インダス文明インドの西、現在のパキスタンを南西に流れアラビア海に注いでいるインダス川の流域は、農耕に適する肥沃な平野であった。 また、インダス川の下流域は海を通じてペルシア湾、メソポタミア地方、紅海、エジプト方面と通じ、上流域のパンジャブ地方は陸路でメソポタミア、ペルシア、バクトリアなどと交流があった。 インドでは、旧石器時代の遺物が発見されており、新石器時代には農耕文化が広く各地に広がっている。なかでもインダス川流域は最も早く開けた地域で、前2600年頃からメソポタミア文明の影響を受けて青銅器文化をもつ都市文明がおこった。これをインダス文明という。 インダス文明は広い範囲にわたり、すでに60をこえる遺跡が発見されているが、そのうち1920年代から発掘されたモヘンジョ=ダロ Mohenjo-daro とパンジャブ地方のハラッパ Harappa が代表的な遺跡である。 この文明は、アーリア人がインダス川流域に侵入してきたBC1800年ころ、突然に滅んでしまった。その原因については、明らかではない。 インダス文明をになった民族の系統はまだ明らかでない。ドラヴィダ人 Dravidian ではないかという説が最も有力である。 アーリア人が侵入する以前のインドの原住民としては、ドラヴィダ族やムンダ族などが知られている。ドラヴィダ族は、現在、デカン半島を中心に生活している。 【モヘンジョ=ダロ、ハラッパ】 両遺跡とも周囲約4.8Kmをこえる大規模な遺跡であり、周囲には泥と日乾煉瓦で築かれた城塞を備えていた。市街地は排水設備のある整然とした街路をもち、城内にある家屋はみな煉瓦づくりで、大規模な公衆浴場・市場・穀物倉庫・集会所などの公共施設があった。 小麦・大麦・木綿・椰子(やし)を栽培し、牛・豚・水牛・象などを飼育した。磨製石斧、彩色土器を使用し、青銅製工具や武器、二輪の牛車、金銀宝石の装身具、印章(未解読の象形文字や動物・神象をなどが刻まれている)などが発見されている。 各地との交易が盛んに行われたようで、南インドの金、ビルマの硬玉、アフガニスタンやイランの銀・銅・瑠璃(るり)などが見つかっている。 また、象形文字を刻んだ印章や青銅器の製作は、インダス文明がシュメール・アッカド文明と密接な関係にあったことを示している。 【アーリア人の侵入】 アーリア人は、中央アジアや南ロシアのステップ地方で遊牧生活をいとなんでいたが、ユーラシア大陸の各地にむかって移動をはじめ、紀元前2000年紀には一部はイランやメソポタミア地方に侵入し、また一部は紀元前2000年紀の半ば頃までにインダス文明の栄えていたパンジャブやインダス流域に侵入したものと考えられる。 【参考ページ】 農耕と牧畜の開始(文明への始り) メソポタミア文明 エジプト文明 黄河文明 【LINK】 大成建設 古代文明都市ヴァーチャルトリップ ≫ インダス文明 水の要塞都市ドーラビーラー A Complete Guide to the Indus Civilization インダス文明への招待 大英博物館ミラーサイト(日本語) ≫ 古代インド Harappa: The Indus Valley and the Raj in India and Pakistan 参考文献 「新訂版チャート式シリーズ 新世界史」堀米庸三・前川貞次郎共著、数研出版、1973年 MSN Encarta(UK) ≫ Reference ≫ Indus Valley Civilization 更新 2004/2/29 |