ミュンヘン 1995年8月29日(火)
朝9時頃家を出て、天王寺から関空快速ウィングに乗り、関空の杵屋で冷やしうどん定食を食べ(950円)、午後1:50発のルフトハンザ741便に乗る。周りはカップルやおっさん、おばちゃんだけなので会話もできず、退屈な時間を過ごす。フランクフルトに午後6:30すぎにつく。
すぐ入国審査を受け、ミュンヘン行きの飛行機に乗りかえる。隣に座ったのがサラという名の女性で最初、アラビア語の新聞を読んでいた。チョコレートをもらい、ほんの少しだけ会話をする。その後、ミュンヘンに着き、地下鉄の路線であるS8という航空線で中央駅にいくため切符を買おうとしたが、自動券売機の使用法がわからず、ドイツ人の夫婦に頼んで買ってもらう(13.5マルク)。電車のなかで京大の大学院で神話を研究しているという山田君と中央駅まで一緒になる。
外にでると、とにかく寒い。手が冷たい。これでも8月かと突っ込みを入れたくなる。歩いていて、ちょっと怖かったが、夜に到着するため、前もって予約していたホテル・アトリウムを見つけて、とにかく風呂に入ったのである。
めっちゃ寒い!ミュンヘン
ミュンヘン 8月30日(水)
あまり寝付かれないまま、朝食を食べるために下の階に降りる。そこはバイキング・システムになっていた。トロピカルジュース、ヨーグルト、チーズ、ハム、コーンフレーク、パンを食べる。コーンフレークはいろいろな種類があって、美味しかった。
8時過ぎにはチェックアウトをし、駅の案内書で市内地図をもらう。その後15,000円分のTC(トラベラーズ・チェック)をマルクに交換し、今日の夜に乗るクシェット(寝台車)の予約をする。52マルクだった。でも、いくら何でも少し安すぎると思ったので乗車券がついていないのではないかと不安になり、再度、別のカウンターに頼んでみた。正解で、乗車券は71.1マルクだった。
その後、フラウエン教会、レジデンツ、新市庁舎(仕掛け時計がある)をみて、4〜5マルクのサンドイッチで昼食をすませ、ドイツ博物館に行く。「地球の歩き方」にはいいことが書いてあるが、それほどおもしろくない。以前ミラノでみた博物館に似ているように思える。疲れて、大学生協方式の食堂でコーヒーとケーキ6.7マルクを食べ、おやつとする。ともかく退屈だ。ミュンヘンは私にとって半日観光で十分な陰気な町である。そもそもこんな町に行く予定はなかった。プラハに期待するしかない。でも、もっと英語が通用しんやろうな。家に電話をする。それから、今日の朝、商店においてあった温度計が10℃を指していた。息が白かったのも、うなずける。
後で気づいたことなのだが、車椅子と松葉杖をついている人が非常に多い。これはドイツ人の方が障害者の割合が多いというわけではもちろんないであろう。 また、チュチマ社(ドイツ製)の僕の時計が日本で買った値段より高い12万円程度で売られていたのにはニヤニヤしてしまった。
夕食は、昼におやつを食べたデリカエッセンのお店に行き、ジャガイモとなすと挽き肉とチーズをオーブンで焼いたもの(6.4マルク)、サラダ(4.2マルク)を食べ、中央駅に戻り、エビアンを2.5マルクで買い、なおも発車時間まで時間があり余っているので、3.9マルクのコーヒーを飲んだりした。最終的にはショーウィンドウの前でリュックを枕代わりにして、不労者のごとく寝ていた。
23時12分発の夜行に乗り、プラハに向かう。コンパートメントでは若い女性とアメリカ人らしき夫婦と一緒になった。その1人の若い女性は4人分ぐらいの荷物を床において、足の踏み場もない状態にしてしまっている。出稼ぎなのだろうか。夫婦は「オーマイゴット」といっていた。どうもこの電車はチェコ国鉄の車両のようで枕はめちゃくちゃ汚く、シーツも穴があいている。(若い女性が気を使ったのだろうか。穴のあいていないシーツを持ってきてくれた。)しかも最悪なことに睡眠中、ポイント切り替え地点で阪神大震災級の揺れがあったため、驚いて、足に軽い肉離れを起こしてしまった。情けない。
(写真:ドイツ、ミュンヘン。新市庁舎の前)
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