子規の俳論俳話
『春星』連載中の中川みえ氏の稿
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子規の俳論俳話(四一)
中川みえ
◇蕪村と几董
明治三十一年十二月
「ホトトギス」
「蕪村と几董」は、蕪村に師事して俳諧を学び、蕪村没後夜半亭を継いだ几董について、蕪村との関係を軸に論じた文章である。
几董は高井氏、舂夜樓と言い、晉名と言う。父の几圭は宋阿の弟子で、蕪村の友であった。
几董は蕪村に俳諧を学び、その多くの門弟の中で頭角をあらわして、蕪村の没後夜半亭を継承したが、蕪村の死の六年後に几董も没してしまった。子規は、この几董の早逝が、蕪村の死後その系統が全く絶えてその流派が全く伝わらなかった要因であると見ている。もし几董の死が猶十余年の後のことであったならば、蕪村の俳句の真髄は伝わらないまでも、少くとも形式上の相続者は出て来たであろうし、それさえあればやがて実力の伴った多少の俳人が出てくる可能性も期待出来た。また、几董に人に教える学と、人に慕われる徳とが備わっていたならば、蕪村の存命中から、或いはその没後の六年間に、多少なりとも伎倆を示す機会はあった筈であるのに、彼が一人の相続者をも育成し得なかったのは、その力が足りなかったからに外ならない。「然らば則ち蕪村の系統を絶つ者は几董か」と子規はその責任を追求するが、二世の風潮を支配すべき偉人を生ずるは時運にして人にあらず」とも言い、几董に形式上の相続者がなかったのは、彼が純潔で人に媚びることをせず、衒うこともなかったからであろうと見ている。
几董の俳句は、蕪村の大作には及ばなかったものの、俳句界有数の大家であったことはまちがいない。白雄、暁臺、闌更らと肩を並べるばかりか、かえって一頭地を抜く存在であった。
その句の長所は「勁抜にして一字の懈筆無き」ところに、特色は「観察の細微にして却て俗に陥らざる」ところにあった。彼は一句を作るのに多くの時間を熟慮に要したと思われ、一字の推敲にも時間をかけ、「黽勉刻苦、工夫に工夫」を積んで、ようやくその境地に達したと思われる。
几董の句は、半ば蕪村に学び、半ば太祗に影響を受けた。全句の気格から見ると、むしろ太祗に似たものが多いが、子規はここでは蕪村の句と比較して論じる。
両者は、「雄勁」「瑰麗」「奇警」及び「用語の清新にして自在なる」点に於ては相似ている。二人の異なるところは、先ず蕪村の句は規模が大きく、一気可成に詠んだ句が少くないのに対し、几董の句は規模が小さく、曲折容をなすものが極めて多い。蕪村は材料富膽で配合も斬新であるが、几董はごくあたりまえの事物に就いて或る新奇な場合を選び、平凡な現象を極めて明暸に表現し、ありふれた陳腐な趣向に一点の生命を与えて新鮮なものにする妙を会得していた。この両者の特色は二入の句集によく現れていて、蕪村の句集は「到る處に天才の流動煥発するを見」、几董の句集には「苦心の痕跡の此處彼處に存在するを認む」と、蕪村は天才、几董は努力の人であったということである。
二人の句の似たものを比較検討してみる。
折釘に烏帽子かけたり春の宿 蕪村
正月や烏帽子かけたる木工頭 几董
長き夜や通夜の連歌のこぼれ月 蕪村
長き夜や連歌満ちたる九條殿
几董
衣かへ印籠買ひに所化二人 蕪村
摘草や印籠提げし尼の君
几董
この三対を比較すると、蕪村の句の趣向は、皆几董より複雑であり、しかも呼んだときに自然であるが、几董の句には工夫の跡が見受けられる。それは、蕪村の句が複雑でありながら、実際には自然に句が口に浮んだものであり、几董の句は、簡単なように見えても作句に工夫
を費したからであろうと思われる。蕪村の句は出来る、几董の句は作るのである。
蕪村の句は自然なるが故に勢があり、勢がある故に句法に変化がある。几董の句は工夫したが故に活動せず、活動しないが故に句法が悉く同じになっている。几董の三句は皆初五に「や」の切字を用い、中七の初に賓格的名詞を置き、次に連体動詞を置き、終五には一個の人物を著く。このように几董の三句が皆同一模型を取るのは故意ではないと思われるが、工夫の上から製作した為に自ら同一の痕跡を止めたと子規は解析している。
しかし
梶の葉を朗詠集の栞かな 蕪村
道の記に假の栞やつくつくし 几 董
の句のように、朗詠集の梶の葉に対して道の記と土筆を配合したところや
蒲公英の忘れ花あり路の霜 蕪村
山吹の忘れ花咲く清水かな 几董
の句の「霜の蒲公英を学びて清水の山吹」を見出したところなどは、几董が凡庸の俳家ではないことを証明している、と認めた。
几董には蕪村のような天賦の才能は備わつていなかったが、努力に努力を重ねて蕪村の夜半亭を継ぐまでになった。しかし実力を発撣する間短く、蕪村没後僅か六年で世を去った。その短命を子規は惜んだのである。
子規の俳論俳話(四二)
◇俳句新派の傾向 I
明治三十二年十一月
「ホトトギス」
「俳句新派の傾向」は、前年の俳句界に於ける技術上の傾向を述べたもので、新派俳句について先の「明治二十九年の俳句界」以来の精細な批評を試みた論である。
先ず世界の文明が、簡単から複雑へ、粗大から精緻へ散漫から緊密へと変化したことを指摘し、美術文学も又同一の傾向で進化しつつあるという認識を提示した。
複雑が簡単よりも、精緻が粗大よりも、緊密が散漫よりも勝るとは必ずしも言えないが、殊に文学美術に於ては、進化とは"多様と変化"にほかならない。
そこで、子規は先ず文学における〃多様と変化"を「時間的多様」「空間的変化」の語を用いて説明する。
たとえば、沈重な文学が軽快な文学に変じ、荘厳の美術が滑稽な美術に変じたと仮定する。
軽快、滑稽は、沈重、荘厳には及ばないが、沈重一種のみ有するものは、沈重と軽快の二種を有するものには及ばない。軽快と滑稽の時代は、沈重と荘厳の時代には及ばないものの、後の時代のものは前の時代の要素をも合せて翫味することが出来る点に於て勝る。これが時間的多様である。
