玄 関 口 【小説の部屋】 【交響曲の部屋】 【CD菜園s】 【コンサート道中膝栗毛】 【朝比奈一本勝負】

シベリウス 交響曲第5番

( この曲について

シベリウス後期の交響曲が持つ深遠さと、ポピュラリティある朗らかさとが均衡をとっている傑作。この素晴らしい生命賛歌はシベリウス音楽の神髄へといざなう水先案内人になってくれると思います。2番だけがシベリウスじゃないぜ。
《 あ行 》
《 か行 》
《 さ行 》
《 た行 》
《 は行 》
《 ま行 》
《 や行 》
《 ら行 》
《 わ行 》

《 あ行 》

ヴァンスカ/ラハティ交響楽団(1995年)《初稿版》 < BIS BIS-CD-800 >
お薦め度 −−−−− (特殊な演奏のため評価はナシ)
この交響曲は2回も書き直された後、第3稿にてやっと完成された曲だが、その初稿と第2稿の総譜は作曲者自身により焼却されて残っていない。それを初演したオケの倉庫に眠っていたパート譜から復元したものがこの演奏である。だからこの演奏は聞いて楽しむものでなく、作曲された過程を見る為の資料である。
しかしここで聞かれる初稿は現行稿とまったく違う姿をしているのに驚かされる。詳しくは書かないが、基本モチーフは変わらないのに耳にした印象がまるで違うのだ。当然現行稿の方が数段上を行くのは言うまでもないが、シベリウスが自分のイメージを形にするのに切磋琢磨していった様が分かる。やはり彼はすごい奴だ。
初稿でのスケルツォ(現行稿の第1楽章にあたる部分の後半)の入りだけはちょっと良いかなと思うが後はすべて今の方が良い、特に終楽章のエンディングが初稿のままだったら私はシベリウスのシンフォニーを聴くことは生涯なかっただろう。

ヴァンスカ/ラハティ交響楽団(1997年)《現行版》 < BIS BIS-CD-863 >海外盤
お薦め度 ★☆☆☆☆
話題を呼んだ初稿版のディスクから2年後の97年に録音された演奏。
42歳という若さからか音楽の底が浅く、旋律の歌い方や構成感などが甘くなっている。また音の強弱が激しく、ティンパニのfffでは曲から浮き上がるほどの強打をし、弦のpppでは聞こえないくらい音量を絞ってしまう。これがオーケストラのマスとしての音量でも同様なら勢いだけでも買うが、fffとffの差がほとんど認められないのには閉口した。
しかし意識してオブリガードをメロディーに絡み合わせる所があるなど好ましい点もあり、この人物が将来どんな指揮者になるのか楽しみでもある。願わくば1流のシベリウス振りになって欲しいものだ。

エイブラヴァネル/ユタ交響楽団(1977年) < VANGUARD CLASSICS SVC-33 >海外盤
お薦め度 ★★☆☆☆
マウリス・エイブラヴァネル(Maurice Abravanel)がユタ交響楽団と77年に録音した全集からの一枚。彼は1903年に生まれ93年に死去しているため、この録音は74歳の時のものとなる。
まず最初に木管のバランスの特殊さに気が付かされる。またユタシンフォニー自体に洗練さが足りないためシベリウスの音楽に感じる美しさを感じることはできなく、音楽的にも若干緩いところがあるのだが、精一杯シベリウスの音楽を表現しようとしているのが伝わってくる。
しかし不思議と聞いていて「くだらない」と切り捨ててしまうことができないのはどうしてだろう? 飾ったところのまったくない田舎臭い朴訥とした雰囲気が良いのだろうか。

エッシェンバッハ/シュレシュヴィヒ・ホルシュタイン音楽祭管弦楽団(2001年) < Sounds Supreme 2S-045 >海賊盤
お薦め度 ★★☆☆☆
最近、すごい勢いでブートが出されるエッシェンバッハの演奏から。2001年7月に行われた演奏会の模様。これも海賊盤。
冒頭こそ精度の低い金管の響きと管と弦との変わったバランスに注意が行くが、途中からどこかへ殴りこみをかけるかのような熱狂と焦燥感とに耳を奪われる。ひとつのフレーズにおいてアクセントをつける所は物凄く力強い刻印を刻むが、その後するすると音量が落ちていくので、その落差は荒れた海で大波に揺さぶられ続けている気がして、聞いているほうは奇妙な感覚になり落ち着かない。
全体的にテンポは速めで、第2楽章ではちょっと他にはないくらいの突撃を聞かせる。終楽章でもそのがむしゃらなテンポを維持していくが、さすがにコーダが近づくとそのテンポも落ち着いていく。しかしそのコーダで肝心の熱狂度が低く、肩透かしを食らったような気にさせるのが残念だ。

エールリンク/ストックホルムフィルハーモニー管弦楽団(1953年) < FINLANDIA 3984-22713-2 >
お薦め度 ★★☆☆☆
エールリンクがストックホルムフィルハーモニー管弦楽団と53年に録音した世界初のシベリウス交響曲全集からの一枚。モノラル。この全集が進行中の時、交響曲第8番が発表されると言う噂が流れたが、結局8番は発表されなかった。ちなみにこの次に交響曲全集を録音したのは渡辺暁雄です。最近(2001年)知ったことだが、このひとまだ生きていて現役らしい。
演奏の方はさすが「北欧生まれのトスカニーニ」と言われるだけあって、叙情性を切り捨てた即物的なものとなっている。しかし金管をダイナミックにそしておおらかに鳴らし、それほど冷たい演奏だとは感じられなかった。
この時期のシベリウス演奏らしく全体にテンポは速く、第2楽章などはもうちょっとゆっくりやって欲しいと思ったが、細部まで緊張感が張り詰めていて指揮者のこの曲に懸ける意気込みが伝わる演奏になっている。
第3楽章に当たる部分で急にテンポが遅くなるのが気になるが(アレグロ・モルトであのテンポならばモルト・モデラートやアンダンテ・モッソでもっとゆっくりできると思う)、クライマックスでの盛り上がりが金管の鳴らしっぷりの良いせいもあって大変聞かすものとなっている。

オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団(1975年) < RCA BVCC-38123 >
お薦め度 ★★★☆☆
オーマンディ没後15年を記念して発売されたシリーズのひとつ。手兵フィラデルフィア管との75年の演奏。
北欧の指揮者やオケが発する切れ味の鋭い音とは違い、都会的で力強く華麗な響きを聞かせるが、その響きは大味になることもなく、音の目が細かく詰まれていてコントロールが利いたものとなっている。それでいながらどこか暖かみを感じさせる音色はオーマンディ独自のものだと言えるだろう。
フィナーレでのスカッとした響きが実に気持ち良いが、最後の5つの音で縦のラインが異常なくらいピッタリあっているのが、今までがそれほどギスギスのアインザッツではなかったため少し浮いてしまっていて面白い。
録音はRCAのものとは思われないくらい音の分離が良く、広がりを持っていてなかなか良い。

オラモ/バーミンガム市交響楽団(2001年) < ERATO 8573-85822-2 >海外盤
お薦め度 ★★★☆☆
ラトルの後任でバーミンガム市交響楽団の首席指揮者に就任したサカリ・オラモが2001年4月17〜19日に行った録音。
カチッとした響きにテキパキと進む棒捌きに好感を持てる。音色にバーミンガムらしいと言えるまろやかさがあり、前任者の匂いを感じさせる。
ただこの時期には仕方ないことかもしれないが、意志の疎通が充分取れてないように感じ、やや表現に上滑りを起こしている気がしないわけでもない。そのためか演奏から胸を突き上げるような感動が伝わって来ず、その点が残念に思う。

《 か行 》

カヤヌス/ロンドン交響楽団(1932年) < FINLANDIA 4509-95882-2 >海外盤
お薦め度 ★★★★☆
シベリウスの交響曲について史上初めての録音。32年のモノラルで交響曲選集からの一枚。このコンビによるものは他に1,2,3番が残されていて、どれも絶品と言えるものである。
この時すでにシベリウスは7番を完成させていて、世界中が8番の登場を待ち望んでいた時代で、全集も可能だったはず。それなのにどうして全集ではないのかと言うと、カヤヌスが33年に死去してしまったためである。
 
特徴的なのは第1楽章前半と第3楽章とが非常に速いテンポで演奏されることだ。シベリウスと親交のあったカヤヌスのことだから、これは作曲者の意図をくみ取ったテンポ設定なのだろう。
とは言っても曲全体を快速で突っ走るのではなく、要所々々ではぐっとテンポを落とし、その落差はかなり大きい。それでいながら浅薄となることは全くなく、きわめて音楽的に納得できるものである。
また時代を反映してか、第2楽章などは少しロマンティックな味わいがしており、興味深い。
この演奏の白眉はなんと言っても終楽章で、速いテンポで演奏しているのに音楽が上滑りすることはなく、中身が凝縮されていて内容の濃いものになっている。
特にクライマックスに至って力強く奏でられる金管の音型は指揮者の胸を突き上げる情熱を感じて感動的である。
 
熱いシベリウスを聞いた人間が「もっと冷たいシベリウスが聞きたい」と言うのをよく聞くが、我が耳を疑ってしまう。シベリウスの音楽が冷たいのはオーケストラのサウンドだけで、その中身はとても熱くて情熱的なのである。先のような発言をする人間は「音」のみにしか耳に行かず「音楽」まで到達していないのだ。同様に冷たい「音」だけしか聞かせられない演奏者はシベリウスの「音楽」を演奏出来ていないのだ。
ホント、シベリウスは聞く者と演奏する者とを選んでしまう。
 
話はCDに戻るが、なんせ録音が古く、マイクがオーケストラの音を拾い切れていない。しかし、ここで聞ける音楽的な魅力については十分で、お薦めできるものになっている。入手は難しいと思うが、機会があれば聞いて欲しいと思う。

カラヤン/ベルリンフィルハーモニー管弦楽団(1965年) < GRAMMOPHON POCG-6056 >
お薦め度 ★★★☆☆
カラヤンは生涯にこの曲を4回録音したが、これは65年の3回目のもの。
この演奏ではいつものカラヤン節は影をひそめ、シベリウスサウンドを見事に体現している。これはカラヤンが嫌いな人にも充分お薦めできる。
クールな演奏と抑揚のない演奏とをはき違えた巷のモノとは違い、叫ぶ所は凄まじく、ささやく所は繊細で透明な音を聞かせてくれる。特にffでは北欧のオケにはまねの出来ないでかい音を出している。
そして第1、3楽章最後の盛り上がりはカラヤンらしくグッと来るモノがある。
ただ個人的にはこの曲に込められいる生命賛歌とは少し離れていると思う。内面からキラキラと輝くようなものが欲しい。
余談だがシベリウスが存命中カラヤンの演奏を「テンポが遅いが」素晴らしいと絶賛していたそうだ。結構中庸的なテンポだと思うのがこれでも作曲者にとっては遅かったらしい。どうもベルグルンドの演奏がシベリウスの考えてたテンポに近いそうだ。しかし今はぐっと遅いテンポでする演奏が流行であるし、個人的にも遅いテンポの方が好きである。

