□□□□▲旅のフィールド〈メモ〉▼モバイル▲□□□□□□□□□□□□□ No.164 中国山東省2003−20.臨[シ畄]10 臨[シ畄]と奈良 ◇◇◇◇▼旅のフィールド〈メモ〉▲モバイル▼◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ ―――――//―――――――――――――――――――――――//――――― ●臨[シ畄]と奈良 田*斉王陵(ティェンチィ ワンリン)で今回の*臨*[シ畄](リンズ/りん し)の観光は最後だ。このように、日本ではほとんど情報が無い臨[シ畄]を数 日間回って見た感想を一言でいうと、「奈良だ!」 山東省の[シ畄]博市(ズゥポウ シ/しはくし)の臨[シ畄]区は、春秋戦国 時代の斉国の都のあったところ、いたるところに二千年以上前の遺跡が転がっ ている。 さらに、畑のなかに当時の城壁の名残や、墓などがあちこちにあり、平野の 畑の中に点在する不自然な盛り土は、まるで奈良や河内地方の古墳群のようだ。 このように、古代遺跡が多数あるこの地が日本でまったく紹介されないこと はとても残念に思う。 もっとも、日本で紹介されて大勢の日本人が来てしまったら、町が荒んでし まうだろうが。それだけ、ここは旅行者からぼってやろうという者が少ない。 町では日本人とは思われていなかったこともあるだろう。中国語ができない ので、香港人に思われていたのかもしれない。 ところが、日本人だと白状すると、急に見物人が集まってくる。もちろん、 悪意の有る人たちではない。日本人を見たいだけの人たちだ。 *斉: *臨: *[シ畄]: ●黄色い土 臨[シ畄]で何度も見た畑の土は、きめが細かく、あまり有機質を含んでなさ そうな土だ。いや、色が黒く、時おり肥料も見かけたので有機質が無いことは 無いだろうが、少なくても繊維質などは見えない。 もちろん、畑でないところは黄色い粉のような土か、固くしまった土で覆わ れている。おそらく、雨が降るととても悲惨な状況になるだろう。ぬかるみ、 泥は次々と靴の裏にへばりつく。 さらに、石もほとんど見かけず、あっても角張っていて、最近どこからか人 為的に運ばれてきたものなのは一目瞭然。 おそらく、このあたりの土は、黄土高原から黄河や偏西風によって運ばれて きものではないだろうか。 だから、臨[シ畄]の畑の中からは、日本のように土器片が見つかりそうな気 配はない。なにしろ、畑の周りには石ころひとつ無いのだから。 もっとも、石が無いのは、二千年以上も続く農民の努力の賜物でもあるだろ うが。 ●遺跡が見つかるとき 埋没している遺跡も、大規模な土木工事のときに見つかったもののようだ。 春秋戦国時代の斉国の城壁跡も、地下数メートルまで掘られていた。外から見 えるのは、京都の御土居(おどい)よりも小さいものだが、本来はもっと、は るかに大きかったことがはっきりする。 ダーウィンは、古代遺跡を土に埋もれさすのはミミズの仕業だといっている が、中国の中原地帯は、黄土高原の土の仕業のような気がする。この、数メー トル続く黄色く細かい土の下に、貴重な遺跡や遺物が大量に眠っているのだろ う、きっと。 今後、中国の考古学的な調査や研究がすすむと、幻の「夏(シャ/か)」の 国の実在が証明されることもありうるように感じる。 臨[シ畄]は、普通の日本人にとっては面白くもなく、不便なところだと思う が、歴史や考古学に興味のある人にとっては、中国でも面白いところのひとつ ではないだろうか。 ◇[シ畄]博市人民政府(中国語簡体字GB2312) 『文字鏡研究会』 ●つづく● Copyright(C), Taki 2003 □□□□▲旅のフィールド〈メモ〉▼□□□□□□□□□□□□□□□□□□ |