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交響曲第3番変ホ長調
《英雄》の時代とベートーベン

曲名
交響曲第3番変ホ長調 作品55「英雄」
作曲
ルードイッヒ・ヴァン・ベートーベン(ドイツ
完成
1804年(34歳)の春
初演
1804年12月に私演、翌年4月7日公開初演
構成
第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ
第2楽章 葬送行進曲:アダージョ・アッサイ
第3楽章 スケルツォ:アレグロ・ヴィヴァーチェ
第4楽章 アレグロ・モルト

はじめに
ベートーベンの交響曲第3番「英雄」ではっきり言えることは、この曲によって交響曲が貴族のサロンなどで特権階級に向かって演奏される曲から、街中のコンサート会場で大衆に向かって演奏される曲になったということです。
この曲は同時期でも最晩年に差し掛かっていたハイドンや既に他界していたモーツァルトの交響曲が持つある種の優雅さとは明らかに一線を期しています。
どうして彼はこんな曲を書いたのでしょう? 少しこの曲が書かれた時代と彼自身のことを考えてみたいと思います。

作曲された時期について
この時期には何より1789年フランスで起こった革命を避けて通る事はできないでしょう。
簡単に言うと(簡単にしか言えない)、経済の発達に従って社会の中心が王侯貴族たちから一般市民へと移ってきたと言うことでしょう。
当然王侯貴族はそれを阻止しようとするし、市民は政治の主人公の座を奪おうとします。すると起こるのは戦争、内ゲバ。世紀末を乗り越えても不穏な時代だったのです、19世紀は。
そこに一人、時代の象徴が現れたのです。彼はうだつの上がらない貴族出身の士官でしたが、天才的才能で近代式軍隊を組織して、干渉戦争を仕掛けてくる近隣諸国の軍(王侯貴族側)を蹴散らしてしまったのです。
彼は「英雄」と呼ばれてヨーロッパ中の民衆に絶大な支持を得ました。彼の名はナポレオンといいます。
余談ですが「英雄」と言ってもあくまで「民衆側」からと言うのがポイントで、ブルジョアから見れば「人気があるからといって頭に乗っているけしからん奴」だったんでしょう。現にワーテルローでナポレオンが負けた時「それ見たことか」と言ったのはどちらかと言うとブルジョア側の人でした。
ナポレオンを象徴として民衆にものすごいエネルギーが高まっていった時代なのでした。

一方音楽家も貴族オンリーでメシを食ってくことが難しくなりました。貴族は経済が民衆中心に移っていったのに加えて、戦争への出費がかさんで以前より羽振りが悪くなったからです。そこで音楽家も民衆に向かって商売を始めざるを得なくなりました。
具体的にはチケットを不特定多数の人に買ってもらってコンサートを開くといったことです。この時代音楽家は苦労したようですね、モーツァルトはフリーになってザルツブルグで頑張ったし、ハイドン程の大物がロンドンへ出稼ぎに行ったくらいですから。

その頃の作曲家について
ではベートーベンはどうしてたのでしょう。彼はボンという田舎町から才能ひとつで大都会ウィーンへと出てきました。すっごい貧乏な家庭だったのは有名ですが、当時音楽家は貴族を相手にしながら社会的地位はとても低かったのです。しかも田舎貴族に仕える音楽家はサラリーも低かったでしょうから生活が苦しかったと思います。それにほとんど世襲性で長男(ベートーベンもそう)は家を継ぐ意味で音楽家になったのです。
彼は貧乏で社会の最下層に近い人だったので思想的には貴族側よりどちらかと言えば民衆寄りでした。だから最新のモード「三民平等」という考えは彼にとって理想郷を実現してくれる希望に満ちた考えだったと思われます。
さてウィーンに来た彼は当時最新の楽器ピアノの即興演奏とピアノ曲の作曲でブイブイいわしてました。ベートーベンの新曲が発表されたと聞くや、みんな楽譜(今で言うCDの代わり)を買い求め、演奏会へ足を運んだのでした。おまけに貴族相手にすぐキレたり子どもみたいに喜んだりする、喜怒哀楽の激しいキャラクターは「ちょっと変わった人」としてけっこう有名人だったようです。

しかし乗りに乗ってる彼を深く悩ませることが起こります。耳の疾患です。
「他になんの取り柄も無い自分がこの街にいられるのはピアノが弾けて作曲が出来るからだ」 ベートーベンもそのことは充分知っていたと思われます。耳が聞こえなくなると言うことはピアノが弾けなくなり曲も書けなくなることを意味していて、それは彼にとってこの世での存在価値がなくなることを意味していました。
だから耳が悪いことは絶対に隠し通さなくてはならないことでしたし、絶対に治さなくてはならないものでした。
しかし転地療養してもまったく良くならず、病状は悪化する一方でした。そしてついに彼は人生に絶望して遺書を書きます。有名なハイリゲンシュタットの遺書です。しかし彼は弟たちに宛てられたその遺書を机の奥にしまい込みました。
なぜ? それは自分の心の底から新しい音楽がマグマのように次々と沸き上がって来るからでした。深い絶望に囚われれば囚われるほどそれを打ち払うかのように輝かしい音楽が胸の中で鳴り響くのでした。「この音楽を残さずして死ねるものか! 聴力を失っても作曲はできる。後は自分がこれから待ち受ける苦難と闘う覚悟があるかどうかだ!」 彼は自分の身に降りかかった運命を乗り越える決意をしてウィーンに帰ったのでした。
実際これ以降彼は自分が難聴であることを隠さないようになり、当時発明されたばかりの補聴器を使用し始めています。そして音楽でもまったく新しい領域に足を踏み入れて行くのです。
それは自己の心情の吐露、苦難を越えて初めて到達できる心境を描き、貴族だけでなくこの世の人々全員に向けた音楽を創ることでした。誰もやったことのないことを彼は始めたのでした。
そのため今までの音楽にあったお約束をバラバラにして新たな形で再構成しました。このため彼の作風は鑑賞上にも演奏技術上にも、今までの”ちょっと難しい”から”すごく難しい”に変わったのでした。今でこそこの時期の作品は「傑作の森」と言われてますが、当時の音楽モードでは超前衛音楽だったのです。しかしその新しい音楽にイカれる者も現われ、マニアックながら熱狂的な支持者が彼を支えるようになったのでした。
そして新しく始めた彼の音楽の中で最初の成果がこの交響曲第3番なのでした。

