子規の俳論俳話
『春星』連載中の中川みえ氏の稿
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子規の俳論俳話(二五)
中川みえ
◇俳人蕪村 Ⅰ
明治三十年四月～十一月
｢日本｣掲載
子規の容態はこの年あまり良くなかった。激しい腰痛のため試みた二度の手術も効き目なく、厄月の五月には、高熱を発し、ひどく苦しんだ。
そのような中で、｢俳人蕪村｣の連載を開始した。前前年松山滞在中に内藤鳴雪に宛てた書簡に、｢小生帰京後都合によれば一篇の『蕪村論』を書くつもりに御座候｣と記したことがあって、その頃から執筆の構想をいだいていたと思われる。
本論に触れる前に、子規の蕪村観を振り返ってみたい。
子規が蕪村に注目したのは、俳句を始めた頃からであった。｢類題集中蕪村の句の散在せるを見て稍々其非凡なるを認め之を尊敬すること深し。｣(｢俳人蕪村｣)というものの、明治二十六･七年頃までの子規の蕪村への関心は、もっぱら、蕪村の句が、
･ 漢詩的内容を持っていたこと
･ 離俗的であったこと
･ 調子の特殊なものがあったこと
などに共感したところにあり、従って初期の蕪村評は、主としてこうした事柄に主眼を置く傾向が顕著であった。
明治二十六年一月の｢歳旦閑話｣(｢日本｣)では、
興って力あるもの也有、暁臺、蓼太、蕪村、闌更の
諸大家にして各々独特の妙ありといへども、中に就き
て縦横奔放なる者を求むれば雪中庵蓼太を第一となす。
と記し、｢芭蕉雑談｣(明治二十六年｢日本｣)では、
蕪村、暁臺、闌更の三豪傑は古来の薫風外に出入し
て各一派を成せり。此三人の独得なる処は芭蕉及び其
門弟等が当時夢想にも知り得ざりし所にして、俳諧史
上特筆大書すべき価値を有す。(略)
好詩料空想に得来りて或は斬新、或は流麗、或は雄
健の俳句を作し世人を罵倒したる者、二百年間独り蕪
村あるのみ。
なとと記している。子規にとって蕪村は、芭蕉と対峙する俳人とはまだ見なされていなくて、也有や暁臺、蓼太、闌更と共に、中興俳人の一人として名を挙げられているにすぎない。しかも子規の興味は、最初は蓼太に、次いで暁臺や闌更に向けられていた。たゞ、明治二十六年一月に｢蕪村風十二ヶ月｣という作句を試みているところから推察すると、蕪村という作家に強い関心を抱いていたことはまちがいない。
明治二十七年の｢俳諧一口話｣(｢小日本｣)では、
俳諧は元禄以後全く地に堕ちて徒に卑しき俗なるも
のとなりしを、安永、天明に至りて中興したるなり。
此間に出でたる五傑あり。即ち
夜半亭蕪村 暮雨庵暁臺 半化坊闌更
春秋庵白雄 雪中庵蓼太
なり。
と五人の名を挙げて特色を比較し、
五人の中漢語を多く用ふる事は蕪村を第一とし、
(略)句体の硬き方に傾けるは蕪村第一にして(略)
全体より言へは蓼太には最俗気紛々たる句多しとす。
故に俳諧の価値より評せんに、佳句の最も多きは蕪村
にして最も少きは蓼太なるべし。
と記した。五人の各人評では、蕪村について、
蕪村の特色は芭蕉以後一人として賞揚すべきものな
れども、其最も世に著はれたるは漢語を用る漢文調を
為すに在るなり。
という見解を示している。この時代の子規の目には、漢語を用い、世俗にまみれない斬新な佳句を詠む蕪村が好ましく思われたものの、ここでもまだ蕪村は傑出した存在として認められているのではなくて、｢五人各々巧拙ありされと終に天明の五傑たるに恥ぢざるなり。｣という評価の下に一括りにしたのである。
ところが、同じ年の八月に｢日本｣へ発表した｢地図的観念と絵画的観念｣では、蕪村の句のとらえ方に変化が生じている。蕪村の｢春の水山なき国を流れけり｣という句の評価をめぐる子規と鳴雪の意見の相違を解明する文章であるが、ここで子規は、自分は｢絵画的観念を以て之を見る。｣と述べるが、この見方は中村不折に教示された写生の考え方にも合致するものであった。
また、ちょうどこの頃に発見された蕪村の｢新花摘｣は、子規のみならず、碧梧桐、虚子を初めとする日本派の俳人の俳句熱をかきたて、そこから派生した新調を、子規は｢明治二十九年の俳句界｣に熱く詳しく論じた。
子規は碧梧桐の“印象明瞭“、虚子の“時間的俳句”の先がけを蕪村の句の中に見た。また、二人の新調の特性を蕪村は一人の中に兼ね備えていること、蕪村の句が詩的な面と絵画的な面を同時に合せ持ち、成功していることにも驚歎した。