カラヤン/ベルリンフィルハーモニー管弦楽団(1976年) < Sardana sacd-235 >海賊盤
お薦め度 ★★★★☆
カラヤンがベルリンフィルと76年10月16日に行った演奏会の模様。海賊盤。
人は彼のことを“空ヤン”と言ってはばからないが、無添加のカラヤンを聞いてみると、必ずしもそれが当てはまらないことに気付く。この演奏もシベリウスの音楽が持つ複雑な構成を見事に捉えていて、それをきっちりと整理してこちらに聞かせる所など大変素晴らしい。またここぞと言うところでの盛り上げ方など非常にツボにはまっていて思わず聞き惚れてしまう。特にフィナーレのクライマックスなどグッと胸に迫るものがある。
このCDは修正なしのブートなだけあって、プレイヤーのミスがそのまま記録されているし、全体的に音がもたれ気味なのが面白い。なによりグラモフォン特有の全楽器が溶け合ったボテッと音ではなく、きちんと分離できた存在感ある音になっているのが好ましく、やっとまともなレコードを聴いている気分になる。ただダイナミックレンジは普通のCDに比べてやや狭い。

ギブソン/ロンドン交響楽団(1957年) < DECCA 468 488-2 >海外盤
お薦め度 ★★★★☆
ギブソンがロンドン交と57年12月(ライナーには59年2月の日付もあったが、こっちはたぶんカレリア組曲の方)に録音した演奏。
速いテンポでグイグイ押していく演奏で、シベリウス特有の色彩を見事聞かせてくれる。しかも腰高になったりせず、どっしりと響きはこの演奏に安定感を与えてくれる。また弦を主体とした音楽作りをしていて、全体的にスマートな曲の進行を行っている。しかし曲の終局に向かって音楽はジリジリと盛り上がっていき、コーダではそれまで押さえ気味だった金管が咆吼を上げると昂揚感が一気に胸を襲う。
あまり有名な指揮者ではないが、素晴らしいシベリウス振りのひとりとして押さえて欲しいひとだ。

ギブソン/スコットランド国立管弦楽団(1983年) < CHANDOS CHAN 6556 >海外盤
お薦め度 ★★★☆☆
アレクサンドル・ギブソンがスコットランド国立管弦楽団と83年に録音した全集からの一枚。
私はこの指揮者をまったく知らないのだが、このCDを聞いてみて驚いた。ここで聞ける音楽はまさにシベリウスの世界で、自分にとって知られざるシベリウス振りを発見できて大変喜ばしかった。
非常に誠実にシベリウスの音楽と対峙していて全体的におおらかにマイルドに鳴り響く。その想いが積もり積もってクライマックスでは胸一杯の感慨を湧き起こす。
ただ演奏の表現自体がやや弱く、インパクトの薄いものとなっている。もう少し味わいが出ればコリン・デイヴィス並のものになると思うだけに残念だ。
しかしシベリウスとは名ばかりのつまらない演奏に辟易している方には「こんなシベリウス振りがいますよ」とお薦めできるCDだ。

クーセヴィツキー/ボストン交響楽団(1936年) < Pearl GEMM CDS 9408 >海外盤
お薦め度 ★★☆☆☆
クーセヴィツキーとボストン交による36年の録音。モノラル。
奇をてらった所のない、作品そのものに語らせるような演奏だが、繊細に音を積み上げており、造型も全体をしっかりと捉えたもので優秀である。特にクールでありながら疾走感があるフィナーレに引き込まれてしまうものがありなかなか良い。
録音はヒスノイズを含むものだが、音質自体はしっかりしているので、鑑賞には充分堪えられるものである。

コリンズ/ロンドン交響楽団(1955年) < BEULAN 4PD8 >海外盤
お薦め度 ★★★☆☆
1955年1月25〜27日に収録された演奏。モノラル。
冒頭からシベリウスの世界が提示される。テンポ設定などの基本的アプローチが1955年という時代を感じさせず、現在に充分通用する新しさを持っている。(この当時はロマン的な濃厚系か高速ハイテンポな爆走系が非常に多かった)
オケがイギリスであるためか、鋭角的な鋭さはなく、やや柔らかい手触りがあるが、曲の構成には一分の隙もなく、冒頭から終結まで一気に聞かせる。一方、第1楽章と終楽章のコーダにおける爆発力は録音のせいか大したことはないが、こけおどしの一切ない端正な表情が見事ツボにはまった演奏と言える。

コンドラシン/北ドイツ放送交響楽団(1981年) < TREASURE OF THE EARTH TOE2023 >海賊盤
お薦め度 ★★★☆☆
コンドラシン死の2ヶ月前となる81年1月26日にNDRと行った演奏会の模様。海賊盤。
ゆっくりとしたテンポで進められて行くが、フレーズ間に不思議な“間”があり、なにか独特な雰囲気がある。しかし決め所の急加速は凄まじく、第1楽章でのスケルツォ的な部分に入る手前、第2楽章での真ん中あたりなどかなりスリリングな展開を見せている。一方、終楽章のコーダでは感情の高鳴りが感じられて素晴らしいが、そのテンポの速さが災いしてか、やや息切れ気味な感じがしてしまう。
録音はCD−Rにしては非常に良好な音質。またコンドラシンの低いうなり声が所々微かに聞こえるので、もしそれが聞こえてもオカルトティックに驚かないように。

《 さ行 》

サカリ/アイスランド交響楽団(1998年) < NAXOS 8.554377 >海外盤
お薦め度 ★★★★☆ 《 For Beginner!
58年にヘルシンキで生を受けた指揮者による98年の録音。ナクソスにはリーパーによる交響曲全集があるのにかかわらず、新たな全曲録音を始めるということは、レーベル自体が先のプロジェクトを失敗と認めたからに違いない。
それにこの指揮者はみごと応えている。シベリウスサウンドを完全にものにしているのが特に好感をもつ。とはいっても氷の刃のような厳しい音ではなく少し柔らかい音色はこのコンビ独自のものといえる。
またシベリウス独特の音構造を完璧に手中にし、それにみごと感情の波を乗せる。その結果としてスコアから少しも逸脱することなく、また過剰な表情を付けることなく、心の底から揺さぶるような感動的な音楽が展開する。
このサカリ盤“安いわ、凄いわ”でシベリウスの5番の入門にはこれ以上申し分のないCDだ。
私にとってヴァンスカ以上に期待の持てる次世代のシベリウス振りが現れた。

