JAZZは楽しむための下ごしらえが厄介なのかも。

帰り道でマイルスを聴こうと思い、鞄からCDを取り出すと
■カインドオヴブルー
■ビッチェズブリュー
のどちらにしようか見比べていた。
と、順三の背後から声がした。
「宮原さん、マイルス聴くんですか?」
振りかえると、そこには後輩の小野寺がいた。
彼は書類の束を抱えながら、順三の手元を覗きこんでいる。
課も違うので、普段あまり話をしない後輩だったが、
かなりの音楽好きで知られていた。
ロックを中心に1000枚以上のCDを持っているとの噂だった。
「え?ああ、最近ちょっとね。」
ホントは一昨日興味を持って、昨日買ったばっかりだったが、
少しだけ見栄を張って"最近"と答えた。
そして今度は順三が小野寺に質問を返す。
「小野寺くん、マイルス、知ってるの?」
彼はその質問を待ち構えていたかの様に弾む声で答えた。
「マイルス、好きですよ。カッコイイじゃないっすか。
僕もビッチェズブリュー、大好きなんですよ。
何回聴いたかわかんないくらいです。」
「そ、そう。」
順三にとって、一番訳がわからなかったアルバムを
大好きと云われ、少しうろたえた。
小野寺はどうやら勢いづいてしまったらしく
熱い口調で更に続けた。
「あと『アガルタ』とかも良いですよね。サイケな感じが最高。
そんでもって『オンザコーナー』や『ジャックジョンソン』も!
マイルスも良いんですけど、マクラフリンがまたゲロ渋。」
小野寺は手に持った書類が崩れそうになるのも構わず
喋り続けた。
「『TUTU』も凄いですね。マイルスの求めるカッコよさ、わかるなぁ…。
マーカスミラーの存在感も聴き逃せないですね。
ドゥーバップ』のヒップホップ系・ラップ系も流石って感じ。
1991年の録音だからスタイル的にちょっと古さも感じますけど
なんせ65歳を超えてあのパワーですからね。
そうそう、宮原さんはどの辺りが好きなんですか?」
いきなり話を振られて順三は慌てた。
小野寺の云ってる事はさっぱりわからなかったが
一昨日読んだ本の知識を総動員すれば、
今、名前の挙がったアルバムはマイルスがロックに傾き始めた
1970年以降のモノだろうと予想はついた。
小野寺がロックファンと云う事から判断して、恐らく間違いない。
どう答えようか一瞬躊躇したが、知ってる限りのアルバム名を
挙げる事にした。
「俺はどちらかと云うと1970年代以前のマイルスが良いね。
『ネフェルティティ』とかモードジャズの『カインドオヴブルー』とかね。
あとハードバップ流れを作った『ウォーキン』も好きだし…。
名義はキャノンボールアダレイだけど『サムシングエルス』も。」
読み齧りの言葉の羅列であった。
流麗なセリフとは裏腹に少しどぎまぎしながら小野寺の様子を伺うと
やや困惑した表情を浮かべていた。
順三の視線に気がつくと苦笑いを浮かべて
「あー、その頃のマイルスは全然わからないやー。」
と云った。順三はホッとした。
更に鋭い返しがあったらどうしようかと思ってたからだ。
小野寺は順三のハッタリにすっかり騙された様子で
「宮原さんってジャズ系だったんですね。詳しいんですねぇ。」
とひどく感心している。
「それほどでもないよ。」
そう答えながら、ホントにそれ程でもない事を恥ずかしく思った。
