2カ月半が過ぎました。全国各末寺において、御本仏日蓮大聖人への御報恩の御会式が厳粛に奉修される10月になりました。

大総会の砌に御法主日如上人猊下より賜りました「平成27年、各支部法華講員50%増」の御命題に対し奉り御奉公申し上げるべく、企画立案し、発進を開始せんと各人各支部が体勢を調えていることでしょう。


信仰の目的は成仏にあり

去る、「行動の年」(平成19年)の年頭に御法主日如上人猊下は、「正しい御本尊に対して信を取る事が成仏の絶対条件であって、以信得入と云っても正しい御本尊に対して信を取らなければ成仏は叶わないのであります」(大白法708号)と御指南くださいました。「信を取ると仰せの御意を、どのように拝し奉るべきでしょうか。

『新池御書』に、「此の経の信心と申すは、少しも私なく経文の如くに人の言を用ひず、法華一部に背く事無ければ仏に成り候ぞ」(御書1460ページ)と仰せられています。「私なく」とは、自分の知識や経験、あるいは感情によって造り出した信仰ではないということです。

法華経『方便品第二』に、「其の智慧の門は、難解難入なり。一切の声聞、辟支佛の知ること能わざる所なり」(法華経88ページ)と説かれています。即ち、二乗の人々のような権教の智慧では法華経を解ることも、その門に入ることも難しいことである、と説かれているのであります。

一般的に信心とは御本尊の前に座り、数珠を持ち経文を誦す。このような敬慶な姿を想い起こします。あるいは題目を唱えているから、あるいはお給仕をしているから信心していると決めている人もいます。これは、自分勝手な思い込みではないでしょうか。これらの考えのもととなっているものは、一般の既成仏教の考え方であり、あるいは創価学会等が自分流に創作した信仰の概念から造り出した相であります。


外道義について

『開目抄』に、「仏後の外道は仏教をきゝみて自宗の非をしり、巧みの心出現して仏教を盗み取り、自宗に入れて邪見もっともふかし。附仏教、学仏法成等これなり」(御書527ページ)と仰せられています。

外道には、仏教外の外道と、附仏教の外道、学仏法成の外道との三種があり、附仏教と学仏法成の外道については『摩詞止観』に注意しなければならない釈が示されています。それは、「自ら聡明なるを以て、仏の経書を読んで一見を生ず。仏法に附して起る」(摩詞止観弘決会本下647ページ)と附仏教の外道の相を釈し、次に学仏法成の外道については、「仏の教門を執して煩悩を生じ、理に入ることを得ず」(同650ページ)と釈されています。

世間から仏教と認められている宗派でも、釈尊の法門から大きく外れている仏教等の信仰観は、附仏教に似ています。また、日蓮大聖人様の法門義から外れている各派、題目を唱えている新興宗教は学仏法成に当たると観ることができます。

そうであれば、釈尊の教えから外れ、日蓮大聖人様の法門義から外れた学仏法成の各団体の考え方では本門の仏法を正しく信仰することは難しいことになります。寧(むし)ろこの信仰の誤りを正直に捨て、大聖人様の教えに従う勇気を起こすことが必要なのです。自ら誤りに気づき、これを正す強い心が成仏に近づく信心なのであります。いずれにしても御本尊様に正直に仕える心で素直に行動を起こすことが大事なことであります。


「蒼蝿驥尾に附す」勇気

「題目を唱えている」と叫んでいても、その題目が「本門の題目」であるとは言えないのであります。何故でしょう。

第26世日寛上人が『寿量演説抄』に、「既に本門の戒壇の御本尊在(ましま)す上は其の住処は即戒壇なり。其の本尊に打ち向ひ戒壇の地に住して南無妙法蓮華経と唱ふる則は(ときんば)本門の題目なり」と御指南されています。本門戒壇の大御本尊様に対し奉り、唱え奉るから「本門の題目」なのであります。したがいまして、御法主上人猊下が「正しい御本尊に信を取る」との御指南は、御本尊様にお仕えする、大聖人様の教えに仕え奉る心を仰せられていると確信いたします。

何故このように信ずるのか。『立正安国論』に、「予、少量たりと雖も忝(かたじけな)くも大乗を学す。蒼蝿驥尾に附して万里を渡り」(御書243ページ)と仰せられています。大聖人様のこの御文を、凡夫の我々に当てはめて拝し奉りますに、小さな器の凡人が、成仏とは遙か遠い境界であると想像して我意我見の我が儘(まま)な信心をしていた者が、御本尊を信じ、大聖人様の教えを信じ、御法主上人猊下の御指南を素直に実行しているうちに、小さな器の者が成仏の境地に到達することになると、このように拝読することができます。

成仏のために謗法罪障の消滅を心で祈っても、謗法を折伏しなければ成仏は難しいのであります。何故でしょうか。自分は謗法を犯していなくとも、折伏しなければ謗法を認めていることになるからであります。大聖人様の教えではない信仰は外道の心の信仰になります。それでは成仏は難しいですね――いえ、難しくはないのです。難しくしているのは不正直な心の自分自身であります。凡夫の狭い心ですね。

時々「成仏させてください」との言葉を聞きますが、成仏は誰かにさせてもらうのでしょうか――信心・勤行・唱題・折伏、さらに総本山大石寺に登山する、信心についてのあらゆることは、我が成仏のために実際に自分で行わなければなりません。誰かが成仏させてくれるのではないのです。成仏は、仏身を成就することで、自分が自身で御本尊様に正直にお仕えする。その正直な信力と素直に実行する行力に因って成仏の境界を得るのであります。

有り難くも御本尊様にお仕えし、御奉公し奉る身となって、今こそ勇気を起こして謗法を折伏し、御本尊様に正直にお仕えしましょう。



総本山を歩く 第21歩 〜板倉家墓所〜


大納骨堂の東側に板倉勝澄公をはじめとする板倉家の墓所があります。この墓石は、明和6(1769)年、総本山第35世日穏上人の代に、勝澄公の逝去に際し建てられました。

勝澄公の本宗への貢献は、五重塔建立の御供養に代表されます。勝澄は、享保4((1719)年6月、伊勢亀山城(三重県鈴鹿市)おいて、父重治公の長男として出生し、同9(1724)年、重治の逝去により6歳で遺領を継ぎました。その後、亀山城より備中松山城(岡山県高梁市)に移りますが、生来、病弱てあった勝澄は、城主としての任務の遂行ができなくなるほど病に悩まされていました。そこで勝澄は、縁あって総本山第31世日因上人から大聖人の教えを学び、日蓮正宗の信徒となりました。

ちょうどその頃、大石寺では、かねてより進められていた五重塔の建立の最中でありました。これを聞いた勝澄は、日因上人に五重塔の建立資金として、1千両の御供養をされたのであります。そして、寛延2(1749)年の春、五重塔は、約3年の年月を要して建立成就されたのです。

その後、勝澄は、大石寺に5百両の御供養を納め、慈雲堂を建立し、備中松山城下には寿宝堂を建立して、日蓮正宗の信行に励みました。また、有明寺(山梨県身延町)へ3百両並びに石塔の御供養をしたり、奥州の上行寺(宮城県登米市)・妙教寺(宮城県栗原市)の御本尊54幅を再表具するなど、晩年に至るまてまことに信仰心の篤い人でありました。

明和6年、大聖人の仏法を固く信じ報恩行に尽くされた勝澄は、51歳の寿命を全うして、霊山浄土へ旅立ちました。戒名は「慈雲院殿 嘉誠源承日明 大居士」と賜っています。



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