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No.158 中国山東省2003−14.臨[シ畄]04 晏嬰墓はどれ?
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●晏嬰墓を探して
*斉国*歴史博物*館(チィグォ リーシー ポーウーグァン)の次は、これ
も友人ご指名の晏*嬰墓(アンイン ムゥ/あんえいぼ)だ。晏嬰は晏子(ア
ンズ)とも呼ばれ、2600年前の斉(チィ)国の三代国王の宰相を担当した孔子
(コンズ)と同じ時代の政治家だ。その晏嬰を記念してつくられた墓である。
この墓は、古代日本と同じように塚となっていることは事前に調べている。
地図で大体の位置はわかるので、平らな畑の中ならば遠目にもわかるだろうと
いうことで歩き始めた。
バスで走ってきた道は、北へ向かっている。まっすぐ行けば、左手のどこか
に塚が見えてくるはずだ。
といっても、市街の地図ならばなだしも、郊外になるとおおよその位置関係
しかわからなくなるのが中国の町地図だ。だから、半分は勘を頼っての行動に
なる。
そうしていると左手に塚が見えてきた。地図では道のすぐ脇にあるように表
示されているが、その塚はちょっと離れすぎている。友達は、それに引かれる
ものを感じていたらしいが、3人での協議の結果、もう少し先まで行くことに
した。
しかし、それらしきものは一向に見えてこないので、メルトモさんが道端の
人に聞いてみると、どうやら先ほどの塚のようだ。このように、地図はかなり
大まかと考えなければならない。
ともかく、今は斜め後方に見える塚に向かって歩くことにした。あたりは平
らな畑、塚は遠くからもよく見える。時間をロスした分、畑の中に入り、あぜ
道を行くことにした。それにバス道は車が猛スピードで走っていくので、この
ほうが安全だ。
*斉: *歴: *館:
●晏嬰墓への道
東西南北に区画された畑の中を、右や左へと畦を行きながら塚を目指すが、
畑の中には人の背丈ほどのビニールハウスがあり、視界がきかない。
畦が交差し視界が開けたときに見当をつける。畦は黄土が積もったと思われ
るきめの細かい土で、雨が降ったときには相当ぬかるみそうだ。今は乾いて固
まっているが、深い轍があって歩きにくい。
そういう道を歩きながら、やっと塚にたどり着いた。塚は畑の中で塀に囲ま
れている。回りには、畦しかなく、車が入れるような道はない。
塀に門らしきものが見えないので、畦を使って回り込んでみることにした。
南側に来ると、塚から木の列が畦に続いている。こういうのは道であることが
多い。
果たして、前に回ってみると、そこにはコンクリートで舗装された、塚へと
続く道があった。しかし、そこは車が入ってこれないような深い轍が刻まれた
あぜ道なのだが。
●晏嬰墓
以前、晏嬰墓を訪れたことのある人のページによると、周りを畑に囲まれて
近づくことはできなかったそうだ。しかし、ここはできる。晏嬰墓かどうか確
認してみよう。
友人はこの塚にさかんに引かれるから、晏嬰墓と確信しているようだ。それ
も、あと10メートルばかり近づいていけばはっきりする。
果たして、それは晏嬰墓だった。名前を刻んだ碑がある。もちろん、新しい
ものだ。
崩れたようになっている裏面に対して、正面はなだらかに整えられ、下草が
刈られて数十センチの木が等間隔で植えられている。
ひとまず、正面から参ったところで裏に回り込もうとしたら、途中で網が張
られていた。この意図はわからないが、こうなったら先に進まないのが無難だ。
と思っていると、一人のおじいさんが反対側からやってきた。
ぼくたちに向かって何か話しかけてくる。表情から怒っていないことはわか
る。メルトモさんによると、この塚の上には登れると言う。信仰心の厚い友人
は顔を曇らせたが、老人は何も気にしないで登っていった。そう、このクール
さが中国人の一面なのだ。
塚と碑しかない晏嬰墓を見終わったら、ちょうど昼ごろだ。バスが通る道ま
で行き、一旦ホテルまで戻った。
○晏嬰墓
『文字鏡研究会』
●つづく●
Copyright(C), Taki 2003
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