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No.215 中国山東省2003―50.中国の食べ物7 中国のカレー

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●台湾のカレー

 以前、台湾に行ったとき、台北駅の2階の食堂街でカレーライスらしきもの
を見た。台北では、カレー味のものが普通にあったので、カレーライスだと思
った。
 しかし、なぜ、中国である台湾にカレーが?
 日本にカレーが入ってきたのはイギリス海軍から日本帝国海軍に、と言う話
を聞いたことがある。その後、一般家庭に普及したらしい。もちろん、イギリ
スには植民地のインドから伝わった。
 それで、台湾を統括していたのは帝国海軍なので、カレーが普及しても不思
議ではないなぁ、とそのとき思ったことを覚えている。
 実際、台北で味わったカレー味は、現在の日本のカレーのようなルーカレー
味でも、インドのスパイスカレー味でもなく、昔の日本のカレー粉の味のよう
なものだった。
 そのカレー粉を使ったカレーは、イギリスから日本に伝わった時のカレーだ
ったと聞いたことがあるので、一人で戦前の日本から伝わったのがと勝手に納
得していた。

●中国のカレー

 それで、大陸中国だが、今回の旅でも「*[口加]哩*飯(カリ ファン)」と
いうのを何度か見かけた。特に、「永和豆*漿(ヨンホ トゥジャン)」では炒
飯(チャオファン)と並ぶご飯物メニューだ。この永和豆漿は台湾系チェーン
だと聞いたことがある。だとすると、これも納得できる。
 ただ、加哩飯のスタイルは日本のように皿に薄くご飯とカレーを敷くタイプ
ではなく、お子様ランチのように丸く盛り上げたご飯のまわりに、西洋料理の
ソースのようにカレーを入れたものだ。
 同じようなスタイルは、バンコクで見たことがあるが、何系の盛り付けかは
知らない。
 大阪の千日前には、大正時代からその姿を変えないという自由軒のカレーは、
ちょうどそのような形だから、戦前の日本のカレーの姿なのかもしれないと、
これも勝手に納得した。
 ただし、食べたかったのだが、ほかの中国料理の誘惑に勝てず、注文してい
ない。写真で見ただけだから、実物はもっと違うものかもしれない。

*[口加]: *飯: *漿:
今昔文字鏡

●中国へのカレー伝播

 さて、ここで中国へのカレー伝播について考えてみよう。
 台湾については、すでに想像を書いた。台湾はいわば中国であるが、清朝末
に日本の支配下になった後、現在まで中国とは別の歴史を歩んでいる。
 だから、日本の支配下で台湾にカレーが伝わったとするなら、それが単純に
中国に広がったとは、単純に思えない。場合によっては、まったく別系統から
の伝播も考えられる。
 海軍の台湾に対して、大陸は陸軍だったので、台湾伝播の理屈で言うとカレ
ーが中国に伝わったのは戦前戦中の日本からではないだろう。
 可能性があるとすれば戦後の日本、国交が回復した1970年代以降、またはど
こかでカレーを知った華僑か、カレー文化圏から来た外国人からだろうか。

●カレー風味の伝播

 日本式のカレーライスやインド式のカリーを見かけることはめったにないが、
いろいろな人の証言やぼく自身の体験から、中国にはかなりカレー風味の食べ
物があるようだ。
 カレーそのものではなく、カレー風味となると、今の日本ようなカレールー
ではなく、カレー粉のほうがかなり使いやすい。
 となると、戦後の日本からカレーが伝わったというよりも、カレー粉を使う
イギリスや戦前の日本から伝わったようにも思える。
 上海近辺にもカレー風味の食べ物があるというので、それなどは、上海に租
界があった時代にイギリスからカレー粉が伝わったような気もしてきる。
 ちなみに、当時、上海でもっとも人口が多かったのは、日本人だったが、独
自の租界を作り上げるほどの政治的力はなかったようだ。