一方、写生に関する考え方に於ても、単に｢有りのまま｣写すことから｢純粋の写生にも猶多少の取捨選択あるをや。｣(｢明治二十九年の俳句界｣)｢空想と写実と合同して一種非空非実の大文字を製出せざるべからず｣(｢俳諧大要｣)という発想を導き出し、｢俳諧反故籠｣では、発想の選択のみならず、外物を取り入れて修飾するという人為的操作さえ認め、写実に空想的な要素の参与を容認するという立場を持つに至った。
蕪村を自派の旗職に据える条件はととのったのである。
子規の俳論俳話(二六)
◇ 俳人蕪村 Ⅱ
｢俳人蕪村｣は、
芭蕉新に俳句界を開きしよりここに二百年、其間出
づる所の俳人少からず。(略)流派を異にする者も猶
芭蕉を排斥せず、(略)芭蕉は無比無類の俳人として
認められ、復一人の之に匹敵する者あるを見ざるの有
様なりき。芭蕉は実に敵手なさか。日く、否。
と｢緒言｣に記して趣旨に基ずき、蕪村を推し、芭蕉を難ずるという論点で両者を対比し、蕪村の特質を明らかにして、｢蕪村が芭蕉に匹敵する所の果して何處にあるか｣を弁じた文章である。
先ず、芭蕉に対する蕪村の特質を｢積極的美｣に見た。美には積極的美と消極的美があり、積極的美とは、｢意匠の壮大、雄渾、勁健、艶麗、活溌、奇警なる者｣を言い、概して西洋の美術文学にこの傾向がある。消極的美とは、｢意匠の古雅、幽玄、悲惨、沈静、平易なる者｣を言い、東洋の美術文学にこの傾向があると見る。松井利彦氏は｢これは、蕪村がより今日的であることを強調している。｣(｢近代俳論史｣)と指摘される。―子規はこのことを前程にして、
俳句を学ぶ者消極的美を唯一の美として之を尚び、
艶麗なる者、活況なる者、奇警なる者を見れば則ち以
て邪道となし卑俗となす。恰も東洋の美術に心酔する
者が西洋の美術を以て野卑なりとして貶するが如し。
艶麗、活溌、奇警なる者の野卑に陥り易さは固より然
り。然れども野卑に陥り易きを以て野卑ならざる者を
も棄つるは其弁別の明なきが故なり。而して古雅幽玄
なる消極的美の弊害は一種の厭味を生じ、今日の俗宗
匠の俳句の俗にして嘔吐を催さしむるに至るを見るに、
彼の艶麗ならんとして卑俗に陥りたる者に比して毫も
優る所あらざるなり。
と記し、彼が "月並"と呼称した宗匠俳句の厭味の原因の一端を、このあたりにも見ている。
源平以後地に堕ち、殆ど消滅し盡していた日本文学に芭蕉が出現して、｢俳句に於て美を発揮し、消極的の反面を開きたるは彼が非凡の才識あるを証するに足る。｣と芭蕉のこの面の功績は認めたものの。｢其非凡の才識も積極的美の反面は之を開くに及ばずして逝きぬ。｣｢天は俳諧の名誉を芭蕉の専有に帰せしめずして更に他の達人を待ちにしやあらん。｣と言い、｢芭蕉死後百年に垂んとして始めて蕪村は現れたり。彼は天命を負ふて俳講壇上に立てり。｣とドラマティックに蕪村の登場を告げ、｢試みに蕪村の句を以て芭蕉の句と対照して以て蕪村が如何に積極的ならんかを見る。｣と論旨を明確にする。
｢夏季の題目には積極的なる者多し。｣と述べ、先ず牡丹の句を例に挙げる。｢牡丹は花の最も艶麗なる者なり。｣二句に過ぎないが、蕪村は二十句もの多くを詠み佳句を成すという論調は、前年の随筆｢松羅玉液｣の
▲牡丹 は艶麗第一の花なり。艶麗はなかなかに俗な
りとて排斤せし昔の俳人はひたすら芭蕉の糟粕を嘗め
て牡丹などは句にも作りざりけん。さるを天明の頃俳
風一変して当時の人やや美しき者を詠み出でたる暁臺
闌更などなかなかに花に気おされ牡丹の句に善きは稀
なり。ひとり蕪村は牡丹の句二十首に及びてしかも首
首其精神を得たり。此一事巳に其手腕の大なるを見
る。
という記載と同種の主張である。
その他、｢若葉｣を詠んだ句では、芭蕉は｢皆季の景物として応用｣したに過ぎないが、蕪村は、直に若葉そのものを詠じて、｢若葉の趣味を発揮｣した。｢雲の峰｣｢五月雨｣｢夕立｣などの句に於ても、蕪村の句の方が雄壮であると見る。｢桜｣では、｢うつくしき趣を詠み出｣した芭蕉に較べて、蕪村の句は｢妖艶を極めた｣と言い、いずれの題目に於ても蕪村の積極的な詠みぶりを高く評価した。
つゞいて｢客観的美｣に論を進める。先ず
上世には主観的美を発揮したる文字多く、後世に下
るに従ひ一時代は一時代より客観的実に入ること深さ
を見る。(略)後世の文学も客観に動かされたる自己
の感情を写す處に於て量も上世に異ならずと雖も、結
果たる感情を直叙せずして原因たる客観の事物のみ描
写し、観る者をして之によりて感情を動かさしむるこ
と。恰も実際の客観が人を動かすが如くならしむ。是
れ後世の文学が面白を新にしたる所以なり。
と述べ、｢主観的美は客観を描き盡さずして観る者の想像に任すにあり。｣と結論した。
芭蕉の俳句は古来の和歌に比して客観的美を現すこ