そして見栄を張ってしまった自分がカッコ悪いと思った。
小野寺は
「どうです?マイルスの話でもしながら呑みませんか?」
と順三に持ちかけてきたが、
「今日は用事があるから…。」
と逃げた。

なんだか後味が悪かったので、
順三は会社の近くで見つけたジャズの店「SEPTEMBER JAM」に
寄ってから帰る事にした。
そこへは月に何度か足を運んでいてそろそろ常連になりかけている。
しかし筋金入りの常連達は殆ど毎日来ているらしく
中でもけいちゃんと呼ばれている中年の女性などは
いつも一番奥の席に座って、ずんぐりとした瓶のフォアローゼス
ロックで呑んでいた。
そして店が忙しくなってくると時々カウンターの中にも入った。
マスターとの関係が微妙なところだが、そんな事は訊けない。
その日もまだ7時前だと云うのにけいちゃんは既にいた。
痩身のマスターは順三に気付くと
「おっ、いらっしゃい。今日は一人?」
と笑顔で声をかけてきた。
「ええ、まあ。会社の帰りなんで。」
そう云いながらカウンターのいつもの席に座る。
客はけいちゃんと順三の他にメガネをかけた男性が一人。
彼も常連客だ。いつもと同じように、難しそうな表情で
腕を組んで静かにジャズに聴き入っていた。
順三は先客二人に軽く会釈する。
彼は取り敢えずのビールを頼むと
店内に流れる音楽に耳をやった。
シャープでとんがった感じのピアノだ。
順三はレコードのジャケットが飾られているスタンドに目をやる。
彼の席からは細かい文字までは見えなかったが
黒っぽいジャケットに横顔らしきモノが写っていた。
「NOW PLAYING」と書かれたパネルがぶら下がっていて
空調で少し揺れている。
順三は瓶ビールをグラスに注ぎ一気に呑み干すと
確認の為に席を立った。
少し傷みの目立つジャケットはレコードの形に白く印刷が剥げていて
順三が手に持って顔を近づけると古本の様な匂いがした。
「ジョージ…アーヴァニタス?…トリオ・イン・コンサート
読みづらい名前だった。アメリカ人じゃないのかもしれない。
順三は席に戻るとマスターに訊ねた。
「ジョージ…なんて読むんですか?」
マスターはアイスピックで氷を割りながら
「あぁ。これはジョージじゃなくてジョルジュだよ。
ジョルジュアルヴァニタってフランスのピアニスト。」
と答えた。
「ジョルジュアルヴァニタって読むんですか。
なんだか凄く攻撃的な感じのするピアノですね。」
順三が感じたままにそう云うと、
マスターではなくメガネの男性が話に加わってきた。
「確かにこのアルバムはかなり攻撃的な感じですよね。
この頃のアルヴァニタってモードに傾いていましたから。
でも他のアルバムになるとそうでもないんですよ。」
順三は"モード"と云う言葉にピクリと反応した。
ここで聞いておいた方が良いと思い、そのメガネの男性に
「ちょっと教えていただきたいんですけど…。
モードジャズって何なんですか??」
と尋ねてみた。
メガネの男性は難しい表情で、煙草の灰を灰皿に落としながら
「マイルスデイヴィスがアルバム『カインドオヴブルー』で確立した
ジャズの手法ですよ。それまでのコードに基づくアドリブから
制約を外してもっと自由アドリブができる様にしたんです。」
と答えた。
そのセリフを聞いて、順三は
(あれ?)