サラステ/フィンランド放送交響楽団(1993年) < FINLANDIA WPCS-4744/6 >
お薦め度 ★★★☆☆
ユッカ=ペッカ・サラステの2度目になる全集から。ライブ録音。
演奏は全体的に速いテンポで進んでいくが、終楽章のクライマックスではかなり大胆にテンポを落として心ゆくまでこの生命賛歌を歌い上げている。また旋律の歌い方はやや強めのアクセントをつけて非常に若々しい魅力に溢れたものとなっている。シベリウスサウンドを見事に表出しているのと合わせて聞いていてとても清々しい演奏だ。
ただそのアクセントの割には木管の音の立ち上がりが弱く、そのせいで野暮ったく聞こえてしまうのが玉に瑕だ。
余談だがこの全集につけられたライナーが大変面白いので機会がある人は是非一読をお薦めする。(ベルグルンド/ヨーロッパ室内管弦楽団のも興味深い) それにしてもこのCDの録音データを見ると5番、6番、7番が一晩で演奏されている。無茶苦茶濃い演奏会だな。私も行ってみたい。日本でもこんな企画ないのかな。

サロネン/フィルハーモニア管弦楽団(1986年) < SONY SMK 66234 >海外盤
お薦め度 ★★★☆☆
エサ=ペッカ・サロネンとフィルハーモニア管弦楽団による86年の録音。
かなりのスローテンポで丁寧にひとつひとつの音符を音に変えていき、各旋律線同士の絡み合いが透けるようによく解る。しかしその透けた向こうに何かが見える演奏ではなく、ただ音構造を解りやすく分解して提示しているに過ぎない。
それでも演奏における起伏の設定など非常に堂に入って堅実であり、なかなか聞かせる演奏であるのは違いない。
これで自然(=宇宙)と交感したようなインスピレーションの片鱗でもあればもっと良かったのにと思ってしまう。

ザンデルリング/ベルリン交響楽団(1971年) < BERLIN Classics 0092742BC >海外盤
お薦め度 ★★☆☆☆
ザンデルリングと言えば”ソ連もの”といった印象が強い。これは若い頃ムラヴィンスキーの元で修行を積んだからだが、今ではドイツものをもう一つの柱と据えて活動をしている。これはその転換期の頃の録音、71年のものだ。
非常にゆっくりとしたテンポでこの曲を歌い上げようとしている。音楽的な呼吸の深さは今のザンデルリングの片鱗を見せていて面白い。しかしこの録音ではその息深さが徹底できておらず、所々で息切れを起こしているのが見受けられる。
またシベリウスサウンドを出し切れてない箇所がありオケ自身もシベリウスに慣れていないことが解る。
と言っても全くダメではなく。第2楽章などはチャーミングに聞かせてくれている。
現在のザンデルリングの成熟を知っているだけに「またシベリウスを録音してくれないかな?」と思ってしまった。

シュミット/ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団(1996年) < The Royal Philharmonic Orchestra 204500-201 >海外盤
お薦め度 ★★★☆☆
28年にコペンハーゲンで生まれた指揮者によるロイヤルフィルとの録音。録音年月日が記載されていないが、96年3月録音とのこと。また自主制作盤っぽいが、きちんとセッションを組まれての録音となっている。
演奏の方は若干細部の練り込み不足を感じさせてしまうものだが、大らかな音楽の流れが次第にそれを気にさせなくしていく。特に終楽章での集中力が大変良く、胸の中にシベリウスの音楽がどんどん広がっていくように感じる。
またこの作曲家独自の音色も充分に表出し、これにイギリスらしいマイルドさを添えている。
完璧とは決して言えないが、シベリウスを聞く喜びに溢れたこのCDはシベリウスファンにぜひとも聞いて欲しい1枚だ。
この指揮者、カール・ニールセン賞を取ったことがあるそうだが、録音はないのだろうか?

セーゲルスタム/デンマーク国立放送交響楽団(1991年) < CHANDOS CHAN 7054(4) >海外盤
お薦め度 ★★☆☆☆
本人も20曲以上の交響曲を書いているセーゲルスタムによる91年録音の全集から1枚。
まず最初に驚かされるのは音色の透明さである。録音のせいかもしれないが、シベリウスサウンドを充分に体現し、フィンランドの美しい夜明けを思わせるゆっくりとした冒頭部などは引き込まれてしまうものがある。また旋律のワンフレーズ、ワンフレーズへ充分に思い入れを込めてなかなかの呼吸の深さで演奏している。
ただその思い入れが入り過ぎなのか、スコアの指示にない細かくて落差の激しいテンポの変化やフルト・パウゼ(全楽器の休止)があり、シベリウスの音楽が崩れてしまう紙一重の所で危ういバランスを取っている。
メチャクチャ個性的な演奏なのだが、指揮者が自分の思うままの心情を吐露している様が魅力的に感じる演奏である。

《 た行 》

コリン・デイヴィス/ロンドン交響楽団(1995年) < RCA 09026 61963 2 >海外盤
お薦め度 ★★★★★
デイヴィス2度目となるシベリウス全集からの1枚。
ゆっくりとしたテンポで慌てず騒がず落ち着いて歌われている。力を振り絞ったffなどはないが、シベリウスへの共感に満ちた真心いっぱいの演奏を聞かせてくれる。触感的に例えるなら絹のようなしっとりとした手触りだ。
指揮者が完全にこの曲を手中に収めているので、どのフレーズも耳に心に染み込んでくる。飽きの来ない音づくり。
終楽章のひたひたと心に迫ってくる演奏は他ではちょっと聞くことは出来ない。
北欧の手を触れたら切れてしまうような鋭いものでもなく、ドイツやアメリカのやたらシンフォニックなものでもなく、イギリスらしいマイルドな味わいを持つ演奏と言える。