と多し。しかも猶蕪村の客観的なるには及ばす。極度
の客観的美は絵画と同じ。蕪村の句は直ちに以て絵画
となし得べき者少からず。
という発言は、些か拙速すぎるところも感じられるが、先の｢積極的美｣と同様に、蕪村の句の方が絵画的=客観的=であり、近代的=進歩的=であると考えていることは明らかである。
芭蕉が客観的叙述を難しと見、その門弟も皆客観を写すことが不完全であったので、彼らの句は直ちにこれを絵にするには足りないところがあったが、蕪村の句の絵画的なものは、｢一事一物を画き添へざるも絵となるべき点に於て、蕪村の句は蕪村以前の句よりも更に客観的なり。｣と言いきった。
子規の俳論俳話(二七)
○ 俳人蕪村 Ⅲ
子規は蕪村の句の特色として、次に｢人事的美｣を挙げた。
俳句十七字の小天地に今迄は辛うじて一山一水一草
一木を写し出だししものを、同じ区画の中に極りなく
活動止まざる人世の一部分なりとも縮写せんとするは
難中の難に属す。俳句に人事的美を詠じたる者少き所
以なり。
と、僅か十七字の俳句に人事を詠む難しさを指摘する。
芭蕉、去来は、人事よりも寧ろ天然に重さを置いて句作し、其角、嵐雪は、人事を写そうとして佶屈聱牙に陥ったり、他人が解するに苦しむような句を作るなど、従来人事句は俳人にとって難しいものであったが、｢独り蕪村は何の苦もなく進み思ふままに闊歩横行せり。｣｢しかも蕪村以後に於てすら之を学びし者を見ず｣と、人事句に於ける蕪村の活躍を高く評価した。
例によって芭蕉の人事句と蕪村のものとを比較検討するが、｢芭蕉の句は人事を詠みたる者多けれど、皆目己の境涯を写したるに止まり｣｢自己以外に在りて半ば人事美を加へたるすら極めて少｣いのに対し、蕪村の人事句は｢必ずしも力を用ゐし者に非ずと難も、皆善く蕪村の特色を現して一句だに他人の作とまがふべくもあらず。｣｢天稟とは言ひながら老熟の致す所ならん。｣と惜みない賛辞を呈した。更に
天然美に空間的の者多きは殊に俳句に於て然り。蓋
し俳句は短くして時間を容るる能はざるなり。故に人
事を詠ぜんとする場合にも、猶人事の特色とすべき時
間を写さずして空間を写すは俳句の性質の然らしむる
に因る。たまたま時間を写す者あるとも、そは現在と
一様なる事情の過去又は未来を継続するに過ぎず。こ
こに例外とすべき蕪村の句二首あり。
御手討の夫婦なりしを更衣
打ちはたす梵論つれだちて夏野かな
前者は過去のある人事を叙し、後者は未来のある人
事を叙す。一句の主眼が一は過去の人事に在り、一は
未来の人事に在るは二句同一なり。其主眼なる人事が
人事中の複雑なる者なる事も二句同一なり。此の如き
者は古往今来他に其例を見ず。
と述べるが'｢明治二十九年の俳句界｣に於て、虚子の主観的時間の俳句を論じた部分と、ほゞ同趣旨の発言である。
同書で、｢虚子が主観的時間の俳句に於て古人以外に新機略を出だしたりと言ひしは蕪村の句を忘れんとしたるなり。｣虚子の句は、蕪村の｢御手討の｣と、｢打ちはたす｣の二句に｢本づきしこと明なり。｣と述べ、｢過去の事件を挙げ来りて俳句の一部とせしもの、蕪村を以て嚆矢となすのみならず、蕪村以降にも多く之を見ず｣｢未来を含めて複雑なる光景を創造せしむること、蕪村の大力量を見るに足る｣と記したことは、以前本誌に詳述した通りである。
つゞいて子規は、｢理想的美｣へ論を進める。 先ず、俳句の美を｢実験的｣(筆者注―写実)と｢理想的｣(筆者注―空想)の二種とする。その上で、
文学の実験に依らざるべからざるは猶絵画の写生に
依らざるべからざるが如し。(略)写生にのみ依らん
か、絵画は終に微妙の趣味を現す能はざらん。実験に
のみ依らんが、尋常一様の経歴ある作者の文学は到底
陳套を脱す能はざるべし。
と述べ、元来文学者の頭脳は、四畳半の古机に凭れながらも、その理想は｢天地八荒の中に道遣して無碍自在に美趣を求む｣もので、羽根なくして空を翔き、鰭なくして海に潜り、音なき音を聴き、色なき色を見ることによって得た斬新奇警な作品は、必ずや人を驚かせる。｢俳句界に於て斯人を求むるに蕪村一人あり。｣とその才能を大いに認めた。
ここでも芭蕉と対比して蕪村の優位を言いたてる。
先ず芭蕉の句の特質を｢平易高雅、奇を術せず、新を求めず、盡く自己が境涯の実歴ならざるはなし。｣と分析する。
芭蕉も初めのうちは理想的の句を作ることもあったが、｢古池｣の句に自家の立脚地を定めた後は、｢徹頭徹尾記述の一法に依りて俳句を作｣るようになった。しかも記実の中に於てさえも｢自己を離れたる純客観の事物は全く之を放擲し、只々自己を本として之に関連する事実の実際を詠ずるに止まる｣と記し、｢今日より見れば其見識の卑きこと実に笑ふに堪へたり。｣と厳しく批判した。