前例のあるものは模倣し易く、一 度発揮された趣味は、人や時代の変化によって全く消滅するものではない。時代や国を問わず、後世には必ず前の時代の分子が混って多様性を発揮する傾向があるが、これが空間的変化である。
時間的と空間的の区別なく「能く変化し、能く多様なる」ことこそが進歩である。
人々の嗜好は、後世に至るに従って千状萬態の変化を現すもので、これに応じて各種の美術文学も又千状萬態の変化を為す。俳句が時代に従って変化するのもまたこの故である。
俳句は詩形が簡単で作者が多いため、短期間に多くの変化を為した。趣味の多種なこと、句法が変化することは、他の文学がとうてい及ばないところである。
元禄から天明に至って著しい発達を為した俳句は、以後、享保、宝暦、天保と俗調におちいり退歩墜落した。しかしこれとて、古今の俳句界全体から見れば、その特色として一種の進歩と見ることも可能であろう。
明治に至って興った所謂俳句新派は、単に特色がある為に進歩と認められただけでなく、その特色の価値が、元禄、天明と比較しても遜色のないものであったことが
評価されたと考えるベきであろう。
明治の俳句には、元禄調、支那調、天明調、文化文政調、天保嘉永調など多様性があり、このことも一進歩と見なすべきであろうが、ここではこの種の進歩のみならず、元禄にも天保にもない特色について考察する。
その進歩は極端なものではなく、子規は「天明に比して更に一歩進めた」程度のものであると評価している。
わかり易いように例を挙げて説明する。たとえば「清水の濁るということを詠んだ句を比較すると、古句では
(元禄)一桶のあと濁されし清水かな
割舷
(天明)二人して結べば濁る清水かな
蕪村
(寛政)濁りても中からすめる清水かな 黙我
(文化)濁しては澄むを見てゐる清水かな 五明
(文化)筆提てつい濁したる清水かな
尺艾
(天保)湧き口を尋ねて濁す清水かな 梅室
などいずれも「濁りの澄む處」を詠み、多少新意のあるものも見受けられるが、清水そのものを詠んでいることに変りはない。ところが明治の俳句では
強力の清水濁して去りにけり 碧梧桐
の句のように、「去りにけり」の五字によって「清水を離れ旦っ自己を離れ」ることを得た。即ち、清水を「掬う」という動作に「去る」という動作を加えることによって、清水と人を配合した光景を先ず提示し、次に、人のいなくなった清水の光景も時間的に連結することによつて句を複雑にし、陳長に陥ることをまぬがれている。このことが、明治俳句進歩の一つの傾向である。
もう一つ「雉を打つ」という句を例に考えてみよう。
この趣向は明治以前には無い。元禄時代には、雉を打ち殺すなどということは殺風景であると考えられ、俳句の趣向には適さないとされていた。文化以後も、俗俳家の間では、このような趣向は無趣味と解されていたが、蕪村、太祗等はこの趣味を理解して句に詠んでいる。
日暮るるに雉打つ舂の山辺かな 蕪村
雉打って帰る家路の日は高し
同
春の夜や昼雉打ちし気の弱り 太祗
これらの句と明治の秋竹の句を比べると
将軍の雉打って帰る玄関かな 秋竹
蕪村の第二句が「雉打って帰る」と帰路のことを詠んだのは、第一句に比べてやや複雑になったと言えるが、これを更に一歩進めたのが秋竹の句である。もし「雉提げて帰る」とするならば、その光景は瞬時の事であり、将軍の印象も漠然としたものになるが、「打って」の語があることによって、将軍が軽装で猟銃を肩にし、猟犬を伴っている様子が目に浮かぶばかりか、玄関に書生、下婢或いは奥方までも出迎えている状景まで想像される。それ故蕪村の句よりも複雑であると言えよう。「天明に比して更に一歩を進めた」例である。
子規の俳論俳話(四三)
◇俳句新派の傾向 Ⅱ
子規は新派の傾向として、次に俳句の中心点について考えを述べる。
箒木は皆伐られけり芙蓉咲く 碧梧桐
枯葛を引き切りたりし葎かな 虚子
を例に挙げ、「右の二句は時間的に二個の光景を連想して、しかも二個の中心点を有する者で、一個の中心点は上部に、一個の中心点は下部に在る。このように一句の中に二個の中心点があるのは、語句の用法に依るものであり、この二句をたとえば
箒木は皆伐られたる芙蓉かな
枯葛をひいてしまひし葎かな
とすれば中心は一個となる。これを一個としないで二個としたところに明治の伎倆があると認める。総ての美術文学に於て、一つの作品中の中心が二個あるなどいうことは許されないと従来一般に信じられてきた原則があるが、俳句に於ては、中心が二個あるものを生み出した。自分としては、二個、三個の中心点があるものであっても、その結合の如何によつて趣味のある詩や絵が可能になることを信じると期待した。
次に、人事句について考えを述べる。
俳句に人事を詠ずることは、天明期になってその度を高めた。複雑な人事を取り上げて十七字にまとめようとすると、歴史的、抽象的な句になりやすい弊害があったが、蕪村は特殊の伎倆を発揮して、
御手討の夫婦なりしを衣がへ
打ちはたす梵論つれだちて夏野かな
など「抽象的説明を加へて却て長象的連想を多からしむ。」句を作ったが、この傾向は、新派では現在殆ど普遍的になる迄に度を高めた。このことも明治の特色と言えよう。
複雑な俳句は分析的に細微となり易いが、天明期に細微は一歩を進め、明治の俳句はそれを更に一歩進めた。細微とは、狭い空間、短い時間に於ける現象を精密に写すことを言うが、その特色は〃印象明瞭"の一点に在る。それはたとえば、一枝の牡丹をなるベく精密に描いたようなものである。一枝の牡丹に、別に特別の趣向があるわけではなく、他に配合物が存在しなくても、能く写生したものを見ると、ほんもの、牡丹が目の前にあるかのような一種の快感を覚えるものである。このような俳句が所謂〃印象明瞭〃である。明治の俳句は、天明に比べて、印象明瞭に於ても更なる一歩を進めた。
