ベトナム旅行記

(その1)べトナムの日常生活


はじめに

 「来て見て触って」という某パソコンメーカーの宣伝文句がありました。これは初心者に何とかまずパソコンを身近に感じてもらうことが狙いだと解釈しています。私もベトナムについては、「同じアジア人であり、勤勉である。ベトナム戦争でアメリカに勝ったが、人々の暮らしはちょうど日本の昭和20年代のような状態である。ボートピーブルを生み出した国である。」という漠然とした、相反したイメージしかありませんでした。そこで、95年11月に仕事でベトナムを訪問した機会に得られた、私なりの見て触ったのぞき見の感想を3回にまとめ、今回はその1として述べます。

気温

 私が訪れたのが11月下旬という時期にかかわらず、南のホーチミンシチー(旧サイゴン)では平均気温25℃、昼は30℃を越え、当地はまさに熱帯地域であることを身をもって感じました。北のハノイは日中で25℃でした。気温の差は、温度計の数字よりもむしろ北と南の人々の着ているもので違いを感じました。南は半袖やランニングシャツ姿で、北に行くと厚ぼったいジャケットや人民服のような姿でした。

ベトナムファッション

 ベトナムの伝統的ファッションとして有名なアオザイは、若い女性が着ており、数はそれほど多くありません。女子高校や飲食店の制服に用いられていると聞きました。南では町中でそれなりに見かけますが、北に行くと全く見ることができません。また、物売りなどの年配の女性は殆どすげ笠(?)をかぶっていますが、若い女性は酒落た帽子をかぶってアオザイ姿に正装してモーターバイクを乗り回しています。モーターバイクに乗るのにも、南では男性は無帽もしくはせいぜいキャッブ帽で、北のへルメット帽と違っています。なお、南では、乗り物に乗る女性は日焼け除けの手袋をしています。

ベトナムの交通事情

 南は活気があり、ラッシュアワータイムの朝7〜9時と午後の4〜6時には交通渋滞が生じ、町中には人々とともにモーターバイクがあふれ返っており、信号のないところは先に突っ込んだ方の勝ちです。しかし、衝突事故は余り見かけず、上手に運転しているようです。1週間のベトナム旅行中2人乗りのモーターバイクが1台転倒しているのを見かけただけです。

 なお、モーターバイクには親子4人乗っているのをよく見かけました。法律では最大2人乗りまでですが、子供は勘定に入れないとのことです。2人乗りはざらです。また、70CC以上はバイクの免許が必要ですが、試験は簡単とのことで、免許の更新はなく、一生効力があるそうです。

 ハノイの駐車場で私の乗っているマイクロバスに客待ちのタクシーがギヤの入れ違いでバックして衝突し、排気管を壊した事故がありました。警察官を交えた長時間の交渉の後、修理工場まで一緒に行く間、バスの運転手は、逃げられないようタクシーの運転手の免許証をカタに取っていました。結局修理代10ドルをもらったとバスの運転手が話していました。なお、翌朝迎えに来たときには既にバスの修理は終えていました。

 車は右側通行ですが、車やモーターバイクを追い抜くために四六時中クラックションを鳴らして走っており、ときには対向車がいても中央分離帯を平気で越えて追い抜くので、運転席の真後ろに座っていると生きた心地がしません。同行者はここではとても運転できる自信がないと言っていました。道を横断するのでも歩調を同じにするのがコツで、相手に避けてもらうようお任せになります。

 喧騒の街、南に比べ、静寂の街、北では自ずと周りに目が向きます。町並みには並木が整然と植わっており、また、モーターバイクの数よりも自転車の数が圧倒的に多く目立ちます。それと、警察官か軍人か、あの独特のヘルメット帽子をかぶった制服姿が数多く目につきましたが、武装しているかどうかは確認できませんでした。

