マドリッド 2月9日 晴れ
車内で、日本人のミオという女の子としゃべる。彼女は今フランスに4ヶ月ほどいてフランス語の勉強をしている19歳である(4ヶ月なのにフランス語がべらべら状態である。それ以前は全くしゃべれなかったとのこと)。今日はスペインに観光にきているとのことである。午前9時50分にマドリッドに着く。とはいっても、ここは郊外らしく、殺風景である。その駅で、イタリアでコックの修行をしている日本人の25歳の男と話をする。この人も観光(美術館巡り)で訪れたらしい。彼には、駅でコーヒーとパンをおごってもらった。彼とは地下鉄の駅ですぐに別れて、3人で、ホテル探しをする。最初、Amendoというホテルに行くが断られ、近くのホテルにすることにした。私たちは10日の夜のバルセロナ行きの寝台券を手に入れるため、彼女と別れ、駅に戻る。そこで、1800ペセタ(当時、1ペセタ約0.83円)にて購入し、中心地にまた戻る。マドリッドまで乗ってきた電車と同じ名前の「コスタ・デル・ソル」という広場に行く。別にすごいということはなく、ただ、おばさんが、鳩を大量に餌付けしているのがおもしろかった。
次にマヨール広場に行く。ここにも同志社大生1人がいた。お互い暇なので、一緒にカフェに入ったり、SexShopに入ってみたりした。Sex Shopとは、スペインの至る所に見られ、ネオンがものすごく、中になにがあるのか分からない。どきどきしながら入ってみると、エロビデオや大人のおもちゃがあり、また、個室もあった。彼とは、午後7時前に別れ、ホテルに戻ることにする。それは彼女と一緒に食べて飲もうと約束していたからだ。しかし、いくら探してもホテルは見つからず、地下鉄一駅分歩いてしまう。戻ろうとして、地下鉄に乗ると友人が航空券や、クレジットカード、ユーレルパスなどをウエストポーチごとすられていた。私もリュックのジッパーがいつの間にか開けられていたが、無事であった。また、私のウエストポーチは数日前に買ったフランス陸軍コートに守られていて、これまた無事であった(以後、海外旅行で、ウエストポーチをしなくなったのはいうまでもない)。
ホテルは悲しいことに地下鉄の駅のすぐ近くにあった。方向音痴の悪夢であった。
(写真:左からコック。ミオ。友人渕田君)
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