子規は「更に進んで明治俳句に現れた新趣味」を研究する。「此新趣味は、油絵に在りては所謂紫派となり、小説に在りてはスケッチ的短篇」として今日現れたもので、「濃厚なる趣味に非ず、高遠なる趣味に非ず、寧ろ淡白平易なる趣味」で、中心は一点に集中せずやや放散する傾向がある。淡白平易な趣向で曖昧未了の間に一篇を結ぶこともあるが、その曖昧未了の裡に存する微妙の感は、濃厚な趣味や高遠な趣味を全て種類を異にするものの、それらと比べて決して劣るものではないと言う。
高遠なる趣味は古い時代(例えば元禄)に発達するものであり、濃厚なる趣味はやゝ進んだ時代(例えば天明)に発達し、淡白平易の裏にある微妙な趣味は、明治に至ってはじめて発達を始めた。その理由として、高遠で濃厚は刺激が強いので、古い時代の遅鈍なる感情には適切であったが、後の時代の鋭敏な感情には強過ぎてかえって不愉快を感じさせるという指摘は非常に興味深い。
子規は自らの俳句をかえりみて「我が俳句」に、
初めは極端なる者、即ち極めて奇なる者、極めて大
なる者等を好みし者、漸次平淡なる者をも好むに至れ
り。是れ感情発達して能く微細の差別を感じ得るに至
りたる結果なるべし。写実も亦平淡に傾むかしむる力
あり。
と記しているが、子規自身も俳諧の進歩の過程と同様の体験をしたということである。
明治の俳句は大体に於て天明に一歩進め、猶多少の
新趣味を加へて、大勢のまにまに変化し進歩しつゝあ
り。既往数年の間に現れたる此傾向は少くとも今後数
年の間、其方位を変へずして、其程度を高むべし。然
りといへども俳句の形式は十七八字を限りとして定め
られたる者、更に之を拡張すべきにあらず。限りある
文字、僅に十七八字、如何程之を複雑にせんとするも、
如何程之をして印象明瞭ならしめんとするも、終に容
易に其程度に達せん。余は思ふ。今日の進歩は殆ど極
端の進歩にして、最早此上の程度に迄複雑ならしめ明
瞭ならしむる事能はざるべきを。若し今後の進歩にし
て期すべき者ありとすれば、そは或る特別の事物に於
ける観念の未だ進歩せざりし者が満遍に進歩して極度
に達するの外あらざるなり。
と論を結んだが、子規はこの論の初めの部分でも=俳句は小説等の他の文学に比べて、徳川時代にかなり進歩した。それは俳句が「元禄、天明、寛政、文化に於て既に異数の進化を為した」ことに因る。今日から見て完全なるものが多いのは驚くばかりである。しかし。「一方に於て俳句の進歩斯の如く速なるは、他方に於て俳句の終極の近づきつゝあるを得んや。=と俳句の進歩の早さがかえってその終末を早めているのではないかという危機感を色濃く匂わせる発言をしていることは注目される。進歩か終末か、子規が当初からいだいていた俳句終末観は、思わぬかたちで矛盾を露呈した。
子規の俳論俳話(四四)
◇ 明治三十一年の俳句界
明治三十二年一月
「ホトトギス」
「明治三十一年の俳句界」は、「明治二十九年の俳句界」「明治三十年の俳句界」及び後述の「明治三十二年の俳句界」と比べると、非常に短い文章で内容的にも目新しいことは記されていない。「昨年俳句界に於ける技術上の傾向は別項(俳句新派の傾向)に述ふるが如し。」と断っているように、技術的なことは触れず、明治三十一年の俳句界全般の傾向及び活躍した人物を挙げ、その特色を短く記した文章である。
明治卅一年の俳句は明治卅年の俳句界に比して一段
の進歩を為したり。東京と地方とを問はず、先輩と後
輩戸を問わず、進歩は全国を通じて普通なるが如し。
と記し、俳句界に於ける地位は一般的に地方は東京に及ばず、後輩は先輩に及ばないものの、一昨年と昨年の比例に着目してこれを見ると、東京の進歩の速度は地方に及ばず、先輩の進歩の速度は後輩の進歩の速度に及ばない。地方の地位は東京の地位に近づき、後輩の技能は先輩を凌ぐ勢で進歩していると傾向の概略を明らかにした。
各地の俳人を概観すると、東京では鳴雪が俳壇に復調して後輩の指導に当ると共に、蕪村句集輪講に於ける解説などに大いに力量を発揮した。
碧梧桐は「老練にして遵勁なる」、虚子は「高朗にして活動せる」と評し、子規の両脇に侍する二人を「共に天下敵なき者」と称揚した。
露伴の跌宕、四方太の勁直を熊、猪にたとえ、二人を「好個両雄」の好敵手と認めた。
地方俳人では、先方京都の紫明を「満月会」を統率して常に俳運の隆盛を致す」と言い、肥の漱石—超脱にして時に奇警なるI、越の紅緑—圓活にして虚字を利用する—、豫の極堂、敏捷にして語句緊密なる—の名を挙げて彼らの誰もかなうのない特色を明らかにした。
「昨年になりて著き進歩を現したる者」としては、東京の五城、越後の香墨、人阪の青々の名を挙げた。
五城の句は、前年初めて見たが、「練磨不撓、一日一日より進む」者で、「前途望多し。」と期待した。
香墨については、「漸を追ふて進む者」であるが、基礎は既に堅固であると認める。
大阪の青々については最も多く筆を費した。
青々は、俳句は明治三十年満月会に参加したのが始まりで、「日本」及び「ホト卜ギス」へ投句して頭角を表わした。子規が青々の句を初めて見たのは前年の夏のことであったが、その時既に彼の俳句が「堂に上りたる」ものであったと言う。青々の句は「豪宕にして高華」であり、「善く典故を用ゐて勃窣に堕ちず、多く漢語を插みて渋晦ならざるを得る者でで「其伎倆を見るに足る」と非常に嘱望した。
但し、俳句を始めてから年月が短いので経験不足で、嗜好が片寄り、未だ変化するに至っていない。専ら高遠に馳せるので、時に失墜することもあり，平淡の中に至味あることを知らないところが欠点であると見ている。もし努力してこれらを改めたなら，深く達すること測り知れない才能を持っている者であると大いに期待した。
青々の登場は、子規に狙酔を想起させた。
吾曩に狙酔を得て推奨措かず。一朝にして其消息を
絶つ。或は幽明、處を異にせしかの疑あり。追慕の念
愈々甚しく、白雪杳として尋ぬベからず。今青々の句
を見るに、時流の外に超越して独り地歩を占むる處、
五年前の俳句界に狙酔の句を見しと其感を同うす。
