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ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
大阪公演

日時
2002年3月10日(日)午後4:00開演
場所
ザ・シンフォニーホール
演奏
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
指揮
ヘルベルト・ブロムシュテット
曲目
1.シベリウス…交響曲第7番 ハ長調
2.ブルックナー…交響曲第5番 変ロ長調
座席
1階N列23番

はじめに

 1月末から続く地獄モードのおかげで、この演奏会は久々の休暇を取っての参上となりました。(ホント6週間ぶり? ……あ〜ヤダヤダ) 今月いっぱいでそれも終わりそうなので、それまでは頑張ろうと思ってはいます。

 このコンビによる演奏会は1999年の京都以来2回目となるのですが、この他にもそれぞれ別に1回ずつ聞く機会があり、外国人演奏家としては指揮者・オケとも最多の3回目となる演奏会でした。何かと縁のあるブロムシュテットさんとゲヴァントハウスです。

なぜこのひとが?

 プログラム読んだひとは不思議に思ったかもしれませんが、ゲヴァントハウスの記述にやたらクルト・マズアさんの名前があったことに気がつきましたか? 私なんかはそれがメンデルスゾーンやニキシュ、それにフルトヴェングラーなど歴代の大指揮者達と併記されているだけに、違和感が付きまといました。
 どうやらそれには理由があって、1989年にベルリンの壁が崩壊した際に、その端を発したと言われるデモがライプツィヒから起こったのですが、そのデモの先頭に立ったリーダーの1人が当時ゲヴァントハウスの常任指揮者だったマズアさんだったのです。このデモは「月曜デモ」と呼ばれてライプツィヒ市民の誇りとなっていまして、マズアさんは一時東ドイツの大統領候補になりました。ですからすでにその職を辞した前任者であるにも関わらず、あれほど何度も名前が出てきたのでした。
 ちなみにデモ当日の演奏会が録音されていてCD化されていますので、興味があるひとは探してみて下さい。(「マズア/月曜デモの演奏会」QUERSTAND VKJK 9918
 マズアさん自身は6月22日にニューヨークフィルと一緒に京都へ来てくれるので、ぜひ聞きに行きたいと思います。

シベリウス…交響曲第7番

 前半はシベリウスの7番でしたが、ブロムシュテットさんは交響曲全集をサンフランシスコ響と完成させていて、ニールセンと並び十八番の1曲だと言えます。
 ピンと張った緊張感の中、ティンパニのひと鳴りで曲が始まりましたが、ひとつひとつの旋律を丁寧に歌込み、かなりの変化を持たせたテンポを取りながら、全体に緊密な構成を保った素晴らしい演奏でした。
 またプルトの数も後半のブルックナーと同じだけ揃えていたのにボテッとした所がなく、対位法を透明に緻密に描き出していった所などは見事でした。その反面、主題動機達が一気に再帰するこの曲の頂点では、人数に比例した爆発力が期待したほどではなく、全体的にしめやかと進んでいったのは緻密さとのトレードオフで仕方ないのかもしれません。
 ただひとつ残念だったことは曲が終わって響きが無へと還っていく静寂を一部の観客の拍手で壊してしまったことです。多くのひとが静寂を守ろうとしていただけに(またそうするだけの価値がある演奏だっただけに)、もったいない感じがしました。

ブルックナー…交響曲第5番

 まず最初に断って置きたいのですが(特に自分自身に)、朝比奈隆がこの世を去った今(ヴァントも然り)、あのようなブルックナーはもう二度と聞くことができないということです。
 演奏者の生命と共に音楽も潰えてしまうのが音楽の本質であり、美しくもはかない所であります。ですから「御大とここが違うからダメ」と言う感想は新しくて素晴らしいブルックナー演奏の発展に妨げとなるばかりか、自身の音楽観の拡大にも大きな障害となってしまうので、強く諫めなければならないと思います。哀しいことですが、死んだ子の年を数えるような行為は虚しいだけです。

 さて、そのブルックナーですが、冒頭のピチカートから充分な間合いを保ったテンポが採られ、その確かな歩みに安心してその身を任せることができました。始まる前まで、薄い中身を無理して凝縮するためにチャキチャキしたテンポで安易に進められるんじゃないかと思っていたのですが、それが良い意味で裏切られて嬉しい誤算となりました。またホールトーンを完全に計算したフルトパウゼは非常に堂に入っていて感心してしまったほどです。