但し、芭蕉が感情的に全く理想的美を解さなかったのではなくて、｢理屈に考へて理想は実に非ず｣と考えたこと、｢終始逆境に立ちながら堅固なる意志に荊せられて謹厳に身を修めたる彼の境遇は、苟も嘘をつかじとて文学にも理想を排した｣こと。｢彼が愛読した杜詩に記実的の作多きを見ては、俳句も斯くすべきものなりと自ら感化せられたるにもあらん。｣とその理由を考慮するものの、結局｢芭蕉は連句に於て宇宙を網羅し古今を翻弄せんとしたるに似ず、俳句には極めて卑怯なりしなり。｣という非常に厳しい断を下したのである。
それに対して、｢蕪村の理想を尚ぶは其句を見て知るべし。｣と挙げた例句には、｢歴史を借りて古人を十七字中に現し得たる者、以て彼の技倆を見るに足らん。｣と極めて高い評価を提示した。
子規の俳論俳話(二八)
◇ 俳人蕪村 Ⅳ
｢俳人蕪村｣は、次に｢複雑的美｣｢精神的美｣に論点を移す。
先ず｢複雑的美｣について、｢思想簡単なる時代には文学美術に対する嗜好も簡単を尚ぶ｣｢我邦千余年間の和歌の如何に簡単なるかを見ば、人の思想の長く発達せざりし有機も見え透く心地す。｣と指摘した。
芭蕉は｢発句は頭よりすらすらと云下し来るを上品とす｣と言い、｢俳句中の最簡単なる者に属す｣る古池の句は、｢終に俳句の本尊として崇拝｣されるに至る。芭蕉自身[之を以て自ら得たり｣として、終生複雑なる句を作らなかった。このことに対して、｢芭蕉は俳句は簡単ならざるべからずと断定して自ら美の区域を狭く劃したる者なり。｣と子規は厳しく非難した。
ここに蕪村が登場して、｢複雑的美を捉へ来りて俳句に新生命を与｣えた。和歌の簡単を斥け、唐詩の複雑を俳句に導入した。日本語の柔軟性や冗長を排し、簡勁豪壮なる漢語を採用して、｢美は簡単なり｣という古来の標準をも棄てて、複雑的美を以って俳句に新境地を拓いた。｢卓然として複雑的美を成したる蕪村の功は没すべからず｣と、子規はここでも蕪村の功を大いに認めた。 つゞく｢精細的美｣では、｢外に広き者｣を複雑、｢内に詳なる者｣を精細と説明し、｢精細の妙は印象を明瞭ならしむるに在り。｣と説く。但し、｢精細なる句｣は｢俗了し易き｣ものでもあるので、｢後世の俳家徒に精細ならんとして益々俗に堕つる者、蓋し精細的美を解せざるが為なり。｣とこの種の句の危うさにも言及している。
さて、ここまで子規は主として蕪村の句のさまざまな"美"について、芭蕉の同種の句との比較という観点をメインに論を進めて来たが、以後は、｢用語｣｢句法｣｢句調｣｢文法｣｢材料｣｢縁語及譬喩｣｢時代｣｢履歴性行等｣の項目を立てて、蕪村及び蕪村の句のそれらについて明らかにしてゆく。意匠の美は文学の根本であるから、人を感動させる力も又多くはここに在るが、用語、句法の美を伴うものでなければ、その力は発揮出来ないばかりか、用い方を誤るとかえって意匠に一種の厭味ともいうべき俗気を帯びさせることになる。蕪村の句の用語と句法は、その意匠に最も適するものであるばかりか、自己の創体に属することが多い。子規は先ず、蕪村の｢用語｣に注目する。
一、漢語
漢語は延宝、天和の間に其角一派がこれを濫用したが、調和をとることが困難であるところから、その後あまり用いられなくなっていたが、蕪村に至って｢始めて成功を得たり。｣と見る。
蕪村は漢語を多く、喜んで用いた。その理由はいろいろあるが、第一に、漢語が日本語より簡短で、複雑な意匠を僅か十七字の中に詠み込むことに通し、又簡短なるが故に叙事形容を精細に為すという利点がある。
第二に、日本語で表現することが可能な場合でも、漢語を用いた方が意匠をより善く現すことが出来る場合たとえば、漢語を用いた方が句の勢を強くし、いかめしく感じさせる効果を発揮する場合がある。
第三に、支那の成語を用いるが、支那の古事風景等を詠じる場合のみならず、我国の事を言う場合にも引き合いに出されることが少からずあった。蕪村の慧眼は、漢語の形で表現することの妙味を早くから気付いていたようである。
二、古語
古語は、元禄時代に芭蕉一派が常語との調和を試みて、十分に成功した。蕪村はそれを更に一歩進めて、藤原時代、北条足利時代の語や、漢書の訳読に用いられて漢語化された古語をも用い、これまでの俳句では使用されることのなかった古語までもたくみに句に詠み込んだ。この功績は大きい。
三、俗語
俗語の中でも最も俗なる語を用い初めたのも又蕪村である。