と記す。
狙酔は、子規が松宇らと雑誌「俳諧」を発刊して俳句を募集した折に、数百名の応募者の中で山寺梅龕と共に子規が注目した人物である。この時の応募者の多くがいゆる月並流点取調の卑俗な作家達であったが、その中で「一種の光彩を発し能く雅致を解する者」(亡友山寺梅龕)が二人あった。狙酔と梅龕である。梅龕は、子規庵の小集に病を押して山席し、ほどなく没した。狙酔は、詳しいことも判らないまま、急に消息を絶った。
狙酔の句を子規が高く評価していたことは、「二葉集」に非常に多くの句を登載したことからも推測される。
飄亭(三六句)子規(三二句)虚子(二五句)鳴雪(二五句) 碧梧桐(二○句と別号女月で六句)に続く第六位(一四句)で、子規の郷党や椎の友、東大関係、新聞社関係の人達より高位であった。
狙酔は子規が蕪村を唱導する以前に、既に蕪村調の句を作っていた。このことも狙酔が子規の脳裏にいつ迄も残った由縁であると思われる。
子規が青々の句に狙醉を感じたのは、「時流の外に超越して独り地歩を占むる処」で、殊に漢語を用いる処、典故を用いる処、雄健にして斬新な処などに、両者の類似性を認めている。「狙酔去り青々来る、之を東楡に失ふて之を西隅に得たり。」と記したところに、子規の青々への期待の大きさが窺われる。
青々は明治三十二年四月に子規を訪問、九月には第一銀行大阪支店を退職して上京し、一時「ホトトギス」の編集に従事したこともある。
これらの人々の外に子規は、伊豫の花叟，常陸の芳水、京都の青嵐、越中の竹の門、花笠の名を「進歩の著き者」として挙げた。
子規の俳論俳話(四五)
◇ 俳句の初歩
明治二十二年十二月
「ホトトギス」
「俳句の初歩」は、子規の草庵を訪ねて来た客－十年前の自分に相当する初心者－と俳句を談ずるという形式で書かれた文章で、自らの俳句の変遷を述べることを通して、初心者の進むぺき道を示した。
「我が俳句」（明治二十九年）の「美の主観的観察」と一部内容的に似た部分があるが、この文章では更に詳しく自分が理窟を捨てて自然に入った道すじを明らかにしている。
子規は先ず、俳句を作るようになった経緯を、自ら思い立ったのでも、人に勧められたのでもなく、俳句を志すという気もなく、ただ一、二巻の俳書を見て戯に作ってみたという。もとより師もなく、友と共にということでもなかった。或る時一俳書を読んで興味を持ち、その書を通して俳句というものの面白さを実感した。それが俳句に入る第一歩であったと回想した。
俳句初心者の子規が好ましいと思った句は、次のような要素を含むものであった。
（一） 理窟を含みたる句
物いへば唇寒し秋の風 芭 蕉
葉隠れて見ても朝顔の浮世かな 野 坡
世の中は三日見ぬ間に桜かな 蓼 太
など、当時の自分の嗜好は、純粋の理窟の上に美を認めていた。理窟の上に美がある道理は無いのであるから、自分が美と認めたものは真の美ではなく、知識の上から生じる一種の快感を美と誤認したにすぎない。
（二） 讐喩の句
讐喩の句は、一事物を他の一事物と比較するものであるから、比較という知識上の作用が働く。自分が讐喩のを好んだのは、この知識上の作用即ち理窟を含んでいたからにほかならない。
また、讐喩の句には、婦女子殊に遊女等が自己の境遇を詠んだものがあって
初めて嫁ぐ時
渋かろか知らねど柿の初ちぎり 千代女
伏猪画いて客の讃せよと望み
けるに気にそまぬ客と思ひ
猪にだかれて寝たり萩の花 高 尾
など、語句の間に瑕瑾があるものの、自分はこれらの句を 「こよなき名句」と思い、殊に高尾の句については「人間の至情を蓋し俳句の巧妙を極めたる古今無比の句なり」と思っていた。その理由として、一、作者が婦女子であること、二、人情を含むこと、三、作者実際の境遇を詠んだと考え同情した、ことを挙げ、もしその当時の自分が俳句の高遠なる趣味、写実的理想の趣味を解し、用語に練達していたならば、これらの句に「今少し冷淡」であったであろうと反省している。
（三）擬人法を用ゐし句
擬人法を用いた句は、初期の自分の嗜好とはならなかったが、僅かに一歩進めた後は、最も愛すぺき手段として用いるようになった。擬人法は必ずしも悪いわけではないが、讐喩と同様に理窟に傾き俚俗に陥り易いので、用い方に注意を要する。
（四）人情を現したる句
人情は文学には極めて必要なものであるが、十七八字の短文字で之を描写するには複雑すぎる。「人情は到底俳句の材料として普通なる能はず。」このことを初心者の頃には知らなかった為、自分はこの種の句を愛したが、それは俳句を未だよく理解していなかったからである。
（五）天然の美を誇張的に形容したる句
花樹花草の美は誰もが感じるものであるが、自分は特にこれらを感じ易い性格である。しかし、初心者の頃は写実的の趣味を理解していなかったので、誇張的に形容した句のみを好む傾向があった。知識（理窟）に訴えて」誇張したところに愉快を求める傾向があった。
誇張は写実の反対である。誇張を好む者は写実を理解せず、写実を解する者は、誇張を好まない。これは当然のことわりであると言えよう。
(六) 語句の上に巧を弄する句
趣味の上で写実自然を好まず、作偽的誇張を愛したことと同様に、初心者の頃の自分は、語句についても平易より伎巧を弄ぶ句を好んだ。
ここまで述べて来たことは、自分の俳句入門の第一歩のことであって、第二歩以後も幾多の邪路に迷い込んだことは言うまでもない。
あらためて自分の進歩を振り返ると、初め貞徳派、天保調などに入り、天明、寛政を覗って蓼太の俗調を称讃したこともあったが、ようやく七部集（殊に猿蓑）に目を開き、初めて元禄の貴ぶべきを知った。その後文化、文政を模したこともあったが、終に蕪村に帰著した。自分は一止少一歩刻苦に刻苦を重ねて進歩してきたものであるから、著しい変遷というほどのことはないが、七部集を読んで言葉にならない愉快を感じた時には、「始めて夜の明けたるが如き心地」に「大悟徹底或いは是ならんか」と思い驕ったことを記憶している。とにかく自分が理窟を捨てて自然に入ったのはこの時である。