と思った。
一昨日、本で読んだのと殆ど同じ事を云ってると感じたからだ。
マイルス、カインドオヴブルー、コードの制約、自由などの
単語がほぼそのままの形で引用されている。
同じ本を読んだと云う可能性はあまりなさそうだから
きっとジャズファンの間での一般常識なのかもしれない。
しかし、その歴史的な経緯を聞いても、
一体モードと云うモノがどんなモノなのかさっぱり見えてこない。
(そのモード手法ってのが知りたいんだけどなぁ…。)
メガネの男性の説明はそこで止まったままだ。
順三が煮え切らない表情をしていると、
メガネの男性はその哲学者の様な表情を急に人懐こい笑顔で崩し
「…って、色んな本に同じような事が書いてあるけど、
実は私もモードって何なのか良くわかってないんですよねぇ。」
と云った。その落差があまりに大きかったので
順三は少しずっこけ気味に言葉を返した。
「あ。そうなんですか?」
メガネの男性はクシャクシャの笑顔のまま続ける。
「そうそう。でも色々聴いてたらなんとなく雰囲気で
わかった気になってきちゃったけどね。
それでまあ良いかなーって。私、いい加減だから(笑)。
だって我々はプレイヤーじゃなくてリスナーな訳だし…。」
「そんなもんなんですか…。」
「楽器を演ってる人はもちろん、もっと熱心なジャズファンは
その辺りまでちゃんと勉強してますけどね。」
順三は半分ほっとしながらも半分誤魔化されたような
複雑な気持ちになった。
そんな順三の様子を見て、マスターが云う。
「またホントに知りたくなったらピアノ弾きながら教えてあげますよ。」
「あ。それじゃまた今度お願いします。」
順三はもう少し色々聴いて、その時がきたら教えてもらおうと思った。

この一件から今まで敬遠気味だったメガネの男性と話す事も増え、
店で一緒になった時は隣に座って色々教えてもらうようになった。
彼は中垣内さんと云って、一応は会社の社長さんだった。
いくら訊いても何の会社か教えてくれなかったが、
家族と従業員2〜3人でやってる小さな会社だと云って笑った。
年齢的には50歳を少し超えた程度だろう。
隣に座るとその世代がよく使う国産男性化粧品の匂いがした。
黙っている時はビルエヴァンスの様に渋い感じなのだが
笑うと隙間の多い歯がこぼれ、一気に下町系になる。
順三は中垣内さんのそんなところが何となく好きだった。
順三がジャズについて色々訊ねると、
難しい顔をしてどんな質問にもすらすらと答えてくれるのだが、
最後には一言、
「とか云われても見てきた訳じゃないしねぇ。」とか
「よくわかんないけどそう云う事らしい。」などと付け加えて破顔するのが
とても中垣内さんらしいと思った。
順三はSEPTEMBER JAMに立ち寄る頻度も増え、
一人で聴いてきた一年半よりもこの数ヶ月で格段に興味の幅が広がった。
ジャズに対する理解も自分なりに深まってきた気がする。
しかし、未だ気になる事があった。
マイルスの凄さと云うモノが今一つピンと来ないのである。
あれ以来、何度もマイルスのCDを聴いては見るのだが、
本に書いてあった様な「歴史的な価値」を理解しようと思えば思う程
マイルスの音は遥か遠くで鳴っている様に感じてしまうのだった。
その日、順三はそんな話を中垣内さんに打ち明けてみた。
中垣内さんは暫く考えた後で
「それはジャズファンの作り上げた物語に翻弄されてますね。」
と見当ハズレな答えを返して、くしゃっと笑った。
順三は疑問符だらけの表情で押し黙っていると
中垣内さんは再び真顔になって話を続けた。
「大抵のジャズの本にはマイルスがジャズの歴史の変革に
大きく関わってきた事が書いてあって、
その記念碑的アルバムを歴史的名盤と称して取り上げてますよね。
例えば『クールの誕生』、『ウォーキン』、『カインドオヴブルー』、
『ネフェルティティ』、『ビッチェズブリュー』…。」
中垣内さんが挙げたアルバムが順三を悩ませているCDと
ものの見事に一致したので目を丸くしてうんうんと大きく頷いた。
中垣内さんは順三の反応に気を良くした様子で更に話す。
「それは確かに事実なんでしょうけど、落とし穴があるんですよ。
例えば『カインドオヴブルー』なんかにしてみても、
モードを最初に実践したアルバムとして金字塔扱いですけど
参加したメンバーはイマイチ、モードと云うモノを理解できてません。
マイルス自身も失敗作と云ってる程です。
とまあ、この話自体もファンの間で語られる常套句なんですけどね。
マスター、こんな話してる人、久しぶりに見たでしょ。ははは。」
話しかけられたマスターもグラスを磨きながらニヤニヤ笑っている。
順三は中垣内さんの云う「落とし穴」が気になって笑う事はできなかった。
「で、その落とし穴って…?」
順三が話を急かすと、中垣内さんはまたも真顔になって
咥えタバコのまま両手でオールバックの髪を掻きあげた。
「CD屋さんに行って、CDのオビを見たら、
『モードを生み出したマイルスの歴史的名盤』みたいな事が書いてある。
ところがモードはその後も進化を続けて今に至ってますから、
我々は『カインドオヴブルー』よりもっと優れた演奏を既に耳にしてるんです。
そうなってくると歴史的背景を知識として理解していないと
『カインドオヴブルー』の存在意義を見出せなくなる訳でしょ?
