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No.162 中国山東省2003−18.臨[シ畄]08 斉国故城遺跡博物館って
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■10月21日
●斉国故城遺跡博物館
日を改めて、排水道口に挑戦だ。再び、ターミナルで調べると、排水道口の
最寄のバス停は、例の26路(アーシーリュゥ ル)の「故城(グゥチャン)」
だ。昨日、あたりをつけたところにも、「故城」の名前の着いた工場があった。
間違いないだろう。
はたして、バスが止まったのは、同じ場所だった。
このあたりは、中国語のホームページによると、*斉国故城遺跡博物*館(チ
ィグォ グゥチャン イィチィ ポーウーグァン)として、ひとつの博物館と
いうことになっている。実際に、そういう建物や施設は無いが、城壁に囲まれ
た斉国の都市跡ということで、さまざまな遺跡があるので、そう呼ばれている
のだろう。
*東周殉*馬坑(トンチョゥ シュンマ ケン)、排水道口(パイシュイ タ
オコゥ)、晏嬰墓(アンユィン ムゥ/あんえいぼ)、など10数ヶ所の遺跡と
文化財の陳列館から構成される、となっている。
*斉: *歴: *東: *馬:
●排水道口
排水道口は、めぼしをつけていた道を、少し歩いたところにあった。畑の中、
木が生え、民家とは違う瓦屋根の建物があるので、すぐわかる。
ここは、城内の排水と同時に防御を兼ねた施設だという。今は、ちょっと変
わった農家のように見える。
実際、農作業をしている老夫婦に、入場料3元(約40円)を払い、チケット
をもらった。入場料からわかるように、ここには展示施設は無い。露天で、遺
跡が現れている。
まるでお寺の中にあるような門をくぐると、正面には盛り土が見える。これ
が城壁の名残だろう。その左右に、四角い石で囲まれたくぼ地があり、それが
排水道だ。東側は降りることができる。
これは2800年前の斉国都市の排水遺跡で、精巧に設計され中国戦国時代の都
市遺跡の傑作といわれている。
下も左右も石で囲まれ、丈夫なつくりだ。そして、水が流れ出る部分にも石
が組まれ、5段の小さなトンネルが作られている。溝は大きいが、排水口は人
はくぐれない。
だから、ここから大量の水を排水することはできるが、ここを通って城内に
入ることはできないというわけだ。これが、日本にまだ国家と呼べるようなも
のが無い時代につくられたのだ。
この建物の真北に、塚のようなものが畑の中にある。ちょうど城壁の真北に
当たるので、それも城壁の名残なのだろう。
○排水道口
●斉国故城壁を見ることができるか?
排水道口の次は、その城壁の断面が見れるところだ。
この2日間で、地図の見方がわかってきた。といっても、過信は禁物。来た
道を戻り、バス道を町のほうへ向かう。
地図によると、城壁は、晏嬰墓の前を通りすぎ、少し南に下ったところのよ
うだ。だから、場所がはっきりしている晏嬰墓を目指した。
晏嬰墓の前を過ぎると、舗装された道に出た。そこを南にいくと、また、黒
いレンガでできたいかめしい建物が見えてきた。それが、斉国故城壁(チィグ
ォ グゥチャンピ)だ。
どのようなものが見えるのか、と思っていたら、チケット売り場が見当たら
ない。それだけでなく、管理者がいる部屋も無いようだ。
どうやら、この建物は、遺跡を保護するためだけのもののようだ。おそらく、
区政府か公安に許可を得て、一緒に来なければならないのだろう。残念、中に
入ることはできない。
しかし、幸か不幸か、あちこちに窓が開いていて、そこから中をのぞくこと
ができた。
施設の横にある盛り土は3メートルほどのたいした高さではないが、建物の
中の壁は数メートルの深さにまで掘られていた。おそらく黄土高原の砂にこの
高さにまで埋もれてしまったのだろう。
資料で見たように、幅もあり、高さもあり、巨大な壁のようだ。しかし、北
京などで見られる万里の長城のようなレンガは使われていない。
遠いのでよくわからないが、しっかりとしているものの、断面は辺りにある
ものと同じ土のように見える。おそらく、版築でつくったものだろう。
地上から見ると、京都の御土居(おどい)のほうがはるかに立派だが、この
断面は御土居が完全に負けている。
しかも、御土居は500年もたっていないが、こちらは2000年を超えている。そ
れでも簡単に崩れない。すごい技術だ。
○斉国故城壁
●桓公台
斉国故城壁の次は、桓公台(ファンゴン タイ)だ。これは城壁の南、斉国
歴史博物館(チィグォ リーシー ポーウーグァン)の西にある。さらに、塚
になっているのでわかりやすい。実際、晏嬰墓を探す時にそれらしいものを見
ている。もちろん、故城壁からも見えるので、行きやすいし、近い。
これは、斉国故城の小城の西北部に位置し、宮殿の建物物のひとつだったら
しい。
しかし、今は誰かの塚にしか見えない盛り土だ。日本なら、間違いなく円墳
と思われるだろう。
上に塔のようなものがあり、人が登った道がついているので登ってみた。墓
ではないので、大丈夫だろう。
晏嬰墓よりも高いようで、歴史博物館や故城壁、もちろん晏嬰墓もみえる。
しかし、それ以外何かがあるというわけではなく、今まで見てきたものと比
べると、ちょっとあっさりしすぎにも感じる。
あと、孔子*聞韶処というものあるが、これは殉馬坑の近くになるようなので、
ちょっと遠い。ということで、斉国故城遺跡博物館はこれまでにすることにし
た。
ちょうどお昼だ。市街に戻って昼食だ。
*聞:
○桓公台
『文字鏡研究会』
●つづく●
Copyright(C), Taki 2003
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