写実的自然は俳句の大部分であり「即ち俳句の生命」である。此趣味の理解が最も大切であると論を結んだ。
子規の俳論俳話(四六)
◇ 五傑集の叙
明治三十二年十二月
伊藤松宇編 「俳諧五傑集」 所収
元禄の諸大家によって興された俳諧は、享保になって俗俳人の出現で高雅な面影を失うが、明和以後再び盛んになり、天明期に最高調に至り、寛政期にもなおその余波は続いた。この間に大家と称される俳人は、蕪村、太祇、樗良、麦水、蓼太、白雄、保吉、几董、暁臺、闌更など多くを輩出したが、この中から蕪村、蓼太、白雄、暁臺、闌更を抜き出して、伊藤松宇が「俳諧集の叙」を編纂した。「五傑集の叙」はその書に寄せた文章である。
子規と松宇の関係は、大学在学中の子規が「日本」新聞に俳句に関する種々の話説を掲げたのを目にした松宇が、自詠の富士百句の批評を子規に乞うたことから始った。やがて子規が松宇を訪ね、彼の俳句仲間椎の友の運座に参加し、機関雑誌「俳諧」の発刊にも中心的役割を果したが、同誌が二巻で廃刊後は、進むべき俳句の道の相異から、交流は徐々に疎縁になった。但しその後も子規と松宇の交友は続き、松宇の転勤の際には送別会を発起、開催して、後に「松宇先生ヲ送ルノ辞」も記した。
「五傑集の叙」で、子規は先ず五傑の人選を吟味する。
闌更の在世中の寛政六年、門弟が「三傑集」を編纂した。三傑は、蓼太、暁臺、闌更であったが、これを子規は、蓼太を東都の代表、闌更を京の代表、暁臺を地方の代表と解し、蕪村を省いたのは京人闌更（編者の師）との重複を避け、白雄を捨てたのは、江戸には蓼太がいて白雄よりも名声が高かったかちであろうと推測し、この選び方は、一人の私情から出たものであるから「百世の公論に非ず」と批判した。
闌更の没した翌年、別の門弟が「新五子稿」を選んだが、新五子とは蕪村、太祇、暁臺、闌更、青羅であった。蕪村、太祇、闌更は京人、暁臺は尾張、青羅は播磨の人で、京を中心にして東は尾張、西は播磨を限りとするもので江戸にまでは及んでいない。これでは一地方を代表する句集であって、時代を代表する句集ではない。即ち安永天明の中興時代を一目で見る書はかつて無かった。そのことを指摘して、子規は松宇の五傑集に期待した。
蓼太、闌更に比して決して劣るものではない太祇、几董が五傑として取り上げられなかったことは多少遺憾であるが、世運を関係する事柄でもあって、その時代に於て最も勢力があったのは蓼太、闌更であり、その意味で時代を現すには、几董、太祇よりも蓼太、闌更を選んだことは当然と言えよう。太祇、几董の格調は、蕪村を以て代表したと考えるべきであろうと子規は見ている。
五傑にはそれぞれに特色がある。
蕪村は学問があり、見識がある。名利を追う俗俳諧には拘わらず、独り俳諧の上に超然としていた。その俳句は、雄健で姿致（姿をよりすと）があり、瑰麗（すぐれてうるわしい）で雅趣を失わず、森羅萬象を網羅して詩精とし、雅俗漢語を鋳冶てその詩形を造った。その句は練磨を経たようには見えないのであるが、細かに之を観れば一字も動かすべきではないほど完壁で、「彼が古今俳壇の只一人たる所以」である。
蓼太は、古来の俳句を模し、余り多くは持たない学問を巧に利用し、その句は雅俗、巧拙共に半ばするものの虞世の才があったので、名士を服せしめ俗人を感じせしめた。詩才と世才とを兼ね備えた者は、俳人では蓼太一人であった。
蕪村が「世の外に立ちて世に処した」のに反して、蓼太は「世の中に居て世に虞せり。」そのことが、蕪村の句に比べて遜色があるにも拘わらず、蓼太の門流が天下に充満した所以であったと思われる。
白雄については「深沈にして清廉なり。」と評価し、彼が蕉風を研究したのを、蓼太の「浮華に失したる」のと好一対を為すものと見る。白雄の句はことさらに漢語を用いることはないものの蒼健で些の懈弛無く、ことさら古語を用いることなくもゆったりして迫らないところも見受けられ、まさに「俳壇の老手」である。
暁臺の句は「剛健鉄宕、一気呵成」で、あたかも銀河が九天より落ちるような、竹の刀を迎えて解けるような句で、その気焔の盛んなところは一見近ずき難い観さえあるが、一たび近ずけば「清婉なる処」「穏 なる処」（穏やかで快い）は婦女子を喜こばせる。そして「如何なる狂態を為すとも終に丈夫の面白を失はざる」ことこそ暁臺の暁臺たる所以である。
闌更は主として華美、艶治の態を学ぶ者で、垂楊が風を受けて舞い。芙蓉が雨に濡れて立つ姿のようなものである。調は流暢で些の凝滞（とどまりとどこおる）も無い。闌更の句は名優が女装して舞台に上ったような趣があり、美女に扮し醜女に扮し、千態萬状極まりないが、要するに婉の一字を離れることはない。
差別の目を以て見れば五人はこのように其風調を異にするが、元禄の諸家に比べれば、五人各々元禄に対して同一の特色を発揮する。
元禄の○古雅、○悠揚迫らざる趣、○華を去り質を尚び努めて俗に遠い、○主観的の句を作り、余音嫋々、に対して、天明の俳人は○清新、○洗錬精緻の妙、○華を競い新を尚び而して野ならざる、〇客観的の句を作り、印象明瞭、の特色がある。元禄と天明とは両極端に走り俳句二百年間の美を完成したと子規はこの叙を結んだ。
子規の俳論俳話(四七)
◇ 俳人太祇 Ⅰ
明治三十二年三月
「ホトトギス」
世の中に生きて、人にすぐれた材能を持つて、其相
応の仕事をする。それには貧乏といふ困難に打ち勝ち、
名利といふ悪魔に抵抗し、肉体の快楽は殆ど其仕事の
犠牲に供してしまふて、一生懸命でやつて居る。それ
でも世の中の人はくだらない奴の仕事に向つて過分の
報酬を排ふて居る癖に、其えらい人の仕事に向つて
相常の報酬を排ふてくれぬばかりで無く、只々二言
「善く出来た」ともいふてくれぬ（略）併し其人が美
術家とか文学者とかいふ者であれば（略）其製作物を
後世に残して、最終の審判を乞ふ事が出来る（略）と