俳句は元禄時代には雅語と俗語が相半はして用いられていたが、｢享保以後無学無識の徒に翫弄せらるるに至｣り。雅語は消滅し俗語がもっぱら用いられ、｢意匠の野卑と相待て純然たる俗俳句｣になってしまった。この場合俗語の使用は、雅語を解さないために知らず知らずに卑近に流れたと考えられ、それ故に彼らは俗語の中でもなるべく古いものを用い、俗中の俗たる日常の和語は、用いられなかったばかりか俗として排斥した。
子規は、蕉門も檀林も其嵐派も支麦派も用いるに難じた極端な俗語を｢平気に俳句中に挿入したる蕪村の技倆は実に則るべからざる者あり。｣と驚歎し、しかもその俗語が｢俗ならずして却て活動する｣"奇術"を驚きを以て注目するのであった。
蕪村は漢語をも古語をも極端に用ゐたり。桔屈なり
易さ漢語も桔屈ならしめざりさ。冗漫なり易き古語も
冗漫ならしめざりき。野卑なり易き俗語も野卑ならし
めざりき。俗語を用ゐたる一茶の外は漢語にも古語に
も彼は匹敵者を有せざりき。用語の一点に於ても蕪村
は俳句界独歩の人なり。
と蕪村の句の用語に極めて高い評価を呈したのである。
子規の俳論俳話(二九)
◇ 俳人蕪村 V
子規の｢俳人蕪村｣は、次に蕪村の｢句法｣｢句調｣について論じる。
｢句法は言語の接続をいふ｣と先ず概念を示し、
俳句の句法は貞享、元禄に定まりて享保、宝暦を経
て少しも動かず。寧ろ元禄に変化したるだけの変化さ
へ失ひ、｢何や｣｢何かな｣一天張の極めて単調なる者
となり了りて、唯々時に檀林一派及び鬼貫等の奇を弄
するあるのみ。
と顧みて、蕪村は句法の上に種々の工夫を試みて、｢或は漢詩的に、或は古文的に｣古人が末だ曽て用いたことのないさまざまな句法を、数多く造り出したと言う。
先ず漢文に由来する句法について、
春雨やいざよふ月の海半
春風や堤長うして家遠し
雉打て帰る家路の日は高し
などを例に挙げ、
｢蕪村最多く此種の句法を為す。｣と述べた。
しののめや鵜をのがれたる魚浅し
古井戸や蚊に飛ぶ魚の音暗し
の｢魚浅し｣や｢音暗し｣という表現についても、それまでの国文ではまだこの種の工夫はなされていなかった筈であるから、漢語の影響を受けたものと考えている。
古文より想を得た句には、
陽炎や名も知らぬ蟲の白き飛ぶ
橋なくて日暮れんとする春の水
罌粟の花まがきすべくもあらぬかな
があり、
春の水背戸に田つくらんとぞ思ふ
白蓮を剪らんとぞ思ふ僧のさま
の｢とぞ思ふ｣という表現は、和歌の影響を受けたものであると推定している。
形容語の用い方についても蕪村の巧さは際立っていた。
俳句に於ける形容語については、従来｢いたづらに場所塞ぎを為すのみ｣と考えられ、有っても無くても意義に大差は無いと、元禄時代以降は極めて必要性がある場合を除いて、殆ど用いられることはなかった。
しかし、句を活動させ、印象を明瞭にするには、形容語を用いることは極めて効果的である。
蕪村は形容語を巧に用いた。特に中七に簡単なる形容詞を用いることに長けていた。
水の粉やあるじかしこき後家の君
尼寺の善き蚊帳垂るる宵月夜
柚の花や能酒蔵の塀の内
後の俳人の形容詞を用いた句の多くが、そのことで句勢にたるみを生じ、かえって句の弱点となったのと比べると、蕪村の句の形容語は、簡勁と適切に優れていた。
蕪村の句は、｢堅くしまりて揺かぬ｣一無形の語が少く有形の語が多い、簡勁の語が多く冗漫の語が少い―のが特色であるが、或る形容詞に限っては、長きを厭はずこれを句尾に置く癖が見られることも指摘している。
つつじ咲く石うつしたる嬉しさよ
更衣八瀬の里人ゆかしさよ
顔白き子のうれしさよ枕蚊帳
などの句に見られる｢――さよ｣という言い方がそれである。
更に驚くべきことには、蕪村が句の結尾に｢に｣という｢手爾葉｣(てには―主として助詞、助動詞=筆者注)
を用いている例があるということである。
帰る雁田毎の月の曇る夜に
菜の花や月は東に日は西に
春の夜や宵曙の其中に
などの句がその例で、普通の人が此句法に倣うならば、必ずや失敗するであろうと思われるが、このように｢手爾葉の結尾を以て一句を操る｣ところに、｢蕪村の蕪村たる所以。｣があると言っても過言ではあるまいと、子規は見ているのである。
次に蕪村の｢句調｣を見てゆく。
蕪村以前の俳句では、五七五の句切に於て意味も切れることが多かったが、蕪村の句は、
夕風や水青鷺の脛を打つ
鮓を圧す我れ酒醸す隣あり
宮城野の萩更科の蕎麦にいづれ
のような二五と切れたもの
若葉して水白く麦黄ばみたり
柳散り清水涸れ石ところところ
春雨や人住みて煙壁を漏る
に見られる五二又は五三と切れたものがある。おそらくこれらは蕪村の創めたもので、暁臺、闌更によって盛んに用いられたものと考えられる。