チェリビダッケ/スウェーデン放送交響楽団(1971年) < GRAMMOPHON 469 072-2 >海外盤
お薦め度 ★★☆☆☆
チェリビダッケの死後、次々と発売される正規盤のうち、スウェーデン放送交と71年に行われた演奏会の模様を収めたもの。
チェリらしいスローテンポでひとつひとつのフレーズを確かめるように進んで行くが、テンポ自体の緩急はけっこう激しく、第1楽章のコーダや第3楽章の冒頭などキビキビとしたリズムで颯爽としている。
最後はそこそこ盛り上がるが、全体的にパンチ力が足りず、聞き終えたときになにか物足りない印象を抱いてしまうのが残念だ。

チェリビダッケ/ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団(1992年) < RARE MOTH RM425-S >海賊盤
お薦め度 ★★☆☆☆
チェリビダッケとミュンヘンフィルが92年11月8日に行った演奏会の録音。海賊盤。
例によって超スローテンポで進められる。この曲がアダージョ交響曲かと思ったくらいだ。
演奏の方はこのテンポでいながら最期まで曲を聞かせる緊張感と構成力とが良い。一方旋律の細かい表情付けが徹底されておらず、特に木管が雑に鳴ったりするところが数カ所散見できた。
しかし聞き終わった後にシベリウスが自然から授かったインスピレーションを感じさせるものではなく、「チェリの演奏を聞いた」以上の感慨を得るものではなかった。だが、チェリビダッケらしさから言えば、この演奏もそれが充分堪能出来るので、コアなファンはどうぞ。

ドホナーニ/クリーヴランド管弦楽団(1999年) < THE CLEVELAND ORCHESTRA MAA-01032-C >自主制作
お薦め度 ★★★☆☆
クリーヴランド管がドホナーニとの演奏をまとめて自主制作したCDの中からの1枚。ちなみにWebからでも購入可能。演奏は1999年6月3日に行われたもの。
アメリカのオケらしくないまろやかな手触りで落ち着いて進んでいく。響きは非常に整頓されていて、荒々しい所がまったくないのがライブ録音ということから考えると大変驚きだ。
演奏の方は、曲が進むにつれゆっくりとテンションを上げて行き、終楽章の終盤では大きな盛り上がりをみせて胸に迫るものがある。ただ最後の6つの音があっさりとしたものなので、それまでの高まりがすっと冷めてしまうのが、かなり盛り上がっていただけにちょっともったいない感じがする。

《 は行 》

バルビローリ/ハレ管弦楽団(1957年) < The Barbirolli Society & DUTTON CDSJB 1018 >海外盤
お薦め度 ★★★☆☆
バルビローリが57年にハレ管弦楽団と録音した演奏。
第1楽章などは非常にゆっくりとした速度で進められるが、全編にわたって熱のこもった音楽が繰り広げられる。しかしそれはバーンスタインのように粘液質っぽい熱さではなく、熱血と言える潔さを感じさせる。終楽章での熱い高鳴りは胸の裡にビシビシ迫り来るものがある。
ただ素晴らしいことは素晴らしいが、後年の演奏が持つ一段突き抜けた熱狂がほんの少し薄く、その分やや後退する。
録音はDUTTONらしい定位のしっかりした音が左右いっぱいに展開するもので、音も鮮明である。

バルビローリ/ハレ管弦楽団(1966年) < EMI TOCE-3171 >
お薦め度 ★★★★☆
シベリウスのスペシャリストとしても知られているバルビローリ66年の録音。
しかしスペシャリストと言われても、北欧の指揮者の出す音とはまるで違う彼独特の個性を有している。なにより胸一杯のシベリウスへの共感がこもっていて、存分に歌いきっているのが良い。だから本場物のクールな響きの中の情熱と言ったものではなく、どちらかと言えばバーンスタインのように感情を噴き出させるような熱い演奏だ。
先ほども書いたが作曲者への共感を込め、旋律を伸び伸びと歌わせた演奏だ。ここにはまるで血が吹き出るようなフレッシュさがある。しかし楽器のバランスが少し独特で、北欧のオケや指揮者に慣れている人は少し戸惑うかも知れない。
この指揮者はマーラーが有名(特にベルリンフィルとの第9番)だが、シベリウスも劣らず素晴らしい。この指揮者を今まで聞いたことのない人も一度は聞いてみて欲しいと思う。

バルビローリ/ハレ管弦楽団(1968年) < BBC RADIO Classics CRCB-6097 >
お薦め度 ★★★★☆
68年にバルビローリがハレ管弦楽団と行ったライブの録音。
バルビローリらしく情熱が湧き出るような演奏だ。特にライブというのもあって曲の盛り上がりが起伏に富みながら自然である。
オケの方も自信があるのか、指揮者の棒にピッタリと寄り添ってしかも余裕あるプレイをしている。まあ、ライブ特有のキズがあって「あれ?」と思う箇所もあるが。
弦の細かい音型がきっちり刻まれており、精緻な印象を強くする。またクライマックスの6つの音を最初の4つは軽く出し、残り2つを思い切りよく叩きつける解釈はおもしろい。
なんと言ってもフィナーレの高揚感が大変素晴らしく、曲が終わると同時に飛び出した歓声と拍手も当然のように思える。

バーンスタイン/ニューヨークフィルハーモニー管弦楽団(1961年) < SONY SMM5023162 >海外盤
お薦め度 ★★★★☆
レニーがニューヨークフィルのシェフ時代に作成したシベリウス全集からの1枚。収録日は1961年3月27日。
晩年の重量級で粘液質なものではなく、元気で颯爽とした演奏で、音楽に蔭の部分は感じさせない。響きは厚いが、美しさは充分にあり、何より音楽に生命力があって、聞いていると心が広くなってくるような気がする。
フォルテでの鳴りっぷりはアメリカのオケらしく大変良いが、終楽章コーダでの爆発が今ひとつなのが残念だ。しかしこれほど聞いていて気分が良くなる演奏はそうはない。