ころが其人が死んで後にも一向に名が出ぬ。寧ろ少し
ばかり知られて居た名すら、其体と共に埋められて、
其骨と共に朽ちてしまふ（略）おまけに彼の生前に虚
名を得て居た奴は、死んでからも失張信仰者を持つて
居る。若し彼の霊魂があつて此様子を見たならば、ど
んなに歯痒い悔しい事であろうぞ。我は炭太祇の事を
思ひ出すたびに、其悔しがつて居る顔が見えるやうに
思ふ。
子規は、太祇を蕪村の天才には及ばないものの、蕪村を除けば天下敵無しの俳人を認めている。その太祇が、生前どれ程の名誉を得たかは不明であるが、没後全く忘れ去られていることを不思議に思い、気の毒に思った。
我国では苦から物事に熱中する気風が乏しかったので、俳人なども多くは「出気たら作る、出来なければ作らんでも善い」「沢山作るのは初心のようで勿体らしく無い」とわざと少く作る風潮があった。そうした中で只、人太祇は俳句を全力を蓋して研究した。子規はその姿勢を先ず高く評価した。
太祇は時々「俳諧三昧に入る」と称して一、二週間外出を控え、家で句作に没頭していた。それ故、課題が出る句会では他の俳人が一句作る間に七、八句も作っていたという。その沢山の句も疎製乱造ではなく、一句一句に非常に苦心を重ねた。一句としておろそかな句はなく、一字としておろそかな文字を用いることは無い。雅語俗語の使いこなしは「実に古今独歩といふても善い」とさえ子規は賞讃した。
太祇の長所は、先ず趣向に於ては複雑な趣向を促えることが得意で、極めて複雑な事柄を存外容易に詠んでいるところにある。それ故人事句が多く、一句一句轟く斬新で陳腐な句は見当らない。季題に於ても人事的題目の句が多く、一般の人が難しいからとなるべく避ける題目でさえ易々と句に詠み、中には今日の新派と極めて似ているものもある。但し、今日の新派の俳人が太祇が勝れた俳人である事を知ったのは去年のことであるので、特に太祇を学び、その句を研究したわけではない。言わば「太祇は新派の先鞭を著けていた。」ということである。
太祇の人事句の一例を挙げれば
春の夜や女を怖すつくり事
やぶ入や琴かきならす親の前
御供してあるかせ申す汐干かな
嶋原へ愛宕戻りや朧月
雉追ふて叱られて出る畠かな
など趣向が奇抜で複雑であるが、特に複雑な句には、
山路来て向ふ城下や凧の数
欺いて行きぬけ寺や朧月
汗とりや弓に肩ぬく袖の内
取り逃す隣の声や行く螢
剃って住む法師が母の砧かな
等があり、これらを読むと訳も無く作ることが出来そうに見えるが、初めからこの趣向を考えて句にすることはおそらく誰も手の着けようが無いのではあるまいか。
太祇の「専売特許」とも言うぺきは、人の話す言語をそのまま句に詠み込んだところで、十七字の中へ人の言葉を入れるのは難しい筈であるが、太祇はそれをうまく言いこなし、自分でも得意と思っていたようである。
東風吹くと語りしぞ行く主と従者
な折りそを折りてくれけり園の梅
寝よといふ寝覚の夫や小夜砧
十三夜月は見るやと隣から
沙魚釣や鼻おこめきて百とよむ
などがその例であるが、この「と」の字の用い方は実に不思議である。几董が少し真似をしたがその他には無い。
珍しい題を詠みこなした句には
年玉や杓子数そふ草の庵
春駒や男顔なる女の子
婆つれし爺も来にけり二の替
初寅や欲づら赤き山おろし
丸盆に八幡みやげの弓矢かな
など、他の人が難題として避けたもの、俗な題として嫌ったもの、些細な事として見逃したものをも、太祇自在に詠みこなしたところは、今日の新詠俳句でやっている傾向をこの時代に既に現していたとも言える。
以上見て来た例によって、太祇の句が語句の上でどれだけ錬磨してあるかわかるであろう。混雑した趣向をも言葉やすらかに表現していることを感じない人はあるまい。それと同時に流暢な句が少々。屈曲した句が多いことにも気付かされる。次稿でそのあたりを説明する。
子規の俳論俳話(四八)
◇ 俳人太祇 Ⅱ
前回述べたように、子規は太祇の句が語句の上に練磨して、複雑な趣向を容易に表現している反面、流暢な句が少く、屈曲した句が多いことを指摘した。複雑な趣向が多いから、自ら句が屈曲して来るのであるが、子規にその理由に太祇の句が中七の終で切れている句が多い。と、その中でも切字の「や」を他の人よりも多く用いていることを挙げた。
中七の終にある「や」の切り例。
親に逢ひに行く出代や老の阪
心行く極彩色や涅槃像
腹立てて水呑む蜂や手水鉢
夜を寝ぬと見ゆる歩みや蝸牛
葵掛けて戻る余所目や駕の内
五文字の名詞（多くは題）を下に置いて、上五中七の十二文字で複雑な事柄を述べるのが太祇の慣用手段で、この方法は複雑な事柄を表現するのに最も適した句法である。但し、流暢とはなり難い。
一般の人は流暢の美を解し屈曲の美を解さない傾向があるので、屈曲の美に勝る太祇の句は俗受しない。同様に、趣向に於ても複雑な美は簡単の美よりも理解されにくい。俗受するには、趣味にも字句にも多少油濃い処、厭味な処が必要であるのに、太祇の句は全く垢ぬけしている。これらのことが太祇の名が世に出ない原因となっていると子規は考えた。
語句の奇なる句には、
掃きけるが終には掃かず落葉かな
吹き倒す起きず吹かるる案山子かな
犬を打つ石の扨無し冬の月
があり、他の人の為し得ない極めて珍しい表現で、これらはいずれも苦心惨澹の後に出来たと思われる。
これ迄見て来たところから総合的に判断するに、太祇の句は趣向が複雑で人事的な点に於て、印象の明瞭な点に於て、古語俗語（漢語は極めて少い）を使いこなす点に於て、句法のしまりたる点に於て、蕪村時代の特色を十分に備えている。
ただ、ここで最も必要な事でしかも最も分からない事は、太祇の俳句と蕪村の俳句とがどのような関係にあるのか。即ち太祇の俳句とその時代の俳句とが如何なる関係を持っていたかということである。