 オーケストラの響きもブロムシュテットさんらしい清潔感ある華やかさがありながら、しっとり且つどっしりしていて、特に地響きを立てるようなコントラバスの唸りははらわたに染みるほどでした。一方金管楽器ではトランペットが際だっていて、これが若干ブルックナーらしくないキラキラした輝きを与えていました。(朝比奈御大のようにトロンボーンを強調すると雄大な感じが、ヴァント御大のようにホルンを強くすると透明な響きになると思う)
 また技巧的に気に掛かる所はほとんどなく(ホルンが第1楽章の難所でコケかけて、ホルンセッションがピリピリしたことぐらい)、第1楽章からパワー全開の演奏は、最後まで持つのだろうか、と心配になるくらいでした。実際、終楽章ではトロンボーンのトップが渾身の力を込めて吹いていたのが見て取れました。
 ここで強調しておきたいことは、金管内のバランス、そしてオケ全体のバランスは非常に整理されていてオーバーバランスとなることはなかったです。決してうるさいというものではありませんでした。

 今日の演奏で感銘を受けたことは、厳格な対位法によって構成されているこの曲の旋律線ひとつひとつを生き生きと描写しながら、全体的に緩みなく有機的なつながりを持って演奏していたことです。特に終楽章ではそれが最重要課題なだけに見事としか言いようがなかったです。さすが大バッハが半生を捧げた聖トーマス教会で演奏を続けているだけはあります。こういうのを聞くとヨーロッパオケの底力と文化に対する根強さを思い知らされます。
 あえて苦言をすれば、最高度の盛り上がりを見せるコーダが弱く、オケの鳴りっぷりからみるとほんの少し肩すかしでした。ただ今日の演奏は強大なカタルシスがなくても十分お釣りが来る良い演奏だったので、それほど問題ではないと思います。

鳴り止まぬ拍手

 ティンパニが大クレッシェンドして曲が締めくくられると間髪入れずに会場からはワッと大きな拍手が沸き起こり、「ブラボー」の歓声が次々と飛び交いました。何度もステージ上に呼び出されるブロムシュテットさん。指揮者に促されてゲヴァントハウスのメンバーが次々と起立していきますが、ホルンのトップが立ったときは一際大きな拍手が送られました。オケの面々も疲れを浮かべてはいますが、充実感が滲んだ表情を見せていました。
 これだけの重量級のプログラムをこなしただけあって、今回アンコールはなしで、やがてオケは解散となりました。しかし拍手は一向に止む気配がなく、楽員が次々と引き上げていくステージに送られ続けました。
 するとブロムシュテットさんがひょっこり下手の扉から姿を見せ、再び拍手に応えてくれました。会場に残っていたほとんどのお客(ホントに大部分のひとが残っていました)が大喜びをして、全員総立ちで拍手を送りました。
 そこでブロムシュテットさんは「この素晴らしいホールも讃えてくれ」とジェスチャーを入れ、ステージにたったひとり残ってコントラバスを拭いていた楽員の肩を抱いて(彼はちょっと驚いていたけど)、共に舞台を後にして演奏会の幕が降ろされました。

おわりに

 ブロムシュテットさんがサンフランシスコ響の音楽監督になった時、その傾向はあったにせよすっかり音が軽くなってしまってガッカリしてしまったのですが、今回聞いた印象からではガッチリとした音になっていたので取りあえずは安心しました。(無国籍風ではありますが)
 こうなってくるとこのひとが常任指揮者の5年の任期を更新せずにバトンタッチしてしまうことが残念のように思います。
 将来を担う逸材と言われて早20年。この先ブロムシュテットさんはどんな深化を聞かせてくれるのか、大変楽しみにしています。

 総じて、ブロムシュテットさんもまだまだ捨てたもんじゃないってことを再確認した演奏会でした。

 さて次回は大阪国際フェスティバルのひとつ團伊玖磨さんの歌劇「夕鶴」です。
 日本のオペラを代表する一品を生で聞ける絶好の機会なので是非とも行ってみたいと思います。


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