バーンスタイン/ロンドン交響楽団(1975年) < GNP GNP 47/8 >海賊盤
お薦め度 ★★★☆☆
バーンスタインが75年9月13日にロンドン交と行った演奏会の模様を収めたもの。海賊盤。
ウィーンフィルとの爆演に比べると幾分粘度が不足しているが、今回オーケストラがシベリウスに慣れているイギリスのものというだけあって、微かにシベリウスの音を聞き取ることが出来る。演奏はゆっくり目のテンポが採られているものねちっこさは薄い。しかしその分爆発力に欠け、第1楽章や終楽章のコーダなどウィーンフィル盤を聞いている耳にはやや物足りない。
録音は音の粒がやや丸いもの、音そのものの鮮度は充分で、生々しさがきちんと伝わってくる。またレニーの足音がふんだんに聞けるのはブートレックならではと言えるだろう。ただダイナミックレンジはやや狭い。

バーンスタイン/ウィーンフィルハーモニー管弦楽団(1987年) < GRAMMOPHON POCG-1001 >
お薦め度 ★★★★★ 《 For Beginner!
レニーがウィーンフィルと87年に残したライブ録音。このコンビでは他に1、2、7番がある。
演奏は非常にゆっくりとしたテンポで進み、旋律の一つ一つを濃厚に雄大に歌い上げていく。そのため一聴しただけでは分かりにくいシベリウスの旋律がとても分かりやすく耳に届く。
そして第1楽章は懐深く、雄大に豪快に鳴り、第2楽章は寂しさと優しさを込めて歌い、終楽章では全身全霊でこの生命賛歌を奏でている。最後の6つの和音が鳴るところは思わず息を詰めてしまう。
シベリウスと聞くと第一に思い浮かべるクールで孤高なイメージを払拭した熱い演奏は、シベリウスアレルギーな方にもイの一番にお薦めできるCDだ。
ただこの演奏はあまりにもバーンスタインらしさが出過ぎているので、こちらも演奏にどっぷり浸り切らないと指揮者の感情の波から取り残されてしまう。聞くのに体力のいるディスクである。
ブルックナーがよく「演奏スタイルはたった一つしかない」と言われながら最近は様々なスタイルの演奏が聞けるのに反して、同じことを言われるシベリウスは本当に一つのスタイルでしか聞くことができない。これはどういうことだろうか? それではいつまで経ってもシベリウスはポピュラリティを得ることができない。
しかしそんな中、シベリウスの新しい姿を当時69歳のバーンスタインが聞かせてくれた、若手の指揮者はこれを見習ってもっと頑張って欲しい。シベリウスは他人の手垢が付いていないので思い切ってやれるはずだ。

バーンスタイン/ボストン交響楽団(1988年) < RARE MOTH RM480/1-S >海賊盤
お薦め度 ★★★★☆
レニー最晩年となる1988年3月14日に行われた演奏会の模様を収録したもの。海賊盤。
死の2年前となる演奏だが、ジリジリとしてなかなか進まない音楽と分厚い響き、それに歌い難いシベリウスの旋律を魅力的に奏でる所はさすがにこの指揮者らしいが、音楽には確実な衰えがあり、聞く方に少し哀しさを感じさせる。
第2楽章以降ゆっくりと高まっていく高揚感が素晴らしく、終楽章の後半ではそのスケールの大きさと懐の深さに心奪われるものとなっている。
音質はややこもり気味で、音ゆれを起こしている所が数箇所聞き取れる。

ハンニカイネン/シンフォニア・オブ・ロンドン(195?年) < Seraphim 7243 5 69134 2 4 >海外盤
お薦め度 ★★★☆☆
昔EMIから出ていたもので、録音年は記載されていなかった。ただ原盤初出が1959年のステレオ録音なので、50年代後半であろう。
響きはシベリウス独自のものを出していて透明感があるが、テンポが細かく動く辺り時代を感じさせ、加えてオケが凡庸であるため最初はやや違和感を覚える。しかし、曲が進むにつれて段々と集中力を増し、彼らの創り出す音楽に思わず引き込まれてしまう。そんな不思議な魅力のある演奏だ。

ブロムシュテット/サンフランシスコ交響楽団(1989年) < LONDON POCL-1089 >
お薦め度 ★★★★☆
ブロムシュテットによる89年の録音で2回目の全集にあたる。
演奏の方は完全に曲を手中に入れていて、シャキッとしたクリアーな音を聞かせてくれる。
また旋律を大きく歌おうとしていて、かなり抑揚のあるフレージングを付けている。それが淀みなく流れるシベリウスの音楽を阻害することなく、且つこの曲の持つ生命力を表出していて素晴らしい。血の通ったシベリウスだ。
とある評論家は(宇野功芳氏のことだが)この指揮者のことを「音楽の呼吸が浅い」と何かにつけてメタクソに言う。確かにそうだが、私はこの人が80歳代後半(それまで生きてたらね)になればきっと懐の深い音楽を聴かせる巨匠になると信じている。だから私はこの人の音楽的成熟を追いかけて見たいと思う。

ベルグルンド/ボーンマス交響管弦楽団(1973年) < Disky BX703882 >海外盤
お薦め度 ★★★★☆
ベルグルンドがイギリスにあるボーンマス交響管弦楽団と73年に録音した彼初めてのシベリウス全集からの1枚。
この録音によってベルグルンドのシベリウス振りとしての名声が確立された。
第一の特徴としてイギリスのオーケストラを起用していることによる音のマイルドさが挙げられる。柔らかい音色に包まれてメロディーを伸びやかに歌っていながら、シベリウスに必要な透明な響きがあり、じっくりと音楽に浸ることができる。
また面白いことに、ここに挙げられている3枚のディスクの中この録音が一番ゆったりと聞こえる。普通年を取るに従ってテンポは遅くなるものだが、彼の場合は回を重ねるごとにテンポが速くなり、合わせて音楽が繊細に精緻になっていく。
ヘルシンキフィルとの素晴らしい全集があるため幾分色褪せた感があるが、それでも聞いていて充分に満足のいく演奏だ。