蕪村は時に長句や異調を用いることもある。五七五調の次に多く用いたのが、六七五調であり、その他七七五調、八七五調、九七五調、五八五調、五九五調、五十五調と由来の句法にとらわれずさまざまな句調を駆使した。五七六調、五八六調、六七六調の句では、下六言を三三に用いた例もあり、おそらく蕪村の創意と思われる。
また、｢調子のいたく異なる｣句も散見されると言い、従来の俳句の約束事に捉われず思うままを思うように表現した蕪村の俳句に、｢明治二十九年の俳句界｣で述べた新調に通ずる精神を感じとっているようである。
子規の俳論俳話(三〇)
◇ 俳人蕪村 Ⅵ
前回は、蕪村の漢語、俗語、雅語について述べたが、その他の動詞、助動詞、形容詞に於ても、蕪村は独特の用い方をしたと、子規は考える。｢文法｣ではそのことを論じる。
鮓を圧す石上に詩を題すべく
緑子の頭巾眉深きいとほしみ
大矢数弓師親子も参りたる
時鳥歌よむ遊女聞ゆなる
麻刈れと夕日此頃斜なる
の句に見られるように、蕪村は｢べし｣と言う代りに｢べく｣という語を用い、｢たり｣｢なり｣はそれぞれ｢たる｣｢なる｣と、｢いとほし｣は｢いとほしみ｣と故意に動詞、助動詞、形容詞の終止形ではない形を採用して、句の余意を永くした。また、
をさな子の寺なつかしむ銀杏かな
の｢なつかしむ｣は、｢なつかし｣という形容詞を転じて、蕪村が創造した動詞ではあるまいか。もしそうであれば、｢蕪村は傍若無人の振舞を為したる者｣と謂うべきであろう。しかし、百年後の今日では、このような語を襲用するものは続々と出て来ており、そのうちに字引の一過を占めるようになるかも知れないと言い、｢英雄の事業時に斯の如き者あり。｣と、蕪村の造語の革新性を高く評価した。
蕪村は古文法など知らなかったと思われるし、知っていたとしても、それに拘泥して句を作るようなことはおそらくしなかった。蕪村の句の文法については幾多の疑いを持つ部分もあるが、子規は文法上の誤謬を理由に、それらの句を排斥する説には反対の意を示した。
文法上誤りのある句は、蕪村の句以外にも散見される。蕪村の場合、たとえば漢文由来の表現を用いたものは、従来の国語には無い句法で、｢此等は固より故意に此新句法を造りし者、而して明治俳句界に一生面を開きし者亦多く此辺より出づ。｣と記しているところには、｢明治二十九年の俳句界｣の碧梧桐、虚子の新調を強く意識していることが窺われ、彼らの新調の源流を蕪村の中に見出し、蕪村を自派の旗幟として立てることの正合性を確認する発言として注目される。
次の｢材料｣では、蕪村の句の特色として、先ず狐や狸を詠じたものが多いことを指摘する。その理由を、蕪村が狐や狸が怪を為すと信じたが、信じないまでも、この種の話を好んだからであろうと推測した。
公達に狐ばけたり宵の春
飯盗む狐追ふ声や麦の秋
秋の暮佛に化る狸かな
水仙に狐遊ぶや宵月夜
蕪村以前には例が少い、州名国名など広い地名を多く用いたのも又蕪村句の特色と考えられる。
河内路や東風吹き送る巫女が袖
楊州の津も見えそめて雲の峰
大文字や近江の空もたゞならぬ
糞とか尿、屁などという不浄の語を句に多用したのは其角であるが、其角は｢奇を求めて｣故意に用いたことがあからさまに推測されるが、蕪村は之を巧に用いた。
大とこの糞ひりおはす枯野かな
いばりせし蒲団干したり須磨の里
蕪村は不浄の物を殺風景に詠み放つことはせず、｢幾多の荒寒凄涼なる趣味｣を含ませることに成功した。
不浄のものを句材とする一方で、蕪村は上流社会のやさしく美しき様を巧に句に詠むこともした。
春の夜に尊き御所を守身かな
瀧口より灯を呼ぶ声や春の雨
短夜や暇賜はる白拍子
狩衣の袖の裏這ふ蛍かな
また、蕪村以前の句に少いばかりか、蕪村以後も用いられることのなかった新奇な材料を詠んだ句も多く残した。
野袴の法師が旅や春の風
畑打や法三章の札のもと
秋立つや白湯香しき施薬院
乾鮭や帯刀殿の墓所
蕪村の句の｢縁語及比喩｣については、
蕪村が縁語其他文学上の遊戯を主としたる俳句をつ
くりしは怪むべきやうなれど、其句の巧妙にして斧鑿
の痕を留めず、且つ和歌若しくは檀林、支麦の如き没
趣味の作を為さゞる処、亦以て其技量を窺ふに足る。
と認め、縁語を用いた例として、次のような句を挙げた。
春雨や身にふる頭巾著たりけり
つかみ取て心の闇の蟹哉
蝸牛や其角文字のにしり書
一八やしやが父に似てしやがの花
俳句に於て、比喩の使用は俗人に好まれるが、多くは理屈に堕ち趣味を没するものになっている。蕪村の場合は、用いる比喩が奇抜で、多少の雅致を持ち、支麦らの夢寐だにしない用い方をしているところに特色があると述べて、例を示した。