●カレーとカレー風味

 しかし、カレー風味の食べ物が多数ありながらも、それらには「加哩」の文
字がつかないという。確かにそうだ。
 これは、中国人にとっても「カレー」と言うものの認識とも関係あるように
感じる。中国人にとって何が「カレー」なのか。
 それ以前に、そもそも、何をもって「カレー」と呼ぶのか、と言う問題があ
るだろう。名前にカレーとついているならまだしも、そうでないのなら。
 やはり、粉末のターメリックが入ってたらとりあえずカレーなのだろうか。
基本的なところに謎ができた。

●シルクロードとカレーの道

 料理とスパイスの話をすると、中国は日本よりもはるかに民間料理に使われ
るスパイスが豊富だと思うが、インドのカリーのようなスパイスを食べるため
に具がある、と言うような感じの食べ物は無いような気がする。
 誤解されるかもしれないが、うまく書けないので思い切って書こう。結構中
国料理の味は、素材の味を引き出すところがあるように感じる。もちろん、そ
うでないのも少なくはないが。
 ちなみに、同じ感覚で言えば、日本の料理は素材の味を生かすという感じに
なる。
 しかし、インドで食べたスープ状の料理、つまりカリーは、ごはんとスパイ
スを食べているような感じがしてならない。
 これが中国ではカレー味はポピュラーになっても、カレーがポピュラーにな
らない理由のような気もしてきた。

●玄奘とカレーの道

 ところで、新疆ウイグル自治区に行ったとき、町のバザールではそれこそ無
数のスパイスを見た。
 あれを見ていると、玄奘も通った山脈を越えてタリム盆地にもインド・カリ
ーが伝わっても不思議が無いような気がする。もちろん、いまから1400年前に
カリーが成立していれば、の話だが。
 もし、そうがとすると、当時の新疆ウイグル自治区の一帯はインドと同じア
ーリア系の仏教徒が住んでいた。とすれば、当時すでにそこに住む人がカリー
を食べていたかもしれない。
 しかし、その後のウイグル民族の南下により、アーリア人が消えていったの
と同じように、カリーも消えていったのだろうか。
 いや、当時はまだ、インドではカリーが成立していなかったのだろうか。
 意外と、視点を変えれば中央アジアにもカリーが形を変えて伝わっているの
かもしれない。いわゆるシルクロードだけでなく、草原を通ってモンゴルにも
伝わっていたり、と、想像すればとても楽しくなる。もちろん、想像上の話だ
が。
 実は、ベジカリーが唐代の隠れ精進料理だったりして。ほかにも玄奘が書い
たインド料理のレシピ集「裏西域記」があったり……なんか、琉璃廠店の奥の
倉庫にでもありそうだ。

●チベットとカレーの道

 インドと中国を結ぶルートには、チベット越えも、一応は考えられる。
 現在、チベットからのヒマラヤ越え陸路となるとダムを越えてカトマンドゥ
となるのだが、実は、地図で見る限りギャンツェからインドシッキム州の州都
ガントクまでのルートが標高も比較的低く距離も短くとても行きやすそうだ。
実際、地図上では道がある。
 北インドのカシミール同様、このあたりにはシッキムやブータンのようにチ
ベット文化圏があるので、ヒマラヤを越えての人の往来は盛んだったにちがい
ない。
 だから、地理的には中国からインドまでで、もっとも早くて容易な道ではな
いか、と思う。
 近代には、日本人僧の多田等観がチベット入りしたルートはブータンからと
聞いているので、もしかしたらこのルートかもしれない。
 ただ、中国とインドは国境紛争をしている。最近は関係が軟化しているとは
いえ、今でも国境の決着はついていない。
 それから、シッキムは元は独立国で、それをインドが吸収したという形で、
旅行者にも完全開放していないような地域だ。ということで、現在は旅行者が
通れる道ではない。
 玄奘がインドに向かった唐代には、ここは唐と敵対する強力な吐蕃と言う国
があった。それから東南アジア陸路は延々と続く亜熱帯林。そもそも、道があ
るのかどうかもよくわからない。やはり、遠回りでも中央アジア経由か、海路
がポピュラーだっただろう。
 こうしていると、スパイスなどの調味料から、カレー伝播のの経路が描ける
かも知れない。
 中国の旅行記こういうことを書くのもなんだが、カレーは偉大だと思う。そ
れを中国がどのように変えて行くかは興味がありますね。