ベルグルンド/ヘルシンキフィルハーモニー管弦楽団(1986年) < EMI TOCE-8868 >
お薦め度 ★★★★★
指揮者としてだけでなく、シベリウスのスコアを校正する人としても有名なパーヴォ・ベルグルンドの2度目になる全集からの1枚。
オケはシベリウスの曲を数多く初演したヘルシンキフィル、指揮者も作曲者と同じフィンランド生まれの人、と来ればおのずと演奏の方も王道中の王道を行った、自らのアイデンティティーをかけ「シベリウスの演奏ここにあり」と高らかに宣言しているような演奏だ。
シベリウス独特の旋律は曲の隅々まで手中に収めていないとあっと言う間に霧の中に消えて二度とその姿を見せなくなるが、この演奏ではその旋律のすべてが精緻かつ繊細に歌われていて、すうーっと心に沁みてくる。それゆえこの曲の持つ複雑な対位法もすっきりとして混乱なく耳に届いてくる。
特に終楽章のクライマックスでは優しくおおらかに生命賛歌を歌い上げていてドキドキワクワクするのと同時に幸せな気分になる。
現在この指揮者とヨーロッパ室内管弦楽団が組んだベルグルンド3度目の素晴らしい全集が出たが、シベリウスの王道を行く演奏としてこのディスクの価値は今も全く色褪せていない。

ベルグルンド/ヨーロッパ室内管弦楽団(1995年) < FINLANDIA WPCS-6008 >
お薦め度 ★★★★★
ベルグルンド3回目の全集より、95年の録音。
前回のヘルシンキフィルとの録音も素晴らしいものだったが、今回のはそれを遙かに上回る出来になっている。これはオケの合奏力の高さも大きく貢献していると言える。
繊細かつ透明な音色に満ち、北欧を思わせる冷たい空気みたいなものに包まれながら、曲を構成する音の細胞ひとつひとつに吹き出るような熱い血が通っていて、非常に生命力の溢れた演奏になっている。
この演奏は非北欧系指揮者のロマンティズム溢れるものとは一線を期しているが、同じ本場物の演奏とも異なっており、格の違いをまざまざと見せつける深さを持つに至っている。指揮者が今回北欧のオケを使わなかったのは技術的なものの他に「伝統という名の悪しき慣習を断ち切るため」と言っていた。この演奏の鮮烈さを聞くとなるほどと思ってしまう。(例えばヘルシンキフィルなんかは初演時からの歴史があるため、作曲者立ち会いの演奏や過去の大指揮者の書き込みがパート譜に残っている。これは宝とすべき伝統であるが、時には足かせとなってしまう)
特筆すべきは楽譜の読みの深さと確かさである。ある旋律が奏でられている中でポンとひとつの音が鳴る、それが次第に対旋律へと姿が変わりやがて次の主旋律へ発展していく。この生命の樹を見ているような音(=生命)の進化を誠に分かりやすい形で提示してくれているのだ。これはバーンスタイン盤ですら足下にも及ばない。
さすがシベリウスに自らの愛情とアイデンティティーを捧げ、楽譜の校正までするベルグルントだと言えるだろう。
ただいくら凄腕集団のヨーロッパ室内管弦楽団とは言え、ウィーンフィルとかのフルオーケストラの迫力には一歩及ばない。(しかしシベリウスのスコアはそんな迫力なんか要求していないけどね)

《 ま行 》

マゼール/ピッツバーグ交響管弦楽団(1990年) < SONY SB5K 87882 >海外盤
お薦め度 ★★☆☆☆
全集セットからの1曲。録音は1990年9月15〜16日に行われた。
落ち着いたテンポで歌い上げていく演奏で、その歌い口は粘り気を感じさせるが、音色自体はシベリウスらしい冷たさを持っている。しかし、意外な旋律を強調したり、ここぞという所ではアッチェレランドをかけ問答無用に盛り上げていく所など、随所にマゼールらしさを感じさせる。ただその割にはクライマックスでの昂揚感が今ひとつであり、マゼールのファン以外の方にはそれほどお薦めできる演奏ではない。

《 や行 》

ヤルヴィー/エーテボリ交響楽団(1982年) < BIS BIS-CD-623 >
お薦め度 ★★★☆☆
北欧ものと言えば必ず出てくるネーメ・ヤルヴィー、そんな彼の交響曲全集からの1枚。
コンセプトが同じなため、本場物としてはどうしてもベルグルンドと比べられてしまうのだが、決して見劣りのしない良い演奏を聞かせてくれる。
第1、2楽章はテンポが遅いのだがリズミックに聞こえてしまうのがヤルヴィーらしい。しかし終楽章は一転して速いスピードで駆け抜けていく。最後の盛り上がりは胸のすく感じがしてとても良い。
ただベルグルンドと比べるとメロディが心に迫って来る所とか、対位法をすっきり聞かす所とかが一歩譲ってる気がする。しかし演奏はシベリウスに対する共感に満ちたものだと言うことを付け加えておこう。

ヤンソンス/オスロフィルハーモニー管弦楽団(1994年) < EMI TOCE-8884 >
お薦め度 ★☆☆☆☆
マリス・ヤンソンスがオスロフィルと94年に録音した現在進行中の全集からの一枚。
アメリカのオケらしく洗練された響きがするが、音楽に腰が入ってなくナヨナヨとした印象を受ける。これはいくら金管を強奏しても無駄で、精緻にしかも晴朗に弦を刻んでいないからだ。
この弦楽器にどんな音を出させるかがシベリウスサウンドを体現できているかどうかの大きなファクターとなっている。シベリウスの音楽はその隅々まで手中に収めていないとあっと言う間に霧の中に消えて行ってしまう。
残念ながらシベリウスを聞く喜びを感じることはできない演奏だ。

