主にペーパーメディア「ゴーマ通信」の内容を掲載していきます。
 
ゴーマ通信第13号 (2001年2月24日発行)
ゴーマ通信第14号 (2001年4月25日発行)
ゴーマ通信第15号 (2001年6月23日発行)
 
 
ゴーマ通信第16号
(2001年9月18日発行) 
 
 


 

第28回九州地区真宗青年の集い福岡大会  開催間近 !
最終募集締め切りは9月27日 
 
 
 もう既にみなさんご存知の通り、2001年10月13日(土)・14日(日)「第28回九州地区真宗青年の集い福岡大会」が、西鉄ホール・本願寺福岡会館を会場に開催されます。テーマは「○△□〜認められる世界の中で〜」、講師に九州龍谷短期大学教授の高石伸人氏、ゲストにはFMラジオでDJとして活躍中の北野“JK”順一氏を迎え、価値観の多様化する現代社会において、青少年問題に取り組もう、そして、認め合えない世界を生きている私たちには「何が問われているのか」「何が分け隔てていたのか」ということを学ぶ集いとして開催されます。 
 大会開催まで残り一ヶ月足らずとなった今、福岡教区内はもちろんのこと、九州各地より続々と参加の申し込みがあっていますが、9月14日現在の申し込み人数は、募集予定人員の400名にはまだまだ達していません。そこで最終の締切日を9月27日までにして、一人でも多くの青年たちと問題共有の「場」となる集いにしたいと願っています。ご住職さんをはじめ、寺院の関係のみなさんには最後の参加奨励をお願いします。 
 
 
 
 

 
問われていること 
 
 今大会のテーマと趣旨について、講師の高石伸人さんのことばを基に、考え直してみようと思います。 

 高石さんは論文『共生の関係論』の中で「共生」ということをテーマに、それを「差別からの解放の思想」として捉えられます。 「ハンセン病差別」に対する浄土真宗の在り方を具体例として挙げられ、「慰問布教」によって国の隔離政策の誤りを運命のように諦めさせ、非人間的処遇に甘んじさせる管理の道具であった事実を、そして全国の療養所に残る二万二千を超える遺骨の無念の慟哭を、私たちはどのように聴くのかと問題にされるのです。 
 その解決のきっかけとして、長島愛生園と「社会」を隔てたわずか30メートルの海峡に架かった邑久長島大橋(「人間回復の橋」と呼ばれる)の完成を祝って入園者に語った真宗大谷派住職玉光順正氏の言葉を挙げられます。 

「人間回復の橋、いい名前です。あなた達の人間が回復です。しかし、人間回復ということは、あなた達の人間を回復することはもちろんですが、そこへ閉じ込めていた、隔離した側の我々の人間も同時に回復するということです。あなた達がほんとうに人間回復されない以上、そこへ閉じ込めた側の人間も、実は回復されないのです。」 
 その言葉を聞いた長島愛生入園者「藤井善」(本名 伊奈教勝)氏は、 
「その時、私はひらめいたのです。世を捨てた私、かかわりのない外、それが実はそうではなくて、私という人間がここにいるということは、私だけの人間でなくて、私にかかわりのある多くの人々と関係のある私であるということが」「病気、人種、出身地、いろいろな理由をつけ、一部の人間を排除し、あとの者だけが幸せに暮らす。その幸せとは何ですか。困難だけど、つらいけれど、共に知恵を出し合って共生していく。それでこそ本当の人間の幸せ、喜びがあるのではないでしょうか。」
と歩み始められました。 

 今大会では、テーマを「○△□〜認められる世界の中で〜」としました。私たちのすべきことは、このテーマを「私の日常」に振り向けることではないでしょうか。○とは何なのか。△は誰なのか。□はどこなのか。そしてなにがそれらをつくりあげているのか。私たちは本当に他を認めていく世界に立っているのだろうかと。 
 高石さんは論文の最後にこう語ってあります。「仏教の教え(人間解放の思想)による「共生」関係を、これからも私は求めていきたいと思う。」と・・・ 
 このテーマ(仏教の教え)を根拠として、私たちがどこに立っているのか、どう歩むべきかを考えていかなくてはならないのではないでしょうか。 
 テーマをきれいごとにして、自己満足に陥らないためにも。 
 

 
 
 


 

ゴーマのまじめなページ --仏青ホームルーム --
 第2回  志摩組海徳寺住職 松月 博宣 師 
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「いま、リアリティーが求められている」 
 