太祇と蕪村の句には類似点があるが、それはどちらが先に作り出してどちらが真似たかということである。享保、宝暦の俳風を打破して、明和、天明の特色を組み立てたのは、太祇が先であったのか、蕪村が先であったのか、このことを是非知りたいと子規は考察を重ねる。
先ず年齢に着目すると、太祇は蕪村より七才年上で、没年は蕪村より十二年早い。ほぼ同じ頃老練の域に達していると思われ、ここから判定するのは無理である。
力量の点で両者を比較すると、太祇の句は斧整の痕が多いが、蕪村の句にはそうした痕は見当らず自然である。
太祇の句は乾いて光沢が無いが、蕪村の句は湿って光沢がある。
太祇には学問の素養が無いが、蕪村は和漢の書に捗って造詣が深い。
太祇は勉めて到るが、蕪村は躍然として飛び上る。
これらの点を比較すると、どうしても蕪村が先鞭をつけて、太祇が模倣したと見るのが自然であるが、但し今一つ考慮すべき点がある。
明和の初めの天明調の起源とするならば、蕪村は死に至る迄二十年の歳月があったが、太祇には僅か八・九年あったに過ぎない。その八・九年の短期間に干近くの（或は干以上あったかも知れない）秀句を得たとすると、たとえ模倣であったとしても、なかなか侮り難い手腕を持っていたわけで、あながち模倣だけではあるまいとも思われる。
公平を帰して言うならば、其時代の気運というものがあって、両者が共にそちらを向いた。或いは二人が共に気運を扶りた、又は、二人以前にいくらかの気運を作った者が存在したかも知れないということである。子規は先駆者として移竹という人物を考えた。
移竹は太祇より十一年も前（宝暦十年）に没しているが、多少天明調の面影を持った句を作っている。それ故、移竹などが極めて微かに天明調の機運を作って置いたかも知れないと考えることも出来る。但し、宝暦の頃の太祇や蕉村の句に多少の天明調があったならば、移竹の手柄は無いことになる。自分（子規）としてはこのあたりの事を知りたいのであるが、資料がなく事情もわからないので、疑いを残しておくより外仕方がない。
ここ迄述べて来たように、太祇の句には蕪村のようなうるわしい句は少いが、一句一句皆面白い事、即ち句の出来が揃っている点については蕪村にも劣らないと思われる。ましてや暁臺、蘭更に比べれば、二等も三等も上であることはまちがいない。ただ几董は太祇に学んだので戎湖上に出ている所もあるかも知れないが、何分にも作句数が少く、その上太祇を模倣したという点に於て、創造した太祇に劣るのは当然と言えよう。
これ程の太祇が、千句もの秀逸を残しながら全く世間から忘れられていたことは、太祇に対して気の毒なばかりでなく我俳句会の恥辱であり、長く地中に埋れていた太祇が真成の名誉を得る時の来るのを子規は強く希んだ。
子規の俳論俳話(四九)
◇ 随問随答 Ⅰ
明治三十二年四月－三十三年三月
「ホトトギス」
明治三十二年四月から一年間に渡って、子規は「ホトトギス」に「随問随答」を連載した。松山時代の「ほとゝぎす」で試みた「或問」を題を改めて再興したようなもので、読者からの質問に明快で啓蒙的な解答を示した。
質問は、字句の読み方や意味を問うもの、句を挙げて何故に選に漏れたかを質すもの、子規の俳論の挙足を取る者、単に「新俳句」の発行所及び代価郵税の問い合せ等種々雑多に及んだが、子規は丁寧に対応した。
この中から筆者の興味を引いたもの数項を取り上げる。
まず旧派にちなむ質問について見てゆくことにする。
初回の第四問に、
(略)琴柱に膠する陋見を去り明治の俳壇に一革命を
喚起せんとする貴派同人にして、
屠蘇臭くして酒に若かざる憤り
七草は薺はこべに何々ぞ
白き蝶黄なる蝶とばかりなり
涼しさうな処をよつて行き給へ
などの俳句有之、如何に首を傾け想像を逞しくして吟
腸の影を迫ひ意匠の跡を求むるも其趣味を解すること
能はず、ある宗匠に問ひしにこれは俳句にあらずして
之れをしも俳句と云はゞ活字的配置は悉く俳句と謂は
ざるぺからず、との事に有之候。右は一句の表面に現
はれたるだけの意義にして復他に意義なる者無之候や
もし然りとせば何虞に詩美を感得したかを疑はざるを
得ず候。云々。
という質問がある。これに対して子規は、先ず「新派の句の可否を月並の宗匠に問ふとは気の知れぬ事なり。」と断じ、「我々が宗匠に誉めらるゝ句を作るやうなら初めより新派とか何とか騒ぐに及ばぬ訳なり。」と自分達の立脚点を鮮明にした。その上で何処に詩美を感じるかはその句その句に表現されている中で理解すべきで、そんなにむずかしく考えるには及ばない。新派の句を宗匠に問うような料簡では、この句に限らずどの句を見ても理解できないであろう。万一わかったという句があるならば、その分かったというところは宗匠が褒めたところで、
それはかえつて新派の欠点とするところに相違ない。
「何處に詩美を感じたか」と問われても教えようもないが、「焼芋を喰ふたうれしさも俳句になる。」言い方次第で人に感動をれ与えるということを知るべきである。先ず郊外へ出て、れんげやタンポゝの花を見るが良い、それでも分らなければ、木々の芽吹く林の景色をつくづくと見てみたまえ、もしその時、仰向いた顔へ鳶が糞を落したら、「俳句はこゝなりと知り給へ」と、子規は写生を通して俳句の本質を会得するよう些か皮肉を交えて答えている。
同じ初回の第十三問、
寂栞細みなどいふ俳諧上の通語を御説明下され度候。
には、
世々の宗匠が思ひ思ひに解して居るやうに思はれて
何だか分らず。縦し分ったとてそんな事はどうでも善
きにあらずや、我々仲間では通語でも何でも無い。
と答えた。
「芭蕉雑談」の芭蕉批判は意図的なもので、旧派俳壇が芭蕉を神に祭り上げて無批判に讃美するあり方を否定したのであって、芭蕉俳句に対しる子規の敬慕の深さは、「俳句分類」 の仕事の過程に於て、「春の日」「あら野」に至って佳境に入り、「猿蓑」に及んで楽しくてたまらなかったと述べてゐる事からも推測できる。
質問の「寂栞細み」についても当然自分なりに理解していたはずであるが、ここではあえて「何だか分からず」「そんな事はどうでも善きにあらずや」と述べているのが筆者には非常に興味深い。