彼はこの曲で困難に立ち向かっていく力と、困難を乗り越えて得られる喜びを表現しました。これはまさにベートーベンにとって命を賭けたものだったに違いありません。この曲の作曲に失敗していたら彼は机の中から再びあの遺書を引っ張り出していたことでしょう。
事実、第9番《合唱》をまだ作曲していない頃、ベートーベンに「自分の交響曲の中でどれが一番好きか?」とインタビューしたところ、わざわざ「第五番《運命》よりも」と断った上でこの第3番《英雄》を挙げたそうです。
この曲はベートーベン個人の苦難から克服へと至る葛藤を描いただけでなく、戦争だらけの中ヨーロッパの民衆の持つ新しい時代へと突き進んで行こうとするエネルギーを描いたものとなりました。だから彼はその象徴としてナポレオンにこの曲を献呈しようとしたのでしょう。しかしそれはあくまで象徴としてであって、この交響曲がナポレオンのことを表現しているわけではありません。

曲について
この曲の構成について第1楽章を例に挙げごく簡単に述べると、ソナタ形式のこの楽章は主題提示部(A)展開部(B)再現部(C)結尾部(D)とおくと、AABCDとなり5部形式的になってます。さらに類似した部分を(AA)(B)(CD)と括ると展開部を中心に据えたアーチを形成していると言えます。だから展開部が提示部の1.5倍の長さになっていても提示部を繰り返すことを考慮すれば0.75倍となり従来のソナタ形式が持つ均衡をきちんと保っているのです。という訳で個人的には提示部を繰り返してほしい。え、長くなる? そんなこと知ったこっちゃねぇです。
また展開部も新主題がでる所(音楽之友社のポケットスコアで284小節目)で前後二つ(B=b1+b2)に分けることができます。ちなみにこの新主題は結尾部(D)に入ってしばらくすると再現されます。
以上の様にこの曲は無茶苦茶やってそうですが、複雑ではあるもの強固な構成感を持ち合わせているんです。

しかし、この楽章で描かれる世界は壮絶です。英雄的な壮大なテーマが奏でられるとすぐそれを押し潰そうとする悲痛な響きが襲う、すると「なにくそ!」と叫ばんばかりにさらに力強くテーマが奏でられる。まるで自分の身に降りかかる肉体的、精神的、芸術的な困難をすべてぶっ壊してまったく新しい世界を創造しようとしているようです。まさに何度ぶち倒されても立ち上がってくる不屈の精神が描かれてます。
第2楽章は今まで前例のない葬送行進曲。この楽章で描かれる世界は本当に深い。彼の交響曲の緩徐楽章では第5より深く第9に次ぐものだと思います。と言ってもそれぞれ性格が違うので一概に言うのは良くないことですが。
次のスケルツォは前楽章の雰囲気を受けて弦がppで刻みながらゆっくりとクレッシェンドして躍動的なテーマが飛び出します。第2交響曲で初めて用いられた「スケルツォ」が名実共に真の「スケルツォ」として響き渡ります。この楽章は第2楽章から終楽章への舟渡し的な役割を持っているんで、幻想的でまた喜びに満ちた楽章となってます。でも本当の(魂の奥底からの)喜びは終楽章で描かれるため、ここでは幾分軽いものになってます。(だからスケルツォ=諧謔〔かいぎゃく〕曲と言うんですね) 個人的には終楽章へはアタッカで繋ぐべきだと思う。
そしてフィナーレ。この楽章も終楽章として異例の変奏曲が採られてます。ここで使われる主題は、それまでの作品の中で何度も変奏曲主題として使用して来た「プロメテウスの創造物」が用いらています。即興曲の名手として名を馳せた彼が最も自信のある変奏曲を、最も自信のある変奏曲主題を使って、自分のすべてを賭けた交響曲を締めくくろうとしたんですね。
上でも書きましたがこの交響曲は終楽章で、生きる苦しみを乗り越えた人間だけが到達できる喜びを表現しています。だからここで精神の開放を感じさせないような演奏は鑑賞する価値が激減します。単なるヴァリエーション(変奏曲)ではこの楽章は軽くなって巨大な第1,2楽章に飲み込まれてしまう。終楽章こそ巨大なレヴォリューション(革命)でなくてはならないんです。

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