●インド・カリーとタイ・カリー

 南アジアと東南アジアには大きく分けると2種類のカレーがあると聞いたこ
とがある。それは、インド・カリーとタイ・カリー。
 ちがいは、インド・カリーは牛乳を使い、タイ・カリーはココナッツミルク
を使うとか。
 もし、中国のカレーが牛乳を使っているならインド系、ココナッツミルクを
使っているならタイ系。どちらも使っていないのならイギリス系(または日本
系)という感じだろう。
 しかし、無数にカレー味の食べ物があるなら、カレー調味料があるはずなの
で、どんなカレー調味料があるかで何系のカレーかわかるかもしれない。
 無数のスパイスや、調合されたマサラがあるならインド系、カレーパウダー
ならイギリス系か戦前の日本系、ルーなら戦後日本系の可能性が考えられるだ
ろう。

●インドでのカリー

 それから、これは案外重要なことかもしれないが、ぼくが行ったことのある
インド(アッサム、東ベンガル、シッキム)では、カリーはあっても、カレー
味のカリーで無い食べ物は無かったと記憶している。
 ということは、カレーはともかく、カレー味の食べ物はインド系ではないの
だろうか。だんだん混乱してきた。
 実のところを言うと、インドにおけるカリーとは、スパイスを調合したスー
プで野菜や肉などを煮、ご飯やナン、チャパティなどと一緒に食べるもの、程
度の意味だとインド好きから聞いたことがある。
 だから、「カリー」とは呼ばれず、「ダルー」と呼ばれる豆スープもカリー
の一種なのだ。
 なんというか、インドにおける「カリー」と言う食べ物のありかたは、中国
における「面」と呼ばれる一群の食べ物のあり方に似ているかもしれない。

●ふたつの問題

 さて、自分で書いててややこしくなってきたので、これらの問題を大きく二
つに分けよう。

○問題その1「カレーライス伝来」

 中国に伝わったのがカレーライスかカレー味なのか、正直、これについては、
まったく見当もつかない。
 たとえば、中国のカレーには牛乳とココナッツミルクのどちらが使われるか
わからないし、カレー粉を使うのか、ルーを使うのかもしらない。
 ちなみに、日本人の駐在者が多数住んでいる青島のジャスコでは、当たり前
のように日本式のカレールーを売っていた。場合によっては、今後の中国カレ
ーは、駐在員から広がっていくかもしれない。

○問題その2「カレー風味」

 もう一つの問題が、「カレー風味」。スパイスを調合するのなら、なにが
「カレー」なのか。
 たしか、カレーの黄色と風味を出したのがターメリックだったような気がす
るので、ターメリックが入っていれば、カレーなのか。もっとも、インドやタ
イには黄色くないカリーも存在するが。
 ともかく、カレーの風味の食べ物は、カレー粉のようのカレーを少量つかっ
て味付けしたのではなく、たまたま偶然カレーの風味つけをするスパイスが使
われただけということもあるような気がする。
 とすると、中国にはカレー料理が入ってくるはるか以前からカレー風味の食
べ物があっても不思議ではない。

●ダイナミックなアジア

 インドの民族料理ともいえるカレーが、どのようにして中国へ伝わったのか。
そして、カレー風味のスパイスも同じだ。
 やはり、カレー風味のスパイスは、スパイスの本場である東南アジアから、
進出した華僑が持ち帰ったとも考えられるが。
 どこからどのような経緯で伝わったにしろ、アジア中で人や物がダイナミッ
クに動いていた証拠だ。実は中国とは関係ないと思われたインド料理のカレー
で、中国の人と物の流れが見えてくるかもしれない。
 実際、日本へのカレーの伝播も、一度ヨーロッパのイギリスを経由している。
これもなどは、アジアだけでなくヨーロッパまで広がる大きな流れだ。
 インドの食べ物であるカレーで、ここまでアジアと中国が語れるとは、驚き
だ。

●つづく●
                   Copyright(C), Fieldnotes. 2004
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