同第十六問の
新派の句と月並の句との差別を明にせられたし。
には、
新派の句と月並の句とを比較すれば自ら区別は明な
り。其上にて若し不審あらば実例を挙げて質問す可し
と実にそっけない返答をし、第七回の第八問でも、
所謂舊派宗匠の作にて「黄昏や又一人行く雲の人」
「草の戸や日のさしかゝる雛の顔」等はいやみなき自
然を詠じたる句と思へど如何に候や。
という問いに、
宗匠派の句としてはいやみ少き方なり。併しこんな
句を佳句と思ふてはあてが違ふなり。宗匠等の句に一
句でも善き句ありと思ふは畢竟趣味の発達せざる証拠
なればよくよく研究あるべし。「さしかゝる」など最
拙き言葉なり。
と手きびしく批判した。これらの批判には、
余の所謂明治の俳句は彼俗宗匠輩、月並者流の製作
を含まず。蓋し彼らの製作の拙なるを以ての故に之を
斥くるのみにあちず、彼らは不當の點を附して糊口の
助となすの目的を以て之を作り、景物懸賞品を得るた
めの器用として之を用ふる者、其目的已に文学以外に
在り、文学以外に在る者固より俳句と称すべくもあら
ざればなり。
と「新俳句」の序文に記した旧派宗匠の在り方への不満が色濃く反映されていると思われる。
子規の俳論俳話(五〇)
◇ 俳句上の京と江戸
明治三十三年四月
「種ふくべ」
京都から俳句雑誌「種ふくべ」が発刊されることになり、子規は「俳句上の京の江戸」を論ずる文を寄せた。
徳川時代の俳句界の中心は何処にあったかを考えるに江戸か京かの二つのうちにあったということには異論はないが、そのどちらかを問うと人によって意見が分れる。江戸の人は江戸を、京の人は京を挙げてどちらも譲らない。公平に考えると、「徳川時代の俳句界は一個の中心点を持つた正円形ではなくて、いはゞ二箇の焼点を持つた楕円形のやうなもの」であった。何故円形でなく楕円形になったかと言うと、この時代の政治界が楕円形であった為だと考えられると子規は言う。
このことを先ず時代順に見ると、第一の貞徳の時代は江戸は草創期で文学などをやる余地はなかった。貞徳も京に居て、俳人の大方は京の人であった。
第二の談林時代には、江戸でも文学勃興の機運が高まり、江戸・京・大阪の三都が共に盛んであったが、この時代は長くは続かなかった。
第三は元禄時代で、この時代には両都共に名人を沢山輩出した。時代を造った本尊の芭蕉は、江戸と京を行き来して生活したので、江戸にも京にも善い弟子を持った。江戸に於ける弟子では、其角が句もうまく弟子も多く、著作も沢山ある第一人者で、次に嵐雪が相応の弟子を持ち、その弟子も善く作るので、其角と頴碩する存在であった。
京では去来が抜群の知名度で、江戸の其角と東西の両大関という存荏であった。但し、去来の弟子には風国、野明くらいしかいなかったし、その他の京の俳人も凡兆以外には見当らない。
その代り京に近い近江には、丈草、許六、尚白、智月、乙州、千那、正秀、曲翠、珍碩、李曲、毛紈、程己など「腕こきのしたたか者」が移しく出ているので、これらを京に含めると、優劣は江戸と互角か或いは優勢と言えるかも知れない。
第四の享保時代には、俗俳は盛になったものゝ、俳詣史の上からは衰微の時代で、江戸では多少の俳人が存在し、談林も振わないまでも少しはやっていたが、京では僅に移竹あるのみで、江戸の方が勝ったと言える。
第五の天明時代（明和から寛政頃迄を含む）は、元禄時代と共に俳句が最も隆盛を極めた時代であるので、両都共に名人も名句も沢山出て、書籍も多数出るという非常に勢のある時代であった。けれども勝負ということになると、言うまでもなく蕪村という傑物を輩出した京の勝ということになる。
蕪村は当時の天下を動かしたばかりでなく、古の俳風を一変し、明治の新俳風の種を蒔いた。それに匹敵する力を持った者は、江戸にも地方にも存在しなかった。その上、京には太祇、几董という名人も居たし、彼らとは格下ながら闌更も居た。
江戸では蓼太、白雄が門戸を張り、俳句をやる人の数は非常に多かったが、その力は到底京には及ばなかった。但し、蕪村も太祇も江戸で修行して京で成就したということを一言伝えておきたい。
最後に文化以後明治以前をひっくるめて言うと、この時代は俗俳時代で、江戸では白雄、蓼太の門弟や成美など居たが、京では蕪村の系統ほ既に絶えて、僅に月居が残っている外は、蒼虬、梅室などという「くだらぬ奴」が居た。これは江戸の方が勝ということである。
次に、俳風について京と江戸で比較してみる。
自分の考えでは、京には京風、江戸には江戸風という特色が、時代や流派、作者を越えて存在すると思う。京風は、やわらかで、うつくしくて、濃厚、おとなしく、すらりとしている。
江戸風は、強く、渋く、淡泊、気が利いていて、曲りくねっている。京の俳句と江戸の俳句は、周囲の情況に支配されてこのような差が出来たに相異ない。例を挙げると、
鎧著てつかれためさん土用干 去 来
夜著を著てあるいて見たり土用干 其 角
おとなしく上品であるところは去来の本領であり、これ即ち京風の骨髄である。
其角の方はどこ迄も軽口に覿軽で、これが其角の本領、江戸風の骨髄である。
句の題目に於ても、去来には花とか月とか時雨のような尋常な題が多いが、其角は人事的な種々の変な題まで沢山推している。
蕪村ほ少し変則であった。長く江戸に居て「江戸でしこんで江戸の代物を京に持って往た」ので、京と江戸の両方の長所を取って大成した。但し純粋の京風でなかった為に京でははやらなかったし忘れ去られた。
後世になるほど流派が混じり、太平が永く続いた為に江戸の人々も元気が失せて京のようなやさしい気分忙なって行ったのは致し方ないが、京人が蕪村を忘れて蒼虬、梅室をありがたがったのほ、甚だ不見識な事だと思う。
京風と江戸風とはどちらが勝れて居るかと問われれば、京風も江戸風も優劣はない。但し、京風の中に優劣があり、江戸風の中に優劣があるという事を忘れてはならないと子規は警告した。