 厭な事件が続発する。アメリカを襲った同時テロ事件。起こったのが日本時間9月11日夜9時前後、それからというものテレビは夜を徹して、あのおぞましいビル激突の影像を繰り返し放映。まるで映画のワンシーンのようにみえるあの時、何千という人生が無理やり終わらされた事実に、胸が締め付けられる。 
 湾岸戦争の時、砲弾の先頭に取り付けられたカメラがとらえた標的破壊の瞬間より、今回のあの影像にリアリテイーを感じたのは私だけだろうか。 
  湾岸戦争の時、コンピュータゲームのような攻撃風景に、生命が蹂躙されているという、せっぱ詰まった感覚は私の中では薄められていた。 
 違いは何なんだろう? 
 そこに、起こった事柄自体に、私自身が生身の感覚を持ち得たかどうかの違いではないか。言葉を換えれば、事象を共有できたかどうかの違いではないかと、いま考えている。 
 「私」が生きている世界はとりもなおさず、リアリテイーそのもの。にもかかわらず、それを生身で受け止める感性を失い、あたかも、バーチャルな感覚(痛みを覚えない他人事の世界)でしか、物事すべてが見えなくなってしまっているのではないか。 
 それは、このたびの事件に対してだけではない。少年犯罪の深刻化・平和・差別・環境ありとあらゆる人間の営みが・・・。 
  果たして、「私」が仏教を生きるということは、バーチャルな中に閉じこもって生きるということなのか? 
 人間(われとわれら)のまがまがしい現実の営みに、生身の感覚を持って寄り添い立ち、「いのち」に連帯してゆくことではなかったか? 
  テロから三日目、あの煽り立てるような報道は少し下火になった。と思ったら、相変わらずテレビからバラエティー番組の馬鹿笑いが聞こえてくる。 
 そんな日本の「私」に、仏教を生きるとは?が問われている。 
 回答は、「私」のリアルな動きでしか、出せない。 
 
 

 

 

 『○△□の掲示板』 
「九州地区仏青連盟リーダー研修会に参加して」
宝珠山 達哉さん
 
 初めて仏青に参加させていただきました。今回のリーダー研修会は「認められる世界の中で〜ところで“認める”ってどういうこと?〜」というテーマで、高石史人師の講演の後、九州各地区リーダーによるディスカッションが行われました。 
 私には、大学卒業という時に相手の不注意で交通事故に2回も遭い、右足が不自由になり首と腰のむちうちは一生治らないと医者に宣告された弟がいます。夢だった警察の仕事は諦め、足を引きずりながらも就職活動に頑張ったのですが、この不景気のためでしょうかほとんどの会社が足を引きずる弟に対して「何しにきとるんや」という態度だったといっていました。そんな弟に私は何もしてやれなかったのです。むしろ弟が一番嫌がる「かわいそう」という目でしか見てやることしか出来ませんでした。 
 講演の資料として乙武洋匡さんの『五体不満足』の本の中の一部を掲げてありました。参加者のある方も目に障害を持たれ、それを受け入れる、〈認める〉ということに対してつらい思いをされたと言われていました。 
 一言で〈認める〉〈認められる〉と簡単に言いますが、これほど難しいことはないと思います。 
「私たちの社会は〈認め合える世界〉を求めながら、にもかかわらずこうした問題を抱え込んでしまっている、というこの現状を認識していくべき」と高石先生が言われるように、十月に開催される仏青大会に向けて“認める”という言葉について考えていきたいと思います。 
 
 
  

 

福岡教区寺族青年野球部「福岡JETA通信」
 JETA全国大会特集!!
 
 
 みなさんこんにちは。 お盆も終わり、ホッと一息もつかの間、今年も待ちに待った全国大会出場(第26回寺族軟式野球大会)で、JETAの面々が京都へ乗り込みました。 言うまでもなく、毎年優勝が目標のJETAであるが、気が重い・・・・何故ならば、2年連続1回戦敗退という屈辱を嫌というほど味わい、早く結果を出さなくてはという焦りとプレッシャーがのしかかる。そういう意味でも今年は正念場なのである。いつも乗り込む新幹線がいつもと違った雰囲気に感じらた・・・・が、やっぱりいつも通り車中は小宴会場と化していた・・・ 今大会は8月29日・30日の2日間、京都府宇治市太陽ヶ丘球場にて大会が開催され、総勢34チームが熱戦の火蓋を切った。前日の監督会議での抽選の結果、我がJETAは数少ない両日三試合パートへ・・・いやな予感が脳裏を横切った。 
 

 第1試合目の和歌山戦。万全で望んだ先発井上が打たれた。早くも和歌山2点先制。おかしい、いつものピッチングと何かが違う・・・これが全国大会のプレッシャーなのか! その裏JETAは一点を取るのがやっと、次の回に追加点を取られ3対1と引き離された。拙守、拙攻・・・・・ このままズルズルと行くのか。また昨年の悪夢がよぎる。 しかし、今年のJETAは違った。四球を選び、安打で繋げ、何とか同点に追いついたのだ。守るもランナーを背負いながら要所を抑え、我慢と凌ぎでその裏逆転に成功したのである。波に乗ったJETAは追加点を重ね5対3で初戦を突破したのである。 