ハノイとホーチミンシチー

 ハノイでは、市街の傍を流れるホー河(紅河)に高い土手を築いており、土手が切れたら市内の建物の4階まで水が来ると話していました。ハノイのノイバイ飛行場に着陸する前に近郷を上空から見たところ、大きな川が極端に蛇行して辺り一面氾濫していました。米軍の爆撃による被害の修復が未だに進んでいないとのことでした。空港からハノイ市内へ一直線に通じている5ドルの有料高速道路ではスピード制限はないが、市内では40kmのスピード制限です。道路は、南のホーチミンシチーが市内の道路のいたるところ舗装工事中で活況を呈しているのに比べて、ハノイでは特別に目立たず、道端でバスやトラックが故障しているのを何度も見かけました。走っている車は南北とも殆ど中古車です。それも大多数がトラックでした。しかし、ガイドの話では、北ではスピードを競うモーターバイクの若者が出現しているそうです。

 庶民の買い物は市場が主体です。南にはホーチミンシチーなどに大きな市場があり、終日賑っています。北のハノイでは道端で何箇所か分散して朝市が開かれていました。また、日曜日の夜には、ハノイの土手下で映画会を開いていました。灯りの殆どない夕闇の中、人々は自転車に乗って集まって来ていました。 娯楽が少ないように感じられました。南と北ではまるで別の国に来たようで、南は開放的で活気があり、11時の飲食店の終業まで道端に置かれた椅子に人々が群れており、また、町中はネオンサインとともに賑っており、人々の顔にも愛敬があります。北は目つきも厳しく、夜も所々にしか灯火が灯っていない、暗い統制の行き届いた静かな街です。ハノイでは私の泊ったホテルは湖畔にあり、鶏鳴で目覚めるというまことに近年では貴重な体験をさせてもらいました。ベランダのすぐ下は湖で、静寂の中足漕ぎの小舟で魚を捕っている漁民の姿が、あたかも墨絵の世界から出て来たかのように感じられました。

 通訳の話では、南の政府に勤務していた人々とその家族などの関係者は、頭がいくら良くてもベトナム戦争後は良い勤めにつけず、南の政府機関には北から来た人が上位を占めているそうです。ドイモイ後は、ホーチミンシチーでは土地の値段が上がったといいます。ベトナムは社会主義なので、土地は国家所有ですが、土地使用権を認められています。一般の人には所得税はないそうです。ベトナム企業は税金はなく、外国企業は半分税金を納めるといわれましたが、正確には何のことかよく判りませんでした。

ベトナムの教育と宗教

 ベトナム人は、男女とも18〜25歳までは毎年12日間勤労奉仕しなければなりません。その代わり、金を払えば免除されるとのことです。また、大学生や政府の役人を除いて、男性は18歳から3〜5年間軍隊に入らなければなりません。 ベトナムでは義務教育である小学校5年間と、中学校は4年間、高校は3年間、大学は4年間あります。高校では英語を教えているが、英語の先生は少なく、また、ハノイには日本語学校はあるが、ホーチミンシチーにはないそうです。医科大学が以前は人気があったが、大学を卒業しても必ずしも職があるわけでなく、最近は就職には経済学が有利なので、経済学を専攻する若い人が多くなったとのことです。

 ベトナムでは仏教徒が多く、55%が仏教徒です。南では、道端にお供え物のある祠をよく見かけました。埋葬は土葬が一般で、農村では家の横の畑に立派なお墓がありました。また、日本と同じように干支がありますが、違っているのは、兎は猫で、猪は豚だそうです。

物価から見たベトナム

  ベトナムには水牛の種に属する赤牛と黒牛がいますが、赤牛は食用で千ドルします。黒牛は労役専従で、値段も少し安いそうです。水牛は放し飼いで、悠然と首都ハノイの土手沿いの幹線道路を横切っていました。

 TVは14インチで1台400ドルしますが、ホーチミンシチーでは10軒中8軒にあるそうです。貸しVTRは3千ドン。映画は1万ドンだそうです。なお、ハノイではTV普及率は28%といわれています。

 ベトナムは、ホテルや道路、個人の住宅など建築ラッシュで、道端に煉瓦などの建築資材が置かれているのをよく目にしました。農村地帯の家は、屋根はバナナの葉でふいており、壁は竹を編んだものか、板です。床は土か、モルタルかタイルの土間です。竹の寝台に畳のような筵を敷いて使っていました。中には煉瓦を漆喰で固めた立派な白い家がありました。一戸建て新築で3万ドルかかるそうです。