こうして名盤と歴史的名盤のトリックに嵌ってしまう…。
これが俗に云うマイルスの落とし穴と云われる現象です。」
「なるほど…。」
順三はお酒を呑む手も止まったまま納得していたが、
マスターは少し首を傾げながら中垣内さんに云った。
「わかりやすい話でしたけど…、そのマイルスの落とし穴って言葉、
初めて聞きましたよ。」
中垣内さんはまた下町の笑顔になって
「そりゃ初めてでしょう。今作ったんですから。」
と、しゃくりあげる様に笑った。

「私としても是非マイルスは好きになって欲しいです。」
と今度はマスターが順三に話しかけてきた。
「ははは、マスターはマイルス信者ですからねぇ。」
中垣内さんが茶化す様に云うと、マスターは
「信者って云うほどでもないですが、我々の世代にとっては
正にジャズの神様ですよ。
我々の想像も及ばない方向に変わっていくマイルスを
リアルタイムに追っかけてましたから。」
と懐かしむ様な表情で話した。
順三にとっては過去の発掘と云っても良いジャズが
マスターにはリアルタイムだったと云う事を知って、羨ましかった。
マスターの話は続く。
「でもこれから聴こうとする人には捉え難いと思いますね。
いきなり全時代のマイルスがCD屋さんにどどーんと並んでる(笑)。
たまたま手に取ったのがどの時代なのかで全然印象も変わるし…。
でもね、私が思うに逆にスタイルの変化ばかりに目が行ってると
マイルスの演奏の本質を見失ってしまう様な気がするんですよ。
ジャズの歴史を作ってきた人だとか、モードジャズを演った人だとか、
エレクトリック化の先駆者だとか、そんな話はさておいて、
普通の1プレイヤーとしてマイルスのトランペットに耳を傾けたら
もっと素直にマイルスの魅力が伝わってくると思いますね。」
話に一区切りついたところでレコードが終っている事に気がつき、
マスターはレコード棚の前に立ってしばらく考えた末、
「じゃあ、私が初めて聴いたマイルスを…。」
と、一枚のLPを取りだし、ターンテーブルにセットした。
静寂の中、宙をさまようかの様にトランペットの音が流れ出した瞬間、
その茫様とした中に漂う色気に順三はぶるっと小さく震えた。
緩やかに緊張の糸を辿るようなマイルスのプレイを
順三は目を瞑って追いかけ続けた。
それは2〜3分の短い曲だったが、
聴き終わった時、順三は少し疲れていた。
目を開け顔を上げると、マスターもちょうど緊張を解いたところだった。
「どうでした?」
2曲目に差しかかったところでマスターは順三に訊ねてきた。
順三は溜息を一つついて
「良かったです。適切な言葉が見つからないですけど…。」
と答える。
「そう。それは良かった。」
マスターは嬉しそうに少し笑った。
「ところでこれは何てアルバムなんですか?」
順三が聞くと、マスターはレコードプレイヤーの横に置いてあった
LPのジャケットを手にとって順三に手渡した。
青っぽい写真の中央にモノクロの男性の顔がパッチワークの様に
小さく嵌めこんである。写真より幾分薄い青い文字で何やら
英語ではない言葉が書いてあるが順三には読めない。
暫く眺めていると、横から中垣内さんの声がした。
「それはフランス映画『死刑台のエレベーター』のサントラですよ。
マイルスが音楽を担当したんです。」
「死刑台の…エレベーター…、ですか。」
順三はその意味深なタイトルを呟きながら、ジャケットを眺めた。
青っぽい写真を良く見ると狭い隙間から抜け出そうともがく
男性の姿が写っている。
順三の頭に観た事もない映画のシーンがぼんやりと浮かんでくる。
マイルスの音楽が生み出す緊張感がそのイメージを更に膨らませた。


(miles ending)

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