《 ら行 》

ラトル/バーミンガム市交響楽団(1987年) < EMI CDM 7 64122 2 >海外盤
お薦め度 ★★★☆☆
ラトルが手兵バーミンガム市交響楽団と87年に録音したもの。全集からの一枚。
これは今まで耳にしたことのないシベリウスだ。ラトルというと自分の感性を前面に押し出しすぎて、聞いてると鼻につく演奏が結構多いが、この演奏はそれが良い方向に作用して成功している。
速いテンポで颯爽と駆け抜けていき、鮮烈なリズム感と合わせて爽快だ。特筆すべきは第2楽章に当たる部分で、リリシズムが溢れきらめくような美しさに満ちた演奏になっている。
気になる点としては、第1楽章でのヴァイオリンによる意味不明のフレージングの断絶。第2楽章で一瞬見せる浅薄な響き。第3楽章コーダでの鐘の音のような金管の音型に付けられたアクセント記号の強調。それになんと言ってもシベリウスサウンドを体現していないことが挙げられる。
普通だったら×なのだが、これらの欠点を上回る魅力に溢れてるんだからしょうがない。新しいスタイルが登場したんだと思おう。個人的にラトルはあまり好きじゃない指揮者なのだが、今回のCDで少しだけ見直してしまった。

リーパー/スロヴァキアフィルハーモニー管弦楽団(1990年) < NAXOS 8.550200 >
お薦め度 ★☆☆☆☆
ナクソスと言えば低価格でマニアの心をくすぐる曲をチョイスして毎月のようにディスクを連発しているレーベルだが、ギャラの安い演奏家を起用しているためメジャー嗜好のこまったちゃんには「安かろう、不味ろう」と食わずに敬遠されている。実際がそうじゃないのは言わずもがなである。
さて、この演奏はエイドリアン・リーパーが37歳の時スロヴァキアフィルと録音した90年のもの。
ホルンに乗ってテーマが奏でられる冒頭に思わず鳥肌が立つ。キンとした冷え切った空気の中、地平線を思い出させる広々とした世界。「知られざるシベリウス振りが一人現れた!」と歓喜の想いが湧き起こったが、なぜか数小節目にはテンポが速まってセカセカと音楽が進み出した。フィナーレに当たる部分ではテンポもゆっくりとなるが、薄っぺらい音楽が変わることはなかった。非常に、非常に残念だった。
最初の4小節までだったら×5だったんだけどね。

レビ/アトランタ交響楽団(1989or90年) < TELARC CD-0246 >海外盤
お薦め度 ★★★☆☆
ヨール・レビとアトランタ交が89年か90年のどっちかで行った録音。
ゆったりとしたテンポでじっくり腰を据えて進められるが、音楽が重くやくどくはならず、硬質な響きを持ったシベリウスらしい世界を持っているのが素晴らしい。この人もシベリウス振りのひとりだと、この演奏を聞いて認識できた。
テンポの緩急がほとんど付けられない幾分素っ気ない表情なので、グイグイと演奏に引き込まれることはないが、確かな構成感を持っているためじっくりと曲を聞くことができる。ただ、端正であるもの味の薄いことが若干のマイナスとなっている。
録音は左右の広がりがやや狭いもの、非常に奥行きがあり、各楽器の定位がしっかりと聞き取れるものだ。

《 わ行 》

渡辺/日本フィルハーモニー交響楽団(1981年) < DENON COCO-80412 >
お薦め度 ★★☆☆☆
渡辺暁雄が81年に昭和女子大学人見記念講堂で録音した彼2度目の交響曲全集からの1枚。62年録音の1度目はLPで世界初(SP時代を入れても世界で2番目)となる交響曲全集だった。
よくワーグナー指揮者とかブルックナー指揮者とか言うのを耳にする。その曲で最も優れたパフォーマンスを見せる指揮者のことを示すのだが、ことさらブルックナーに関しては指揮者を選んでしまうのは良く知られている。同様にシベリウスも指揮者を厳しく選ぶ。それはブルックナー以上で、世界中でもホントに満足のいくシベリウスを聞かす指揮者の数は非常に少ない。
我が日本ではブルックナー指揮者に関しては朝比奈隆がいて98年の時点でも90歳ながら現役でバリバリ活躍している。そしてその後に続けとばかりに若杉弘などがブルックナー指揮者になるべく精進を重ねている。(余談だが若杉はマーラーで最高の魅力を発揮すると思う)
しかしシベリウス指揮者に関してはただ渡辺暁雄一人しかおらず、彼の後を継ぐ者もいない。そして悲しいことに彼はもう鬼籍に入っているのだ。(90年永眠) 誰か「一丁やったるか」と言う若手はいないものだろうか?
演奏の方はシベリウスサウンドを完璧に音にしている。母がフィンランド人だという血と環境のなせる技か。またオケの調子が最初は良くなく、第1楽章の3分の1ぐらいの所から徐々に良くなって、後は滑るように進む。まあ聞いていて「金管をもっと鳴らしてくれ!」と言いたく所があるが・・・・・・。(これはプレイヤーのせいだと思う)
ここには爆発するような燃焼はない、かと言って淡々とクールに演奏しているわけでもない。知的に整理されながら、この指揮者の持つ生来の暖かさがにじみ出た地味だが味わい深い演奏だ。
終楽章のクライマックスに至ると非常に晴れ晴れとした気分になる。個人的には最後2つの和音の鳴らし方が良く思わなかったが、このCDは日本人にも本物のシベリウス振りがいたという証として末永く残していかなくてはならない録音だと思う。

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