独鈷鎌首水かけ論の蛙かな
心太さかしまに銀河三千尺
蝸牛の住はてし宿うつせ貝
あたまから蒲団かぶれば海鼠かな
子規の俳論俳話(三一)
〇俳人蕪村 Ⅶ
「俳人蕪村」は、最後に「時代」「履歴性行等」の項目を設けて、蕪村の生きて来た時代、蕪村の生涯について記した。
蕪村は享保元年に生れ、天明三年に没した。「文学美術の衰へんとする時代に生れて、其盛ならんとする時代」に没したことになる。
俳句界二百年間を振り返ってみると、元禄と天明が最盛期であった。元禄の盛運は、言うまでもなく芭蕉を中心として成り立つていたが、享保に至ると芭蕉門の英俊の多くが没し、支考、乙由がその残喘を保ち、「益々俗に堕つるあるのみ。」という状況を呈していた。
再び隆盛を取り戻すのは天明になってからであるが、その天明俳壇に於ける蕪村の立ち位置は、芭蕉の元禄に於ける盛名には遠く及ばなかったものの、この時期の俳壇の隆盛に最も貢献した人物であることは言う迄もない。
天明の余勢は寛政、文化にまでは及んだが、次第に衰え、文政以後はその痕跡を留める二とさえないまでに衰退した。
こうした歴史的展開を見渡した上で、子規は蕪村の俳句界に於ける功績を、「芭蕉の元禄に於けるが如くならざりしと雖も、天明の隆盛を来せし者其力最も多きに至る。」と認めた。
蕪村が時代の影響を最も多く受けたのは、漢学殊に漢詩であった。
漢学は、蕪村の少年時代に隆盛を極め、荻生徂來の一派が勃興したが、蕪村は徂來の説を利用することで腐敗した俳句に新生命を与えようとしたと子規は見ている。
蕪村は、徂來等修辞派が主張する「文は漢以上、詩は唐以上」などという僻説には同調しなかったが、唐以上の詩を「粋の粋」と考えていたことは疑いない。
芭蕉が極めておぼろに杜甫の詩想を認めたのと異って、蕪村は漢書を愛読し、其詩を深く理解した。李杜を貴び元白を賤み、漢詩の賞味を俳句に遷した。このことが蕪村の句の新鮮味、魅力の源泉となっていることは容易に推測される
蕪村は攝津浪花に近い毛馬塘のほとりに幼時期を過し、長じて東都に遊び、巴人の門に入って俳諧を学んだ。「夜半亭」は、その師の名を継承したものである。
蕪村が交際した俳人は、太衹、蓼太、暁臺などで、お互が影響しあった点は認められるが、師の巴人から影響を受けた部分はあまり多くなかったと思われる。
蕪村の作品に「春風馬堤曲」という漢詩や俳句混りの長篇の詩文がある。子規はこれを「蕪村を見るにはこよなく便となる者なり」俳句以外に蕪村の文学として見るべき者もこれのみ。蕪村の熱情を現したる者もこれのみ。」と大いに評価した。
子規は、「磊落にして法度に拘泥せざり」も、「俳人が家集を出版することさへ厭」い。「心性高潔にして些かの俗来なき」蕪村の生きざまを好もしく見ているが、幾何かのもの足りなさも感じている。「磊落高潔なる蕪村を尊敬する」と同時に、余りにも名誉心を押え過ぎた蕪村の生涯を惜む気持も強く表出している。蕪村に「名を文学に掲げ誉を百代に達さんとの些かの野心」があったならば、彼の事業は決してこゝに止まることはなかったであろうし、一俳人に在ることには、おそらく満足しなかったであろう。「春風馬堤曲」に溢れる「詩思の富瞻にして情緒の纏綿せる」を見るに付けても、「十七字中にも屈すべき文学者にはあらざりし」と、蕪村が更なる発展をめざさなかったことを惜んだ。
子規は「春風馬堤曲」を「紀行的韻文」「諸体混淆せる叙情詩」と見て、「惜いかな、蕪村は之を一篇の長歌となして新体詩の源を開く能はざりき。俳人として第一流に位する蕪村の事業も、之を広く文学界の産物として見れば誠に規模の小なるに驚かずんばあらず。」とこの点に関しては物足りない思いを率直に記した。
筆者は、「春風馬堤曲」を以て「新体詩の源を開く」ベきという子規の発言に注目した。
俳句終末論を抱いた子規が、初期の俳論「獺祭書屋俳話」に於て、「余は更に和歌俳句の外に一種の新詩歌を創造することを熱望する」という発言をしていることとどこかでつながっているように思われてならない。
子規はこの長文の蕪村論を、主に芭蕉と対比する形式で進めたが、かって「芭蕉雑談」に於て、壮大、雄健の作風で「日本韻文学の面目を一新した」とまで評した芭蕉を、「俳人蕪村」では消極的美の作家であると言い、蕪村こそが積極的美の作家で、壮大、雄渾の作品を作ったと記す矛盾を、子規は自分の中でどう消化したのであろうか。そこまでして蕪村を推したところに「俳人蕪村」を執筆した意図－旧派俳諧が信仰の対象とするまでに芭蕉を崇拝、尊重したことに対するアンチテーゼとして、蕪村を自派の師表として前面に押し出す―を感じ取るこが出来る。