 苦しみながらも勝利を手にしたJETAは二試合目、安芸教区と対戦。この試合は自慢のJETA打戦が爆発!投げてはエース井上が完全試合目前のすばらしいピッチング!最終回には、気の緩みからか4点を取られたが、8対4と勝利した。 
 波に乗ったJETAは快進撃を続け、奈良教区に6対2と圧勝し見事三連勝したのである。打っては四番小山田の活躍、投げては、エース井上の気迫の三連投であった。 JETAは全国大会出場7年目にして初の2日目への進出を決めたのである。その日の夜は、宗務所福岡教区教区人会のみなさんとの例年にない盛り上がりのなかでの懇親会を開き、翌日の試合が気になりながらも・・・京都の夜はふけていた・・・ 
 
 

 大会2日目。いよいよ優勝をかけて残り5チームが激突である。第1試合目は大阪教区(阿修羅)。このチームには2年前1回戦敗退という苦い経験がある。前半から互いにチャンスはあるものの得点に結びつかず、0対0の投手戦。しかし、均衡が破れた。JETAは四球、長短打、相手のミスも重なり4点を先取した。その裏大阪は2点差まで追いつくも、先発井上の粘りのピッチングと堅い守備に守られ見事準決勝進出を決めたのである。 

 第二試合は昨年の覇者。強豪東海教区である。対戦は三回目だが、過去二回は見事に敗北を喫しているチームだ。打倒東海教区、借りを返すチャンスである。いよいよ試合開始。先発東海は難なく三者凡退。その裏JETAはランナーを塁に出すものの、東海エースに抑えられる。流れはJETAにあり、押しているのだが堅い守備に阻まれる。両者一歩も引かず投手戦のまま後半に突入。しかし、均衡が破れた。先制したのはJETAである。四球と、長短打で一・二塁のチャンス。バッターは一番キャプテン轡水。追い込まれながらも、見事兄としての面目を保つ右中間へのタイムリーヒットで2点を先制したのである。最終回、東海の攻撃。残る三人を抑えれば・・・・・・・しかし、さすが優勝候補東海教区は執拗な粘りをみせ、ノーアウト一・三塁とし、東海4番のタイムリーヒットで同点とされた。その後はきっちり守り、2対2の同点で試合終了。 ここで大会ルールによってジャンケンで勝敗を決めなければならない。両チーム一人ずつの勝負で先に五人勝ったほうがその試合の勝者である。・・・・・言いたくないが、結果は東海教区の勝ちであった。残念ながら、準決勝でまたもや今度はジャンケンで東海に敗北を喫したのであるが、JETAらしさを存分に発揮できた東海教区戦でありました。また再び、打倒東海をめざして練習に励みたいと思います。 

 三位決定戦では、九州のライバル熊本教区との戦いになりましたが、結果は8対1と圧勝でした。お蔭様で、JETAは全国大会三位という成績を残す事は出来ました。応援有難うございました。(因みに優勝は東海教区でした。) 

 さて、二年連続一回戦敗退という不甲斐ない成績に頭を悩ませていたのは、監督をはじめ、勿論ナイン全員であったのは確かである。 今大会は、それまでのチームの不振を一蹴したいという全員の気持ちが、チームを一丸とし、結果として勝利へと結びついたのではないだろうか。 ピリピリとした心地よい緊張感のなか、今年も京都で野球が出来た事を歓びつつ、また来年も全国大会優勝に向けて練習に励みたいと思います。 
 これからも応援宜しくお願いいたします。 
 

 

チームのことば 

○三好監督「思い返せば長かったメダル獲得までの道のり、チームメイトのみんなと応援してくださった皆さんと共に獲得しました。しかし!同時に大きな宿題をもらってきました。今後のJETAに乞ご期待!!!」 
○轡水主将「苦節八年、念願のメダル獲得。今後祝勝会の予定有り。一緒に飲んで騒ぎたい野球狂・酔狂御祝儀もって全員集合。」 
○佐々木副主将「大会での教訓・・・勝ってスラパンのゴム締めよ!」 
○土生真「ベテランの味が光った大会だったと思う。守備ではまだまだ若手に負けませんよ。」 
○平野「こんなに楽しく野球が出来たことはありませんでした。来年も一試合ずつ楽しみたいです。」 
○三笠「来年こそ金がいいですゥー!」 
○戸川「みんなで走ってつかんだ勝利だ!」 
○井上「よっしゃー!来年もジワジワーっといくぞー!」 
 


 

広報メロン

 日頃、私はお寺を離れ会社勤めをして生活しているが、その日常生活の中で気付いた事がある。生活していく上で“お金”は必要不可欠なものだが、あまりにも“お金”中心主義な人が多い様に思う。確かに必要なものだが、“お金”を追求するあまり心がやせ細っていないだろうか?(世間でよく言われる事だが・・・)事実それが原因で世間を揺るがす事件も起きている。しかし、それを自分とは違う世界の事だと意識もしていない私達がいる。 
 「豊かな心を持とう」良く耳にする言葉だが、私達はそれを問いかけとしてとらえていくべきではないだろうか。我に返った時、自身を客観的に見れた時に身近な問いとして意識する言葉だと思う。身近な点に気付き考えていく。まずそこから取り組んでいきたい。 
 

 
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