 モータバイクの値段は、18年前の中古で600ドル、新品は3000〜5000ドルでして、月収30〜50ドルの庶民がどうして手に入れられるのか、考えると不思議な話です。また、自転車は、日本製が200ドル、中国製が80〜90ドル、ベトナム製が50〜70ドルです。 ガソリンは、スタンドではどこでも1リッターが3500ドンですが、道端の店では4000ドンでずんぐりしたガラス瓶で量り売りしていました。

 外国人はチップを払う習憤になっており、4千〜5千ドンの枕銭を用意していました。日本の感覚からすると、べトナムの日用品の物価は日本の物価に比べて1桁も2桁も違うように感じられます。Tシャツなどの安いものは5千ドンから手に入ります。百ドンが1円、百円が1ドルの、おおよその換算レートです。市場などを除いて、ドルはどこでも使えます。また、ドンはドルなど外貨とは交換をしてくれませんので、ひとたびドンに交換するときは、その必要最少限の額を替えるように要注意です。残ったドンは文字通り紙屑同然ですから。もちろん物価が安いのは、密貿易が盛んであることにもよると思います。禁制と聞いていた外国たばこは堂々と売られているし、タイやカンボジア、中国から密輪で入って来るといわれるフィルムや家電品なども日本の感覚では内外価格差などといっていられない安い値段です。

食から見たベトナム

 屋台や外食屋さんは朝から開いており、うどんが主体で、朝食は3千ドンから、昼食は腹いっぱい食べて5千ドンで済むそうです。喉の渇きを癒すためのヤシは丸ごと1個が1500ドン、冷やしたヤシは3000ドンです。 ホーチミンシチーでもハノイでも、扱う品物ごとに商店が同じ区域に固まっています。TV屋ならTV屋、金庫屋なら金庫屋。家具屋なら家具屋、モーターバイク屋ならモ一ターバイク屋、扇風機屋なら扇風機屋、建築資材屋なら建築資材屋など、小さな間口の造りで同じ商品を扱う店が軒先を連ねていました。

 ホーチミンシチーからハノイまで速い電車で36時間、バスでは4〜5日、飛行機では2時間かかります。ベトナム航空の飛行機を使いましたが、2時間の空の旅なのに食事のサービスがあり、搭乗客が楽しみにしているのを見ると昔の貧しかった日本を連想しました。私はチキンを食べましたが、若い同行者は注文したビーフ(水牛?)が硬くて噛み切れず閉口していました。なお、ホーチミンシチーからカンボジアまで車で8時間かかります。

 一番困ったのは、水の問題です。生水にはくれぐれも注意するよう言われていましたので、ミネラルウォーターを常に購入していましたが、ホテルでは1リットルのペットボトルが3.5ドル、ホテルを出たすぐ外の街の店では同じ銘柄を1ドルで売っていました。飲料水のみでなく、歯磨きの水にもミネラルウォーターを使っていました。当地は衛生予防の観念が行き渡っておらず、また、肝炎に罹る恐れもあるため、サラダや生野菜が食卓に出て来るたびに、指をくわえて見送ることが間々ありました。皿などの器も場所によっては、持参のウェットティッシュで改めて拭いて使用しました。皮を剥いていない果物は大丈夫と思っても、皮を剥く手がティッシュで拭くと黒くなることもありました。

 私どもに出されたベトナム料理は、味つけが他の東南アジア諸国と違って、辛くなく、日本人の口によく合うように感じました。エビのすり身を砂糖黍の茎に巻いて揚げたものや、春巻に包んだものがベトナムの名物料理らしく、どこに行っても出されました。当地の有名なニョクマムという魚醤はどこでも料理に添えて小皿に注いで出されるので、醤油のように漬けて使いました。

(おわり) 

第1回 べトナムの日常生活

第2回 べトナムの市場の現状と課題

第3回 べトポルテックス95(展示会)とベトナム企業状況

ベトナムの風景写真(少し時間がかかるかもしれません)