子規を中心とする新しい俳句活動が一般に広がり、その特色が「蕪村調」と認知されるに従って、蕪村そのものの解明が求められた。また、碧梧桐や虚子の句の新しい傾向や、子規自身の空想的発想を認める作風は、いずれも蕪村と共通する特性であった。「俳人蕪村」は、それらもろもろを綜合して、自派と蕪村とのかゝわりを明らかにし、広く一般に発信した文章であった。
◇ 一茶の俳句を評す
明治三十年七月
三松堂「俳人一茶」所收
「一茶の俳句を評す」は、明治三十年三松堂発行の「俳人一茶」の為に書いた文章である。この書物の表紙に「正岡子規宗匠校閲批評」と印刷してあつたのが子規の逆鱗に触れ、同年執筆の「墨」のあまりに、
俳人一茶といふ書にも吾等が名を署したる、いと心
よからずと思ふなり
とその事情を記した。従来の旧派俳諧と訣別して、新しい俳句を標榜する子規にとって、〃宗匠"という旧派月並俳諧で用いられている呼称を以て呼ばれることは、我慢ならないことであったにちがいない。
さて、本文では先ず一茶の俳句の特色を、
天明以後俳諧壇上に立ちて、特色を現したる者を、
奥の乙二、信の一茶とす。一茶最も奇警を以て著る。
俳句の実質に於ける一茶の特色は、主として滑稽、諷
刺、慈愛の三点にあり、中にも滑稽は一茶の独壇に属
し、しかも其軽妙なること、俳句界数百年間、僅に似
たる者をだに見ず。
と記し、
春雨や喰はれ残りの鴨かなく
下谷一番の顔して更衣
大根引大根て道を教へけり
寒念佛さては貴殿てありしよな
を例に挙げた。
滑稽の方便として、「一茶は多く擬人法を用ゐた。」が、その種の句の多さは「真に驚く」べきものであった。
あさら井や小魚と遊ぶ心太
罷り出でたるは此薮の蟇にて候
名月の御覧の通り屑家かな
其分にならぬならぬと蟷螂かな
行く秋を尾花かさらばさらばかな
を例に挙げ、「此外滑稽ならぬ意匠の句にも、猶多少の滑稽を帯びたるは、其滑稽に深きがためなるべし」と、滑稽の句風を一茶の「独壇に属す」と認めた。
一茶は不平の多い人であった。「俗世間の事見るもの聞くもの、盡く不平の種」にならないものはなかった。従ってその句にも「人を刺り世を嘲りし」ものがあったが、子規はそれらについては、「俳句として見るに足らず」と断じた。
一茶は家族ということに関しては、著しく不遇であった。母の早逝、継母との不和、父の遺産を巡る腹ちがいの弟との係争、のみならず、五十二歳でようやく迎えた年若い妻との間にもうけた三男一女がことごとく夭逝、妻の死、再婚の失敗など、不幸の連続の生涯であった
彼は現世を罪悪の競争場と思い，そのような世の中で同情を惹かれたのは、無邪気な小児のみであつた。それ故一茶の句には「小児の可憐なる有様」を詠んだ句が極めて多いが、子規はそれらに俳句として見るべきものが少いのは、「情勝って筆之に隨はざりしか，小児の事としいへば、情激しく心躍りて、句作にも推敲を費さざりしものと覚ゆ。」とこの種の句は認めなかつた-
一茶の慈愛心は、動物殊に小動物にも及んだ。
雀子や川の中にて親を呼ぶ
行け螢とくとく人の呼ぶ内に
やれ打な蝇が手をする足をする
などがその例である。
俳句の形式の上から一茶の句を見ると、その特色は、俗語の使用と，多少の調和が認められることであろう。
俗語を用いたことは、一茶の句の最も著しい特色で、滑稽と俗語とが「相俟って用を為した」。
傘にべたりとつきし桜かな
昼の蚊やだまりこくって後から
稲妻やうつかりひよんとした顔へ
梟よのほほん所か年の暮
などの句に、その特色が良く現れていると言う。
もう一つの特色の新調については、「新調とは七五五調、十六字調、及び他の十七字の変調等なり。」と、
櫻々と唄はれし老木かな
目さす敵は鶏頭よ初時雨
きりきりすしやんとして咲く桔梗哉
下谷一番の顔して更衣
など一茶の句の特色が良く現れている句を例示した。
こうした滑稽，俗語、新調の句のみならず、ごく普通の真面目な句にも、一茶は多くの佳句を残している。
霞む日やしんかんとして大座敷
大螢ゆらりゆらりと通りけり
有明や浅間の霧か膳を這ふ
夕月や御煤の過きし善光寺
これらの句を佳句として例に挙げる一方で
世俗一茶の名句として傅ふる者、多くは浅薄なる者
のみ。殊に
三日月の頃より待ちし今宵かな
などいへる無趣味の句を以て、一茶一代の秀逸となす
に至りては、一茶を誣ふるの甚しき者と謂ふべし。
ということばを以てこの論を結んだ。
明治三十一年の年頭に、子規は、
めでたさも一茶位や雑煮餅
と詠んだ。