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No.227 中国山東省2003―56.中国考15 人からものをもらい生活をする人々

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●「乞食」

 この号はいわゆる「乞食」のことについて書くのだが、個人がどう感じよう
と現実に社会にあるものであり、旅行者としても関係することがあることなの
で、今回書くことにした。
 ところが、「乞食」と言う言葉は差別語とされ、このように不特定多数の人
に対して発信するメディアで使うべき言葉ではないのかもしれない。だからと
いって「ホームレス」も今回書く内容に対しては相応しくないと思う。
 ということで、あまり使わないが「物乞い」という言葉が言い換えの言葉の
ようなので、こちらを使うことにした。
 なお、もしここまでの部分で不快を感じるのであれば、それはぼくの無知ゆ
えのことで、この号を削除してもらいたい。

●「物乞い」とは

 と書き始めたが、まずはこの号で書く「物乞い」についての定義を明確にし
ておこう。
 インターネットで引くことができる「大辞林」によると、「金銭・食べ物な
どを人からもらって生きていくこと。また、その者。ものもらい。おこも。」
となっている。
 わかるようで、わかりにくいのでもう少し細かく書いてみると、「対価を出
すことなく金銭や食物を不特定の人からもらうことによって生活を行っている
ひと」こういう感じだろうか。
 これを具体的にいうと、服装などの見た目には関係なく、何らかの芸能を行
う人と、何も芸能を行わない人に分け、楽器を弾く人は下手でも前者、たかっ
てくる人はもちろん、お辞儀をするだけの人や紙に書いた文句を見せているだ
けの人は基本的に後者としている。
 そして、「物乞い」と認識するのは、基本的に後者だ。前者は、しいて言え
ば「遊芸者」ということになるだろうか。もちろん、厳密に区別するのは難し
いが。

●物乞い遭遇譚

 最近、日本ではほとんど見かけることがなくなったが、中国での物乞い遭遇
の話はよく聞く。
 中国の物乞いにもいくつかのパターンがあるが、その中のひとつに栄養失調
のような細い足を頭の後ろに回すというタイプがあるだ。
 その目撃譚の一つに、ちょっと人通りが切れたとき、頭の後ろにあった足を
ほどいて立ち上がり、目の前のお金の入った缶を持って道を歩いていったと言
うのがある。
 この話は十分納得できる。日本でも、よく似た話を聞くし、インドのカルカ
ッタでもよく似たものを見た。
 道に倒れていた物乞いが元気に立ち上がって走って行った、物乞いが迎えに
来た車に乗って帰って行った、こういう話に東西の違いはない。
 つまり、働く方法がほかに見つからず、やむにやまれず人の情けにすがって
物乞いをするのではなく、物乞いがある意味職業と化しているのだ。

●生きる糧

 自ら足を後ろに回して障害者を装うタイプは擬似障害型と呼ぼう。たしかに、
この擬似障害型はよく見かける。しかし、このように偽った障害だけでなく、
実際に体に障害を負っている物乞いも少なくはない。
 旅行者の視点で見て聞くと、アジアの多くの国ではこういった四肢障害を持
つ人たちにとって、“物乞い”という生業は選択の一つのように感じる。
 アジアの多くの国では、国の福祉があまり当てにならなく、キリスト教国の
ように無償で飲食を提供し自立更正を阻害すると言う悪習もない。
 日々を生きていく糧を手に入れなければならない彼らにとってタイのような、
上座部仏教に対する信仰心の厚い国では、かなりな数の都市民がお金をあげて
いる。
 しかし、大乗仏教の中国ではそれほど効率がいいようには思えないし、中国
よりも豊かなはずの日本ではもっと効率悪そうだ。

●物乞い村

 中国の安徽省と河南省には、物乞いを都市部に派遣して成り立っている物乞
い村がかなりあるという。その村には物乞いの集団があり、時には物乞いの貸
し借りしたりもしているらしい。
 そういった物乞いの村では、件の足や腕の関節をはずす技術を継承している
が、年を取り取り関節が硬くなるとこういうこともできなくなる。確かに、足
を頭の後ろに回しているのは子供ばかりだ。
 こういうこともあってか、安徽省は物乞いが名物と揶揄されているらしい。
 物乞い村が実在するのかどうかはわからないが、この擬似障害型の物乞いは
は古今東西、この日本でも同様なものがあったので、十分理解できる話だ。
 もちろん、すべての物乞いが擬似的障害者だとうのではない。明らかに障害
を持っている人で、なおかつ先天的といいきれない人たちも、都市では見かけ
る。

●社会と福祉

 日本と中国をそのまま比べるのは無茶な話なのは、買い物ひとつ、食事ひと
つとっても同じこと。たしかに、日本を基準にして中国のことをどうこう言う
のは変だ。
 ぼくが行ったことのあるアジアの国は、中国圏以外はモンゴルとタイとイン
ドだが、首都自体が小さな町のモンゴルはともかく、タイもインドも大金持ち
や、日々の生活を心配しなくてもいい都市民が大勢いる。
 もちろん、どの国にもそういった都市民の陰に多数の貧困層の人々がいるの
は中国も同じ。
 この3ヶ国を旅行者の視点で比べてみると、中国が最も発展しているように
見えるのだが、弱者にとっては最も生活しにくい国のように見える。
 カースト制度のあるインドは言うに及ばず、タイにしたところで国家レベル
の社会制度は中国と比較してどうなのかわからないが、人々の生活の中に多少
なりとも富を拡散するシステムがあるように感じる。
 しかし、社会的なそのシステムが充実しないと物乞いはいなくならないだろ
う。なにしろ、中国の北京の物乞いの収入は、同じ北京の生活保護対象者の収
入よりも高いと言う調査がある。
 もっとも、その調査は母集団の数が少なかったので、どれだけ現実を反映し
ているのかは分からないが。

●つづく●
                   Copyright(C), Fieldnotes. 2004
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